春待ち木陰

春待ち木陰

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「……何だ? 今日は部活禁止でも何でもないぞ。『御目付役』の出番じゃないだろ」

 美空の提案に春生は難色を示したが、それでも彼女は「頼むよ。……な? ちょっとだけ……」と強引に彼を引き止めると、

「――見ててくれよなッ」

 春生に返答の隙を与えず、跳躍の準備に移ってしまった。

「ハイ、ハイ……」

 と呆れ顔で頷いてくれた春生も、

「…………」

 真剣な表情で跳躍の準備に入った美空を認めると、その表情を引き締めてくれた。

 呼吸を整える。……構え、走り、跳ぶ。

「――ッしゃ!」

 青いマットに降り立った美空は、鋭く拳を握り締めた。

「コレだよ、コレ――ッ」

 自らの「イメージ」にそぐった、納得の跳躍が出来てしまった美空は、その余韻を噛み締めつつも、いそいそとポールを拾いに戻った。

 再び……構え、走り、跳ぶ。そして、笑顔。……その繰り返し。

 調子良く「納得の跳躍」が続く。続く。

 気分も高まる。

 しかし。「ノリノリ」な美空が、ちょうど十度目の跳躍を終えた時だった。

 ポールを片手に、助走のスタート位置にまで戻ってきた「ルンルン」な美空に、

「……なあ」

 と春生から声が掛けられた。……その声に苛つきは感じられず、どちらかというと、困っている、弱っているみたいな声だった。

「オレがココに居る必要は、何だ? 瀬尾のジャンプがスゴイのは充分に分かったから。……拍手を残して、オレは、そろそろ、帰っても良いか?」

 足許におろしていた鞄を「よっこらせ」と肩に掛け直した春生に、美空は慌てて、

「ちょっと、待って。ゴメン。ホント、もうちょっとだけ、付き合ってよ。……ね?」

 ポールを持ったまま、器用に、てのひらを合わせ、拝み頼んだ。

 ……美空は自身の打ち立てた「仮定」が「当たり」である事を――「証拠」は無いが、「確信」してしまっていた。

「……別に、この後、帰ってから何か予定があるわけでもないから。瀬尾の部活に付き合うのは構わないんだけどな。『理由』くらいは教えてくれよ。……何で、オレがココに『必要』なんだ……? ……誰かに『引き止めておけ』とか、頼まれてるのか?」

「え~……と」

 美空は、ほんの数秒の間、大いにためらったが。結局は、

「……あのさ」

 と「確信」をしてしまったその「可能性」を打ち明ける決心を固めたのだった。

「ハルキが見ててくれると、上手く跳べるんだ」

「……なんだ、そりゃ? ジンクスとか、そういう話か?」

「そうじゃなくて。えと……多分だけど『環境』が似てるんだと思う。その『環境』に、身体が反応してるっていうか……。『予行練習』の逆パターンっていうか……」

 美空の言葉に、春生は控えめな怪訝顔を作る。

「……よく解からないな。それは、つまり、オレが見てると『なんとなく』上手く跳べる『気がする』って事か?」

「いや、そういう『キモチ』の問題じゃなくて……むしろ、身体的な話なんだけど」

 ふんわりとした説明しか出来ない美空に、春生の「怪訝」は徐々に濃くなる。

 ……このままでは、結局、春生を「怒らせる」だけだろうか。

「…………」

 美空は、ほんの数瞬、迷いに迷ったが。結果、

「……『夢』を見たんだ」

 と春生に「事の経過」を正直に打ち明けようと決めたのだった。

「は……?」と春生は眉間に深いしわを寄せた。

「オカルトな話……ハルキは嫌いだったよね。でも。怒らないで、聞いてくれる?」

 美空は、普段の彼女らしからぬ、おどおどっとした調子で「お願い」をした。

 つい先程――「可能性」を打ち明ける決心を固めたはずの美空が妙に曖昧な説明しか出来なかった理由は、それだった。原因は知らないが、花村春生は「オカルト」の類いを毛嫌いしている。……瀬尾美空は、その事を「知っていた」のである。

