甘くなるかは作り手次第

夕鈴

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後編

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バレイルがエクレアと出会ったのは6歳の時。
母に連れられ、兄のタンダとともに伯爵邸を訪問した。

「お兄様、待って!!」
「エクレアは足が遅いな。特別だ」

金髪の蒼い瞳を持つ小さい女の子は大柄な少年に抱き上げられ満面の笑みを浮かべていた。バレイルが一目惚れした瞬間だった。
母に呼ばれたエクレア達はバレイル達に挨拶をしてすぐに離れていく。

「エクレア、せっかくだからバレイルとタンダと遊んだら?」
「お兄様と一緒がいいです。騎士学校に入ったら会えなくなってしまいます。失礼します」

エクレアは兄が大好きでいつも兄の後ろを付いて歩き、バレイルに見向きもしない。兄を追いかけるために走り出したエクレアの手をバレイルが掴む。

「なんですか?」

エクレアは急いで追いかけないと置いていかれるのに邪魔をするバレイルを睨んだ。可愛らしい外見のバレイルは誰からも可愛がられていたので愛想の悪い初めての女の子だった。そして先ほどの笑顔を見せないエクレアの態度にバレイルは機嫌が急降下した。

「似合わない名前」
「そうですか」
「バレイル、エクレア、おやつにしようか。今日はエクレアと同じ名前のお菓子を用意したんだよ」
「ありがとうございます」

エクレアはお茶に誘われたら断らないように教わっていたのでタンダにはきちんと社交の笑みを向けた。それが面白くないバレイルはエクレアの気を引きたくて意地悪をする。
エクレアはプイっと顔を背けて相手にしない。タンダは爽やかな笑みを浮かべ母親仕込みの令嬢受けする言葉にエクレアは作り笑いを浮かべてお礼を言う。美少年と美少女が微笑み合う光景は絵になり、興奮した母親達によりタンダとエクレアの婚約の準備が極秘で進められた。
婚約したタンダとエクレアは母親の命令でスロウ伯爵邸で定期的にお茶をしていた。バレイルもよく同席していた。
バレイルは自分には一切笑いかけないエクレアに拗ねた顔で口を開く。

「エクレアだって笑えば可愛いのに」
「バレイル様、お気遣いなく。タンダ様、いけませんよ。このような手紙は罠ですよ。絶対に二人でお会いしてはいけません。自衛ができないなら護衛をつけてください。いつでも助けて差し上げられるとは限りませんのよ」
「厳しいな。男の遊びだよ。さっきは見事だった」
「お兄様には敵いません」

バレイルが意地悪を言い、エクレアは相手にせずタンダの世話をやく。そんな3人の関係は時は経っても変わらなかった。

スロウ伯爵夫人が病で倒れてからマスト伯爵夫人が悲しみに暮れ息子達に慰められていた。マスト伯爵とスロウ伯爵は留守のため頻繁にお茶に通うマスト伯爵家にエクレアを気に掛けてほしいと頼まれていたことは三人の頭から抜け落ちていた。
スロウ伯爵家が親子の絆を深めている頃、マスト伯爵邸では息を引き取った母親を看取ったエクレアが涙を拭いて、父と兄に使いを出していた。

「お嬢様、奥様のお傍に。旦那様が帰ってきたら」
「ううん。お父様は帰ってこないわ。国王陛下からいただいたお役目だもの。お兄様も帰られるのは明後日でしょう。葬儀の準備をしないと、喪服の手配を」

エクレアは家臣と相談しながら葬儀の準備を始めた。報せを聞き、馬を飛ばして帰ってきた兄達は母の死よりも独りで家を指揮している妹の姿に絶句する。母の強い希望で何かあった時は婚約者のいるスロウ伯爵家が手を貸してくれる手配がすんでいるはずだった。

「エクレア、あとは俺がやるよ。一人で良くやった」
「お兄様、私、うまくできましたか?」
「後はお兄様に任せろ。父上は戻られないから」

エクレアは兄の逞しい手に頭を撫でられ緊張が抜けて意識を失った。そして目が覚めると外は暗くなっていた。

「お嬢様?」
「クオン、お母様が・・。ずっとお父様を呼ばれていたの。私をお父様って。でもお父様には急いで帰ってってお手紙に書けなかった」
「旦那様に奥様の容態は報告していました。帰られなかったのは旦那様のご判断です。お嬢様はできることを必死にされてました」

