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しおりを挟むあと二時間で土曜日になる。明日の土曜日にはゴリと会う約束をしていた。
「でも」
俺はスマホの画面ロックを解除する。
今の時代、「あると便利」から「無いと不便」を経て身分証明書というか大袈裟に言えば「人間証明書」のようになってしまっているスマートフォンだ。貧乏だからと持っていなければ――個人的には十分に生きてはいけるが――体面的には認められづらい。SNSのアカウントを持っていなければ付き合いの輪に入れず、時刻表も地図も漫画も紙媒体から電子版へと移行している。歩きスマホが問題になり続けているようにスマートフォンは日常生活に密着している。緊急時には所在を示す事も出来る。今の日本は一人一台のスマートフォンを持っているという事を前提に回っている――などと親の方から説得を重ねられて渋々、購入してもらったスマホだった。データ通信の上限は最も低く抑えて、通話系の定額オプションにも未加入で使えば使った分だけ通話料金は掛かるが基本使用料が月に数百円という格安SIMを挿入している中古のスマホで俺はゴリにメッセージを送った。
『悪い。明日の約束はキャンセルで。』
送ろう、送ろう、送らなければ、今日の内に、早くと考えていたのに。だらだらと自問自答を繰り返していたせいで、こんな時間になってしまった。
今日の夕方、偶然に会ったリンゴから「ゴリにカノジョが出来たっぽいぞ」と聞かされて、俺は「グッドタイミングだ」と思った。良い機会だと判断した。
キスで繋がっている、いや、縋り付いている、俺とゴリとの今の関係は不健全だった。ゴリに依存してしまっていた俺は、頭ではやめなければいけないと理解しつつもゴリから離れる事などは出来なくなってしまっていた。キスを重ねていた。繰り返していた。
何をしていても、していなくても、ゴリの事ばかりを考えるようになってしまっていた。
俺がゴリから離れるには外的な要因が必要だった。自分の意思では難しかった。
しかし、
「ゴリにカノジョが出来たなら。もう俺なんかとキスはしない方が良いよな。いや、しない方がとかじゃなくて、したら駄目だろう」
ゴリの為だと思えば。我慢が出来た。決断を下せた。行動を起こせた。メッセージを送る事が出来た。俺はゴリと距離を取る。ゴリの為にも。
「依存から脱却する為には、ダイエットのように下手な断食は逆効果で徐々に少なくしていった方が良いパターンじゃなくて、禁煙みたいにぶっつりと断った方が効果はあるはずだ。ゴリのカノジョを利用させてもらおう」
もう二度とゴリとキスは出来ないのかと思うと胸が痛いが。この痛みは直に治まるはずだ。ゴリとのキスは忘れた方が良いのか、それともこの思い出を糧に生きた方が良いのかまではまだ分からないが。自然と、なるようになるはずだ。
――スマホが鳴った。ゴリからの返信が来ていた。
『どうした? 何かあったか?』
『急用が出来た。』と返す。
『了解。じゃあ日曜日だな?』
『日曜は先約がある。』と返したが嘘だった。用意しておいた嘘だ。
『そうか。そしたら来週か。』
俺の手が止まる。どう返すべきかは分かっていたが、俺の手は震えるばかりで思うようには動いてくれないでいた。
『来週の予定はちょっとまだ分からない。また連絡させてくれ。』
ようやく打ち終えたメッセージを送信する。急にはっきりとしたNOを突き付けるとWHYが返ってくるだろう。ここは答えを先延ばしにして、更に「また連絡させてくれ」と「次」の主導権をこちらで握る。そう言っておきながら、こちらから連絡をする気は無かった。それで自然消滅してくれるならそれで良いし「どうした?」等と突っ込まれれば「忘れていた」と別件で忙しい事を更にアピールする事が出来る。
「……この不健全な関係が消滅したって。俺とゴリが友達な事は変わらない」
一ヶ月後、二ヶ月後、また何処かで偶然、顔を合わせたりすれば、ゴリならきっとまた「おうッ! ツリ目!」なんて声を掛けてくれる。落ち込みが過ぎてスルーしてしまった俺に「はっはーッ」と力強い笑顔を見せてくれたゴリだから。きっとまた。俺の無礼を飛び越えてきてくれる。
……この日、ゴリからのメッセージはそれ以上、届かなかった。
『おう』も『またな』も無かった。
俺はスマホを片手に握ったまま、気が付けば、寝落ちしていた。朝が来た。
俺はスマホに目を向ける。メッセージの新着を知らせる通知ランプは点滅していなかった。俺はスマホを開かずにそっと机の上に置いた。
土曜日が始まる。
