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最終話前編
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他国の新聞に大嵐に襲われ小さい国が滅んだという小さい記事を読んでから毎日シャーロットは外に出て空を見上げていた。連日曇り空が続いていた。太陽を覆う雲を見ながらシャーロットの震える手を握る二人の顔を見る。
「ミズノ、ヒノト、来るかな・・・。空が」
「嫌な空」
「嫌な風の匂いがする」
「そう・・・。殿下を呼んで。」
ミズノに呼ばれた第一王子がシャーロットの隣に立ち、空を見上げしばらく動かなかった。
第一王子もシャーロットも天気を読む知識は与えられている。
「シャーロット、嫌な予感がする。備えたほうがいい」
「殿下もですか。読めますか?」
首を振る第一王子に頷き、シャーロットは弱気になっている場合ではないので、意識を切り替え貴族の仮面を被る。ロレンスとモール公爵に手紙を書いてコクに託す。
ヒノトに頼みレイモンドを探し、馬を片付けているのを見つけ近づいた。
「男爵様、大きい嵐に襲われると思います。備えたほうが、民に避難指示を」
貴族の顔をしているシャーロットにレイモンドが首を傾げる。
「災害?」
「嵐に襲われて消えた国があります。男爵邸とあの邸に避難させましょう。杞憂なら謝罪します。生きるのが一番大切でしょ?近隣貴族には文で呼びかけます。王家も動き出すけど、指示を待っていたらきっと間に合わない。物資は備えてあるので心配いりません。」
レイモンドは信じられなかったがシャーロットの真剣な面差しを見て決めた。もしも杞憂なら領民をもてなせばいいだけだった。シャーロットは人気があるため領民の前で挨拶させれば、非難と暴動がおきないかとレイモンドは笑った。
「わかった。領民の避難誘導の指揮に回るよ。任せられる?」
シャーロットは心配そうなレイモンドに優雅な笑みを向ける。シャーロットは立派なコメリ男爵夫人になりたい。レイモンドが信頼して任せてくれるなら全力で応えられるように頑張るつもりだった。
「はい。後方支援はお任せを。殿下にも手伝わせます。近隣貴族には男爵様のお名前で文を書いても?」
レイモンドは貴族の顔をするシャーロットの能力は信頼していても、心配だった。
「男爵印も俺の名も自由に使って。危ないことしないで、ちゃんと生きて待ってるんだよ。何があっても自害は駄目だよ。」
「はい。行ってらっしゃいませ」
「行ってくるよ」
レイモンドは侍従にいくつか指示を出して、馬に乗り駆け出した。
レイモンドを見送り、シャーロットは領民の受け入れ準備を整えるように指示を出す。育てていた伝書鳩に文をつけ、災害に備えるように近隣貴族や下位貴族に送る。信じるかはわからないが今のシャーロットにできるのはここまでなので、後はコメリ男爵領民のために動くだけだった。
本邸の指揮はシャーロットが取り、自由に使っていいと言われた別邸の指揮は第一王子に任せた。第一王子には領民に人気のヒノトを付けたので不審者として扱われないと信じていた。不審者と扱われても口が上手い第一王子なら対応できるので心配していない。いざとなれば実力行使でも今回は見逃すつもりだった。人でなしでもシャーロットは元婚約者の能力はよく知っている。
領民はレイモンドを慕っているので、突然の避難指示に戸惑いながらも従っていた。
レイモンド達から送られてきた民をシャーロットは笑顔で受け入れる。
「シャーリー?」
「ここの屋敷は強いから大丈夫よ。杞憂だといいんだけど」
シャーロットは不安な顔をしている子供に微笑む。先導する者が下を向くのは許されないので久しぶりの悪役令嬢の本領発揮だった。
次第にさらに空が暗くなり雨が降り出した。雷鳴が響いて震える手を強く握ってレイモンドを思い出す。コメリ男爵夫人は雷を怖がるのは許されない。シャーロットは立派な男爵のレイモンドの妻として頑張らないといけなかった。レイモンドが雨の中必死に動いているのに、安全な場所にいるシャーロットが怯えて下を向くのは許されないと叱咤して、顔をあげ笑みを浮かべる。
シャーロットは常に笑みを浮かべながら、避難民を受け入れ誘導した。
夜も深まりさらに雨と風が強くなり大嵐に襲われていた。
ほとんどの領民は避難していたがレイモンドが戻っていなかった。
シャーロットは窓を見て震える手を強く握る。レイモンドの優しい笑顔を思い出して両手をくみ、無事を祈る。
領民はいつもと様子の違う、凛として指示を出しながらずっと笑みを浮かべているシャーロットが時々窓に向かって真剣に祈る姿を静かに眺めていた。
気弱なシャーリー、若い男爵夫人が泣き言も言わずに動いている。シャーロットを見て、領民達は不安や不満は口に出さずに励まし合いながら避難生活を送った。
「奥様、少し休まれてください。倒れては」
執事長の言葉にシャーロットは頷き、ミズノに何かあれば起こすように頼んでベッドに入る。
レイモンドの枕を抱いて、無事を祈って目を閉じる。
翌日も嵐は続いていた。
シャーロットは領民達と食事を取り、子供達を集めて物語を語っていた。
子供が笑えば大人も笑顔になる。慈愛に満ちた顔でシャーロットの語る幻想の世界の話に大人達は聞き入る。
「シャーリー、領主様は」
「ご無事ですよ。きっと雨が凄いから雨宿りしています。晴れたら帰ってきますよ」
震える手を隠してシャーロットは少年に微笑む。あの時、ヒノトとミズノをつければよかったと後悔する自身を叱咤する。後悔ではなく、今は前を見据えるしかないと自分に言い聞かせながら。
シャーロットは領民の前で貴族の仮面を被り、常に過ごしていた。買い込んでいた予備物資のおかげで食料等の心配はなく、収穫前に畑が駄目になっても、備えてあったので問題なかった。
一週間も、激しい雨と風に襲われた。ようやく嵐が去り、太陽が顔を出した頃には屋根が吹き飛び、畑は更地になり荒れはてた光景が広がっている。