エクレアは優しく頭を撫でるクオンの手にポロポロと涙を流す。

「みんな、いなくなっちゃう」
「私はずっとお傍にいますよ。騎士学校にも行きません」
「クオン、手を繋いでくれる?」
「私の手でよければいつでも」

エクレアは涙を拭いてベッドに横になりクオンに手を伸ばすと暖かい手に包まれる。そしてゆっくりと目を閉じた。クオンはエクレアの涙で塗れた頬をハンカチで拭き見つめていた。
マスト伯爵夫人が亡くなったのは病ではない。恋い焦がれたマスト伯爵家に嫁入りしても、思い描くような生活は送れなかった。騎士道精神の塊のマスト伯爵は誰にでも紳士。夫人を形式的に大事にしているが愛されていないことがわかっていた。そしてマスト伯爵が亡くなった幼馴染を未だに想いつづけることも。危険な任務も笑顔で受け入れ、数年家を空けることも珍しくない。体調を崩せば心配で駆けつけてくれると期待して毒を飲んでも届けられるのは見舞いの花と手紙だけ。
マスト伯爵夫人はマスト伯爵が必死に権力を手に入れるために全てを捧げることを理解できなかった。権力のある家に生まれたマスト伯爵夫人は容赦なく権力で弱者を踏みつける。そして踏みつけた中に夫の大切なものが含まれていたことにも気付かない。夫に夢中で娘の寂しさには気付かない。
マスト伯爵夫人に気まぐれに大事にされるエクレアを家臣達が大事に育てた。幼いエクレアが母親ではなく兄にべったりだったのは仕方のないことだった。
マスト伯爵不在でマスト伯爵夫人の葬儀は行われた。
その翌月に帰ったマスト伯爵はエクレアから母の最後の話を聞いて愛娘を抱きしめた。最後まで母親であることを選べなかった分かり合えなかった妻。端正な容姿ゆえに権力に振り回されるマスト一族は権力を追い求める。ただし、汚いことには手を染めない。
子供達が権力に苦しめられることがないようにさらなる決意をこめて、久しぶりの娘との時間を作った。エクレアが母が亡くなっても涙を見せない強い父もきっと別の世界を生きる人と悲しんでいたのには気付かなかった。




マスト伯爵夫人が亡くなってもエクレアとタンダの定期的なお茶会は続けられていた。

「タンダ様、気をつけてください。現実は優しくありません」
「エクレアの思い込みだよ。物語のように世界は優しく、とくに女の子は」
「兄上、エクレアにはわかりませんよ。もう少し可愛いことを」
「お気遣いなく。タンダ様にお手紙をくださったご令嬢は私がお話しますよ。お二人に同じ時間に別の場所に呼び出されたなら場所を変えますわ。私は失礼します。どうか危機感を持ってください。二人っきりの呼び出しがあるなら私に教えてくださいませ」
エクレアはタンダとの面会を終えてマスト伯爵邸に帰り自室に駆け込んだ。そして細目の執事の胸に飛び込む。

「お嬢様、お帰りなさい」
「クオン!!頑張ったの。でもこ、怖かった」

エクレアはクオンの首に手を回し胸に顔を押し付けて瞳から涙を流した。
エクレアがタンダと約束があり部屋で待っていても来ないので帰ろうとしていた。偶然、変な声が聞こえ寝室を覗くと、ベッドには服を脱がされ押し倒され目を丸くしているタンダがいた。護身用の剣で兄に教わった通りに峰打ちして気絶させタンダを連れて逃げ出した。
そして伯爵を呼び、事後処理を頼みタンダとバレイルとお茶をして帰ってきた。タンダは危機感が欠如しているため、華麗なエクレアの峰内に感心し自分の手を引く少女の手が震えているのには気付かない。そして遊びと騙されていたため友人に襲われたとは気づいていない。
騎士の訓練を見慣れていてもエクレアにとって幼馴染が欲望に染まった男に襲われる光景は恐怖だった。
エクレアにとってマトモな感覚を持っている母が亡くなってからはエクレアの感覚を共有できるのはクオンだけだった。脳筋の兄は論外である。

