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しおりを挟む現在、五時間目の授業中。
教科は英語だ。
「この英文の和訳を――中岡」
「……分かりません」
「何だ。予習してないのか。しておけー。次、また当てるぞー」
英語教師は今日の日付と同じ出席番号の生徒でもない中岡を指名して、予習をしていなかった中岡は答えられず、教師は軽く中岡を叱った。
この流れには見覚えがあった。
これを「既視感」と言ってしまって良いものかどうか。「既視感」を辞書で調べれば「見たことがないのに見たことがあるように感じること」とある。
真田大輔はその流れを「見たことがあった」。知っている。覚えている。
この世界の時間がまた巻き戻ったのだ。
いや。「巻き戻された」というべきか。
大輔は、
(……ああ。そうか。そういう事だったのか。)
二度目の授業を聞き流しながら一つの仮説に辿り着く。
「長崎知世。お前が世界の時間を巻き戻していたのか」
五時間目の授業が終わった直後、六時間目が始まるまでの短い休み時間に大輔は知世の席にまで行って、開口一番、言ってやった。
「俺と同じ境遇の仲間かと思ったら……その反対。長崎が諸悪の根源だったんだな」
周囲には他のクラスメートたちが何人も居たが大輔は何の配慮もせずに続ける。
大輔が知世の席に来たくらいまでは「きゃー」「あと1時間が待てずに?」なんて喜んでいた周囲のクラスメートたちの表情が「なにこれ? 何の話?」「長崎さんが責められてるの? 何で?」「……『諸悪の根源』なんて言葉、口に出して言うヒト居るんだ……」と深い困惑に変わっていた。
知世の返答は、
「……はい? なんのことかしら?」
だった。
「すっとぼけるなよ。この時間に俺がこうして長崎に話し掛けに来てる事が証拠だと思え。『前回』の俺はしていない行動だ。『前回』の記憶を持っているからしている行動だ」
「…………」
知世は固く口を結んでいた。口角も少し上げている。にっこりと目も細めていたがその顔色は明らかに悪かった。
「長崎」と大輔は更に詰め寄ったがその数秒後、観念をしたかに思えた知世の口から出た言葉は、
「……まさかの3連敗」
だった。
――世界が歪む。
「この英文の和訳を――中岡」と教師が言った。
「長崎!」
と大輔が勢い良く立ち上がる。英語の授業中だ。
「え?」
「は?」
「なに?」
「真田くん?」
「うええ? 真田がバグった!?」
クラスの皆が驚きの声を上げる。
中岡は「……分かりません」とは言わなかった。
ほら。未来を変える事はこんなにも簡単なのだ。
「真田。何があったのか知らないが授業中だぞ。あとにしなさい。座りなさい」
「おい。聞こえているか、長崎知世。お前が何度、世界を巻き戻しても俺の魂だけは巻き戻せない。この経験は消えて無くならない。俺以外の全人類が忘れても俺だけは覚えているぞ! お前の『3連敗』を!」
大輔は教師の言葉を完全に無視して、大演説をブチかました。
長崎知世は前を向いたまま、ちらりとも大輔の方を見なかった。
「『魂』とか……カッコ良すぎるんですけど」
「どうしちゃったの、今日の真田君……」
「放課後に告白するんじゃなかったのか? こらえきれなかったのか?」
「てか今のって告白なのか? すごいセンスだな」
「こら! 真田! 座りなさい。皆も静かに!」
教室内は大騒ぎだった。
――音が止む。
今回は大輔の想定通りだった。
時間が巻き戻る。こうなると思ったからこその無茶だった。非常識な行動だった。
ただ結果としては大輔の目論見通りとなったが実際は危険な賭けであった。
長崎知世が本当に世界を巻き戻せるとしても一日に何度までしか出来ないといった回数上限や必須条件があるなどして「今回は巻き戻せない」となる可能性もあった。
現在進行系で興奮してしまっている大輔はその可能性を全く考慮していなかった。少しだけ考えが足りていなかった。
午後1時21分。教室のドアがガラガラと開けられて英語教師が入ってきた。
