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しおりを挟むその後。六時限目の授業は無くなり、臨時の全校集会が開かれた。その理由は簡潔に述べられ、生徒達は一年生から三年生まで全員、即時の帰宅を申し付けられた。全ての部活動が本日は休止となり、その処置に対して喜びを見せる不謹慎な輩の姿もわずかながら確かに在ったが、惨劇の現場となってしまった二年A組の生徒達は流石に誰一人として笑ってはいなかった。
全校の生徒が即時の帰宅を申し付けられたなか花村春生は一人、当事の状況を証言する為、校内に残された。とは言っても、警察による事情聴取のような厳密な調査ではなく、教師達に春生の体験を話して伝えるというだけの簡素なものだった。
「……救急車を呼んだ後、もう一度、彼女に声を掛けましたが、やはり、何も答えてはくれませんでした。それから、すぐに宮下さんが佐伯先生を連れて、来てくれまして……」
一通り話を済ました春生は「もういいよ」とまるで厄介払いが如くな言葉で帰宅を促された。青い顔の校長に渋い顔の教頭、ハンカチで口許をおさえている女性教師、他。それらの表情から察するに教師達は皆もう一生徒に対する態度や言葉遣いに気を払う余裕など一切、残ってはおらず、すっかりと参り切ってしまっているようだった。
「……では。お先に失礼します」
見送りの言葉も無い職員室を後にして、春生はさっさと昇降口を抜ける。
目の前に広がるのは青い空。その下に、閑散とした校庭。
何とも見慣れない景色に「…………」と表情を曇らせ、春生は視線を横に逃がした。
すると、
「ん……?」
校庭の端、陸上競技用の砂場付近に一つの人影が見えた。
(……誰だ?)
目を凝らし、見詰めてみれば……その人影は手に長い棒を持ち、陸上用のユニフォームを着込んでいた。
ゼッケンこそ付けていなかったがその格好は、ジャージでもなく、体操服でもなく、ましてや制服のまま……などではなく、立派なユニフォーム姿だった。
「……瀬尾美空……?」
春生が呟いたのは、校内でも有名な陸上部・二年生エースの名前だった。
彼女は去年、一年生ながらに短距離走で県大会の二位となり、この年の大会では転向したばかりの棒高跳びで見事、優勝を勝ち取っていた。その先の全国大会でこそ振るわなかったが、来年への期待も含め、今、校内で最も注目されている女子生徒の一人だった。
……そして。彼女は、水谷鈴呼の数少ない友達の一人であった。
軽く空を見上げ、深呼吸を一つ。それから、美空は、その手にぶらさげていた長い棒を握り直し、構え、バーに向かって、走り出した。……よくよく注意をして見てみれば、砂場にはきちんと厚手のマットが敷かれており、高跳び用のスタンドも立てられてあった。
「…………」と春生の視線は彼女に釘付けとなる。
昇降口を抜けたばかりの花村春生から校庭の隅で飛び上がった彼女までの距離は、目を凝らした春生がようやく瀬尾美空の顔を認められるという程度だった……ふと、
(……何だ、この感じ……?)
春生は妙な既視感に襲われた。……ほんの一瞬の事である。
喚声の渦巻く、巨大な会場。コースに立ち、観客に手拍子を要求する、選手の美空。
呼吸を整え、走り出した彼女は――バーの手前、ポールをしならせ、空に舞った。
……落ちる、美空。観客の溜め息。春生の隣には「むぅ~……」と悔しげに唇を噛む、水谷鈴呼の姿が在った。
(……この「記憶」は……?)
ただの既視感にしては余りにも鮮明であったそのヴィジョンに、春生は首を傾げる。
瀬尾美空はこの年、県大会で優勝をした。全国大会にも進んだ。けれども。彼女とは友達でもなければクラスメートですらもない春生は当然、それらの大会を観に行ったりはしていない。しかも、
(……県大会どころじゃない。全国大会よりも、もっと大きな……。)
春生の「記憶」に現れたその会場は、恐ろしいまでに盛り上がっていたのだ。
(……オレは、瀬尾美空が跳ぶ姿を実際に観た事がある……? …………。……それも、水谷と一緒に……? …………。……何時だ……? ……何処で……?)
春生は思考を巡らせた。しかし。その「答え」が出るよりも前に、
「こらぁーッ! 今日は、部活は禁止だと言ったろうがぁーッ! さっさと、帰れぇッ!」
春生のすぐ背後、昇降口から聞こえてきたその怒鳴り声によって、彼の思考は中断させられてしまった。春生は、
「ちょっと待ってください」
……何故だろうか。半ば反射的に、であった。
鋭く振り返り、その怒鳴り声の主であった学年主任の強面・音楽教師に声を掛けてしまった。
「何だ。花村。まだ居たのか。お前ももう帰れ」
「先生。あそこに居るのは瀬尾美空です」
教師の強面に怯む事なく、春生は真っ直ぐな声で意見をした。
「む……。……何か近くに大会でもあったか……?」
そんな春生の堂々とした態度にか、それとも単純に「瀬尾美空」の名前を聞いてか、音楽教師の遠藤健作は語勢を弱める。
春生はそこに畳み掛けるが如く言葉を重ねた。
「瀬尾は水谷鈴呼の親友でもあります。親友があんな事をしてしまった後ですから、恐らく気持ちを落ち着ける為でもあると思います」
「しかしな……」
「普段の瀬尾は決して反抗的な生徒ではありません。それが部活は禁止だと言われている今、敢えて跳んでいるわけですから。或る意味で、現在の瀬尾美空の心理状態も普通ではないんだと思います。むしろ、今のままの状態の彼女を家に帰して、独りにしてしまう事の方が……『危ない』かもしれません」
「ぬ……む」
「彼女の気が済むまで、僕が一緒に居ますので。どうか彼女の気持ちを少しだけ察してあげては頂けないでしょうか。お願いします」
……考えるよりも早く、春生の口は回っていた。
(ン~……オレ、詐欺師の才能とかあるのかもな。)
花村春生は、自然と紡ぎ出されてしまった言葉、言葉を自らの耳で聞きながら、妙な冷静さでそんな事を思っていた。
実の所……クラスも違ければ、共通の友人も居ない瀬尾美空の「普段」など春生には知る由も無かった。春生は彼女に関して、椎名貴也にあるようなヤンチャな噂話を聞いた事は無かったが、その実際などは知ったこっちゃいなかった。
「……出来るだけ早くに帰りなさい」
学年主任の遠藤健作は渋々とだが春生の提案を受け入れ、校舎の中へと戻って行った。
その背中を見送り、学年主任が完全に姿を消した事を確認してから春生は、
「……何やってんだか。オレ……」
と素直にこぼした。
学年主任の怒声から彼女を庇い、自分が「御目付役」になってまで、そのまま、彼女に棒高跳びを続けさせる意味など果たしてあったのだろうか。
瀬尾美空。同じ学年の有名人だが、春生は彼女と一緒のクラスになった事は無く、直接、話をした事も無かった。昼休みや放課後などに水谷鈴呼と一緒に居る姿を何度か見掛けた覚えはあったが、もちろん、そこに春生が声を掛けたりとはした事が無かった。
「……瀬尾美空は『水谷の親友』……か。……いや。実際、そうなのかもだけど……」
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