呆然とする領民にシャーロットはゆっくりとこれからの話をする。男爵家で全面的に支援をするので、力を合わせて乗り越えましょうと微笑むシャーロットを見て領民は頷く。
いつも弱気で小柄な年若い男爵夫人が前を見ているのに、大人な自分達が下を向いているわけにはいかなかった。シャーロットの鼓舞する言葉を受けて、立ち上がった領民達の瞳には暗さはない。領民達の顔を見て、シャーロットは心の中で安堵の息をつく。
嵐が止んでもレイモンドの姿はなかった。レイモンドの無事を祈りながらシャーロットは男爵領の復興の指揮を取る。
ヒノト達に捜索を頼んでもレイモンドは見つからない。
災害が起こると、盗賊や野盗が活発になるため兵達の指揮は第一王子に任せていた。
第一王子が盗賊の鎮圧をおえて帰ってきた。
「殿下」
シャーロットの弱った声に第一王子は頭を思いっきり叩く。
「バカ。男爵不在にお前が探しに行くのが許されるか?それをあいつは望むのか?」
「望みません。自身より領民を大事にする方です。」
シャーロットは呆れた顔の元婚約者を見て笑みを浮かべ、遺体がないので、信じて待つことにした。時間があけばずっとレイモンドの無事を神に祈った。大好きな苺も食べる気がおきず、自身の分は子供達に配るように命じた。貴族の仮面で常に笑みを浮かべながら、レイモンドがいないことを除けばシャーロットの中では変わらない時間が流れていた。どの領地も嵐の被害で社交をする余裕がないため、茶会も夜会もなかった。
王家から支援金と物資が届き、騎士が派遣され復興にあたり、徐々に家に帰れる領民の姿も見られた。
一月経つ頃、下位貴族の当主や後継が情報交換のため集まっていた。
場所を提供するように望まれたのはコメリ男爵家だった。コメリ男爵領は集まった貴族達の中で一番復興が進んでいた。
訪問した貴族達は自身の領地の惨状との違いに驚き、欲望を隠しきれない嫌な笑みを浮かべる。
シャーロットは多忙な時期にわざわざコメリ男爵邸を指定し集まる貴族達の思惑がわかっていた。無駄な時間があるなら領地で奔走すべきと思っても、口に出さない。突然の災害に心身ともに余裕がないのはお互い様である。それでも自身の想像通りでないといいと第一王子にしか向けない呆れた笑みを溢し、貴族達の浮かべる表情を眺めていた。
「このたびはお集まりいただきありがとうございます。コメリ男爵が不在故、私が仕切らせていただきます。またこの後の予定に差しつかえますのでお茶のみのおもてなしをお許しください」
静かに微笑み礼をしたシャーロットに向ける視線は様々だった。シャーロットは酒も食料も振舞うつもりはない。手早く帰ってもらう予定である。
「コメリ男爵家は落ち着いているんだな」
悪意をこめられた言葉にシャーロットは淑やかに微笑む。
「表面上はようやく落ち着きを取り戻しました。ですが作物が駄目になり、住む家も未だに用意が整わない者もおり領民の心も晴れません。まだまだ復興には時間が必要でしょう。」
「我らは手を取り合うべきだと」
「まずは自領を優先させてくださいませ。王家より各家に支援金が」
「コメリ男爵家はモール公爵家の力を借りているのだろう!!そうでないと、こんなに」
コメリ男爵領はモール公爵家の後見である。力を貸してほしいと頼むことは簡単に思われていた。ただ現実は違う。モール公爵家が後見につくのは見込みのある領地だけである。いざという時に全てモールに丸投げする領主なら挿げ替える。無能な領主をフォローするより、王家に返還させて治めるほうが簡単だった。
シャーロットは他力本願な貴族が嫌いだった。務めを果たさず、この状況で疲労の色のない卑しい視線や懇願の視線を向ける目の前の貴族達も。
「モール公爵家は王家に多額の寄付金を納め、それが私達に分配されております。また広大な領地と王家を支えるモールにはコメリ男爵家に力を貸す余力はありません。支援金の中にどの家が寄付したか記載されてますのでご確認ください」
他の家に支援するつもりがないと断言するシャーロットに憎々し気に見ていた男が呟いた。
「コメリ男爵がいれば」
「ない袖は振れません。予備物資は男爵領民の分しか確保していません。お困りなら王家か後見先か、上位貴族にご相談ください。下位貴族のフォローは上位貴族の務めです。そのためのやり取りをするのは各当主の役目です。そのために普段から社交をしているのでしょう?自身で治められないなら爵位を返上し領地も王家に返納すれば、見事に治めてくれますわ。王家は罪なき民を見捨てることはありません。」
貴族達は様子の違うシャーロットに驚いていた。いつも微笑むだけのお飾りの男爵夫人だと思っていた。相談すれば簡単に支援してくれる甘くて頭の軽い令嬢と勘違いしていた。この場では社交の場でのモール公爵令嬢を知るのはシャーロットの後ろに控えるミズノとヒノトだけである。
「君は領民さえ無事ならいいと言うのか!?」
荒げる声も批難の視線もシャーロットには通用しない。
シャーロットはもう王子の婚約者ではない。王子の婚約者なら全ての民に救いの手を差し伸べるように動く。だが今は男爵夫人である。持つ権力も動かせる力も昔と違い少ない。それに一度手を差し出して、楽を覚えられ毎回縋られるのもごめんだった。
シャーロットは男爵夫人の教育は受けなくても、王家が領主に望むことは知っていた。王家の期待に応えるのが臣下の務めである。またレイモンドは常に領民を優先にしてきた。当主の意向に添うのが妻の役割。方針さえ決められればシャーロットに迷いはない。
シャーロットは簡単な質問に静かに答えた。弱気で卑屈なシャーロットは厳しい教育を受けてきた。理不尽な批難の声にも慣れていた。終わりの見えない無駄な言葉をやめない他力本願な当主達に冷笑を浮かべる。
「最優先はコメリ男爵領民です。私も時間がありませんが、できることはお手伝いしましょう」
