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十一話 後編
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コメリ男爵家に突然の訪問者が現れた。
「レイモンド様、すみません。兄を知りませんか?」
ゴードンの弟のケイルだった。レイモンドはゴードンは帰宅したと思っていた。嫌な予感がして書庫を探すと本を読み耽っていた。籠っていたのがシャーロットの書庫だったため誰も気付かなかった。
「ゴードン、鍵のついている部屋には入らないで」
「開いてた」
シャーロットは本に集中しておりゴードンに気付かなかった。そして貴重な蔵書に溢れた書庫を見つけたゴードンはずっと読み耽っていた。シャーロットは完璧主義のため、マニアックな文献も集めていた。
「食事して、休んで。ケイルが心配して探しに来たよ」
「いらない。これ渡してくれ」
「この部屋はシャーロット専用なんだけど」
すでにゴードンは本の世界に入り込んでいた。レイモンドは諦めてシャーロットに書庫に入る時は自分に声を掛けるように頼むことにした。二人を会わせるのは危険な気がした。本に狂ったゴードンを見て怯えるのが想像できた。
この時、使用人の子供が広間に集められ第一王子とシャーロットの勝負が行われていた。
どちらの勉強会が子供達に人気があるかの勝負だった。
コメリ男爵邸では時々ある光景だった。
子供達は突然集められても不満を言わずに付き合っていた。二人共子供に人気があった。
シャーロットは「美味しいお茶の淹れ方とお菓子の組み合わせ」
第一王子は「暗殺者の見分け方と報復」のお題だった。
使用人の子供は少年が多かったため今回も軍配は第一王子に上がっていた。共に聞いていた使用人達にはシャーロットのお題はありがたかった。
シャーロットのお茶はいつもミズノかヒノトが用意していた。
「シャーロット様、大変恐縮なのですが、勉強会でもう一度お話していただけませんか?」
侍女長の言葉にシャーロットの目が輝いた。
「聞きたいですか?」
「是非」
「殿下のお題よりもですか?」
「はい。侍女達全員に学ばせたいです」
シャーロットは初勝利に笑みを浮かべた。
「殿下、私の勝ちですよ。もう一度投票を」
「子供相手のお題で勝負だろうが」
呆れる第一王子の側に少年が駆け寄った。
「殿下、暗殺術教えて!!」
「剣が一人前になってからだ。暗殺は早い」
「暗殺なら私が教えますよ。調合できる葉も育成してますし」
レイモンドはシャーロットを探して広間に向かうと中の物騒な会話に慌てて突っ込んだ。
第一王子とシャーロットは優秀だが時々物凄く価値観がズレていた。
「シャーロット、待って。それは子供に教えないで」
「男爵様?」
「分別のない子供には」
「先に毒耐性が必要でしたね。私、うっかりしてましたわ。」
「違うから。好奇心で手を出すから危ない」
「自己責任ですよ。何事も。どうして私は殿下に負けるの・・・」
落ち込むシャーロットになんて声を掛けようか迷っていた。
育ちの違いの為、シャーロットのお題は子供の生活からかけ離れている。
執事長は目的を忘れているレイモンドに近づいた。
「坊ちゃん、ケイル様が心配してお待ちですよ」
レイモンドは思い出し、シャーロットは首を傾げた。
「お客様?」
「ゴードンの弟がいるけど挨拶する?ゴードンよりもマトモだから怖くないよ。貴族の顔をしなくてもいいよ」
「手を繋いでてくれますか?」
「いくらでも」
嬉しそうに笑ったシャーロットの手を繋いで執務室に戻った。
「ケイル、待たせたね。ゴードンはうちの書庫にいたよ。当分は出てこない。相談は俺が聞くよ。先に紹介しても、ケイル、聞こえている?」
レイモンドは赤面して固まるケイルを見て察した。
シャーロットは田舎では見られない美人である。国内で五指に入る美人は上位貴族ばかりである。
「俺の妻のシャーロット。声を荒げないで、触らないなら話しかけてもいいよ」
シャーロットはレイモンドの説明に首を傾げながら見覚えのある顔に必死に記憶をさかのぼった。
「以前、青い綺麗なお花をくださいましたよね?」
「覚えて・・・。シャーロット様だ。本物だ・・・」
シャーロットは学生時代にケイルと一度だけ面識があった。珍しい花束をもらい知人に見せたら園芸部の期待の新人の噂を教えてもらった。
「はい。あのお花はよく覚えています。香りも良くお部屋に飾りました。気に入ったので量産したら買い取らせていただきたいです」
「本当!?シャーロット様、あの、茶葉も育ったんです。もしよかったら」
「まぁ。楽しみですわ。」
レイモンドは手を繋いで、愛らしい笑みを浮かべるシャーロットに複雑だった。シャーロットが欲しがる物は珍しかった。
「シャーロット、知り合い?」
「一度お花をいただき私が一方的に知っているだけですわ。植物の品種改良が得意な生徒がいると有名でしたの。」
「シャーロット様が覚えてくれるなんて・・・。」
「私、優秀な生徒は、ごめんなさい」
シャーロットは優秀な生徒はモールに勧誘するために情報を集めていた。レイモンドを侮辱している気がして、レイモンドに頭を下げた。
「気にしないで。目立つ生徒じゃなかったし、ケイル、後で前にシャーロットに贈った花を買い取らせてよ。話を戻そうか。武術の指南を受けたいんだっけ?」
「はい。運動が苦手で。あとできれば妹にも・・・。礼儀作法のテストで赤点を」
シャーロットは学園の改革の話を思い出した。ロレンスが留学に行って学園の質の違いに驚いたと話していた。
「男爵様、どの程度を求められるかわかりませんが、お教えしましょうか?武術なら適任者がいます。私達はどんな方でも正しく指導するように仕込まれてます。ロレンスの求めるレベルを聞いてみますわ。明日からは学園ですよね・・・。礼儀作法の内容がわかれば」