「お嬢様、今度はきちんと人を呼ぶんですよ。武術を習っていても女の子なんですから」
「お兄様は強いけどタンダ様は私より弱い」
「強いからって守らなくていいんです。今度は飛び出さないで人を呼んでください。わかりましたか?」
「うん。泣いたのお兄様に内緒よ」
「わかりました。お茶とお菓子を用意しましょう」

涙を拭いたエクレアは世間では気の強いお嬢様。でも本当は強がりな女の子だとクオンだけが知っていた。母親が亡くなり、兄も父も留守が多く、寂しさに耐えきれず木の上に登って隠れて泣いているのを見つけるのはクオンの役目。隣に座って傍にいるのも。
クオンは幼馴染の頑張り屋のお嬢様が大事だった。
バレイルは突然エクレアの夫になったクオンに掴みかかった。

「クオン!!お前、なんでエクレアと」
「お嬢様に頼まれました」
「僕のほうがエクレアに相応しい」
「他者評価が良くても女好きの意地悪な幼馴染を好きな女の子はいませんよ。伝わらない言葉に意味はなく、お嬢様に見えた貴方が全てです」
「僕の方がエクレアを愛しているのに」
「私は愛がわかりません。ですがお嬢様が望んでくれるならお応えできるように励みます」
「兄上ならともかく、なんでお前が望まれるんだよ」
「お嬢様の目に映るものとバレイル様達の見たかったものが違うからでしょう。お嬢様が迷惑しているので一つだけ教えましょう。貴方達はお嬢様にとって人生で一番大事な日を壊そうとしました。これ以上改めないなら然るべき対処をとらせていただきます。では失礼します」

クオンはバレイルの手を解き、礼をして立ち去った。
エクレアはバレイルの周りにいるような婚儀を人生で一番大事な日と考える令嬢ではない。エクレアの一族は成り上がりである。権力がなければ大事なものを守れないと知っている。必死に上を目指し血の滲むような努力をした。誰もが嫌がる危険な役目も汚れた仕事も引き受け、周囲にバカにされてもずっと前を向いていた。ようやく爵位が上がり伯爵家から侯爵家になった初めての祝いの場をエクレアは寝る間を惜しんで準備していた。公爵夫人に教えを乞い侯爵家として相応しい物をと。
クオンは騎士達に囲まれて育ったエクレアが他の令嬢達と価値観がズレているのを知っている。そしてタンダもバレイルも気づいてないことを。
手のかかる頼りにならない婚約者と意地悪な幼馴染の前で素を見せない。エクレアの社交の顔しか二人は知らない。エクレアにとって二人は外の世界の人間で一度も身内ではなかった。タンダが婿入りするのに面会はいつもスロウ伯爵家。エクレアの大事な家にタンダ達を迎え入れるのは夜会の時だけで一度も自室に招いたことはない。突然タンダが訪問しても案内するのは庭園のサロンか客室。
エクレアは婚約者としてタンダを守っていたが一切頼りにせず、信用していなかった。問題を起こさず、後継を作る役回りしか望んでいなかった。
スロウ伯爵夫妻はタンダがおっとりと抜けていることに気付いていたが、しっかり者のエクレアが傍にいるなら大丈夫かと厳しくすることはなかった。エクレアがタンダを守るために手を回していたのにはスロウ伯爵夫妻は気付いていなかった。


