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しおりを挟む春。花村春生は、無事に志望していた高校の生徒となれていた。
高校生となった春生の傍らには、常にと言っても過言ではないであろう、二人の友人が居た。その内の一人は、女子生徒。もう一人は、女子生徒用の制服を着込んだ男性戸籍の「女子」生徒であった。……春生の高校生活は、この二人の「御陰様」によって、非常に「華やか」なものとなってしまったのだった。
そんな「二人の友人」の内の一方、女子生徒の名前は安藤果歩といった。
中学生時代、女子柔道部の次期主将とまで言われながらも、その途中で部を辞めるとその後は、きっぱり、柔道から身を引いてしまった――「あの」安藤果歩である。
春生も、その名前こそは――瀬尾美空との話やらで――知ってはいたが、実際に顔を合わせ、オシャベリをしたのは、高校生となってからであった。
他に「お仲間」の少ない中、心細かったのか。中学生時代は、まるっきり、話した事の無かった春生に、安藤果歩は「同じ中学校出身」である事を理由にガツガツと近付いて来てくれたのだった。……登下校時の電車内では「偶然」と言うよりも「運命」かと思ってしまうくらい頻繁に顔を合わせ、二人はその親交を深めるに至ったのである。
また。驚きの一つには、安藤果歩の「激痩せ」もあった。
彼女は、以前の「柔道部然」とした、でっぷりの体格から、ほっそりと弱々しい身体に変わってしまっていたのだ。
高校からの友人達は、彼女が中学生時代、女子柔道の――それも、70kg超級で県大会の三位に入賞したという話を「冗談」としか聞いてくれなかった。
しかし。「驚き」の最たるものと言えば、やはり、蔵原真直との再会であろう。
入学式の日。「お久し振りです」と声を掛けられた春生は、照れたみたいに微笑んだ「彼女」が誰であるのか、その顔を幾ら睨んでみたところで、本当に分からなかったのだ。
その髪型は、女の子らしい、ふわりとしたショートボブ。両の手を胸の前で合わせて、妙にしなっぽく。声までも、柔らかな、メゾソプラノボイスだった。……そして。何より――「彼女」は、スカートを穿いていたのだから。
「彼女」が、あの「蔵原真直」であるなどと、春生に思えるはずがなかった。
「塾じゃないけど……声、掛けちゃいましたッ」と笑った「彼女」は、春生の知っていた「蔵原真直」とは「ベツモノ」に思えるほど、積極的な「女の子」であった。
春生の高校生活は、そんな「二人の女子生徒」に振り回されるかたちで、コロコロと過ぎていった。……春、夏、秋、冬。春、夏、秋、冬……。彼らの季節は、二巡りをして。高校生活、最後の夏。その或る日。花村春生は、安藤果歩から呼び出しを受けた。
「放課後」に「体育館の裏」へなど呼び出されてしまったものだから。花村春生は、
(……「タイマンで勝負」とかじゃないよな? 集団で待ち伏せとか……無いよな?)
などと考えてしまった。
「女子柔道部の次期主将」という彼女の中学生時代を知っていたからなのか。それとも。春生が彼女に対して、そういった「想い」を一片も持ち合わせていなかったせいか。
「ハルキ君。あのね……」
「…………。……ええ?」
その目を真ん丸にした春生は、彼女から「恋の告白」をされるとは……微塵も思っていなかったのだ。
「『ずっと』、好きだったの」と彼女は言った。
「聞かせてもらった通り……同じように、私も遣ったのに」と彼女は言った。
「私じゃあ……鈴呼の代わりにはなれないの?」と彼女は言った。
春生には、応えられる言葉が何も無かった。「…………」。
「……昨日の夜、連絡があったの。『後援者』のヒトから。鈴呼が、拘置所を出たって。それで、私……」
彼女の言葉に、春生の胸がドクリと鳴った。ドクリ、ドクリ……と鳴り続ける。
……「水谷鈴呼」の事など、もう、すっかりと忘れてしまっていたはずなのに。
「…………」
(……鈴呼。水谷鈴呼……。……鈴呼が「出てくる」? 鈴呼と会える……。……鈴呼。)
燃えるみたいに春生の身体が熱くなる。……何なのだろうか、この感覚は。
「ハルキ君……。私……」
「ゴメン……」と呟いた春生は、
「……アリガトウ」
その一言を残して、彼女に背中を向けた。
「……うあぁ」と子供みたいな泣き声をあげた彼女にも振り返らず、春生は駆けた。
拘置所を出た水谷鈴呼が何処に行ったのか。春生は知らない。
彼らの地元へと向かう電車に飛び乗った春生は、直感的に彼女の家を目指していた。
「……早く。……早く」
駅に降りた春生は急いで改札を抜けると――何の迷いも見せずに、走り出す。
