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しおりを挟む彼女は黙ったまま春生の事を見据えていた。それは「ずっと」であった。宮下望が教室を駆け出て行くよりも前からずっと――「普通」の顔で春生の事を見据えていた。
「……水谷」
彼女の視線に誘われるみたいにして春生は鈴呼に歩み寄る。
「何が、どうして……?」
息を吐き、眉根を寄せた春生に、鈴呼は「…………」と何も語らなかった。
彼女はただ――、
「……水谷?」
――そっと静かに手を伸ばし、春生に……ではなく、春生の着ている制服に触れた。その袖口を、いじらしいまでに遠慮深く、小さくつまんだ。
「水谷……」
「…………」
水谷鈴呼、十三歳。二月生まれ。長い黒髪に長身で、顔は鼻筋の通った美形。強いて難を言うならば、彼女は表情に乏しく、その感情を汲み取るには十分な慣れ、もしくは読み解く側に非凡なセンスが必要だった。
運動に勉強、美術や音楽といった技能教科までもを人並み以上にこなすが、社交性は低く、友達の数は少ない。ただ、少ないながらもその交友関係は深く濃く、女子柔道部の次期主将や陸上部の二年生エースなどを親友に持っていた。その二人と鈴呼は一年生時のクラスメートであり、現在は三人共、別々のクラスではあったが、その友情は未だ続いているらしく、三人のセットは昼休みや放課後の始まりなどによく見られていた。
そのせいもあってか、彼女に対して憧れや妬ましい気持ちを持つ者は居ても、彼女を邪険に扱ったりとか、ましてやイジメの標的にするような輩は居なかった。
また、男子との交流はまるで見当たらず、彼氏どころか気軽にオシャベリの出来る男友達も居ないようだった。少なくともこの二年間弱、中学校内で彼女が男子と楽しげにオシャベリをしている姿は誰の目にも確認されていなかった。
もちろん、春生も、彼女とは「ただのクラスメート」以上の関係にはなかった。必要があれば声を掛けるし、必要がなければ見もしない。春生は、彼女を避けたりとした事はなかったが、逆に特別、気に掛けたりともした事はなかった。
春生は彼女に対して――他の男子生徒が時々、口にするように「美し過ぎる」だとか、授業を受け持った教師がたまにぼやくみたいに「何を考えているのか解からない問題児」だとかいった特定の感情は持っておらず――あくまでも、三十何人と居る「クラスメート」の内の一人としか感じていなかった。
(……どうして、オレに懐く……?)
単なる「クラスメート」に過ぎない。それは彼女、水谷鈴呼の目に映る花村春生もそうであったはず。花村春生が現時点の二年A組・委員長であろうが、ベテランの「委員長」であろうが、今の今迄、彼女から春生への「アプローチ」は一度も無かった。
水谷鈴呼、十三歳。春生にとっては「友達」未満の「クラスメート」である。彼女がまだ十四歳になっていない事も知らない花村春生の勝手な私見ではあったが、彼女――水谷鈴呼は、例えば、宮下望のように自身の弱さをさらけて他人に甘える事が上手なタイプには見えず、例えば、椎名貴也のように苛立ちを堪え切れずに敢えて、強がり、強がって、時には暴発をしてしまうような人間にも思えなかった。
他人に頼ったり、甘えたり、責任を押し付けたりもしない。どちらかと言えば、弱さをひた隠し、等身大のまま、強がりもせずに一人、痩せ我慢を続けるタイプ……。
彼女に何があって、授業中に教師の顔面にペンを刺すという蛮行に及んでしまったのか、その事情は想像すらも出来ないが。花村春生が「委員長」であるからだとか、彼が偶然、近くに居たからといった理由では、水谷鈴呼は春生の制服に触れはしないだろう。
……彼女の事を何も知らない、言ってしまえば、水谷鈴呼に対して何の興味も持っていなかった春生だが……何故だろうか、彼女の「タイプ」だけは、確信にも似た「理解」が出来てしまっていた。
