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十話
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レイモンドは第一王子が滞在を希望したので賓客として受け入れた。古びた離れへの滞在に戸惑ったが第一王子の希望なのでいいかと了承した。
使用人達は見目麗しい第一王子を受け入れたレイモンドに戸惑っている。
「坊ちゃんは何を考えてるんだろう」
「何も考えてないんでは…」
「殿下、格好良かった。坊ちゃんには悪いけど、外見では勝てないわ。奥様が嫁がれてから目の保養ばかり。うちの顔面偏差値が凄いことになってるわ」
「奥様のお客様は美形ばかりだもの。奥様もお綺麗だけど」
戸惑いながらも若い侍女達は美形王子の滞在を喜んでいた。
「でも冤罪で婚約破棄された婚約者と一緒に過ごすって」
ポツリとつぶやく侍女の言葉に少年が堂々と答えた。
「母さん、殿下は人でなしだよ」
「だめ!!シャーリーに内緒って言われたでしょ!?」
近くにいた少女が慌てて少年の口を押さえた。
「シャーリーはうるさくて面倒な女だって」
「え?誰に聞いたの?」
「殿下」
「殿下!?」
「うん。遊んでくれるよ」
子供達の話に大人達は戸惑い微妙な顔をした。
そのなかには美形王子の滞在を喜んだ侍女さえも含まれている。
「奥様と殿下ってもしかして…」
「シャーリーは殿下のこと嫌いって言ってたよ。乱暴だから殿下みたいにならないでって。馬から落とされたって」
「でも殿下はシャーリーが悪いって言ってたよ」
コメリ男爵邸で一番の情報通は遠慮を知らない無邪気な子供達である。
「うん。仲が悪いわ。きっと何も起こらないわ。でも坊ちゃん、お嬢様が好きなのになんで受け入れてるのよ。廃嫡にされても王族だもの絶対に優秀じゃないの…気にならないの?」
使用人達の悩みは尽きない。
レイモンドの初恋を応援している者にとって王子は邪魔な存在である。
周囲に心配ばかりかけてるレイモンドは使用人達の心情には気付かず自身のことで精一杯。
話題の中心にある使用人に愛される年若い男爵は第一王子を受け入れ、かつ離れを貸したことに不満を持つシャーロットを必死に宥めていた。
****
第一王子にとって何があっても文句を言いながら傍にいるのはシャーロットだった。立派な王になれば両親が喜ぶと思っていた。母親に認められ、褒められたくてどんなことにも励んでいた。
国王になる者は甘えは許されない。家族の情よりも民を優先しろと言われ育てられた第一王子。
モール公爵に王族でも大事なものを作ってもいいと教えられてもよくわからなかった。
第一王子はふと昔のことを思い出した。
「王妃様のお気に入りだからって何様か。モールで劣ってるくせに」
「本当に。生まれしかない令嬢が」
「バカみたい。嘘の言葉で喜ぶなんて」
シャーロットに友人になりたいと面会を希望した令嬢達とお茶をしていると第一王子が突然訪ねた。第一王子に呼ばれたシャーロットは訪問を聞き中座した。第一王子と公務の話が長引き、戻るのが遅れた時に令嬢達がこぼした本音。
シャーロットは令嬢達の目当ては自分ではないのがわかっていたので、生贄を差し出して解散するつもりだったが第一王子は気付いていない。
シャーロットに連れてこられた第一王子は中に入らず令嬢達の会話を静かに聞いてるシャーロットを見つめた。
「殿下、どうされました?ああ、いつものことですよ。殿下がうちに訪問するので会いたかったみたいですよ」
「初めての友達じゃないか」
「いりませんよ。外で信じるのは殿下だけです。私達に望まれる役割のために」
「出るか。王都に視察に行く。付き合え。命令だ。シャーロットを連れていく。解散だ」