シャーロットの譲歩に当主達は抗議の言葉を飲み込み、笑みを浮かべる。シャーロットはヒノトに視線を送り、頷いたヒノトが部屋を出た。
「私は爵位と領地返納の手続きでしたらお手伝いします。サインさえいただければ王家まで最速で届け、返事をもらうまで。それ以上をうちに望むのはお門違いです。」
「なにを!?」
「もっと早くに教えてくれれば、あんな文一通で」
当主達の期待を裏切るシャーロットに批難の言葉の嵐が始まった。戻ってきたヒノトは静かに書類を配布した。爵位と領地の返上の。男達が書類に気を取られ、黙った一瞬をシャーロットは見逃さず口を開く。
「情報収集を怠ったのを人の所為にしないでください。最速で動けば間に合いました。私達は常に情報を集め領民が安全に暮らせる環境を整えるべきです。旦那様の優しさを無駄にしたのは自業自得です。さて、私は失礼しますわ。場所はお貸ししますのでどうぞご自由にお過ごしください。」
自身に力を貸してもらうように頼みにきた貴族達に礼をしてシャーロットは立ち去る。執事長とミズノを残したのでお見送りは二人に任せる。シャーロットには愚か者の相手より優先すべきやるべきことはたくさんあった。
何を話してもシャーロットの協力を得られないとわかった貴族達はポツポツと帰っていった。シャーロットは見送らず領民の家に支援物資を届ける手伝いをする。顔を見て、話を聞くのはレイモンドが一番大事にしていた。シャーロットはレイモンドの代わりを、精一杯務めて帰りを待っていた。手を繋ぐ恋しい温もりがない寂しさを紛らわし、シャーロットは笑みを浮かべて空を見上げる。空にかかる虹に気づき、レイモンドの瞳と同じ色に笑いかけ呟く。
「男爵様、お任せください。」
***
レイモンドの不在に手伝いを申し出る他家の子息達もいたがシャーロットは断った。レイモンドの留守中にコメリ男爵領を好きにさせるつもりはない。レイモンドの後釜を狙う者の相手をする気も時間もなかった。
レイモンドのファンが押しかけてくるのは領民が追い返していた。
領民は一人になるとずっと祈りを捧げるシャーロットを知っていた。雰囲気が変わってもレイモンドを慕っているシャーロットが誰よりも無事を祈って待っていると思っていた。男爵不在の為、ずっと綺麗な笑みを浮かべて動き回るシャーロットの味方である。シャーロットの貴族の仮面は男爵領民には強がりに映った。レイモンドのファンが言うように、レイモンドの不在に本性を出した冷たい女には見えない。
ミズノとヒノトはずっと貴族の顔をして、一心に執務に励むシャーロットを心配していた。時間を見つけてレイモンドを探しても見つからない。
ミズノもヒノトもレイモンドが死体で見つかるならそれでも良かった。生死がわからないから困っていた。二人はシャーロットはどんなに落ち込んでも、徐々に上を向いて這い上がる強さは持っているのを知っている。落ち込むなら立ち直るまでずっと傍で慰めるつもりだった。諦め、前を向いたシャーロットの前にレイモンドが姿を見せれば、レイモンドを信じて帰りを待たなかった自身を責めるのもわかっていた。シャーロットの心を二度も傷つけることはしたくなかった。
だから無理をするシャーロットを止めながら、レイモンドの体を探すしかミズノとヒノトにできることはなかった。
ミズノ達に休むように言われたシャーロットはレイモンドの枕を抱いて寝室にいた。
シャーロットはミズノとヒノトを抱きしめても不安が消えなかった。
ふと王妃の言葉を思い出した。
「どんな事情があっても、失ったら心が叫ぶ人と出会えたら全てを捨てても追いかけなさい」と。
シャーロットはレイモンドを思い出すと恋しくて堪らなかった。寂しくてずっと痛む胸の痛みに苦しかった。
貴族の仮面を外したら泣いて立ち上がれなくなりそうだった。
シャーロットは起き上がり夜着のまま、裸足でフラフラと歩き出す。
男爵邸を出て、虚ろな瞳で歩いていた。
シャーロットの不在に気づいたヒノトが追いかけると懐かしい匂いと覚えのある匂いに辺りを見渡した。
ヒノトはシャーロットの無事を確認したので、金髪の懐かしい匂いのする男に近づいた。
「父さん?」
「ヒノト、元気だったか」
「やっぱり男爵?シャーリー、いたよ!!」
「男爵様!?」
シャーロットは男の背中に背負われるレイモンドを見つけて駆け寄った。
「うちの子が嵐に巻き込まれたのを助けてくれたんだよ。川に落ちたから、しばらく意識が戻らなかったんだよ。怪我をしてるから完治するまで休むように言ったんだけど、聞かないから」
シャーロットは男の背中で眠る髪の伸びたレイモンドを見て力が抜けて座り込む。緊張の糸が解けて、貴族の仮面が壊れた。
「男爵様、良かった」
泣き出すシャーロットに男は慌て、ヒノトは笑ってレイモンドの背中を思いっきり叩く。
「お嬢さん!?」
レイモンドは痛みで目を覚ますと聞き覚えのある泣き声に視線を向けて夜着で泣き崩れる姿に目を見張った。
「シャーロット!?なにがあった?」
男はシャーロットの前に慌てるレイモンドをそっと降ろした。
「ずっと無事を祈ってて。でも怖くて、寂しくて」
「ごめん。」
「良かった。私」
レイモンドは泣き崩れるシャーロットを抱きしめた。
「ただいま」
「おか、えり、なさい。ご無事で」
安心したシャーロットは意識を失った。
「シャーロット!?」
ヒノトは慌てるレイモンドに冷たい視線を向けた。生死がわからず、行方不明は一番迷惑だった。
「ずっと不眠だったんだよ。探しても見つからない誰かの所為で。」
「馬車の手配を。俺は今は抱き上げられないから」
レイモンドは左足を骨折していた。木から降りられない仔犬を見つけて助けようとして木に登り風に飛ばされ、川に落ちた。見つけたヒノトの父親が慌てて救助し、隠れ家で休ませていた。獣人族の隠れ家は魔法で作られ、中の物を外界から遮断するためどんなに捜索しても見つからない。
ヒノトはレイモンドを無視してシャーロットを抱き上げる。レイモンドはヒノトの父親に背負われた。
