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しおりを挟む真田大輔が学校を無断欠席した翌日。朝のSHR――朝礼で担任教師が、
「真田君ですが昨日から入院していると連絡が来ました。期間は未定ですがしばらくお休みするそうです」
とクラスに告げた。
ざわつくクラスメートたちに先駆けて、
「え……ッ!?」
と一際大きな声を上げたのは宮下ワタルだった。
「病気ですか? 怪我ですか?」
大輔が居ない席の隣から質問が飛んだ。川村久美子だ。
「原因不明だ」と言われたら「私の呪いがかかったんだ」とほくそ笑むのだろうか。知世はどす黒い妄想をしてしまった。……落ち着いて。彼女はまだ何もしていない。
「はい。静かに。静かに。騒がない。えー、真田君は体調不良との事ですが詳しい話は聞いておりません」
「入院するほどの体調不良ってなに?」
「食中毒とか?」
担任の注意も虚しく教室内はざわめき続けていた。
リセットによって大輔の2打席連続ホームランは無かった事になってしまっていたが、これまでに大輔が自力で培ってきた影響力の強さというのかクラスメートたちの関心の高さがざわざわとよく表されていた。
「真田君もどのくらいお休みしないといけないのか分からないそうで、もしかしたらすぐにまた学校に来られるようになるかもしれないとの事ですので大袈裟に騒いだりしないようにしてください」
「わかりましたね?」と最後に強く念を押されたクラスの皆は、
「はーい」
だの、
「へーい」
だのと頷いていた。
「真田君、どうしたんだろうね」
「体調不良って病気? 病気だったら病気って言ってる?」
「でもすぐに復活するんでしょ? だって真田君だし」
「今日もまだお休みなんだね、真田君」
「あー、ったく。真田が居ねえからC組に負けたし。たかがバスケで勝ったくらいで調子に乗ってんな、アイツら。くそ。次の体育までには真田も戻ってくっかな?」
「掃除の班、決め直さないとダメかな。真田君が居ないだけで大変すぎるんだけど」
「せんせー。明日の日直、私と真田君なんですけど。はい。じゃあ男子をひとりずつズラすってことで」
真田大輔の不在を始めこそ気にしていたクラスの皆だったが二週間もすれば完全に受け入れてしまっていた。慣れてきていた。
それから更に数日が経ち、クラスの皆にとっては「真田大輔が居ない」事が普通になりつつあった頃、
「えー。しばらくお休みしていた真田君ですが正式に休学届けが出されまして――」
担任教師が大輔の休学を発表した。
「えー!?」とその場では幾らかの声が上がりもしたが以前の「入院」の時のように次の休み時間の話題が「真田大輔」一色になるような事はなかった。
時は流れて季節が変わる。
クラスメートでは唯一、宮下ワタルだけがなにかにつけて、
「そういえば。真田君、どうしてるかな。まだ入院中なのかな。何か聞いてる?」
と尋ねてきたりもしていたが知世には「わからない」としか答えられなかった。
嘘ではない。本当に知世には「わからない」のだ。
大輔が入っている病院の名前も知らない。大輔の自宅の場所も知らない。
携帯電話の番号は知っているが……鳴らす事は出来なかった。
知世は、いつの日か大輔が教室に現れて「おはよう」と言ってくれる事を願って、ただ待ち続ける事だけしかしていなかった。
「だって。ほかになにができるのよ……」
冬が過ぎて、春が訪れる。
高校二年生だった知世たちも三年生になった。最終学年生だ。そして多くの生徒が受験生にもなる。真田大輔は休学したまま、進級もしなかった。
このまま、また一年が過ぎてこの高校を卒業したらもう真田大輔が目を覚ましたとしても知世が大輔と会う機会は無くなるのだろうな。そう思ったら――。
「……腹が立ってきたわね」
だってそうじゃない。
大輔は言っていた。
「俺を頼れ」と。
居ない人間をどうやって頼れば良いのか。
大輔は言っていた。
「俺も居る事を忘れるな」と。
何処に居るのか。病室か。話す事も会う事も出来ない人間は居ないのと同じだ。
大輔は言っていた。
「長崎は決してこの世界に独りではないからな」と。
真田大輔は大嘘吐きだ。
大輔は知世が初めて完璧でない自分を見せてしまった相手だった。知世のリセットでも振り切る事が出来なかった初めての人間だった。
大輔は自発でリセットこそ出来ないがその影響の受け方は知世と同じだった。ある意味で知世と対等な――恐らくは世界で唯一の仲間だった。
「長崎は決してこの世界に独りではないからな。俺も居る事を忘れるな。俺を頼れ」
知世はまるで呪文でも唱えるかのように大輔が過去に言った台詞をそらんじた。
そして知世は、
「……発言の責任は取りなさいよ。真田君」
深く深く――リセットした。
此処は廊下の隅の奥。
知世が初めて大輔と言葉を交わした日。
知世と大輔はクラスメート同士だ。厳密に言えば初めての会話ではないだろうが、知世の意識としては生まれて初めて他人と本音で言葉を交わした。
「だから。なんで真田君は覚えているのって聞いてるの。リセットする前のことを」
「……知らない。分からない。俺が教えてもらいたいくらいだ」
軽く喧嘩腰で言い合った。懐かしき思い出の場だ。
今現在、知世の目の前には大輔が居た。
けれども動かない。大輔に意識は無かった。
立ってもいられずに崩れかかった大輔を知世は抱き留める。
重い。でも一緒に倒れてなんてあげない。知世は「ん」と自身の体に力を込める。
「……真田君」
耳元で声を掛けるもやはり返事は無かった。
少しして。知世の背後の窓の外、宮下ワタルが逆さまに落ちていった。
――ドシャッ!
これでもう取り返しはつかない。
宮下ワタルを救ったのは大輔だ。その大輔はもう動かない。宮下ワタルの自殺を、物理的にならともかく本質的に阻止する事は知世には出来ない。
「諦める事と事実を受け入れる事の違いってなんなのかしらね」
知世はふとそんな事を思った。
ここから先の時間に進む事は宮下ワタルの自殺を容認する事となる。
しかし「完璧な長崎知世」としては、クラスメートの自殺など許容できるものではなかった。知世は完璧でないといけないのだ。そう思って生きてきた。
「……残された道はひとつね」
前に進めなくなった知世はもう後戻りしか出来ない。
覚悟は決まった――リセット。
10月某日。現在の知世が心に留めている事が二つだけあった。
「同じ道を『完璧』に辿る」
同じ道。同じ道。オナジミチ……――そうすればまた「彼」と出逢える。
「サナダ・ダイスケ」
それが「彼」の名前だ――……コンドハワスレナイ。
今はまだこの世界に存在していない。
「彼」が産まれるのは今から二十何日後だった。
長崎知世はリセットによって17年余りもの時を遡っていた。
現在の知世は生後6ヶ月だ。
(半年でも私の方がお姉さんで良かったわ。真田君の方がお兄さんだったら、こんなことはできなかったもの。)と思いたい状況だったが残念ながら生後6ヶ月の知世はそこまで理路整然とした思考は出来なかった。
このたびのリセット直前に知世が考えた事は、
「仮に真田君の心がショックで死んでしまったのなら、真田君が生まれる直前にまで戻って、真田君の心も体も全部まとめてイチから産み直してもらえばいいのよ」
であった。
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