友達という存在にシャーロットが憧れを持っているように第一王子には見えていた。
シャーロットよりも年上なのに取り繕えない令嬢達を裁くことはできたがシャーロットの冷めた視線に捨て置くことを決めた。
第一王子は冷めた視線のシャーロットの手を引いて令嬢達に一言告げて立ち去った。
シャーロットには王族の命令より優先すべきものはない。シャーロットは礼をする令嬢に笑顔を向けることはなく、言葉を掛けることさえなかった。
婚約者の二人はモール公爵に教わっていた。
「どんなときもお互いだけは信じられるようになりなさい。社交界で絶対の味方は家や身内ではありま
せん。一蓮托生の婚約者だと覚えてください」
シャーロットと第一王子が協力して国を治められるようにモール公爵は教育していた。
王妃の要望を全て聞き、私利私欲で権力を使う国王夫妻は悪い見本なので影響を受けないようにとも。
「嘘ばかり。取り繕えさえすれば構いませんのに。愚かなこと」
二人は敵しかいない化け物の巣窟で周囲に望まれる役割を演じるだけだった。
視察に行ってもお互い貴族の顔で微笑み合うだけ。王族でなくなった第一王子は自由である。誰も見向きもしないのが滑稽で仕方なかった。
第一王子の立場が変わってもシャーロットだけは変わらなかった。レイモンドは困惑した視線を向けるだけだった。第一王子はあからさまに困惑した視線を受けることはなかったので新鮮だった。
シャーロットと喧嘩をしてすっきりしてからは、王位にしがみついていた自分が滑稽で仕方なかった。
子供の面倒を見ながらこれからの生き方を考えていた。第一王子は正直でわかりやすい子供の相手をするのは嫌いではなかった。
第一王子が見たことないほどシャーロットは男爵領で毎日楽しそうに過ごしていた。
生意気なシャーロットが平凡なレイモンドに従うのが不思議だった。
自由にしていいと言われている第一王子が執務室を訪ねるとレイモンドが顔をあげた。
「どうしました?」
「すごい光景だな」
「この時間は昼寝です。まだ子供ですから」
「子供か?」
「はい。成人の資格はあっても体も心も子供です。良く食べて良く寝るならあとは好きに過ごさせてます」
執務室ではクッションに埋もれてシャーロットが昼寝をしていた。
第一王子はシャーロットを子供扱いするレイモンドに驚いて顔を見た。
媚びもせず、ありのままを受け入れる。
思惑は何もなさそうというか、何も考えてなさそうだと思いながらレイモンドを見ていた。
「母上に認められたかったんだ。おかしいか?」
レイモンドはこぼされた言葉に首を傾げた。シャーロットも当たり前のことを喜ぶ所があった。屋敷に一人でいることが多かったと言っていた。レイモンドが子供の頃はいつも両親が傍にいた。母が亡くなっても父が倒れるまでは常に食事は父と二人だった。子供の頃に寂しさを感じた記憶もなかった。
両親に褒められたくて励む姿は領民を通してよく知っていた。
「普通だと思いますよ」
「母上はシャーロットばかり世話をやき、私に見向きもしなかった。乳母はいたが、望んではいけないと窘められた」
第一王子はいつも王妃がシャーロットを可愛がっているのを知っていた。
シャーロットが目を擦ってゆっくりと起き上がった。
「殿下、バカですか?王妃様はちゃんと殿下を見てましたよ。王太子だから厳しくしないといけないって嘆いてましたよ。もう子供を授かれないからって悲しそうなお顔で。」
「起きてたのかよ」
話を聞かれたくなかった第一王子が顔を顰めた。シャーロットは王子の顔を見て呆れていた。レイモンドが初めて見る顔と声で話し出した。