「わかります」
ケイルの説明にシャーロットは頷き、自作の絵本を数冊渡した。
「これを妹君に差し上げます。その程度なら、読むだけで充分ですわ。」
「貴重な物を」
「うちの領民に配布しているのでお気になさらず。男爵様、呼んできますか?今は子供達に指導しているので、混ざりますか?」
「どうしよう・・。でも確かに上手いよな。いいの・・?」
「働いてもらいましょう。苺も献上しないならしっかりお食事代を。畑を耕すのは嫌がりますもの。いつになれば立場がわかるのか・・」
レイモンドは第一王子に相談することにした。
本に夢中のケイルを連れて行くと、第一王子が子供に指導していた。
「殿下、一人、混ざってもいいですか?」
シャーロットの声に第一王子はケイルを見た。
「剣を持つ前に体作りしないと無駄だ。男爵領2周して戻って来い」
「2周!?」
「嫌なら私は知らない」
第一王子は視線を子供達に戻した。
「ごめんなさい。殿下ってやる気のない無能が嫌いなんです。人でなしなので。貴族以外の道もありますし、気が進まないなら無理なさらないでくださいませ。」
上品な笑みを浮かべるシャーロットのフォローは、ケイルの胸を抉っていた。
「シャーロット様も・・・?」
「適材適所ですわ。貴族の子息なら自身と家族を守れる力を持って当然ですわ。貴族たるもの最低限の教養は必要です。文武両道は当然、弱い先導者には誰もついてきませんもの。嘘でも強がれる能力を身に付けないと生き残れません」
レイモンドは耳が痛かった。モール公爵もシャドウもロレンスも王弟も剣の腕は一流だった。レイモンドは全く敵わなかった。時代は変わり身分ではなく能力が評価される世がくるとロレンスが宣言した。
シャーロットはロレンスの王太子としての決意表明に驚愕しながらきっと大丈夫と笑っていた。
「ケイル、どうするかは自分次第だよ。でも彼の指導は的確だよ。貴族でありたいなら行っておいで」
「行ってきます」
上着を脱いで出て行くケイルを見ながらシャーロットはレイモンドを見た。
「男爵様、私のお金で平民が学べる学び舎を建ててもいい?慈善事業だから利益は出ない。私とヒノトとミズノがいれば一般教養は教えられる。今は殿下もいる。ロレンスが願うなら優秀な臣下はいくらいてもいいでしょ?それに知識も技術も宝よ。何があっても裏切らない」
「それならうちへの王家からの慰謝料が余っているからそれを使えばいいよ。使い道相談してなかっただろう?」
「男爵様のお小遣いにしていいよ。慰謝料ってそういうものよ」
「全部をシャーロットとの婚儀に」
「婚儀の予算はもう用意してあるからこれ以上は認めません。無駄なお金は使ってはいけません」
「冗談だよ。婚儀は任せてほしいって義兄上に言われたんだけど」
「お兄様が言うならお任せしようかな」
「伝えておくよ。でも勉強会を外でやるよりも中でやるほうがいいよな。土地なら余ってるし建設するか」
「設計は私が」
「注文する前に見せて。いや、書いてる横にいるから教えて。俺も勉強しないと爵位取り上げられる」
レイモンドの言葉を冗談と受け取りシャーロットは笑っていた。領民思いで真面目で勤勉なレイモンドが爵位を取り上げられるなら、ほとんどの貴族が爵位を取り上げられると思っていた。
フラフラと戻ってきたケイルを見ながら第一王子は基礎鍛錬メニューを紙に書き込んで渡した。子供達が覗き込んで簡単と笑っていた。
一月毎日続いたら次の指導をしてもいいと言い残し去って行った。ケイルは第一王子の素っ気ない態度よりも子供達の言葉に傷ついていた。そしてシャーロットの子供の頃に無理矢理やらされたとため息をつく姿にできないとは言えなかった。
第一王子もシャーロットも無意識に人の心を折るのは得意だった。レイモンドはケイルの肩を叩き、励ましの言葉をかけるだけだった。
第一王子とシャーロットは平民には優しくても貴族には厳しかった。そして最低基準はお互いだったため求めるレベルは高かった。国王よりも優秀なモール公爵と王弟。そして優秀な臣下しか知らない二人は、側近の最低レベルはお互い以上。シャーロットよりも第一王子のほうが優秀だが、上にはシャドウがいた。平凡な二人は自分達よりも優秀な臣下をうまく使い国を治める予定だった。ただ想像以上に質の悪い臣下が多かったため、第一王子は気まぐれに、シャーロットは精力的に育成していた。
嵌められる方が悪いという共通の認識を持ち、一部を除いた臣下を信用していなかった二人が嵌められたのを自業自得と気づくものはいなかった。第一王子もシャーロットも心のうちをさらけだすことは婚約破棄と廃嫡されるまでは決してなかった。唯一、二人の本音を聞いているレイモンドは捻くれた思考はできなかった。
翌週コメリ男爵領への問い合わせが殺到していた。
ケイルに贈った本が欲しいという要望だった。学園の教師からも著者を紹介してほしいと言われレイモンドは悩んでいた。
モール公爵に手紙を送ると、引き受けるというのでシャーロット達の本をまとめてモール公爵家に送る手配を整えた。シャーロットは物好きな方が多いと笑いながらレイモンドを手伝っていた。
***
シャーロットは月に1回、アルナの希望で貴族令嬢を集めて礼儀作法教室を開いていた。シャーロットを教師にと希望する家が多いため、争いが起きないための妥協案だった。集団授業でも誰よりも美しい所作を身に付けたシャーロットの指導を受けられるならと遠方のコメリ男爵領でも上位貴族の参加者が殺到した。代わりに家庭教師に指名しないという協定が結ばれていた。
この契約はシャドウが仲介をしていたが、指導料は男爵家に定期的に納付されていた。また茶会や晩餐も教養の一つなので毎回担当の令嬢が用意していたため、男爵家が経済的に圧迫されることはなかった。令嬢は当番の後にシャーロットから個人指導を受けられる二人っきりのお茶会の特権があるため自分の番を楽しみにしていたため不満は一切出なかった。シャーロットは戸惑いながらも貴族の顔で接していた。
