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しおりを挟む「……花村君は、あの子が刺された時に救急者を呼んでくださったのよね……?」
「はい。先生が……亡くなったのは、授業中でした。自分のクラスの授業でしたから……自分は、クラス委員でしたので。それで、自分が救急者を」
「……こんな事を聞いては、嫌な光景を思い出させてしまうかしら……。……あの子が、息を引き取ったところを、花村君は見ていたのかしら? ……覚えているかしら?」
「……はい。自分は、先生が倒れた瞬間を目撃しています。それを覚えてもいますが……正直を言って、現実味がありません。自分は……夢でも、見てしまったんじゃないかとも」
「そうね……これが夢だったなら」
「あ……すみません。無神経な発言でした」
「いいのよ。おばさんの方こそ、ごめんなさいね。中学生に聞く話ではないのに」
「いえ……自分は、ゼンゼン」
「……花村君。あの子は……苦しんだのかしら?」
「多分ですが……苦しみや痛みは無かったと思います。一瞬の出来事でしたから。先生は悲鳴も上げませんでした。ころ……ンンッ。……恐怖すらも、無かったと思います」
……春生は言葉にしなかったが。滝田登は自らの「死」を意識する間も無く、殺されてしまったとも言える。この世に「幽霊」というものが本当に実在するとしたら、滝田登の「幽霊」は誰も居ない封鎖された「二年A組」の教室で、今も数学の授業を続けているのかもしれない。
「そう……」と滝田の母親は弱々しく息を吐いた。
「…………」
「…………」
沈黙が、重苦しい。
「…………」
「…………」
かと言って、春生の方から話せる事などは……。
花村春生にとっての「滝田先生」は、他にも何人と居る教科担当教員の内の一人であり、所属している部活の顧問とはいっても、それほど親しくしていた相手ではなかった。
先方の――不意の事件で子供を亡くした母親の――期待に沿えるような話など、春生は一つも持ってはいなかったのだ。「…………」と苦心の末に、彼が語り始めたのは、
「滝田先生は……真面目で、熱心な先生でした。馬鹿な自分が半分以上も空欄で出したテスト用紙に、赤ペンで解かり易く方程式と説明とが書き込まれて、返ってきた事もありました」
完全な作り話ではなかったが、それは「自分」が体験した話ではなく、同じパズル部に所属していた去年の三年生から伝え聞いた話だった。今は高校生の彼らが中学一年生の時の話だから……もう、三年も前のエピソードか。
滝田の母親は、その「三年前」を知っていたのか、
「……『また』。あの子は、そんな……」
小さく呟いて、視線を落とした。彼女は……我が子の優しかった笑顔でも、思い出してしまったのだろうか……悲しげに、苦しげに、唇を結んでいた。
春生は、
(……これは、マズったかな。滝田先生、意外と学校での事、お母さんに話してたのかな。……そいえば、オレの名前も知ってたみたいだしな。)
こっそりと、頬の内側を軽く噛み締めた。
しばらくがして。「……花村君は、あの子……」と不意に滝田の母親が口を開いた。
「え……?」と春生は問い返す。
「……花村君から見て、あの子は……『良い先生』だったのかしら……?」
そう言い直した彼女は、まるで懇願をするみたいな表情で春生の事を窺っていた。
春生はそんな彼女の視線を受け止め、更には真っ直ぐと見詰め返す。そして、
「……はい。もちろんです」
力強く、春生は嘘を付いた。
「そうでしたか……」と滝田登の母親はこの日、初めての笑顔を見せてくれた。
……滝田登の享年は三十一であった。その母親の年齢はまだ六十の前後であろうが。その笑顔はまるで疲れ切った老婆の一息だった。
「あの子は……」
力無く目を細めたまま、滝田の母親は口にした。
「……今の内に死んでしまって、幸せだったのかもしれないわね……」
その言葉に、
「は……?」
と春生は己が耳を疑ってしまった。
(……親が我が子に「死んでしまって、幸せだったのかもしれない」……?)