「部屋を用意するので、ヒノトとミズノとゆっくり過ごしてください。」
男爵邸に帰ると、使用人達が集まってきた。
金髪の男に背負われるレイモンドを見て、ほっとした顔をした。涙を浮かべる者もいた。ヒノトに抱かれて夜着のまま眠るシャーロットを見て、ようやく日常が帰ってくるかと執事長は笑った。
レイモンドは使用人達に声を掛け、ヒノトに金髪の男を預けた。
椅子に座って執事長を呼び出した。
「状況は?」
「お嬢様がしっかりと治めてくださいました。まだ復興には時間がかかりますが、坊ちゃんが戻ったならきっと大丈夫ですよ」
シャーロットの有能さを知っているレイモンドが安堵の笑みを見せた。
「まぁ、シャーロットに任せれば平気か。殿下もいるし、俺がいなくても」
執事長はレイモンドの頭に容赦なく拳を落とした。
「お嬢様はずっと笑顔しか見せませんでした。時間があればずっと外を見て祈ってました。苺も口にせず、無理矢理休ませないと休みませんでした。休む時はずっと坊ちゃんの枕を抱えて丸くなってましたが眠りも浅く、お食事の量も少なく、」
レイモンドの良心が痛んだ。雷に怖がっているかもしれないと思っても第一王子やミズノとヒノトがいれば大丈夫だと思っていた。
「悪かった。」
「二人で休まれてください。報告はお嬢様から聞いてください」
レイモンドはヒノトの父親を丁重にもてなすように伝え、執事に肩を借りて片足で寝室に向かった。
シャーロットはベッドで枕を抱えて眠っていた。レイモンドはシャーロットを眺める。手も荒れ美しい漆黒の髪も艶がなくなっていた。
腕を伸ばして抱きしめた。川に落ちた時、泣き顔が頭によぎった。一つだけ後悔があった。目を覚ましたら、満身創痍で体が動かなかった。それでも早く帰りたかった。獣人族の子供に帰らないでと泣かれても。自分がいなくても平気でも泣いているシャーロットを慰めるのは自分でありたかった。
シャーロットがゆっくりと目を開けた。温かい腕に包まれて、瞳が潤んだ。頬をつねっても痛いのが嬉しくて笑った。顔を上げると会いたくて堪らなかった優しい顔があった。
「男爵様」
レイモンドはシャーロットの流れる涙を指で拭った。
「男爵様、良かった。会いたくて、苦しくて、何をしても駄目で、シャーリーは男爵様がいないと生きられない。置いてかないで」
「心配かけてごめん」
涙の止まらないシャーロットにレイモンドはそっと口づけた。
驚いて涙の止まったシャーロットを見て笑うレイモンドの顔がシャーロットにはキラキラと輝いて見えていた。シャーロットは恋すると相手がキラキラと光ると語る母親の言葉を思い出した。
「男爵様、どうすればシャーリーに恋してくれますか?」
レイモンドは頬を染めて、うっとりと呟かれた言葉に噴き出す。
「すでに恋してるよ。そうだな。名前で呼んでくれないか?」
「レイモンド様、シャーリーはレイモンド様が好き。レイモンド様にも好きになってほしい」
「様もいらないよ。俺はいつも、いや、いいや。シャーロットが好きだよ」
シャーロットの顔が真っ赤に染まり満面の笑みが浮かんだ。
「レイモンド様、シャーリーはずっとレイモンド様の物になりたい!!」
シャーロットはレイモンドの頬にそっと手をあて、唇を重ねる。レイモンドはシャーロットからの徐々に深くなる口づけに目を見張りながら、されるがままだった。ふぅと息を吐き、熱を帯びた潤んだ瞳で見つめられてもレイモンドは手を出せなかった。
「シャ、シャーロット」
「シャーリーがいい」
拗ねた目をするシャーロットに押されながら、赤面したレイモンドはシャーロットの肩を押して距離をとる。
「シャーリー、あの待って」
「シャーリーの小さいお胸だと欲情しない?」
濡れた瞳で儚げな視線をむけられ、愛らしい妻がいつの間にか色気を身に付けており、引き寄せたくなる手も、熱い体もレイモンドは理性を総動員して抑える。
「違う。そうじゃなくて。頼むから、泣かないで、嫌なんじゃなくて、俺、足が」
シャーロットはレイモンドの左足を見て、コテンと首を傾げる。レイモンドの言葉を復唱し頷き、レイモンドの服に手を伸ばす。
「夫婦の営みはダンスと同じで二人でするんだよ。シャーリー、おばあ様達にしっかり教わってるから安心して。恋は先手必勝。体で夢中にさせて」
レイモンドは妖艶に笑うシャーロットに身を任せるわけにはいかなかった。モール公爵のアドバイスを思い出した。
「シャーロット、待って。すでに夢中だから。俺は、特別、そう、勢いじゃなくてしっかり準備をして、ちゃんと特別な日に、婚儀の後に、」
「特別・・。レイモンド様は人気者だから盗られるまえに急がないと」
「ありえないから!!俺にはシャーロットだけだから。今日は休もう。」
不満そうな顔をするシャーロットにレイモンドは優しく口づけて強く抱きしめる。理性が負けそうでシャーロットの顔を見られなかった。シャーロットはレイモンドからの行為にうっとりして、腕の中で幸せを噛み締める。レイモンドはしばらくして寝息が聞こえて抱き締める腕を緩める。腕の中に無防備にあどけなく眠る顔に笑みをこぼす。レイモンドのよく知るシャーロットの顔だった。
シャーロットの身内の男性陣はいつも意味深な言葉を残していた。
「もしシャーリーが暴走したら、特別や君のものと言う言葉をいれて口説くといいよ。そうすればうっとりして止まるから。そうならないといいんだけど、義母上達が色々教え込んでるから迷惑かけたらごめんよ」
「口づけて、抱きしめれば静かになるよ。シャーリーがそうならないといいんだけど・・」
「義父上、俺、抗える気がしません。色々教え込むって・・」
レイモンドは理性と戦っていた。
シャーロットが魅力的でも抱かれるのは嫌だった。全身が火照っている自分に苦笑しながら求めていた温もりを抱きしめて目を閉じる。名前で呼ばれたいという願いは簡単に叶った。そして、シャーロットからもらった恋慕に溢れた言葉は照れくさくても嬉しかった。恋してほしいと頼まれたのは想定外でも可愛らしかった。