***
シャーロットの学び舎の図案を第一王子が眺めていた。幾つか指で示してシャーロットが頷き書き直した。レイモンドは無言のやり取りを見ていた。乱暴な兄と我儘な妹と見れば妬かずに眺めることができた。設計図も描けるのに無能と思っているシャーロットが不思議で堪らなかった。
「シャーロット、上位貴族ばかり相手にしてると下位貴族から反感でないか?」
「社交ではなく、教師役ですから関係ないですよ。それに特に招待状もないですし、しがない男爵夫人に関心ありませんよ」
レイモンドはシャーロットに社交の話はせず招待状も見せていなかった。
「招待状はありますが、慣れるまでいいかと」
「バカ?最初が肝心だろうが。さっさと掌握してこい」
第一王子の呆れる声にシャーロットはバカにするようにあざ笑った。
「殿下、そのまま返しますよ。立場の弱い私がお母様のように社交界を掌握したら反感が出ますよ。でも挨拶しないなら反感が出ますね。ここは殿下の所為にしようかな。もう立場が悪くなってもいいですよね?」
「好きにしろ。興味ない」
「わかりました。殿下のお友達が探してますがどうします?」
「興味ない。ロレンスにフラれたんだろう。ロレンスが私のお古を使うわけないのに」
「嵌められた方が何を偉そうに。」
「自業自得だ。」
「お互い自己責任ですね。大人しく殿下に飼われていればよかったのに。ロレンスの外見に騙されて、貴族として見る目のないのは欠点ですわ。王弟殿下とコノバの伯父様達に育てられたロレンスが平凡なわけないのに」
「バカが躍るほうが楽で愉快だろう?学生時代にバカは排除したけど、まだまだ出てくるよな」
和やかなのに内容が怖い二人の会話はいつものことだった。レイモンドは王族への憧れは一切なくなっていた。ただ王族が怖い理由はよくわかった。
二人の怖い学生時代の話を聞きながら、レイモンドはシャーロットを夜会に参加させることを決めた。
第一王子にシャーロットのエスコートで気をつけることを相談するとダンスとエスコート以外で他の男に触れさせないようにと教えられた。上位貴族は婚約者と身内以外に肌の触れあいは禁忌という言葉に静かに頷いた。
王族への憧れがなくなったレイモンドにとって第一王子は良い相談相手だった。
***
シャーロットはレイモンドに用意されたドレスを纏っていた。髪を巻かずに社交に出るのは2度目だった。
「うん。似合っているよ。」
満足そうに笑うレイモンドにシャーロットは頬を染め、笑みを返そうとしたが、レイモンドの全身を凝視し首を横に振った。
レイモンドが選んだ正装姿を初めて見たシャーロットは手を引いて衣装部屋に行った。
レイモンドの衣装部屋を見て首を振り、ミズノに命じてシャドウの服でレイモンドの色に合う物を用意させた。
戸惑うレイモンドを強引に着替えさせて、髪を整えてシャーロットは頷いた。
「男爵様、明日は服を仕立てに行こう。似合う色がここにはない。自分に合ったものを身に付けないと、もったいないよ」
「何を着ても変わらないよ」
「ううん。違うよ。お金は私が出すから安心して。外見は社交の武器だよ。それに前の正装は素敵だったよ。」
にっこり笑うシャーロットにレイモンドが頬を掻いた。
「駄目?」
小首を傾げるシャーロットの愛らしさに負けたレイモンドが頷いた。
「任せるよ」
「うん。頑張るよ。殿下より素敵だから楽しみだな。お買い物初めてだね」
楽しそうなシャーロットの褒め言葉にレイモンドは照れながら手を繋いで部屋を出ると使用人達も大絶賛していた。レイモンドには服を見立てる存在はいなかった。服に興味のないレイモンドは成人してからは父親のものを着ていた。自身のために仕立てる時間も興味もなかった。
使用人達は楽しそうなシャーロットと照れているレイモンドを温かく送り出した。
厄介者と思われていた男爵夫人はいつの間にか幸運の女神と崇められているのは男爵夫妻は生涯気付くことはなかった。
最近ではいつも一人で夜会に参加するレイモンドは視線を集めなくなっていた。
会場に足を運ぶと垢ぬけない雰囲気が消えて落ち着いた雰囲気のレイモンドに視線が集まっていた。寄り添う黒髪の令嬢を見て、レイモンドの友人が近づいた。
「レイモンドか?」
「そうだけど、なんで?」
「雰囲気がいつもと違ったから、まさか彼女は」
「妻のシャーロット。挨拶できる?」
「はい。お初にお目にかかります。シャーロット・コメリと申します。よろしくお願い致します」
綺麗に礼をしたシャーロットにレイモンドが囁いた。
「卒業しないの?」
「はい。でも頑張りませんので助けてくださいませ」
第一王子の言う通りでシャーロットにとって社交界の基本は同じだった。
掌握するつもりはなくても社交界は舐められてはいけなかった。シャーロットは簡単に踏みつけられる存在になったため、自衛のために頑張らないといけなかった。ただ纏う空気は控えめにして、淑やかで上品な空気の薄い伯爵夫人を参考にしていた。シャーロットは演技力は祖母や王妃、母親の指導により鍛えられていた。
「こちらこそよろしく。随分雰囲気が違うんだね」
握手にと差し出された手にシャーロットは首を傾げレイモンドが友人の手を握った。
「色々あったから。お触り禁止。シャーロットの手が折れる。」
「お前、心が狭いな」
シャーロットはレイモンド達のやり取りを見守っていた。気安いやり取りに驚きながらも顔には出さなかった。
友人と別れて、二人は挨拶回りをしていた。王子の婚約者時代の豪華な薔薇のような雰囲気は一切なく、上品に百合のような雰囲気を持ち淑やかにレイモンドに寄り添うシャーロットは視線を集めていた。本物かと疑われても静かに微笑むだけだった。