「現在」の春生は一度だって行った事の無かった「彼女の家」である。……しかし。春生は自然と「水谷鈴呼の住んでいたアパートへと続く道」を走っていた。
「……はぁ、……はぁ、……はぁ」
築何十年かという古いアパートに辿り着いた春生はそこで一旦、立ち止まる事もなく、カンカンカン……とサビの浮いた階段を駆け上る。二階。一番、奥の部屋の前に立った春生は、その胸の動悸が鎮まるのも待たず、呼び鈴に手を伸ばした。……焦る春生の目はチラリともそれを見てはいなかったが、その部屋の表札には淡く消え掛けた黒い文字で「水谷」としっかり書かれてあった。
ガチャリとドアのノブが回されて、部屋の中から現れたのは――中年の男性だった。
「あの……鈴呼さんは」
逸る気持ちを抑え切れず、春生は自己紹介やら何やらを全て飛ばして、用件を口にした。
中年の男性は、首許のよれた白いシャツを着ていた。その右の手には、中身のほとんど無くなったビールの中瓶を握っていた。
「ああ……? ……誰だ、てめえ。鈴呼のオトコか?」
赤ら顔の中年は、酒臭い息を吐いた。
「…………」
その「声」を耳にした瞬間――一瞬の内。花村春生の脳裏には、幾つもの「光景」が、次々と浮かび上がった。
――不意に、自分に襲い掛かってくる、中年の男性。
――きょとんした顔の幼女に手を伸ばす、中年の男性。
――自分に伸し掛かり、「ごめんね」と連呼しながらも、その手は止めない中年の男性。
――泣き出した幼女に「いいぞ。泣け、鳴け」と、楽しそうな笑顔を向ける中年の男性。
――強く、目を閉じ、歯を食い縛る自分。
――慣れた刺激に、その表情を無くす幼女。
春生は、
「……ぅぁあああッ!」
右の手を強く握り締め、目の前の酔っ払いに、その拳を投げ付けた。
力み過ぎた春生の拳は、中年の顔のすぐ前を、風を切って通り過ぎる。
「うお――ッと」
中年はそれに驚き、よろけて、こけた。
……花村春生は「あの日」の彼女と、同じ行為に及んでしまった。その結果は――残念ながらか、幸運にもか――「達成」はされなかったが。……春生は、呆然と立ち尽くす。
「……ンだ、てめえは。いきなりよおッ!」
酔っ払いの中年は、ふらふらと立ち上がりながらに、叫んだ。
「鈴呼だあッ? 知らねえよ。刑務所ンでも、入ってんだろがッ! あのヒトゴロシがッ」
酔っ払いは、右の手に持っていたビールの中瓶で、春生の左頬を殴った。
呆然と立ち尽くしていた春生は、その衝撃をまともに受けて、横に倒れる。
……彼女は、この家に帰っていなかった。
倒れた春生の脇腹を、酔っ払いは、ふらふらのその足で、容赦無くも力無く蹴り上げる。踏み付ける。蹴り上げる。蹴り上げる。
「何なんだ、てめえはッ。てめえも、ヒトゴロシかあ? 他人様の家にいきなり……ッ」
「…………」
長々と続く、その暴行を受けながら。春生は「あの日」の彼女が、どうして、滝田登を殺害したのか、その理由が解かってしまっていた。……彼女も、先程の春生と同じような「ヴィジョン」を見てしまったのであろう……。――「自身の過去」と「愛するヒトから受けた告白」。その「未来」にて、
「オレが一生、君を守り抜く。その『傷』を癒す事は出来ないかもしれないけれど、その『傷』ごと、オレは、君を愛し続ける。……その『痛み』が、解かるとは言わないけれど。オレの『痛み』も、聞いてもらえるかな。こんなオレが、君を愛しても……構わないかな」
彼女が、春生のプロポーズを受けてくれた「理由」。
――二人が深く愛し合う事となった、根本のシンパシー。
彼女は、それを「失う」と知りながら――その「悲劇」から、花村春生を救おうとしてくれたのだ。あの時は、まだ、達せられていなかった、滝田登の「行為」から――そして。何も告げぬ事で、その「想い出」からも――春生を遠ざけようとしてくれた。
……春生には、何も出来なかったのに。
拘置所の彼女に会いに行く事もせず。出てきた彼女にも会えず。彼女を深く、傷付けた男を殴ってやる事もかなわず。今の今迄……ただ、彼女を想う事さえも、出来ていなかった。
「……ゴメン」と呟き、春生は涙をこぼす。
「ゴメンじゃねえよ、クソガキ! 謝るくらいなら、はじめっから……ッ」
春生の言葉は、酔っ払いに対する謝罪などではなかった。こぼれ続ける大粒の涙は、全身を襲っている痛みから来るものではなかった。
「ゴメン……。……ゴメン……」
下唇を噛み締めて、春生は唸る。
……留置所を後にしたという彼女が、自身の家の他、何処に行ったというのか。
「……オレは、君を守れなかった……」
春生には、愛する女性の行き先に何の心当たりも無く、ただ、謝る事しか出来なかった。
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