火照った体が落ち着き、眠りに落ちたレイモンドは知らなかった。恋に自覚したシャーロットが恐ろしい血を覚醒させたことを。
「ミズノ、ヒノト、来るかな・・・。空が」
「嫌な空」
「嫌な風の匂いがする」
「そう・・・。殿下を呼んで。」
ミズノに呼ばれた第一王子がシャーロットの隣に立ち、空を見上げしばらく動かなかった。
第一王子もシャーロットも天気を読む知識は与えられている。
「シャーロット、嫌な予感がする。備えたほうがいい」
「殿下もですか。読めますか?」
首を振る第一王子に頷き、シャーロットは弱気になっている場合ではないので、意識を切り替え貴族の仮面を被る。ロレンスとモール公爵に手紙を書いてコクに託す。
ヒノトに頼みレイモンドを探し、馬を片付けているのを見つけ近づいた。
「男爵様、大きい嵐に襲われると思います。備えたほうが、民に避難指示を」
貴族の顔をしているシャーロットにレイモンドが首を傾げる。
「災害?」
「嵐に襲われて消えた国があります。男爵邸とあの邸に避難させましょう。杞憂なら謝罪します。生きるのが一番大切でしょ?近隣貴族には文で呼びかけます。王家も動き出すけど、指示を待っていたらきっと間に合わない。物資は備えてあるので心配いりません。」
レイモンドは信じられなかったがシャーロットの真剣な面差しを見て決めた。もしも杞憂なら領民をもてなせばいいだけだった。シャーロットは人気があるため領民の前で挨拶させれば、非難と暴動がおきないかとレイモンドは笑った。
「わかった。領民の避難誘導の指揮に回るよ。任せられる?」
シャーロットは心配そうなレイモンドに優雅な笑みを向ける。シャーロットは立派なコメリ男爵夫人になりたい。レイモンドが信頼して任せてくれるなら全力で応えられるように頑張るつもりだった。
「はい。後方支援はお任せを。殿下にも手伝わせます。近隣貴族には男爵様のお名前で文を書いても?」
レイモンドは貴族の顔をするシャーロットの能力は信頼していても、心配だった。
「男爵印も俺の名も自由に使って。危ないことしないで、ちゃんと生きて待ってるんだよ。何があっても自害は駄目だよ。」
「はい。行ってらっしゃいませ」
「行ってくるよ」
レイモンドは侍従にいくつか指示を出して、馬に乗り駆け出した。
レイモンドを見送り、シャーロットは領民の受け入れ準備を整えるように指示を出す。育てていた伝書鳩に文をつけ、災害に備えるように近隣貴族や下位貴族に送る。信じるかはわからないが今のシャーロットにできるのはここまでなので、後はコメリ男爵領民のために動くだけだった。
本邸の指揮はシャーロットが取り、自由に使っていいと言われた別邸の指揮は第一王子に任せた。第一王子には領民に人気のヒノトを付けたので不審者として扱われないと信じていた。不審者と扱われても口が上手い第一王子なら対応できるので心配していない。いざとなれば実力行使でも今回は見逃すつもりだった。人でなしでもシャーロットは元婚約者の能力はよく知っている。
領民はレイモンドを慕っているので、突然の避難指示に戸惑いながらも従っていた。
レイモンド達から送られてきた民をシャーロットは笑顔で受け入れる。
「シャーリー?」
「ここの屋敷は強いから大丈夫よ。杞憂だといいんだけど」
シャーロットは不安な顔をしている子供に微笑む。先導する者が下を向くのは許されないので久しぶりの悪役令嬢の本領発揮だった。
次第にさらに空が暗くなり雨が降り出した。雷鳴が響いて震える手を強く握ってレイモンドを思い出す。コメリ男爵夫人は雷を怖がるのは許されない。シャーロットは立派な男爵のレイモンドの妻として頑張らないといけなかった。レイモンドが雨の中必死に動いているのに、安全な場所にいるシャーロットが怯えて下を向くのは許されないと叱咤して、顔をあげ笑みを浮かべる。
シャーロットは常に笑みを浮かべながら、避難民を受け入れ誘導した。
夜も深まりさらに雨と風が強くなり大嵐に襲われていた。
ほとんどの領民は避難していたがレイモンドが戻っていなかった。
シャーロットは窓を見て震える手を強く握る。レイモンドの優しい笑顔を思い出して両手をくみ、無事を祈る。
領民はいつもと様子の違う、凛として指示を出しながらずっと笑みを浮かべているシャーロットが時々窓に向かって真剣に祈る姿を静かに眺めていた。
気弱なシャーリー、若い男爵夫人が泣き言も言わずに動いている。シャーロットを見て、領民達は不安や不満は口に出さずに励まし合いながら避難生活を送った。
「奥様、少し休まれてください。倒れては」
執事長の言葉にシャーロットは頷き、ミズノに何かあれば起こすように頼んでベッドに入る。
レイモンドの枕を抱いて、無事を祈って目を閉じる。
翌日も嵐は続いていた。
シャーロットは領民達と食事を取り、子供達を集めて物語を語っていた。
子供が笑えば大人も笑顔になる。慈愛に満ちた顔でシャーロットの語る幻想の世界の話に大人達は聞き入る。
「シャーリー、領主様は」
「ご無事ですよ。きっと雨が凄いから雨宿りしています。晴れたら帰ってきますよ」
震える手を隠してシャーロットは少年に微笑む。あの時、ヒノトとミズノをつければよかったと後悔する自身を叱咤する。後悔ではなく、今は前を見据えるしかないと自分に言い聞かせながら。
シャーロットは領民の前で貴族の仮面を被り、常に過ごしていた。買い込んでいた予備物資のおかげで食料等の心配はなく、収穫前に畑が駄目になっても、備えてあったので問題なかった。
一週間も、激しい雨と風に襲われた。ようやく嵐が去り、太陽が顔を出した頃には屋根が吹き飛び、畑は更地になり荒れはてた光景が広がっている。
呆然とする領民にシャーロットはゆっくりとこれからの話をする。男爵家で全面的に支援をするので、力を合わせて乗り越えましょうと微笑むシャーロットを見て領民は頷く。