「……は?」と春生は、驚きにだろう、目を見張った。

「『あの日』――スズがあんな事になっちゃった『あの日』――五時間目の授業中にさ、あたし、変な『夢』を見たんだ。……授業中だったし、自分では、そんな、寝ちゃってたつもりはなかったから。実際には数分とか、数十秒とか、だったのかもしんないんだけど。……あたしにとってはさ、すごく長い『夢』だったんだ。すごい長くて、すごく、すごく、リアルな『夢』だったんだ……」

「…………」

 春生は、見張っていたその目を……不愉快そうに細めていた。

 それに気が付きつつも、美空は、その視線を受け止めながらに言葉を続ける。

「あたしさ、その『夢』の中で、一生を過ごしたんだ。ゼロから、百まで。一日、一日。漫画とか、ドラマにありがちな『そして、何年後~』みたいなのもナシでさ。長いコト、その『夢』の中で暮らしたんだ。長いコト――結婚して、子供を産んでさ。孫の顔、見て――そんで、あたし、年上の旦那よりも先に死んじゃうんだ……」

 それは「夢」の中の話。……なのに。その事を思い出すたび、美空の涙腺は刺激される。胸の奥が熱くなる。それは、哀しいというよりかも……不思議な愛おしさで。

「……その『夢』の中。あたしが経験した一番、大きな大会の観客席にハルキが居たんだ。その大会で……あたしは跳躍に失敗した。……最低だった。でも。その『肉体』の出来は、あたしの『人生』の中で、ピークだったと思う。……その『夢』の中、ハルキがあたしの跳躍を見に来てくれたのは、その大会だけだった。今、ハルキが真剣な眼差しであたしを見てくれる事は、あたしの中で、その大会の『再現』になるんだ。ハルキの視線を受けて、この貧弱な中学二年生の身体が、二十三歳の『肉体』に『変わる』……」

「…………」

 春生は、驚きや怒りというよりかも、変に哀しそうな――「理解が出来ない」といったふうな表情をしていた。……美空は、力無く微笑んでみせた。

 もう……春生には全てを話してしまおうと思った。それで怒られようが、嫌われようが、仕方が無い。その変わり、春生には協力をしてもらう。……必ず、だ。

「あの日」――水谷鈴呼の凶行に何の想いを馳せる事も無く、美空は棒高跳びの練習に取り組んだ。彼女は既に、親友を見捨てている身だった。「理想の跳躍」を果たす為なら、もう、何を失う事も恐れるはずはなかったのだ。

「過ぎてみれば、一瞬のコトっていうかさ……。あたしも、その『夢』の全部を覚えてるわけじゃないんだけど……。それって、現実でも、そうじゃんさ? ……例えば、去年の今日とか――昨日でも良いや。ゴハンに何を食べたかなんて、覚えてないでしょ? 毎日、毎日――基本、三回ずつ。食べ続けてるのにさ。そのほっとんどは、きちんと覚えてないんだよね。覚えてるのは、誕生日の時のゴチソウとか、運動会のお弁当とか、そういう、印象の強い――ココロに残って、想い出になってるモノだけ。……その『夢』もさ、同じなんだ。ほっとんど、覚えてないのに、それが『あった』っていうのは『確実』みたいな。すごく、実感のある――この現実と何も変わらない――そんな『夢』だった。あたしね、その『夢』の中の『想い出』が、今も『ココ』に……残っちゃってるんだ」

 美空は、自身の胸許に手を当てると、そのてのひらを強く握り締めた。

「……『あの日』の全校集会で、カホと顔を合わせた時にね……あのコ、言ってたんだ。『さっき、変な夢、見ちゃった』って。聞いてみたらさ、カホも、あたしが見た『夢』と同じような夢を見てたんだ。あたしは、何か……コワイっていうよりも、何て言うか……恥ずかしいみたいな感じがしちゃってさ。自分の見た『夢』の話を、カホにはしなかったんだけど」


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