下位貴族の直接的な言い回しや距離の近さに驚きながらもシャーロットは淑やかに微笑んでいた。
レイモンドは時々シャーロットの手が震えるので、傍を一切離れなかった。会話はほとんどレイモンドがかわし、シャーロットへのダンスの誘いも断っていた。
「大丈夫?」
「はい。大丈夫です。雰囲気が違いますね・・・。いずれ自身も主催すると思うと気が重いですわ」
「急がなくていいよ。挨拶も終わったしどうしようか」
「もうですか?」
「うん。帰る?」
「踊らなくていいの?」
「俺は踊るの上手くないんだけど・・・。」
「なら私がリードを。得意だから任せて」
にっこり笑うシャーロットに頬を掻き苦笑したレイモンドが頷いた。レイモンドはシャーロットをエスコートして、緊張しながらゆっくりと踊り出した。緊張しているレイモンドにシャーロットはにっこり笑って、自然にリードを譲った。
「男爵様、上手だよ。私は殿下より男爵様のリードが好きだよ」
「つまらないだろう?」
「楽しいよ。うまく踊らなくていいの。足を踏まないように気をつけて、優しくリードしてくれるのがわかるもの。無理せずできる範囲でいいの。ダンスは二人で踊るんだよ。でももっとうまくなりたいならいくらでも教えてあげるよ」
レイモンドは楽しそうなシャーロットにつられて笑った。人見知りで弱気なのに全く緊張せず、軽やかなステップを踏むシャーロットとは踊りやすかった。
「敵わないな」
「だって物心ついたときから踊っていたもの。それに恐ろしい練習相手がいたから。ダンスを楽しんだのは久しぶり。」
シャーロットのダンスパートナーはほとんどが第一王子である。第一王子のほうがダンスがうまく、シャーロットには難易度の高いものを平然と仕掛けた。第一王子には負けず嫌いのシャーロットは必死に付いていくため、お互い笑顔でダンスの攻防戦を広げていたのを知るのは、一部のものだけである。
第一王子もシャーロットを転ばせるようなことは決してなかったので、二人の息の合う難易度の高いダンスは評価されていた。
シャーロットはレイモンドと3曲踊った。シャーロットはダンスを踊らずに帰れば不仲が疑われるのを知っていた。社交ではあまり頼りにならないレイモンドに笑いながらダンスを踊った。
楽しそうに踊る二人に視線が集まっているのに気付かず二人の世界だった。
レイモンドのダンスの相手はアリシアだけだった。令嬢が苦手なレイモンドはダンスを申し込むことはなかった。
初めてコメリ男爵夫妻が参加した夜会で仲の良い様子は一気に噂になった。
帰りの馬車でもう少しだけ夜会は傍にいてほしいと不安そうに願うシャーロットにレイモンドが頷いたのは二人の秘密だった。シャーロットには異質な下位貴族の夜会に慣れるまで時間が必要だった。
***
翌日はレイモンドの服を仕立てるために王都に出かけた。レイモンドの金銭感覚がおかしいと思っているシャーロットは値段を教えずに注文した。
オーダーメイドを知らないレイモンドは戸惑いながらもシャーロットにされるがままだった。
「そんなに必要?」
「必要。前男爵様のお古なんてありえない。私のドレスより自分の物を優先して」
「必要ないし」
「私も必要ないのに、強引に贈る男爵様の言うことは聞きません。もっと早く教えてくれれば良かったのに」
頬を膨らませるシャーロットにレイモンドは苦笑した。
「駄目出しされるなんて思わなかったから・・。これからは任せるよ」
「うん。男爵様のお役に立てることは少ないから嬉しい」
「充分役に立ってるよ。せっかくだからシャーロットの服を」
「いらない。今日の目的は男爵様。夜はモールに泊まるからゆっくりできるね。」
「本当に任せていいの?」
「うん。あれでも優秀だよ。国を治めるように教育を受けたから草むしりより簡単よ。片手間でやってるよ。取引したから大丈夫。畑も耕さないし、たまには働かせないと。」
男爵領は第一王子に任せていた。そのため突然の外出も問題なかった。
シャーロットは上機嫌でレイモンドの手を引きながら王都で遊んでいた。ギロチンはレイモンドが興味を持たなかったので見に行かなかった。
レイモンドは王都で遊ぶのは初めてだった。友人は婚約者の買い物に付き合うのは苦行と聞いたがレイモンドにはわからなかった。楽しそうに手を引いて歩くシャーロットを見ているだけでも楽しかった。
日が暮れたためモール公爵邸に向かうと使用人とモール公爵夫人が笑顔で迎えた。
いつの間にかレイモンドの部屋が用意されていた。
モール公爵夫人は一泊して帰ったコメリ男爵夫妻を笑顔で見送ったあと長いため息をついた。全く進展しているようには見えなかった。
「シャーリーはおバカなのかしら」
モール公爵夫人は第一王子が同居し、共に学び舎を作ろうとしている話を聞き頭を抱えていたが苦言は口に出さなかった。モール公爵が微笑み応援するなら、モール公爵夫人も賛同した。
「楽しそうだからいいじゃないか。それに目をつける視点はいいと思うよ。しかも二人が教えるなら優秀な者が育つだろう」
「いつも喧嘩してるのに。どうしてレイモンドじゃなく殿下と絆を深めているのよ。やはり一度」
「やめなさい。二人のペースがある。それにシャドウも認めた。まだ出会って1年もたたない。邪魔をしてはいけないよ。それに二人共楽しそうだっただろう?」
「ミコトは初孫を楽しみにしているわ」
「時期尚早だろう。見守ろうよ。まだまだ二人は若い。ようやく社交に顔を出し始めた。」
モール公爵はレイモンドのためにモール公爵夫人の暴走を止めていた。第一王子が元気で楽しそうな様子にほっとしていた。
第一王子に真実を話そうか迷っていた。国王夫妻は第一王子に興味はなかった。
王妃はロレンスの帰国に上機嫌だった。国王は王妃にシャーロットの代わりのお気に入りができ、元気を取り戻したことを喜んでいた。お気楽な国王夫妻のかわりに悩むのはいつもモール公爵だった。
