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しおりを挟む(……友達の少ない水谷が仲良くしてるみたいだから「親友」か? それとも、あの場は「水谷の親友」って言った方が効果的だったからオレはそう言ったのか……?)
学年主任の音楽教師に「瀬尾は水谷鈴呼の親友」であると告げた時、春生の口は――何かの計算でハッタリをかましたわけでもなく、かと言って確信的な帰結でもなく、さもそれが当たり前の事であるかのようにすんなりと回ってしまったのだ。
「なんだろな……。…………。……やっぱ、オレって詐欺師の才能が……?」
などとおどけてみたところで春生のモヤモヤは解消されなかった。
昇降口から校庭の端に向かい、のんびりと歩みを進めながら春生は思ってしまった。
(混乱……してるんだよな、オレ。)
まだしばらくの向こう――美しく空に舞う、美空を眺める。
昇降口から校庭の端に辿り着くまでの間、春生は何度も何度も空に舞う美空を見た。……しかし。先程の「既視感」はもう二度と訪れなかった。
(……さっきのも、ただの「妄想」か。……「あんな事」があった後だしな……。)
そんな結論を付けて、春生は砂場に到着した。瀬尾美空はちらりと一瞬、春生を見たが、すぐにバーへと向き直ってしまった。
深呼吸、構え、走り出す。跳び終えて、戻ってきた彼女に春生は、
「瀬尾美空サン」
と声を掛けた。
「……聞こえてた。部活は禁止で、もう帰れってんでしょ?」
美空は、意外とぶっきら棒な物言いで春生に返してきた。
「まあ……そうなんだけど」
(……それが聞こえていながらシカトして跳び続けてたのか。スゴイな。実は案外、「反抗的」だったりするのか……? ……それとも。まさか、本当に「危ない」心理状態だったりして……か。)
「瀬尾」
「……何よ」
「その話、基本的には『さっさと帰れ』って事なんだけど。オレが『御目付役』で一緒に居るなら、少しくらいは続けても構わないってさ。……どうする?」
不遜も照れも無く、春生は単刀直入に用件を伝えてみた。すると。美空は、
「……何それ」
ふふッと春生の発言を一笑に付してくれたのだった。
「別に、見てても良いけどさ……悪いんだけど、声は掛けてこないでよね。今、ちょっと……『固めてる』最中なんでさ」
そう言って美空は、またバーに向き直った。呼吸を整え、構えると、走り出す。
「…………」
(……スゴイな。流石は瀬尾美空……か。)
学年主任に怒鳴られようがまるで意に介さず練習を続けていた彼女は、ここで春生が帰ってしまっても一向に動じず跳び続けるのだろう。……そうなれば、あんな提案をしてしまった手前、「監督不行き届き」とでも言うか、春生が割を食う事になる。
跳び続ける瀬尾美空とそれを見守る花村春生――その事実は動かないまま、彼女の発した「……何それ」の一言で、完全に「立場の強者」は持っていかれてしまった。
おふざけながら、ほんのついさっき、その口の上手さに「詐欺師の才能」があるかもしれないとまで自負した花村春生が、あっさりとやられてしまったのだ。春生は、
「……ふはッ」
と笑うしかなかった。
秋の陽のまだ、暮れ始める前。
何十何度目の跳躍を終えた瀬尾美空は、ぼそりと呟いた。
「こんな日に、こんな事……薄情だと思うでしょ」
唐突に言葉を投げ掛けられた事、それ自体に「ン……」と数瞬、戸惑ってはしまったが春生はすぐに、
「……混乱した気持ちを落ち着ける為、普段通りの反復練習に没頭……なのかな、と」
本音とフォローとを混ぜ合わせに応えた。
美空は春生に顔を向けず、バーを見据えたまま真面目な顔をして、
「違うね」
吐き捨てるでも冗談半分にでもなく、ただ呟いた。
「これは、スズとは関係の無い事。あたしの勝手」
構え、走り、跳ぶ。……そして、戻ってきた美空は先程までとは打って変わっての柔らかい表情で春生の事を見た。
