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「……はあ?」と知世は目を丸くする。

「長崎はこれまでに何度も世界を巻き戻してきたんだろう。でも体に異変はないだろう? 詳細な仮説は省くが長崎のその行為に健康的な代償の支払いは無いと思うぞ」

「……そうなの?」

「ああ。脅かし過ぎた。悪い。すまん。ごめん」

 知世は、

「あー……うん。そっか」

 と頷いただけだった。騙されていた事に対する憤りよりも大輔の言葉が嘘だったと知って得た安堵の方が大きかったようだ。

「それはまあ、それとして」

 知世が自ら話題を戻した。

「このままだとまた宮下君は……だよね」

 小声であろうとも知世は「自殺」という単語を口にはしなかった。はっきりと言葉にしてしまう事をためらうくらいには冷静さを取り戻せたらしい。

「今度は真田君が声をかけてきてよ」

 知世が言った。

「俺が?」

「私が言っても無駄だったんだから。男同士の方が心に響くんじゃないの」

「……性別以外、俺に劣っているところはひとつも無いみたいな言い方だな」

「ふふん。性別も『違う』ってだけで女が男に劣ってるとは思ってないけど」

 軽口を言い合う。小さく笑い合う。

「実際のところ、俺と宮下は性別が同じってだけで他に関係性は無いからな。長崎が言って駄目なら俺が言っても無駄なんじゃないか」

「私だって別に宮下君とは友達でもないもん」

「……友達でもない相手の自殺を止める為に自分の寿命を削るのか」

 嫌味でも冗談でもなく大輔は素直に感じ入る。

 知世は知世で照れるでも焦るでもなくて不服そうな顔を見せた。

「仕方ないじゃない。クラスメートが自殺するだなんて……完璧じゃないわ」

「完璧?」

「私は完璧でいたいだけよ。ううん。完璧でいなきゃいけないの。だから別に優しさとかで宮下君を助けたいわけじゃないから。変な勘違いはしないでいいから」

「……それにしては」

「いいでしょ。もう。それに寿命のことも真田君の嘘で。本当は削れてなかったんだから。ノーカンてやつじゃないの。ハイ。この話はこれでオシマイ」

 パンと手を叩いた知世はそれから少しだけ表情を柔らかくして、

「真田君。話を逸らそうとしてもムダよ。ぶつくさ言ってないで実践、実践。やってみないとわからないでしょ。さあ。いってらっしゃい」

 腕を掴んで、引っ張って、大輔を椅子から立ち上がらせようとしていた。さっさと宮下ワタルに声を掛けてこいと催促していた。

「仕方が無いな」

 大輔も自分程度の言葉で本当に宮下ワタルが自殺を思い止まってくれるのならば、声を掛ける事自体はやぶさかでない気持ちだった。

 休み時間はもうすぐ終わる。声を掛けるなら六時間目と終礼が済んでからだ。

 放課後に入ってすぐ、

「宮下」

 大輔は宮下ワタルに声を掛けた。

「……なに?」

「あー……これから宮下が何をしようとしているのか俺には分かる」

「……は?」

「それをするのは止めておけ」

「……なんの話?」

「何の話をしているのか、分かるはずだろう? 俺はそれを止めろと言っている」

「……頭オカシイんじゃないの?」

 宮下ワタルは「ふッ」と鼻で笑った。

「真田君て超能力者なの? はは。高校生にもなって中2病ってやつだ」

「宮下。俺は本気で話をしている」

「……馬鹿じゃないの。おれが何をするつもりなのかホントに分かってるんだったら……なんで真田君が止めるのさ」

「何でって」

「真田君は友達でもないし。話し掛けてくれた事だって一度も無いのに。今更……」

「今更でも何でも」

「……真田君に止められたら、おれは余計に惨めだよ。真田君のおかげで。真田君は凄い。流石は真田君だ。それに引き替え宮下の奴は……。はじめっからそんなつもりなんてなかったんでしょ。かまってちゃん。シヌユーキも無いくせに」