「レイモンド様、すみません。兄を知りませんか?」
ゴードンの弟のケイルだった。レイモンドはゴードンは帰宅したと思っていた。嫌な予感がして書庫を探すと本を読み耽っていた。籠っていたのがシャーロットの書庫だったため誰も気付かなかった。
「ゴードン、鍵のついている部屋には入らないで」
「開いてた」
シャーロットは本に集中しておりゴードンに気付かなかった。そして貴重な蔵書に溢れた書庫を見つけたゴードンはずっと読み耽っていた。シャーロットは完璧主義のため、マニアックな文献も集めていた。
「食事して、休んで。ケイルが心配して探しに来たよ」
「いらない。これ渡してくれ」
「この部屋はシャーロット専用なんだけど」
すでにゴードンは本の世界に入り込んでいた。レイモンドは諦めてシャーロットに書庫に入る時は自分に声を掛けるように頼むことにした。二人を会わせるのは危険な気がした。本に狂ったゴードンを見て怯えるのが想像できた。
この時、使用人の子供が広間に集められ第一王子とシャーロットの勝負が行われていた。
どちらの勉強会が子供達に人気があるかの勝負だった。
コメリ男爵邸では時々ある光景だった。
子供達は突然集められても不満を言わずに付き合っていた。二人共子供に人気があった。
シャーロットは「美味しいお茶の淹れ方とお菓子の組み合わせ」
第一王子は「暗殺者の見分け方と報復」のお題だった。
使用人の子供は少年が多かったため今回も軍配は第一王子に上がっていた。共に聞いていた使用人達にはシャーロットのお題はありがたかった。
シャーロットのお茶はいつもミズノかヒノトが用意していた。
「シャーロット様、大変恐縮なのですが、勉強会でもう一度お話していただけませんか?」
侍女長の言葉にシャーロットの目が輝いた。
「聞きたいですか?」
「是非」
「殿下のお題よりもですか?」
「はい。侍女達全員に学ばせたいです」
シャーロットは初勝利に笑みを浮かべた。
「殿下、私の勝ちですよ。もう一度投票を」
「子供相手のお題で勝負だろうが」
呆れる第一王子の側に少年が駆け寄った。
「殿下、暗殺術教えて!!」
「剣が一人前になってからだ。暗殺は早い」
「暗殺なら私が教えますよ。調合できる葉も育成してますし」
レイモンドはシャーロットを探して広間に向かうと中の物騒な会話に慌てて突っ込んだ。
第一王子とシャーロットは優秀だが時々物凄く価値観がズレていた。
「シャーロット、待って。それは子供に教えないで」
「男爵様?」
「分別のない子供には」
「先に毒耐性が必要でしたね。私、うっかりしてましたわ。」
「違うから。好奇心で手を出すから危ない」
「自己責任ですよ。何事も。どうして私は殿下に負けるの・・・」
落ち込むシャーロットになんて声を掛けようか迷っていた。
育ちの違いの為、シャーロットのお題は子供の生活からかけ離れている。
執事長は目的を忘れているレイモンドに近づいた。
「坊ちゃん、ケイル様が心配してお待ちですよ」
レイモンドは思い出し、シャーロットは首を傾げた。
「お客様?」
「ゴードンの弟がいるけど挨拶する?ゴードンよりもマトモだから怖くないよ。貴族の顔をしなくてもいいよ」
「手を繋いでてくれますか?」
「いくらでも」
嬉しそうに笑ったシャーロットの手を繋いで執務室に戻った。
「ケイル、待たせたね。ゴードンはうちの書庫にいたよ。当分は出てこない。相談は俺が聞くよ。先に紹介しても、ケイル、聞こえている?」
レイモンドは赤面して固まるケイルを見て察した。
シャーロットは田舎では見られない美人である。国内で五指に入る美人は上位貴族ばかりである。
「俺の妻のシャーロット。声を荒げないで、触らないなら話しかけてもいいよ」
シャーロットはレイモンドの説明に首を傾げながら見覚えのある顔に必死に記憶をさかのぼった。
「以前、青い綺麗なお花をくださいましたよね?」
「覚えて・・・。シャーロット様だ。本物だ・・・」
シャーロットは学生時代にケイルと一度だけ面識があった。珍しい花束をもらい知人に見せたら園芸部の期待の新人の噂を教えてもらった。
「はい。あのお花はよく覚えています。香りも良くお部屋に飾りました。気に入ったので量産したら買い取らせていただきたいです」
「本当!?シャーロット様、あの、茶葉も育ったんです。もしよかったら」
「まぁ。楽しみですわ。」
レイモンドは手を繋いで、愛らしい笑みを浮かべるシャーロットに複雑だった。シャーロットが欲しがる物は珍しかった。
「シャーロット、知り合い?」
「一度お花をいただき私が一方的に知っているだけですわ。植物の品種改良が得意な生徒がいると有名でしたの。」
「シャーロット様が覚えてくれるなんて・・・。」
「私、優秀な生徒は、ごめんなさい」
シャーロットは優秀な生徒はモールに勧誘するために情報を集めていた。レイモンドを侮辱している気がして、レイモンドに頭を下げた。
「気にしないで。目立つ生徒じゃなかったし、ケイル、後で前にシャーロットに贈った花を買い取らせてよ。話を戻そうか。武術の指南を受けたいんだっけ?」
「はい。運動が苦手で。あとできれば妹にも・・・。礼儀作法のテストで赤点を」
シャーロットは学園の改革の話を思い出した。ロレンスが留学に行って学園の質の違いに驚いたと話していた。
「男爵様、どの程度を求められるかわかりませんが、お教えしましょうか?武術なら適任者がいます。私達はどんな方でも正しく指導するように仕込まれてます。ロレンスの求めるレベルを聞いてみますわ。明日からは学園ですよね・・・。礼儀作法の内容がわかれば」
「わかります」
ケイルの説明にシャーロットは頷き、自作の絵本を数冊渡した。
「これを妹君に差し上げます。その程度なら、読むだけで充分ですわ。」