五時間目の授業が始まる――が大輔はそれにとらわれる事なく立ち上がった。
「長崎知世!」
「分かったわよ! もうっ! 真田大輔!! 放課後になったらきちんと話すから! それまでおとなしく待ってなさい!」
知世が叫ぶや否や――ぐにゃりぐにゃり。
大輔が「ああ。分かった」と返事をする間もなく世界はまたまた巻き戻る。
午後1時19分。2分後に英語教師がやってきた。
授業中、
「この英文の和訳を――中岡」
「……分かりません」
「何だ。予習してないのか。しておけー。次、また当てるぞー」
を無事に辿って時間が過ぎる。
休み時間と六時間目、終礼も終わって放課後が訪れた。
大輔は彼女の席にまで行って声を掛ける。
「長崎」
「はいはい」と知世は疲れたみたいに答えた。
「まずは場所を変えましょうか」
「ああ」と頷いて大輔は知世の後をついていった。二人が教室から出るまでの間中、クラスメートの女子たちがまたきゃーきゃーと騒いでいた。
大輔はまるで気にせず、何の反応も示さなかったが知世はちょこちょこと微笑みを返していた。
教室から廊下に出て少し歩いたところで、
「それで」
と大輔は口を開いたが、
「まだ早いわ」
と知世に駄目を出されてしまった。
「そうなのか……?」
ちょうど何回か前の世界で知世に「――ゴメンナサイ」と謝られた辺りなのだが、
「ここだとまだ教室に居る子たちに聞こえちゃうから」
と大輔は廊下の隅の更に奥にまで連れてこられてしまった。
「見られるのは構わないけど話を聞かれるのはイヤっていうなら最低でもこれくらいは離れないとね。それで。どうして真田君は覚えているわけ?」
知世の表情が真剣なものに変わる。
「単刀直入だな」
「当たり前でしょ。この話以外にする話なんてないじゃない」
知世はワガママな子どもみたいな顔をして言った。ついさっき教室でクラスメートの女子たちに微笑みを返していた長崎知世と同じ人物だとは思えない表情だった。
「だから。なんで真田君は覚えているのって聞いてるの。リセットする前のことを」
「……知らない。分からない。俺が教えてもらいたいくらいだ」
大輔は正直に答えた。
「はあ?」
「俺の方こそ聞きたい。長崎は何で世界を巻き戻せるんだ?」
「知らないわよ」
「ああ?」
大輔が「知らない」と答えたせいだろうか。子ども染みた仕返しだ。
「知らないわけがないだろう。あんなに何度も何度も巻き戻しやがって」
「知らないものは知らないのよ。真田君の方こそなんでリセットする前のことを覚えていられるのか教えなさいよ」
ぎりぎりと睨み合うこと数秒。大輔と知世の二人はほぼ同時に、
「ふぅ……」
「はあ……」
と息を抜いた。
「理由も原因も分からないけど世界を巻き戻せる――か」
「どうしてか知らないけどリセットする前のことを覚えているのね」
二人は現実を受け入れる。それが事実ならば仕方がない。問題はその先だ。
「長崎。今後、世界を巻き戻す事はもう止めてくれ」
「……イヤよ」
「長崎」
「これは私が授かったギフトよ。私には使用する権利があると思うのだけれど」
長崎知世が言いたい事も分からないではない。人間として社会生活を営んでいく上ではその他大勢の人間の迷惑となる行為はするべきではない。しかし知世の行為で迷惑を被っている人間は世界中で恐らく真田大輔ただ一人だ。
大輔がネットで調べてみた限りでは自分と同じ境遇、思いを抱えている人間は見付けられなかった。単純に調べが足りていなかったりや該当者がネットに書き込みをしていない事も考えられるので「恐らく」だが。
大輔一人の気持ちの負担を減らす為だけに長崎知世に不自由をしいるという事は、長崎知世が自由に世界を巻き戻して大輔一人の気持ちに負担をしいる事と同じだ。
大袈裟に言えば「俺が助かりたいからお前は死ね」の擦り付け合いだ。
「…………」と大輔は押し黙る。
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