 ぶつぶつと唱えたかと思えば、

「――あははははは!」

 宮下ワタルは突如として大きく口を広げて笑った。

「真田君はまるで主人公なんだね。おれは……。……駄目だ。おれは真田君には助けられたくないよ。真田君に助けられるくらいなら――」

 宮下ワタルは教室中に響き渡る程の大声で叫んだ。

「――真田君のせいでおれは死ぬんだ!」

 そして走り出す。教室から廊下に出ると、窓を開けて、身を乗り出した。

 窓のさんに両手を置いて、まるで鉄棒の前回りをしたみたいだった。

 止める暇なんか無かった。

 面と向かって話をしていた大輔だけが辛うじて、走り出した際の宮下ワタルに手を伸ばせたくらいで、宮下ワタルの大声に振り向いたクラスメートたちは皆、ぽかんとしたまま宮下ワタルを見送っていた。

 大輔も手は伸ばせたが足を動かす事は出来なかった。一歩でも踏み出せていれば、走り出した直後の宮下ワタルを捕まえられていたかもしれない。

 この教室も廊下も普通校舎の二階にあった。「以前」の宮下ワタルは三階の窓から落ちて死んでいた。今回のこの高さに加えて足の方から落ちていれば死ぬまでの事は無かったかもしれないが、宮下ワタルは「絶対に死んでやる」とのつもりで頭から地面に向かっていってしまっていた。その結果――ボキリと首の骨が折れて死んだ。

「――真田君のせいでおれは死ぬんだ!」

 宮下ワタルの最期の言葉は言い掛かりにもなっていないような当て付けだったが、名指しで叫ばれてしまっては聞き流す事など出来なかった。

「……俺のせいで……?」と大輔は眉間にシワを寄せる。

「――真田君!」

 知世の声が聞こえた。目を向ける。……瞳に映った景色が違う。高さが違う。

「ん……?」

 大輔は立っていたはずだが今は座っている。

「……ああ。そうか。また巻き戻されたのか」

 とようやく大輔はその事実に気が付いた。今はまた五時間目終了後の休み時間だ。

 知世は宮下ワタルに「やめなさい」と声を掛ける事をせず、大輔の席に直行してくれていた

「わかってると思うけど真田君のせいじゃないわよ。わかってると思うけど」

 知世は言ってくれた。

 大輔は「ふぅ……」と長く息を吐いて心を整える。

「……ありがとう。長崎。助かった」

 彼女の目を見て大輔は感謝を伝えた。本当の気持ちだった。

 知世は、

「わかってたと思うけど」

 と横を向いてしまった。

「でも。どうしようかしら」

 続く知世の台詞と大輔の台詞が微妙に被さる。

「あそこまで言われたらもう……」

「あそこまで言われたら力尽くでも阻止したくなるな」

「……え?」と知世が大輔の顔を見た。大輔は不敵に微笑んでいた。

 その放課後。大輔と知世の二人は見付からないようにこっそりと宮下ワタルの後をつけていた。尾行していた。

 宮下ワタルは力の全く入っていない幽霊のような足取りをしていた。

「――なんて感じちゃうのは彼がこれから何をしようとしているのかを私達が知ってるからかしらね」

「そうかもな。擦れ違う他の生徒たちは何も気にしていないようだし」

 普通校舎の三階には一年生の教室が並んでいた。それぞれの教室内や廊下にはまだ残っている生徒たちもちらほらと見られたが、馴染みが薄い他学年生の宮下ワタルや大輔や知世に向かって物珍しげや訝しげな視線を送ってくるような一年生は一人も居なかった。幸か不幸か三人は揃って一年生たちに興味を引かれていなかった。

 宮下ワタルがおもむろに廊下の窓を開け広げた時も、そのさんに手を置いた時も、見ていた一年生はゼロ人ではなかったがそれを気にした人間はゼロだった。

 そうして宮下ワタルはまだ生徒が残っていた校舎の三階から簡単に飛び降り自殺を決行する事が出来たのだった――が今回は違う。

「……え?」

 宮下ワタルは戸惑いの音を発した。

 腰から上を窓の外に放り出したまま、それでも彼は落ちていかない。足の裏は廊下から離れていた。それでも。宮下ワタルの浮いた両脚を誰かが抱えていた。その体が窓から地面に向かって落ちていく事を止めていた。


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