「あたしの勝手な感覚なんだけどさ。陸上ってのは……ほら、野球とかサッカーみたいに競技人口が多くて、中学生の段階で『もう、何年もやってます』みたいなのは、ほとんど居ないから。それなりの運動神経と後は優秀な指導者さえ居ればね、始めたばかりの……中学レベルの大会なんて、意外とケッコウな上位にイケちゃったりするんだよね」
その内容の過激さに反して、美空の言葉は静かだった。
春生の耳には「自嘲」のようにも聞こえたのだが。この年、瀬尾美空という県大会優勝者を出したこの市立中学校は、取り立てて陸上の盛んな土地に在るわけでもなく、特別、部活動に力を入れているという事もなかった。「優秀な」どころか、棒高跳びをまともに教えられる指導者は居らず、見習うべき先輩競技者も居ない。彼女は、部内で唯一の棒高跳び選手だった。
昨年の県大会、短距離走で準優勝を飾った彼女の「ワガママ」な転向に与えられたのは、もう何年も使われていなかった古い器具と狭いエリアだけだった。その器具の扱い方から練習の方法、調整の仕方まで……現在に有る瀬尾美空の技能、そのほとんどは彼女が独学で得たものであったのだ。
(ン~……「指導者も居ないのに私は独りで県大を優勝しちゃいました」って自画自賛じゃあ……ないよな。……何が言いたかったんだ……?)
眉間に浅いしわを寄せ、軽く首を捻った春生を無視して、美空は言葉を続けた。
「あたしは今、あたしにとっての『最高の指導者』を迎えてるわけ。それを忘れちゃう前に……『コイツ』がどっか行っちゃう前にさ、しっかりと身体に覚え込ませる必要があったのよ」
「……そっか」と小さく頷きながらも春生は、
(……何の話だ……? ……ナガシマ的、天才の発想か……?)
美空の話の半分も理解する事が出来ていなかった。
そして……瀬尾美空は意外なほど素直に、
「付き合ってくれて、アリガト。今日はもう良いわ」
照れるでもなく、硬くない表情で感謝の言葉を述べたのだった。
「ン……ああ」と春生は何だか毒気を抜かれたような気分に陥ってしまった。
その意趣返しというつもりもなかったのだが。春生は思わず、
「……水谷鈴呼」
と漏らしてしまった。
花村春生と瀬尾美空――この日が初対面であった二人の、かすかながらに唯一の「接点」であったからだろうか。ぽけっと美空を眺めた春生の脳裏には何故か「水谷鈴呼」が浮かんでしまったのだった。……そして。彼はそのヴィジョンを言葉に出してしまった。
「え……?」と美空は軽く目を見張った。
「ン……いや。…………。……水谷は、どうして、あんな事をしたんだろ思う?」
「どうして……かあ。…………。……どうして、そんな事、あたしに聞くの?」
「……瀬尾は、水谷と仲が良かったろ」
「まあ……そうだねえ。スズと仲良しって言ったら、あたしかカホくらいだもんねえ」
美空の言った「カホ」とは、安藤果歩の事であった。二年E組、女子柔道部の次期主将。この年の県大会、70kg超級で三位となった彼女も瀬尾美空ほどではないにしろ、十分に校内の有名人であった。つまりは、水谷鈴呼の友達で「カホ」と言われれば、
(……ああ、安藤果歩の事か。)
春生にも簡単に通じてしまうくらい知名度が高かった。
「……あのコさ、口下手で、その上、面倒臭がりだしね。『友達の輪』を広げようとか、そういうのにホント、無関心だから……」
軽いおどけ顔の美空にやんわりと話を逸らされてしまった春生は、
「ン~……」
と少しばかり口篭もった後、はっきりと口にした。
「親友……なんだろ? ……ぶっちゃけ、言葉にするのは恥ずかしい単語だけどさ」
先程、美空は自分から「こんな日に」と言った。それは「親友が殺人を犯した日に」という意味に違いないであろう。その後、彼女は「……薄情だと思うでしょ」と続けたのだ。もし、それが「親友が」ではなく「同じ学校に通う知り合いが」であったなら、わざわざそんな事を口にしたりはしない……春生はそんなふうに感じてしまったのだ。
だからこそ、彼はその「応え」にフォローも混ぜた。
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