いつも弱気で小柄な年若い男爵夫人が前を見ているのに、大人な自分達が下を向いているわけにはいかなかった。シャーロットの鼓舞する言葉を受けて、立ち上がった領民達の瞳には暗さはない。領民達の顔を見て、シャーロットは心の中で安堵の息をつく。
嵐が止んでもレイモンドの姿はなかった。レイモンドの無事を祈りながらシャーロットは男爵領の復興の指揮を取る。
ヒノト達に捜索を頼んでもレイモンドは見つからない。
災害が起こると、盗賊や野盗が活発になるため兵達の指揮は第一王子に任せていた。
第一王子が盗賊の鎮圧をおえて帰ってきた。
「殿下」
シャーロットの弱った声に第一王子は頭を思いっきり叩く。
「バカ。男爵不在にお前が探しに行くのが許されるか?それをあいつは望むのか?」
「望みません。自身より領民を大事にする方です。」
シャーロットは呆れた顔の元婚約者を見て笑みを浮かべ、遺体がないので、信じて待つことにした。時間があけばずっとレイモンドの無事を神に祈った。大好きな苺も食べる気がおきず、自身の分は子供達に配るように命じた。貴族の仮面で常に笑みを浮かべながら、レイモンドがいないことを除けばシャーロットの中では変わらない時間が流れていた。どの領地も嵐の被害で社交をする余裕がないため、茶会も夜会もなかった。
王家から支援金と物資が届き、騎士が派遣され復興にあたり、徐々に家に帰れる領民の姿も見られた。
一月経つ頃、下位貴族の当主や後継が情報交換のため集まっていた。
場所を提供するように望まれたのはコメリ男爵家だった。コメリ男爵領は集まった貴族達の中で一番復興が進んでいた。
訪問した貴族達は自身の領地の惨状との違いに驚き、欲望を隠しきれない嫌な笑みを浮かべる。
シャーロットは多忙な時期にわざわざコメリ男爵邸を指定し集まる貴族達の思惑がわかっていた。無駄な時間があるなら領地で奔走すべきと思っても、口に出さない。突然の災害に心身ともに余裕がないのはお互い様である。それでも自身の想像通りでないといいと第一王子にしか向けない呆れた笑みを溢し、貴族達の浮かべる表情を眺めていた。
「このたびはお集まりいただきありがとうございます。コメリ男爵が不在故、私が仕切らせていただきます。またこの後の予定に差しつかえますのでお茶のみのおもてなしをお許しください」
静かに微笑み礼をしたシャーロットに向ける視線は様々だった。シャーロットは酒も食料も振舞うつもりはない。手早く帰ってもらう予定である。
「コメリ男爵家は落ち着いているんだな」
悪意をこめられた言葉にシャーロットは淑やかに微笑む。
「表面上はようやく落ち着きを取り戻しました。ですが作物が駄目になり、住む家も未だに用意が整わない者もおり領民の心も晴れません。まだまだ復興には時間が必要でしょう。」
「我らは手を取り合うべきだと」
「まずは自領を優先させてくださいませ。王家より各家に支援金が」
「コメリ男爵家はモール公爵家の力を借りているのだろう!!そうでないと、こんなに」
コメリ男爵領はモール公爵家の後見である。力を貸してほしいと頼むことは簡単に思われていた。ただ現実は違う。モール公爵家が後見につくのは見込みのある領地だけである。いざという時に全てモールに丸投げする領主なら挿げ替える。無能な領主をフォローするより、王家に返還させて治めるほうが簡単だった。
シャーロットは他力本願な貴族が嫌いだった。務めを果たさず、この状況で疲労の色のない卑しい視線や懇願の視線を向ける目の前の貴族達も。
「モール公爵家は王家に多額の寄付金を納め、それが私達に分配されております。また広大な領地と王家を支えるモールにはコメリ男爵家に力を貸す余力はありません。支援金の中にどの家が寄付したか記載されてますのでご確認ください」
他の家に支援するつもりがないと断言するシャーロットに憎々し気に見ていた男が呟いた。
「コメリ男爵がいれば」
「ない袖は振れません。予備物資は男爵領民の分しか確保していません。お困りなら王家か後見先か、上位貴族にご相談ください。下位貴族のフォローは上位貴族の務めです。そのためのやり取りをするのは各当主の役目です。そのために普段から社交をしているのでしょう?自身で治められないなら爵位を返上し領地も王家に返納すれば、見事に治めてくれますわ。王家は罪なき民を見捨てることはありません。」
貴族達は様子の違うシャーロットに驚いていた。いつも微笑むだけのお飾りの男爵夫人だと思っていた。相談すれば簡単に支援してくれる甘くて頭の軽い令嬢と勘違いしていた。この場では社交の場でのモール公爵令嬢を知るのはシャーロットの後ろに控えるミズノとヒノトだけである。
「君は領民さえ無事ならいいと言うのか!?」
荒げる声も批難の視線もシャーロットには通用しない。
シャーロットはもう王子の婚約者ではない。王子の婚約者なら全ての民に救いの手を差し伸べるように動く。だが今は男爵夫人である。持つ権力も動かせる力も昔と違い少ない。それに一度手を差し出して、楽を覚えられ毎回縋られるのもごめんだった。
シャーロットは男爵夫人の教育は受けなくても、王家が領主に望むことは知っていた。王家の期待に応えるのが臣下の務めである。またレイモンドは常に領民を優先にしてきた。当主の意向に添うのが妻の役割。方針さえ決められればシャーロットに迷いはない。
シャーロットは簡単な質問に静かに答えた。弱気で卑屈なシャーロットは厳しい教育を受けてきた。理不尽な批難の声にも慣れていた。終わりの見えない無駄な言葉をやめない他力本願な当主達に冷笑を浮かべる。
「最優先はコメリ男爵領民です。私も時間がありませんが、できることはお手伝いしましょう」
シャーロットの譲歩に当主達は抗議の言葉を飲み込み、笑みを浮かべる。シャーロットはヒノトに視線を送り、頷いたヒノトが部屋を出た。
「私は爵位と領地返納の手続きでしたらお手伝いします。サインさえいただければ王家まで最速で届け、返事をもらうまで。それ以上をうちに望むのはお門違いです。」
「なにを!?」