タンダはエクレアと婚約破棄してからは令嬢に囲まれ、追いかけまわされる。チョコレート色の髪色と瞳を持ついつも笑顔の愛らしいご令嬢にアプローチされ押しに負けてお付き合いを始めた。相手は愛らしい外見とは正反対の評判の悪い男爵を父に持つ男爵令嬢。タンダを追いかけまわしていた令嬢達はタンダの趣味の悪さに呆れ離れていく。バカな令嬢に引っかかる将来性のない男の相手をするほど暇ではなかった。
タンダは両親にお付き合いを反対され、男爵令嬢に別れを告げる。
その後の記憶がなく、男爵令嬢と生まれたままの姿でシーツの乱れたベッドで目を醒ます。
タンダは一夜を共にし愛の結晶を授かったと男爵令嬢に言われ、責任を取るために男爵家に婿入りする。タンダを溺愛する伯爵夫人が反対してもスロウ伯爵家は悪い評判しか持たない男爵家と縁戚になるのは許さないためタンダの婿入りにおいて条件を出した。タンダはその条件の大切さに気付かず受け入れた。
両親から婚姻の許可をもらったと伝えると愛らしい笑顔で喜ぶ男爵令嬢との婚儀には伯爵家は誰も参列しなかった。
常に愛らしい笑みを浮かべていた男爵令嬢の態度が変わったのは、婚儀が終わってからだった。
タンダは男爵家への婿入りに伴い勘当され伯爵家と縁を切った。男爵令嬢は名門伯爵家の後ろ盾を期待してタンダに近づき誘惑した。
愛らしい笑顔から蔑んだ笑みに変わり、タンダは男爵家の商売道具にされた。エクレアの世界には危険が広がっていると言う教えがようやくわかった時だった。
婚姻してすぐに男爵令嬢が産んだのはタンダに似ていない男児。賭博が趣味の義父と金使いが荒く男遊びが激しい妻のもとで男爵領を治め、妻に命じられるまま貴婦人達に夢を売る
タンダの悩みを聞いてくれた幼馴染の可愛いさのカケラもない、同性のように気安くどんなことも話せた元婚約者はもういない。エクレアはタンダに特別優しくはないが、いつも話を聞き一緒に考えてくれた。あの時、弟の頼みを断ればと後悔しながら腕の中の妙齢の夫人に夢を売る。今までエクレアに影でフォローされ生きてきたタンダが男爵家から逃げることも助けを求めることも思いつかない。そして砂糖菓子のような外面を持つ男爵一家とともに空虚を抱えて生きていく。



バレイルは伯爵家を継ぎ、クオンの言葉の意味を知る。
バレイルの妻はエクレアのファンの一人だった。エクレアが幼い頃から伯爵家を第一に考えて生きていたのも、伯爵家の女当主になる覚悟を決めていたことも。
そしてエクレアをずっと支えたクオンの存在も。自分が恋して誰よりも知っていると思っていた初恋の少女の身内以外の唯一が別にいた。

「それでも僕の方が愛しているのに。クオンの目には愛情なんてない」
「バカね。愛が全てではないわ。貴族の婚姻は家のものよ。私達だって愛し合ってないでしょ?」
「それは」
「エクレア様が伴侶として必要としたものをクオン様は持っていた。それだけよ。エクレア様が求めていたのは同じ世界が見える人」
「教えてくれれば僕だって」
「そんなの見ていればわかるでしょ?私にはエクレア様は会ってくれるけど、貴方は嫌だって。幼馴染で唯一お近づきになることが許されていたのに惨め。侯爵夫妻の命に私達は逆らえないわ」

バレイルは愛らし笑みを浮かべて傷口に塩を塗る妻を見ながらワインを一気に飲み干す。そしてバレイルはもう一つ気付いていなかった。現実を知っても反省し謝罪をしていないことを。
エクレアの過保護な兄さえ認める優秀な頭脳を持つクオンが加わったためバレイルがエクレアと言葉を交わすことはない。クオンはエクレアが嫌がることは徹底的に排除する。
懐にいれた者のためならどんな危険な場所にも飛び込むエクレアを守るためなら手段を選ばない。




クオンの母のオラナは名門侯爵家の侍女だった。嫡男と恋仲になりクオンを身籠ったが婚姻相手として認められず、侯爵夫人の宝石を盗んだと冤罪をかけられ奴隷の刻印を押されて侯爵領から遠く離れた山に捨てられた。
ボロボロのオラナを保護したのは山籠もりをしていたエクレアの父。
弱きを守る騎士道精神に溢れる伯爵家は事情を聞いて手厚く保護した。オラナは伯爵邸でクオンを生み、奴隷の刻印を隠してエクレア付きの侍女として働かせていた。
美人なオラナはに恋い焦がれる者も多かったが騎士道精神に反することをする者は誰一人いなかった。
エクレアは刺繍が上手いオラナに師事していた。エクレアは家族に内緒の贈り物をするためにオラナと護衛を連れて買い物に出ていた。