春生は驚きに見開かれた目で、滝田の母親を見詰めてしまった。
「こうして……お線香をあげに来てくれるような、生徒さんに慕われたまま……」
「……あの」と春生の頭で思い至る事が出来たのは、
「……滝田先生は、何か……重い御病気を患ってらっしゃったとか……?」
その程度の「答え」だった。
しかし。滝田の母親は春生が至ったその陳腐な「答え」に、
「病気……ええ。そうでしたね……あの子は病気でした。治る見込みなんて、無い……」
切なげな薄ら笑いを浮かべながらに、はっきりと頷いてみせたのだった。
息子の被害時に「救急者を呼んでくれた生徒」としてだけではなく、
「……背も小さくて、女の子みたいに可愛らしい男の子だって。本当だったのね……。……あ。年頃の男の子には悪口みたいに聞こえちゃうかしら……ごめんなさい。そういうつもりは無いのよ」
滝田登が顧問を務めるパズル部の一部員としての「花村春生」も知っていた滝田の母親であったが。「……付かぬ事を、お伺いしますが」と恐る恐るに尋ねた「水谷鈴呼」に付いては、
「いいえ……今、初めてお聞きしたお名前だけど……生徒さんかしら? それとも、あの子の同僚の方のお名前?」
という、あっさりとした返答だった。
眉間に浅いしわを寄せ、春生は遠慮がちに怪訝な顔をこしらえる。
(……嘘を吐いているようには見えないし……何の為の「嘘」なんだって話だけど……。……殺人事件だぞ。「被害者」の母親が「加害者」の名前を知らないなんて事があるのか……? …………。……「加害者」が未成年だったからか?)
滝田の母親が「水谷鈴呼」の名前を知らなかったという事実は、花村春生少年にとって、或る意味で、幸いな事だったかもしれない。……少年は危うく婦人を無用に傷付けてしまうところだった。その事で少年自身もまた無用な傷を負ってしまうところだった。
「被害者」の母親に向かって、「加害者」の名前を口に出すというのは、流石に無神経が過ぎる行為であるとの認識はあったが……春生の想いとしては、それ以上に……この時を逃してしまってはもう二度と聞ける話ではないような気がしてしまったのだった。
「いえ……御存知でなければ」と春生は口許を引き締めて微笑んだ。白い歯は見せない。
(……滝田先生とは別段、親しくしていたわけでもないのに。オレの名前は聞いていて、「三年前のエピソード」まで知っているふうだったのに。「水谷鈴呼」は知らないのか。……まさか。滝田先生と水谷の間には、何の関係も無いのか……? ……それとも、滝田先生は水谷との関係を隠していたとか……? ……親しくなかった「オレ」の話をするくらい、会話のあった母親にも隠さなくちゃいけないような「関係」だったとでも……?)
不意に……キュウと春生の胃が痛んだ。
(……いや。単にマジで無関係だったのかもしれない……それなら、どうして、水谷は滝田先生を殺したんだ……? …………。……滝田先生は治る見込みの無い重病を患っていたらしい。母親が「苦しまずに死ねたなら、幸せだったのかもしれない」みたいな事を口走るくらいの「重病」だったらしい……。)
花村春生の本来は、決してネガティブな性格の人間ではなかった。しかし。それは、自己防衛の本能とでも言うのだろうか。あくまでも無意識的に……彼は、彼の考え得る「最悪の結論」を想定してしまうのだった。
(……他言を憚る「ただならぬ関係」にあった二人の、一方は「不治の病」を患っており、もう一方が、それを殺してしまった……これは、水谷の自主的な、もしくは、滝田先生の依頼を受けての……「安楽死」だったんじゃないのか?)
春生の推論は仮定に仮定を重ねて導かれた不確かな「答え」ではあったが。春生にとって、その「答え」は不思議な真実味を帯びて感じられた。妙な説得力に溢れていた。その「答え」には……明確に「否定」を出来る個所が見当たらないのだ……。
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