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しおりを挟む大輔は笑ってしまった。
「……前向きなんだな。長崎は」
笑うしかなかった。
もしも自分だけが奇跡とも言える程の異能力を持って生まれてしまったとしたら、その胸に抱えるものはきっと優越感よりも強い孤独だ。
知世の「リセット」に巻き込まれているだけの大輔は極端な話、原因である彼女を排除すれば「助かる」事も出来るが長崎知世はきっとこの先も一生、独りきりだ。
しかし。彼女自身がのたまったように長崎知世がもしも本当にこの世界の「主役」であるならば、彼女と同じような、もしくは相対するような異能力を持った「敵役」が必ず存在するはずだ。
奇しくも大輔はそれを「悪の組織」と呼んだ。求めた。居るはずであると信じた。
普通に考えれば、ただの痴漢を「悪の組織」だなんて思ったりはしない。大輔は、世界を巻き戻すなどという知世の起こした奇跡を目の当たりにしてしまっていたからこそ、その「普通に考える」が出来なかった。
望んでしまった。知世と同等の「チカラ」を持った知世とは別の存在を。
知世の為に。知世がこの世界でたったの独りにはならないように。
知世にしてみればきっとありがた迷惑な願望であろう。
そして。出来る事ならばその存在は知世の「敵役」が良いとも思ってしまった。
同等の「チカラ」こそ持ってはいないが彼女を理解する事が出来る可能性を持った「仲間」ならもう此処に居るのだから――。
――真田大輔はその感情をまるで自覚してはいなかったが。
大輔は、
「世界を巻き戻す事は出来ないが。長崎の『能力』に少しだけ抵抗する『チカラ』を俺は持っているようだ。俺だけが巻き戻される前の世界の記憶を完全には忘れない」
ただの事実を口にしているつもりだった。
「この世界の主役は長崎かもしれないが……この世界は長崎だけのものではないぞ。俺も居る事を忘れるな」
知世は、
「ふふ」
と笑った。
「そんなこと初めて言われたわ」
「俺も初めて言った。……漫画の登場人物にでもなった気分だ」
「……脇役だけどね」
「意外と読者の人気は高くなったりするものだぞ。主役よりも名脇役の方が」
「名――ならね」
「誰か『迷』脇役だ」
「まだ何も言ってないわよ」
掛け合って、笑い合う。
この日、大輔が長崎家で御馳走になった艷やかなチョコレートケーキは上品な苦味と香りが口に広がる非常に大人っぽいスイーツだった。
この日を境に二人の関係はまた少しずつ変化していった。更に10日もすると、
「真田君と長崎さんは付き合って……ないんだよね?」
宮下ワタルに再び確認をされてしまったりもした。
「ああ。俺と長崎は付き合っていない」
「……言質を取られないようにしてるだけで実質的には」
「恋人同士ではない」と大輔ははっきりと言ってやったが、
「……うーん。全く隠せてないというか隠す気がないように見えるんだけど」
と宮下ワタルは納得がいっていないような顔をしていた。
大輔と知世が付き合っていない、恋人同士ではない事は本当だ。
(しかし。仮に付き合っていたとしてもそれは俺と長崎以外の人間にはどうでも良い話だろうに。これを知的好奇心とは言わないだろう。……これが「知る権利」か?)
つい最近まで他人への興味を完全に無くしていた大輔にとってはとても難しい――理解が出来ない心の動きだった。
「――知る権利? ってなんだったかしら」
知世が首を傾げた。他愛無い雑談の中で大輔はぼそっと先に思ったような事を知世に話してしまったのだ。
「週刊誌が有名人のプライバシーを侵害する時に使う大義名分だ。本来の意味や使い所は別にあるはずだが。個人的には『屁理屈』と同義だと思っている」
「……博識なのね」
「何だ。含みのある言い方だな」
「ふふ。だって。真田君て運動は得意だけど勉強はまあそれなりってイメージだったから。意外に読書家だったりするのかしらって」
以前はおもに大輔が知世の事を追い掛け回していた感が強かった二人であったが、最近では知世の方も大輔に興味を示すようになっていた。
「運動は苦手でも嫌いでも無かったがチームスポーツはやらなかったな。少年野球もサッカーもバスケも。いつ巻き戻されるか本当に分からなかったからな。俺には人間関係の継続が難しかった。俺も間抜けで仲良くなった覚えのまま『初対面』の友達に話し掛けてドン引かれたりとかしてな」
「ぐ……ご迷惑をお掛けしております」
「はは。過去形にしないところが長崎だよな。現在も止める気は無いと」
「……対応に関しましては全力で善処していく所存でございまして……」
「はははは」
「ええと。それで。野球とかサッカーをしない代わりに読書をたくさん?」
「ん、ああ。不意に巻き戻されても影響の少ない一人遊びばかりしていたな。ただ、絵を描いたりなんかは他の人間の迷惑にはならなくても自分の傑作が一瞬で文字通り白紙に戻ったりしたからな。本を読む事が一番、無難だったんだ」
「ゲームとかアニメとかそっち方面には手を出さなかったの?」
「んー。ゲームの場合は進めた地点から戻されるし。アニメでもドラマでもテレビの番組だと俺の記憶の中の『続き』を見る為には放送を何週も――下手をしたら数ヶ月とか待たないといけなくなったりしていたからな。完結済みの漫画とか続きモノではない小説とか自然とそういうものを読むようになっていったかな」
「そう……」
「――ああ。あとは単発の2時間ドラマだとか映画なんかも良く見たぞ。面白い映画を見ている時ほど『今、巻き戻されたら最悪だ』とか思ってしまって集中しきれなくなったりしてな。ははは」
大輔は笑った。知世は、
「……今度、一緒に映画でも観に行きましょうか。お詫びに奢るわ」
冗談とも本気ともつかないお誘いをしてくれた。
「――でも。どうして私のリセットに真田君は巻き込まれるのかしら?」
また別の日。最寄りの駅から長崎宅のマンションへと続く短い道程の途中で知世がぼそりと呟いた。
「長崎の行為には巻き込まれているんだが作用でいうと抵抗しているんだと思うぞ」
大輔が答える。二人は今日の帰路も一緒だった。大輔が知世を家まで送っていた。
「本当なら長崎本人以外は全て――物質も時間も何もかも巻き戻されるところ、俺の精神だけが長崎と同じように残留している。俺が抵抗しているわけではないとすると長崎の方でエラーでも出ているのかもな」
「エラーって……。真田君の事を私本人だと誤認識してる――みたいなこと? だとしたら何が要因で?」
「単純な話、誕生日どころか生まれた時間が秒単位で同じだとか」
「ちなみに。私の誕生日は4月だけど」
「俺は11月だな」
「半年以上も違うじゃない。そして私の方がお姉さんだったと」
何故か知世は偉そうに胸を張った。
「なるほど。俺の方が若いわけだな」
大輔もこれぞまさしく「謎の抵抗」をしてしまった。
「生まれた日ではないとすると……一致する確率は何百億分の一らしい指紋の紋様が完全に同じだとか」
「あー。だとすると。私のスマホの指紋認証、真田君の指で通る? ――はい」
「…………」
「…………」
「……通らないな。まあ、例え話だからな」
大輔は強がるみたいに「ふん」と鼻を鳴らした。
知世は、
「残念。私と真田君の間には何か運命的な繋がりでもあるのかと思ってたのに」
わざとらしく肩をすくめて、それから「ふふ」と微笑んだ。
「いや」と大輔は知世の挑発を軽くいなしてやった。
「理屈の無い『世界が巻き戻されても覚えている者同士』は十分に運命的だろう」
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