「お父様達は喜んでくれるかな」
「きっと喜ばれますわ」

侍女服ではなくお揃いのワンピースを着た美しいオラナと美少女のエクレアは目立っていた。エクレアはオラナの手を繋いで上機嫌で買い物を楽しんでいた。
そんな二人を妙齢の夫人が見ていた。
前侯爵夫人は数年前に純情な息子をかどわかした時と変わらず、美しいままのオラナを目を吊り上げて睨んでいた。

「貴方、どうして生きてるの!?そんな綺麗な身なりで、奴隷の分際で」

ヒステリックな声を出し、手を振りあげる侯爵夫人の前にエクレアが両手を広げて立った。護衛騎士は命に危険がないかぎりは動かない。

「おやめください。私の侍女に手を出す正当な理由をお教え下さいませ」
「罪人には、奴隷には人権はないのよ!!この女の所為でうちは」
「私の侍女に手を出すのは許しません。どうしても手を上げたいなら私を叩いてください。家臣を守れない主など資格がありませんわ。手を出さないで」
「貴方は高位のものに逆らう意味がわかっているの?私に逆らうのは」
「不敬だとわかってますよ。それでも人には守るべき道理があります」
「覚えてなさい!!」

鬼のような形相の侯爵夫人は踵を返して去っていくのをエクレアは礼をして見送る。

「お嬢様」
「オラナ、お買い物の続きをしましょう。せっかくだからクオンにお土産買って帰ろう。間違ったことはしてないもの」

エクレアは強気に微笑みオラナの手を繋いで足を進める。
後日エクレア達が侯爵家を侮辱し不敬を働いたと不敬罪を訴えられる。
伯爵は異議申し立てをしても公爵家に逆らえなかった。

「お父様、私が謝罪にいきます。ですからお許しください」
「夫人は不敬を働く侍女の身柄を渡すか然るべき処罰を」
「何もやってませんよ。どうして」
「エクレア、力がないと敵わないものがあるんだよ。お前の言葉は子供の戯言と言われ信じてもらえないよ。うちの者の言葉もお前達を庇う嘘と」
「おかしいです。それなら証人を探します。こんなの」
「侯爵家に逆らう者はいないよ。正義よりも権力が力を持つ」
「お嬢様、気にしないでください。旦那様達には良くしていただきました。どうか伯爵家にとって最善を」
「オラナは病に罹って死んだことにしよう。そして国外で暮らすか伯爵領の辺境で身を潜めて暮らすか」
「お父様!!侯爵家に行かせてください。お願いします。私が頭を下げて」
「お嬢様おやめください。私はこの国から出ます。クオンは」
「母上、私はここに残ります。どうか新しい人生を」
「クオンについては何も言われていないが、今生の別れになるかもしれない。わかっているかい?ここにいるならもちろん生活の保障はしよう」
「お世話になります。母上、お元気で。親子の縁はこれまでですね。母上、お幸せに」
「クオン!?ごめんなさい。私が浅はかだったから」
「お嬢様、違いますよ。侯爵夫人は怖い方です。見つかればきっと」
「クオンをお母様と離れ離れに」
「お嬢様、クオンはしっかりしてます。もう生き方を決めているんです。どうかお嫌になるまでお傍に置いてください」

オラナはクオンの出生も執念深い侯爵夫人に知っていたため見つかれば何をされるかわからないことも教えていた。まさか伯爵領に侯爵夫人が訪問することはないと油断していた。侯爵夫人から逃れる方法は一つだけ。
幼いクオンをマスト伯爵達が慈しんで大事にしてくれるのはわかっているので、クオンが望むなら手離すことを決め、オラナは旅立つ。オラナの旅立ちとともに一人の騎士が辞職した。
エクレアの真っ青な顔と違いクオンは晴れやかな笑顔で母を見送った。

「クオン、ごめんなさい。私が」
「お嬢様、約束したでしょ?ずっとお傍にいますよ。捨てられるまで。それに母上はすでに見つけてるんですよ。新しい幸せには私はいりません」
「クオンが一緒のほうが幸せなのに・・」