「…………」
「…………」
もし……水谷鈴呼が弱々しい眼差しで、すがるみたいに春生の事を見ていたなら、いや、せめて、混乱し切った様子で、忙しなく黒目を泳がせていたなら……。春生は、きっと、彼女を力強く抱き締めていただろう。しかし。彼女は、ただただ「普通」の顔で、春生を見据えていた。
春生は何も言えず、どうとも応えられぬまま、彼女との対面を続けた。
「…………」
「…………」
互いにダンマリしたまま、一体どのくらいそうしていたのだろうか。春生にこそ長い時間に思えたが、実際には一分にも満たない短い時間であったのだろう。
「早く! 来てください、先生! 先生ッ!」
すぐ隣のB組で授業をしていた英語教師の腕を引っ張り、連れて、戻ってきた宮下望が、息を切らせながらにA組のドアを開けるや否や、
「……水谷?」
水谷鈴呼は、ふわりと静かに、春生の着ていた制服の袖口から手を離した。
そして。す……と、まるで顔を背けるみたいに春生を見据える事をやめた。
「何の騒ぎなの……。……A組、この時間は誰先生? もう……」
宮下望に腕を引かれ、引かれて、渋々といった御様子でA組の教室に足を踏み入れた女性教師は分かり易く不服げな表情を少しも隠そうとはせず、ぶつついていた。
彼女を連れてきた宮下望が何の説明もしなかったのか、この女性教師が宮下望の言葉を何も理解してくれていなかったのか、
「……滝田先生……? ……何してらっしゃるんで……」
覚悟も何もなく目の当たりにしてしまった同僚の明らかな「死体」に、海外育ちの日本人・英語教師は、
「……OH,MY GOHS!」
ふらり、立ちくらみながらも、本場仕込みの「オーマイガ」を披露してくれたのだった。
海外育ちの日本人・英語教師、佐伯法子をはじめとした大勢の教師達が二年A組の教室に集まり、A組の生徒達は水谷鈴呼と花村春生を除いた全員が体育館に移された。
春生と鈴呼の二人はA組の教室に残され、教壇――滝田登の死体から遠く、後方の席に並んで座らされていた。……まるで、春生は彼女の「見張り」か「お守り」のようだった。
程無くして、救急車が到着し……その後、パトカーが呼ばれる。そして、複数名の警察官が現れ、水谷鈴呼を連れ去って行ってしまうまで、春生は黙って、彼女の傍に居た。
……彼女は滝田登を殺害した後、超人的な身体能力を発揮し、教室の窓をブチ破って逃げたりはせず、自分を捕らえに来た警察官達を文字通りに振り払ったりもしなかった。
(……フツウの異常な殺人事件……か。)
複数名の警察官に取り囲まれたまま、水谷鈴呼は教室を出て行った。花村春生は彼女の後ろ姿も認められぬまま、その固まりを見送った。
(……水谷。お前、どうしちゃったんだよ……。)
警察官や救急隊が来るよりも前、大勢の教師達が集まるよりも前に水谷鈴呼は春生の制服からその手を離していた。
手を離してから先……女性の警察官に腰を掴まれ、半強制的に立たされたその瞬間でさえ、彼女は春生の事をちらりとも見なかった。
少し前、他に誰も居なかった教室でずっと春生を見据えていた事が嘘であったかのように、彼女は「前」を向いたまま、隣の春生にはその視線を向けてはくれなかった。
……それでも。春生は彼女の傍に居続けた。その理由は彼がA組の委員長であったからではなく、救急者を呼んだ通報者であったからでもなかった。
(……オレに向けられた「あの手」は、お前の「SOS」だったのか……?)
彼が委員長だったからではなく、ただ近くに居たからでもなく、水谷鈴呼は花村春生にその手を伸ばした。春生にはそう感じられてしまったからこそ、集まってきた教師達の誰もが尻込みをしていた彼女の「付き添い」を買って出るまでして水谷鈴呼の傍を離れなかった。
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