「貴重な物を」
「うちの領民に配布しているのでお気になさらず。男爵様、呼んできますか?今は子供達に指導しているので、混ざりますか?」
「どうしよう・・。でも確かに上手いよな。いいの・・?」
「働いてもらいましょう。苺も献上しないならしっかりお食事代を。畑を耕すのは嫌がりますもの。いつになれば立場がわかるのか・・」
レイモンドは第一王子に相談することにした。
本に夢中のケイルを連れて行くと、第一王子が子供に指導していた。
「殿下、一人、混ざってもいいですか?」
シャーロットの声に第一王子はケイルを見た。
「剣を持つ前に体作りしないと無駄だ。男爵領2周して戻って来い」
「2周!?」
「嫌なら私は知らない」
第一王子は視線を子供達に戻した。
「ごめんなさい。殿下ってやる気のない無能が嫌いなんです。人でなしなので。貴族以外の道もありますし、気が進まないなら無理なさらないでくださいませ。」
上品な笑みを浮かべるシャーロットのフォローは、ケイルの胸を抉っていた。
「シャーロット様も・・・?」
「適材適所ですわ。貴族の子息なら自身と家族を守れる力を持って当然ですわ。貴族たるもの最低限の教養は必要です。文武両道は当然、弱い先導者には誰もついてきませんもの。嘘でも強がれる能力を身に付けないと生き残れません」
レイモンドは耳が痛かった。モール公爵もシャドウもロレンスも王弟も剣の腕は一流だった。レイモンドは全く敵わなかった。時代は変わり身分ではなく能力が評価される世がくるとロレンスが宣言した。
シャーロットはロレンスの王太子としての決意表明に驚愕しながらきっと大丈夫と笑っていた。
「ケイル、どうするかは自分次第だよ。でも彼の指導は的確だよ。貴族でありたいなら行っておいで」
「行ってきます」
上着を脱いで出て行くケイルを見ながらシャーロットはレイモンドを見た。
「男爵様、私のお金で平民が学べる学び舎を建ててもいい?慈善事業だから利益は出ない。私とヒノトとミズノがいれば一般教養は教えられる。今は殿下もいる。ロレンスが願うなら優秀な臣下はいくらいてもいいでしょ?それに知識も技術も宝よ。何があっても裏切らない」
「それならうちへの王家からの慰謝料が余っているからそれを使えばいいよ。使い道相談してなかっただろう?」
「男爵様のお小遣いにしていいよ。慰謝料ってそういうものよ」
「全部をシャーロットとの婚儀に」
「婚儀の予算はもう用意してあるからこれ以上は認めません。無駄なお金は使ってはいけません」
「冗談だよ。婚儀は任せてほしいって義兄上に言われたんだけど」
「お兄様が言うならお任せしようかな」
「伝えておくよ。でも勉強会を外でやるよりも中でやるほうがいいよな。土地なら余ってるし建設するか」
「設計は私が」
「注文する前に見せて。いや、書いてる横にいるから教えて。俺も勉強しないと爵位取り上げられる」
レイモンドの言葉を冗談と受け取りシャーロットは笑っていた。領民思いで真面目で勤勉なレイモンドが爵位を取り上げられるなら、ほとんどの貴族が爵位を取り上げられると思っていた。
フラフラと戻ってきたケイルを見ながら第一王子は基礎鍛錬メニューを紙に書き込んで渡した。子供達が覗き込んで簡単と笑っていた。
一月毎日続いたら次の指導をしてもいいと言い残し去って行った。ケイルは第一王子の素っ気ない態度よりも子供達の言葉に傷ついていた。そしてシャーロットの子供の頃に無理矢理やらされたとため息をつく姿にできないとは言えなかった。
第一王子もシャーロットも無意識に人の心を折るのは得意だった。レイモンドはケイルの肩を叩き、励ましの言葉をかけるだけだった。
第一王子とシャーロットは平民には優しくても貴族には厳しかった。そして最低基準はお互いだったため求めるレベルは高かった。国王よりも優秀なモール公爵と王弟。そして優秀な臣下しか知らない二人は、側近の最低レベルはお互い以上。シャーロットよりも第一王子のほうが優秀だが、上にはシャドウがいた。平凡な二人は自分達よりも優秀な臣下をうまく使い国を治める予定だった。ただ想像以上に質の悪い臣下が多かったため、第一王子は気まぐれに、シャーロットは精力的に育成していた。
嵌められる方が悪いという共通の認識を持ち、一部を除いた臣下を信用していなかった二人が嵌められたのを自業自得と気づくものはいなかった。第一王子もシャーロットも心のうちをさらけだすことは婚約破棄と廃嫡されるまでは決してなかった。唯一、二人の本音を聞いているレイモンドは捻くれた思考はできなかった。
翌週コメリ男爵領への問い合わせが殺到していた。
ケイルに贈った本が欲しいという要望だった。学園の教師からも著者を紹介してほしいと言われレイモンドは悩んでいた。
モール公爵に手紙を送ると、引き受けるというのでシャーロット達の本をまとめてモール公爵家に送る手配を整えた。シャーロットは物好きな方が多いと笑いながらレイモンドを手伝っていた。
***
シャーロットは月に1回、アルナの希望で貴族令嬢を集めて礼儀作法教室を開いていた。シャーロットを教師にと希望する家が多いため、争いが起きないための妥協案だった。集団授業でも誰よりも美しい所作を身に付けたシャーロットの指導を受けられるならと遠方のコメリ男爵領でも上位貴族の参加者が殺到した。代わりに家庭教師に指名しないという協定が結ばれていた。
この契約はシャドウが仲介をしていたが、指導料は男爵家に定期的に納付されていた。また茶会や晩餐も教養の一つなので毎回担当の令嬢が用意していたため、男爵家が経済的に圧迫されることはなかった。令嬢は当番の後にシャーロットから個人指導を受けられる二人っきりのお茶会の特権があるため自分の番を楽しみにしていたため不満は一切出なかった。シャーロットは戸惑いながらも貴族の顔で接していた。