エクレアは唇を強く噛むとクオンがそっと抱きしめる。

「私はどこにも行きませんよ。お菓子を用意してありますよ」

エクレアはポロポロと涙を流しながら、初めて権力を欲っした時だった。この日から父の言う権力の必要性を知りエクレアの世界が変わる。

クオンが実父に会うのは9歳の時。
伯爵邸の夜会に訪問した侯爵は自分によく似たクオンを見て驚く。エクレアはクオンを背中に庇って礼をする。

「クオンは私の従者です。なにか無礼がありましたか?」
「彼の母親はどこに」
「亡くなりました。失礼します。クオン、行きますよ」
「彼と話をさせてくれ。君は私の子供だ」
「罪人の子と罵るなら許しません」
「お嬢様、おやめください。私は大丈夫です」
「駄目。どんなに身分が高くても許されない。裁判もせずに奴隷紋を刻むなんて。私刑をする権利はないわ」
「奴隷紋!?待ってくれ。詳しく聞かせてほしい」
「子供の戯言でしょう?大人は全てその言葉で片付けます。それにクオンに嫌な話を聞かせる大人なんて嫌いなの。行くよ。クオン、いざとなったら一緒に逃げよう」

エクレアは身分というものを知り裁判について勉強した。幼い時は知らなかったから侯爵夫人に負け、クオンの母を守れなかった。同じことが起きないように次に備えていた。
侯爵はマスト伯爵からクオンについて話を聞き、エクレアの不敬を謝罪される。そして愛した人の忘れ形見のクオンと面会し、何かあれば頼るように侯爵家の紋章を託す。クオンは実父に頼るつもりはなかったがエクレアの望みを得るため後ろ盾と名前が欲しいと初めて願った。

「クオン、良かったの?」
「お嬢様の心のままに」
「クオンの人生を狂わせたのは私なのに」
「違いますよ。私は自分で決めました。それにお嬢様は私がいないと困るでしょ?」
「うん。クオンがいないと生きづらい」
「必要とされるのは中々気持ちがいいですよ」

幼い頃から世界を共有した二人は互いが特別なのは気づかない。エクレアが弱さを見せられるのは、クオンだけ。クオンが大事にしたいのはエクレアだけ。
婚姻して変わったことはクオンもエクレアと一緒にお茶を飲むようになったこと。
名前と違い甘さの欠片のないと言われた令嬢はほろ苦いチョコレートに覆われていた。中に挟まれた髪色にそっくりの甘いクリームの味を知るのは夫だけ。そして癖になるほろ苦いチョコレートの旨味を知る者達が側にまとわりつかないように、守護者達に守られている。

「お母様はお父様の作ったエクレアにそっくり」
「おかわりはあげませんよ」
「食べすぎると中毒になるから我慢するよ。お母様とお父様の間に愛がないなんて、節穴だらけね。お父様はお母様に夢中だもの」
「お母様が夢中なのよ。クオンは悪い魔女に捕まったお姫様かしら?」
「悪い魔女から逃げ出した使い魔ですよ。美しい騎士に助けられお転婆なお姫様を授かり、羽を休めたら抜け出せなくなりました」
「羽を休めるなんてクオンに似合わないわ。いつも動いてばかり」
「そういう生き物です。お嬢様の願いを叶えるのが生き甲斐です」

外では甘さの欠片もない両親はうちの中では豹変する。甘いお菓子の名前をいずれ生まれて弟か妹に提案しようかと父親似の少女は悩む。
そしてクオンは平凡な外見以外は優秀な男である。幼い頃からクオンを見てきたエクレアは男の基準は厳しい。エクレアに魅了されたのは癖のある者ばかり。正義を愛し権力に苦しめられた過去を持つ成り上がりの一族は優秀な頭脳を手に入れさらに上を目指していく。
世界は優しくない。不幸の落とし穴は所々に広がっている。落とし穴を埋められるように、もしも落とし穴に嵌まった人がいれば助けられるように権力と言う太くて長い綱を求め続ける。そして道具があっても引っ張り手がいなければ大きい落とし穴から抜け出せない。
マスト一族は正しいことをすれば人は手を取り合い生きていけると信じたい。正義を愛する者の少ない世の中で不器用に生きていく。当主は世の理不尽から家族と領民を守るために、兄は妹を守るために、妹は大事なものを守るため。
そして正義を愛するマスト一族に惹かれ狂う者たちに取り込まれないように今日も力を求め生きていく。
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