「もっと早くに教えてくれれば、あんな文一通で」
当主達の期待を裏切るシャーロットに批難の言葉の嵐が始まった。戻ってきたヒノトは静かに書類を配布した。爵位と領地の返上の。男達が書類に気を取られ、黙った一瞬をシャーロットは見逃さず口を開く。
「情報収集を怠ったのを人の所為にしないでください。最速で動けば間に合いました。私達は常に情報を集め領民が安全に暮らせる環境を整えるべきです。旦那様の優しさを無駄にしたのは自業自得です。さて、私は失礼しますわ。場所はお貸ししますのでどうぞご自由にお過ごしください。」
自身に力を貸してもらうように頼みにきた貴族達に礼をしてシャーロットは立ち去る。執事長とミズノを残したのでお見送りは二人に任せる。シャーロットには愚か者の相手より優先すべきやるべきことはたくさんあった。
何を話してもシャーロットの協力を得られないとわかった貴族達はポツポツと帰っていった。シャーロットは見送らず領民の家に支援物資を届ける手伝いをする。顔を見て、話を聞くのはレイモンドが一番大事にしていた。シャーロットはレイモンドの代わりを、精一杯務めて帰りを待っていた。手を繋ぐ恋しい温もりがない寂しさを紛らわし、シャーロットは笑みを浮かべて空を見上げる。空にかかる虹に気づき、レイモンドの瞳と同じ色に笑いかけ呟く。
「男爵様、お任せください。」
***
レイモンドの不在に手伝いを申し出る他家の子息達もいたがシャーロットは断った。レイモンドの留守中にコメリ男爵領を好きにさせるつもりはない。レイモンドの後釜を狙う者の相手をする気も時間もなかった。
レイモンドのファンが押しかけてくるのは領民が追い返していた。
領民は一人になるとずっと祈りを捧げるシャーロットを知っていた。雰囲気が変わってもレイモンドを慕っているシャーロットが誰よりも無事を祈って待っていると思っていた。男爵不在の為、ずっと綺麗な笑みを浮かべて動き回るシャーロットの味方である。シャーロットの貴族の仮面は男爵領民には強がりに映った。レイモンドのファンが言うように、レイモンドの不在に本性を出した冷たい女には見えない。
ミズノとヒノトはずっと貴族の顔をして、一心に執務に励むシャーロットを心配していた。時間を見つけてレイモンドを探しても見つからない。
ミズノもヒノトもレイモンドが死体で見つかるならそれでも良かった。生死がわからないから困っていた。二人はシャーロットはどんなに落ち込んでも、徐々に上を向いて這い上がる強さは持っているのを知っている。落ち込むなら立ち直るまでずっと傍で慰めるつもりだった。諦め、前を向いたシャーロットの前にレイモンドが姿を見せれば、レイモンドを信じて帰りを待たなかった自身を責めるのもわかっていた。シャーロットの心を二度も傷つけることはしたくなかった。
だから無理をするシャーロットを止めながら、レイモンドの体を探すしかミズノとヒノトにできることはなかった。
ミズノ達に休むように言われたシャーロットはレイモンドの枕を抱いて寝室にいた。
シャーロットはミズノとヒノトを抱きしめても不安が消えなかった。
ふと王妃の言葉を思い出した。
「どんな事情があっても、失ったら心が叫ぶ人と出会えたら全てを捨てても追いかけなさい」と。
シャーロットはレイモンドを思い出すと恋しくて堪らなかった。寂しくてずっと痛む胸の痛みに苦しかった。
貴族の仮面を外したら泣いて立ち上がれなくなりそうだった。
シャーロットは起き上がり夜着のまま、裸足でフラフラと歩き出す。
男爵邸を出て、虚ろな瞳で歩いていた。
シャーロットの不在に気づいたヒノトが追いかけると懐かしい匂いと覚えのある匂いに辺りを見渡した。
ヒノトはシャーロットの無事を確認したので、金髪の懐かしい匂いのする男に近づいた。
「父さん?」
「ヒノト、元気だったか」
「やっぱり男爵?シャーリー、いたよ!!」
「男爵様!?」
シャーロットは男の背中に背負われるレイモンドを見つけて駆け寄った。
「うちの子が嵐に巻き込まれたのを助けてくれたんだよ。川に落ちたから、しばらく意識が戻らなかったんだよ。怪我をしてるから完治するまで休むように言ったんだけど、聞かないから」
シャーロットは男の背中で眠る髪の伸びたレイモンドを見て力が抜けて座り込む。緊張の糸が解けて、貴族の仮面が壊れた。
「男爵様、良かった」
泣き出すシャーロットに男は慌て、ヒノトは笑ってレイモンドの背中を思いっきり叩く。
「お嬢さん!?」
レイモンドは痛みで目を覚ますと聞き覚えのある泣き声に視線を向けて夜着で泣き崩れる姿に目を見張った。
「シャーロット!?なにがあった?」
男はシャーロットの前に慌てるレイモンドをそっと降ろした。
「ずっと無事を祈ってて。でも怖くて、寂しくて」
「ごめん。」
「良かった。私」
レイモンドは泣き崩れるシャーロットを抱きしめた。
「ただいま」
「おか、えり、なさい。ご無事で」
安心したシャーロットは意識を失った。
「シャーロット!?」
ヒノトは慌てるレイモンドに冷たい視線を向けた。生死がわからず、行方不明は一番迷惑だった。
「ずっと不眠だったんだよ。探しても見つからない誰かの所為で。」
「馬車の手配を。俺は今は抱き上げられないから」
レイモンドは左足を骨折していた。木から降りられない仔犬を見つけて助けようとして木に登り風に飛ばされ、川に落ちた。見つけたヒノトの父親が慌てて救助し、隠れ家で休ませていた。獣人族の隠れ家は魔法で作られ、中の物を外界から遮断するためどんなに捜索しても見つからない。
ヒノトはレイモンドを無視してシャーロットを抱き上げる。レイモンドはヒノトの父親に背負われた。
「部屋を用意するので、ヒノトとミズノとゆっくり過ごしてください。」
男爵邸に帰ると、使用人達が集まってきた。
金髪の男に背負われるレイモンドを見て、ほっとした顔をした。涙を浮かべる者もいた。ヒノトに抱かれて夜着のまま眠るシャーロットを見て、ようやく日常が帰ってくるかと執事長は笑った。