***
シャーロットの学び舎の図案を第一王子が眺めていた。幾つか指で示してシャーロットが頷き書き直した。レイモンドは無言のやり取りを見ていた。乱暴な兄と我儘な妹と見れば妬かずに眺めることができた。設計図も描けるのに無能と思っているシャーロットが不思議で堪らなかった。
「シャーロット、上位貴族ばかり相手にしてると下位貴族から反感でないか?」
「社交ではなく、教師役ですから関係ないですよ。それに特に招待状もないですし、しがない男爵夫人に関心ありませんよ」
レイモンドはシャーロットに社交の話はせず招待状も見せていなかった。
「招待状はありますが、慣れるまでいいかと」
「バカ?最初が肝心だろうが。さっさと掌握してこい」
第一王子の呆れる声にシャーロットはバカにするようにあざ笑った。
「殿下、そのまま返しますよ。立場の弱い私がお母様のように社交界を掌握したら反感が出ますよ。でも挨拶しないなら反感が出ますね。ここは殿下の所為にしようかな。もう立場が悪くなってもいいですよね?」
「好きにしろ。興味ない」
「わかりました。殿下のお友達が探してますがどうします?」
「興味ない。ロレンスにフラれたんだろう。ロレンスが私のお古を使うわけないのに」
「嵌められた方が何を偉そうに。」
「自業自得だ。」
「お互い自己責任ですね。大人しく殿下に飼われていればよかったのに。ロレンスの外見に騙されて、貴族として見る目のないのは欠点ですわ。王弟殿下とコノバの伯父様達に育てられたロレンスが平凡なわけないのに」
「バカが躍るほうが楽で愉快だろう?学生時代にバカは排除したけど、まだまだ出てくるよな」
和やかなのに内容が怖い二人の会話はいつものことだった。レイモンドは王族への憧れは一切なくなっていた。ただ王族が怖い理由はよくわかった。
二人の怖い学生時代の話を聞きながら、レイモンドはシャーロットを夜会に参加させることを決めた。
第一王子にシャーロットのエスコートで気をつけることを相談するとダンスとエスコート以外で他の男に触れさせないようにと教えられた。上位貴族は婚約者と身内以外に肌の触れあいは禁忌という言葉に静かに頷いた。
王族への憧れがなくなったレイモンドにとって第一王子は良い相談相手だった。
***
シャーロットはレイモンドに用意されたドレスを纏っていた。髪を巻かずに社交に出るのは2度目だった。
「うん。似合っているよ。」
満足そうに笑うレイモンドにシャーロットは頬を染め、笑みを返そうとしたが、レイモンドの全身を凝視し首を横に振った。
レイモンドが選んだ正装姿を初めて見たシャーロットは手を引いて衣装部屋に行った。
レイモンドの衣装部屋を見て首を振り、ミズノに命じてシャドウの服でレイモンドの色に合う物を用意させた。
戸惑うレイモンドを強引に着替えさせて、髪を整えてシャーロットは頷いた。
「男爵様、明日は服を仕立てに行こう。似合う色がここにはない。自分に合ったものを身に付けないと、もったいないよ」
「何を着ても変わらないよ」
「ううん。違うよ。お金は私が出すから安心して。外見は社交の武器だよ。それに前の正装は素敵だったよ。」
にっこり笑うシャーロットにレイモンドが頬を掻いた。
「駄目?」
小首を傾げるシャーロットの愛らしさに負けたレイモンドが頷いた。
「任せるよ」
「うん。頑張るよ。殿下より素敵だから楽しみだな。お買い物初めてだね」
楽しそうなシャーロットの褒め言葉にレイモンドは照れながら手を繋いで部屋を出ると使用人達も大絶賛していた。レイモンドには服を見立てる存在はいなかった。服に興味のないレイモンドは成人してからは父親のものを着ていた。自身のために仕立てる時間も興味もなかった。
使用人達は楽しそうなシャーロットと照れているレイモンドを温かく送り出した。
厄介者と思われていた男爵夫人はいつの間にか幸運の女神と崇められているのは男爵夫妻は生涯気付くことはなかった。
最近ではいつも一人で夜会に参加するレイモンドは視線を集めなくなっていた。
会場に足を運ぶと垢ぬけない雰囲気が消えて落ち着いた雰囲気のレイモンドに視線が集まっていた。寄り添う黒髪の令嬢を見て、レイモンドの友人が近づいた。
「レイモンドか?」
「そうだけど、なんで?」
「雰囲気がいつもと違ったから、まさか彼女は」
「妻のシャーロット。挨拶できる?」
「はい。お初にお目にかかります。シャーロット・コメリと申します。よろしくお願い致します」
綺麗に礼をしたシャーロットにレイモンドが囁いた。
「卒業しないの?」
「はい。でも頑張りませんので助けてくださいませ」
第一王子の言う通りでシャーロットにとって社交界の基本は同じだった。
掌握するつもりはなくても社交界は舐められてはいけなかった。シャーロットは簡単に踏みつけられる存在になったため、自衛のために頑張らないといけなかった。ただ纏う空気は控えめにして、淑やかで上品な空気の薄い伯爵夫人を参考にしていた。シャーロットは演技力は祖母や王妃、母親の指導により鍛えられていた。
「こちらこそよろしく。随分雰囲気が違うんだね」
握手にと差し出された手にシャーロットは首を傾げレイモンドが友人の手を握った。
「色々あったから。お触り禁止。シャーロットの手が折れる。」
「お前、心が狭いな」
シャーロットはレイモンド達のやり取りを見守っていた。気安いやり取りに驚きながらも顔には出さなかった。
友人と別れて、二人は挨拶回りをしていた。王子の婚約者時代の豪華な薔薇のような雰囲気は一切なく、上品に百合のような雰囲気を持ち淑やかにレイモンドに寄り添うシャーロットは視線を集めていた。本物かと疑われても静かに微笑むだけだった。
下位貴族の直接的な言い回しや距離の近さに驚きながらもシャーロットは淑やかに微笑んでいた。