午前中は主に部屋で勉強をしていた。今までは同じ学校の連中に負けたくなくて、追い付きたくて、切羽詰まりながら教科書を開いていたが今日は勉強に集中する事でゴリの事を忘れようとしていた。元々は勉強から――上がらない成績のプレッシャーから逃げるようにゴリとキスをしたはずが、気が付けば逆転してしまっているというわけだ。おかしな話だった。
午後。昼飯を食べ終えた俺は気分転換に外へ出た。ふらふらと辺りを歩く。
互いに自宅は近かったがゴリと鉢合わせてしまったらとは考えなかった。幾ら家が近所だからといって、そんな運命的な偶然はなかなかにないだろう。
「誰も彼も散歩しているわけでなし。別に一本道でもないしな」
冷静に考えれば「なかなかにない」と分かるそんな偶然を昨日は期待してしまっていたのだ。……依存とは怖いな。
不意に「――あれ?」と背後から声が聞こえた気がした。俺は振り返る。
マーフィーの法則ではないが「あるかもしれない」と期待した偶然は起こらないもので「なかなかにないだろう」と高を括っていた偶然は起こってしまうものだった。
「やっぱ、ツリ目じゃん」
そこにはラフな私服姿のリンゴが立っていた。今日はスカートなど穿いていなかった。見慣れたズボン姿だった。
「よく会うな」とか何とか、リンゴはぼそりと呟いていた。
「昨日ぶりだな。その前は三ヶ月も空いたのに」と俺は笑った。
「一年で平均すると同じくらいになるようにカミサマが調整してんのか?」とリンゴが首を傾げる。俺は「知らん」と突っ込んだ。
「んで。何やってんだ? どっか行った帰りか?」
「あたし? あたしはさっきまで走ってた。多分だけど部活が無くなったせいで夜にあんま眠れなかったから。ちょっと疲れてこようかなって」
「野生児が」
「うるせーよ、もやしっ子。ツリ目の方こそ何してんだ? 暇なら遊ぶか?」
「あー……」と俺は少しだけ考える。朝っぱらから続けていた勉強の息抜きとして家を出て、帰ったらまた勉強を再開させようとは思っていたが。それは今しなければいけない事でもしたい事でもなかった。
「まあ。暇と言えば暇か。遊ぶって何するんだ?」
「おッ」と嬉しそうな顔をしてくれた後、リンゴは、
「土手の向こうでキャッチボールか的当てか、三人居るならノック練でも良いか」
投げるように打つように大きく腕を振り回しながらに言った。
「三人?」と俺は眉間にシワを寄せた。
「ああ。さっきな。ツリ目と会うちょっとだけ前にゴリにも会ってな。ゴリも暇だって言ってたから『遊ぶか?』って聞いたら『遊ぶ』って言ったから、今はグローブとボールを持ってくるって一旦、家に帰った。あ、バットは持ってこないのか。ノック練は無理だな」
興奮気味なやや早口でリンゴは言った。早く体を動かしたくてたまらないようだ。
かと思えば、
「あッ!」
とリンゴは急に大きな声を上げた。
俺は何でもないという顔を作りつつも、急に聞かされた、これからゴリも合流するらしいという話をまだ上手く処理する事が出来ずに内心、狼狽してしまっていた。
「ツリ目。耳貸せ。内緒話。ゴリの最新情報――てか昨日の訂正な」
リンゴが俺の耳元に口を寄せる。ごしょごしょと喋り出す。
「ゴリな、フラれたっぽいぞ」
「ええッ?」
「だから今日はゴリにカノジョの話とかは振らない方が良いぞ」
「マジか?」と俺は一瞬、本気でびびってしまったが、近付けていた顔を離してから改めて見てみたリンゴの目は笑っていた。……なんだ。リンゴの事だからまるきりの嘘ではないのだろうが、どうも大袈裟に言っているようだった。
「フラれたって、どういう話から」と詳しく聞こうとした俺の言葉をまるで遮るようにまたリンゴが、
「あッ」
と声を上げた。俺は、
「うるせえ! 近くで大声を出すな」
リンゴに強く抗議した。耳がキーンとしていた。
「ゴリ、来た」とリンゴは言ったが、
「あ? 何だって?」
キーンと耳が鳴っていた俺にはよく聞こえていなかった。
数秒後、背後からザッザッザッザッ――と猛スピード感を伴って近付いてくる気配を感じて俺は振り返る。比較的に最近、何処かで感じた事があるような気配だった。
「ちょちょ――ッ!?」
と驚く俺の目に映っていたのは、指先を伸ばして腕を振る短距離走者のフォームで力強くも華麗に真っ直ぐ、走り迫ってくるゴリの姿だった。
「――いや。これは俺の直前でまた『キキーッ』と止まるだろう」
などと気を抜いていた俺も多少は悪いのかもしれないが、ゴリはそのまま、
――ドンッ!
と見事に俺を轢いてくれやがった。
「うお――ッと!?」
白い雲が浮かぶ青い空を仰ぎ見ながら俺は、宙を舞った――ような気分でその場に転がった。
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