レイモンドは使用人達に声を掛け、ヒノトに金髪の男を預けた。
椅子に座って執事長を呼び出した。
「状況は?」
「お嬢様がしっかりと治めてくださいました。まだ復興には時間がかかりますが、坊ちゃんが戻ったならきっと大丈夫ですよ」
シャーロットの有能さを知っているレイモンドが安堵の笑みを見せた。
「まぁ、シャーロットに任せれば平気か。殿下もいるし、俺がいなくても」
執事長はレイモンドの頭に容赦なく拳を落とした。
「お嬢様はずっと笑顔しか見せませんでした。時間があればずっと外を見て祈ってました。苺も口にせず、無理矢理休ませないと休みませんでした。休む時はずっと坊ちゃんの枕を抱えて丸くなってましたが眠りも浅く、お食事の量も少なく、」
レイモンドの良心が痛んだ。雷に怖がっているかもしれないと思っても第一王子やミズノとヒノトがいれば大丈夫だと思っていた。
「悪かった。」
「二人で休まれてください。報告はお嬢様から聞いてください」
レイモンドはヒノトの父親を丁重にもてなすように伝え、執事に肩を借りて片足で寝室に向かった。
シャーロットはベッドで枕を抱えて眠っていた。レイモンドはシャーロットを眺める。手も荒れ美しい漆黒の髪も艶がなくなっていた。
腕を伸ばして抱きしめた。川に落ちた時、泣き顔が頭によぎった。一つだけ後悔があった。目を覚ましたら、満身創痍で体が動かなかった。それでも早く帰りたかった。獣人族の子供に帰らないでと泣かれても。自分がいなくても平気でも泣いているシャーロットを慰めるのは自分でありたかった。
シャーロットがゆっくりと目を開けた。温かい腕に包まれて、瞳が潤んだ。頬をつねっても痛いのが嬉しくて笑った。顔を上げると会いたくて堪らなかった優しい顔があった。
「男爵様」
レイモンドはシャーロットの流れる涙を指で拭った。
「男爵様、良かった。会いたくて、苦しくて、何をしても駄目で、シャーリーは男爵様がいないと生きられない。置いてかないで」
「心配かけてごめん」
涙の止まらないシャーロットにレイモンドはそっと口づけた。
驚いて涙の止まったシャーロットを見て笑うレイモンドの顔がシャーロットにはキラキラと輝いて見えていた。シャーロットは恋すると相手がキラキラと光ると語る母親の言葉を思い出した。
「男爵様、どうすればシャーリーに恋してくれますか?」
レイモンドは頬を染めて、うっとりと呟かれた言葉に噴き出す。
「すでに恋してるよ。そうだな。名前で呼んでくれないか?」
「レイモンド様、シャーリーはレイモンド様が好き。レイモンド様にも好きになってほしい」
「様もいらないよ。俺はいつも、いや、いいや。シャーロットが好きだよ」
シャーロットの顔が真っ赤に染まり満面の笑みが浮かんだ。
「レイモンド様、シャーリーはずっとレイモンド様の物になりたい!!」
シャーロットはレイモンドの頬にそっと手をあて、唇を重ねる。レイモンドはシャーロットからの徐々に深くなる口づけに目を見張りながら、されるがままだった。ふぅと息を吐き、熱を帯びた潤んだ瞳で見つめられてもレイモンドは手を出せなかった。
「シャ、シャーロット」
「シャーリーがいい」
拗ねた目をするシャーロットに押されながら、赤面したレイモンドはシャーロットの肩を押して距離をとる。
「シャーリー、あの待って」
「シャーリーの小さいお胸だと欲情しない?」
濡れた瞳で儚げな視線をむけられ、愛らしい妻がいつの間にか色気を身に付けており、引き寄せたくなる手も、熱い体もレイモンドは理性を総動員して抑える。
「違う。そうじゃなくて。頼むから、泣かないで、嫌なんじゃなくて、俺、足が」
シャーロットはレイモンドの左足を見て、コテンと首を傾げる。レイモンドの言葉を復唱し頷き、レイモンドの服に手を伸ばす。
「夫婦の営みはダンスと同じで二人でするんだよ。シャーリー、おばあ様達にしっかり教わってるから安心して。恋は先手必勝。体で夢中にさせて」
レイモンドは妖艶に笑うシャーロットに身を任せるわけにはいかなかった。モール公爵のアドバイスを思い出した。
「シャーロット、待って。すでに夢中だから。俺は、特別、そう、勢いじゃなくてしっかり準備をして、ちゃんと特別な日に、婚儀の後に、」
「特別・・。レイモンド様は人気者だから盗られるまえに急がないと」
「ありえないから!!俺にはシャーロットだけだから。今日は休もう。」
不満そうな顔をするシャーロットにレイモンドは優しく口づけて強く抱きしめる。理性が負けそうでシャーロットの顔を見られなかった。シャーロットはレイモンドからの行為にうっとりして、腕の中で幸せを噛み締める。レイモンドはしばらくして寝息が聞こえて抱き締める腕を緩める。腕の中に無防備にあどけなく眠る顔に笑みをこぼす。レイモンドのよく知るシャーロットの顔だった。
シャーロットの身内の男性陣はいつも意味深な言葉を残していた。
「もしシャーリーが暴走したら、特別や君のものと言う言葉をいれて口説くといいよ。そうすればうっとりして止まるから。そうならないといいんだけど、義母上達が色々教え込んでるから迷惑かけたらごめんよ」
「口づけて、抱きしめれば静かになるよ。シャーリーがそうならないといいんだけど・・」
「義父上、俺、抗える気がしません。色々教え込むって・・」
レイモンドは理性と戦っていた。
シャーロットが魅力的でも抱かれるのは嫌だった。全身が火照っている自分に苦笑しながら求めていた温もりを抱きしめて目を閉じる。名前で呼ばれたいという願いは簡単に叶った。そして、シャーロットからもらった恋慕に溢れた言葉は照れくさくても嬉しかった。恋してほしいと頼まれたのは想定外でも可愛らしかった。
火照った体が落ち着き、眠りに落ちたレイモンドは知らなかった。恋に自覚したシャーロットが恐ろしい血を覚醒させたことを。
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