レイモンドは時々シャーロットの手が震えるので、傍を一切離れなかった。会話はほとんどレイモンドがかわし、シャーロットへのダンスの誘いも断っていた。
「大丈夫?」
「はい。大丈夫です。雰囲気が違いますね・・・。いずれ自身も主催すると思うと気が重いですわ」
「急がなくていいよ。挨拶も終わったしどうしようか」
「もうですか?」
「うん。帰る?」
「踊らなくていいの?」
「俺は踊るの上手くないんだけど・・・。」
「なら私がリードを。得意だから任せて」
にっこり笑うシャーロットに頬を掻き苦笑したレイモンドが頷いた。レイモンドはシャーロットをエスコートして、緊張しながらゆっくりと踊り出した。緊張しているレイモンドにシャーロットはにっこり笑って、自然にリードを譲った。
「男爵様、上手だよ。私は殿下より男爵様のリードが好きだよ」
「つまらないだろう?」
「楽しいよ。うまく踊らなくていいの。足を踏まないように気をつけて、優しくリードしてくれるのがわかるもの。無理せずできる範囲でいいの。ダンスは二人で踊るんだよ。でももっとうまくなりたいならいくらでも教えてあげるよ」
レイモンドは楽しそうなシャーロットにつられて笑った。人見知りで弱気なのに全く緊張せず、軽やかなステップを踏むシャーロットとは踊りやすかった。
「敵わないな」
「だって物心ついたときから踊っていたもの。それに恐ろしい練習相手がいたから。ダンスを楽しんだのは久しぶり。」
シャーロットのダンスパートナーはほとんどが第一王子である。第一王子のほうがダンスがうまく、シャーロットには難易度の高いものを平然と仕掛けた。第一王子には負けず嫌いのシャーロットは必死に付いていくため、お互い笑顔でダンスの攻防戦を広げていたのを知るのは、一部のものだけである。
第一王子もシャーロットを転ばせるようなことは決してなかったので、二人の息の合う難易度の高いダンスは評価されていた。
シャーロットはレイモンドと3曲踊った。シャーロットはダンスを踊らずに帰れば不仲が疑われるのを知っていた。社交ではあまり頼りにならないレイモンドに笑いながらダンスを踊った。
楽しそうに踊る二人に視線が集まっているのに気付かず二人の世界だった。
レイモンドのダンスの相手はアリシアだけだった。令嬢が苦手なレイモンドはダンスを申し込むことはなかった。
初めてコメリ男爵夫妻が参加した夜会で仲の良い様子は一気に噂になった。
帰りの馬車でもう少しだけ夜会は傍にいてほしいと不安そうに願うシャーロットにレイモンドが頷いたのは二人の秘密だった。シャーロットには異質な下位貴族の夜会に慣れるまで時間が必要だった。
***
翌日はレイモンドの服を仕立てるために王都に出かけた。レイモンドの金銭感覚がおかしいと思っているシャーロットは値段を教えずに注文した。
オーダーメイドを知らないレイモンドは戸惑いながらもシャーロットにされるがままだった。
「そんなに必要?」
「必要。前男爵様のお古なんてありえない。私のドレスより自分の物を優先して」
「必要ないし」
「私も必要ないのに、強引に贈る男爵様の言うことは聞きません。もっと早く教えてくれれば良かったのに」
頬を膨らませるシャーロットにレイモンドは苦笑した。
「駄目出しされるなんて思わなかったから・・。これからは任せるよ」
「うん。男爵様のお役に立てることは少ないから嬉しい」
「充分役に立ってるよ。せっかくだからシャーロットの服を」
「いらない。今日の目的は男爵様。夜はモールに泊まるからゆっくりできるね。」
「本当に任せていいの?」
「うん。あれでも優秀だよ。国を治めるように教育を受けたから草むしりより簡単よ。片手間でやってるよ。取引したから大丈夫。畑も耕さないし、たまには働かせないと。」
男爵領は第一王子に任せていた。そのため突然の外出も問題なかった。
シャーロットは上機嫌でレイモンドの手を引きながら王都で遊んでいた。ギロチンはレイモンドが興味を持たなかったので見に行かなかった。
レイモンドは王都で遊ぶのは初めてだった。友人は婚約者の買い物に付き合うのは苦行と聞いたがレイモンドにはわからなかった。楽しそうに手を引いて歩くシャーロットを見ているだけでも楽しかった。
日が暮れたためモール公爵邸に向かうと使用人とモール公爵夫人が笑顔で迎えた。
いつの間にかレイモンドの部屋が用意されていた。
モール公爵夫人は一泊して帰ったコメリ男爵夫妻を笑顔で見送ったあと長いため息をついた。全く進展しているようには見えなかった。
「シャーリーはおバカなのかしら」
モール公爵夫人は第一王子が同居し、共に学び舎を作ろうとしている話を聞き頭を抱えていたが苦言は口に出さなかった。モール公爵が微笑み応援するなら、モール公爵夫人も賛同した。
「楽しそうだからいいじゃないか。それに目をつける視点はいいと思うよ。しかも二人が教えるなら優秀な者が育つだろう」
「いつも喧嘩してるのに。どうしてレイモンドじゃなく殿下と絆を深めているのよ。やはり一度」
「やめなさい。二人のペースがある。それにシャドウも認めた。まだ出会って1年もたたない。邪魔をしてはいけないよ。それに二人共楽しそうだっただろう?」
「ミコトは初孫を楽しみにしているわ」
「時期尚早だろう。見守ろうよ。まだまだ二人は若い。ようやく社交に顔を出し始めた。」
モール公爵はレイモンドのためにモール公爵夫人の暴走を止めていた。第一王子が元気で楽しそうな様子にほっとしていた。
第一王子に真実を話そうか迷っていた。国王夫妻は第一王子に興味はなかった。
王妃はロレンスの帰国に上機嫌だった。国王は王妃にシャーロットの代わりのお気に入りができ、元気を取り戻したことを喜んでいた。お気楽な国王夫妻のかわりに悩むのはいつもモール公爵だった。
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