「足音と扉を開ける音がうるさかったんです。殿下、王妃様はたった一人を見つけなさいってよく言っていました。心から愛するものを見つけなさいって。世界が変わるそうですよ。身分がないほうが掴める自由な世界があるって。今の殿下はやりたい放題。昔から変わりませんか。でも悩むのは成長ですかね。暇なら畑でも耕してくださいよ。男爵領民の殿方は畑を耕せないといけないんです」
「賓客。」
「男爵様が優しすぎます。もういいですわ。問題は起こさないでください」
シャーロットはため息をつき、クッションに倒れこみ目を閉じた。
追い出すのは諦めた。最近は横暴な態度もなく、子供達の面倒を見てくれるのでいいかと思った。
レイモンドが受け入れるのでシャーロットは従った。レイモンドに頼まれればシャーロットは断れなかった。それに今の王子は嫌いではなかった。
******
レイモンドは第一王子に慣れた。
最近では緊張せず剣の手合わせができるようになった。腕試しに付き合うように言われ指導を受けていた。
シャーロットはアルナに頼まれたお茶会のため出かけていた。危険視していた王子が男爵邸にいるのでミズノとヒノトと一緒に送り出していた。
「殿下、シャーロットはどうしてなんでも信じるんですか?」
「は?」
「領民の言葉を全て信じます」
「領民の言葉だからだ。民の声は真摯に受け止めるものだ。男爵が違うと教えればお前の言葉を信じるよ。社交界で私達はお互いしか信じない。貴族は笑顔で嘘をつく。そういう世界で生きてきた。ある意味人間不信に近い。心配いらん。あれでも社交は優秀だ。シャーロットの心配よりも自分の心配をしろ」
「どういうことでしょうか?」
「シャーロットは父上に気に入られてる。そのうち王宮から招待状が来るだろう。まぁシャーロットの隣で黙っていればいい。聞く価値のない言葉ばかりだが。上位貴族の夜会は欲深い化け物の巣窟だ」
「男爵家にですか?」
「たぶんな。そろそろやるか」
レイモンドは第一王子に剣を突きつけられて立ち上がった。
第一王子に指導されるとは人生何があるかわからないと思っていた。
****
第一王子の予言が当たっていた。
王家の紋章のついた招待状を見てレイモンドは固まっていた。中にはロレンスの王太子襲名披露と書いてあった。様子のおかしいレイモンドを心配したシャーロットが招待状を覗き込んで笑った。
「もうそんな時期・・。お父様達忙しかったんだろうな・。ここからだと遠いから前日にはモール公爵家に泊まったほうがいいかな。王都はお祭りで賑やかになるから、宿はもう埋まっているだろうし」
「シャーロット、俺、王族なんて」
「最初の挨拶だけ覚えてくだされば後は私が。きっと挨拶する方も少ないし、お食事する余裕もある。美味しい苺があるといいな。男爵家の紋章入りのものを仕立てないと・・。主催者ではないので楽だよ。簡単。」
レイモンドはシャーロットが王子の婚約者だったのを思い出した。
震えず笑っているシャーロットにレイモンドは全てを任せた。シャーロットは紋章の入ったお揃いの礼服を急いで仕立てさせた。
レイモンドは最初の挨拶がわからなかったので、第一王子に相談した。第一王子に呆れられながら指導されていた。シャーロットが二人の様子を見ながら修正をしていた。レイモンドは緊張に飲まれながら二人の厳しい指導に耐えていた。執事長は逞しくなったレイモンドを満足そうに見ていた。
シャーロットとレイモンドはパーティーの前日にモール公爵邸に訪問した。
「ただいま帰りました。頭をあげて」
「お嬢様、お帰りなさいませ」
シャーロット達を家臣一同が扉の傍に控え礼をして出迎えた。レイモンドは公爵家の家臣の出迎えに驚き緊張していた。
「シャーリー、お帰り」
「お兄様!!」
シャーロットはレイモンドの手を解き大好きな兄の胸に飛び込んだ。
「お久しぶりです。お仕事は?」
「今日は休みだよ。せっかくシャーリーが帰ってくるからね」
シャーロットは兄に頭を撫でられ、久しぶりの優しい笑みに満面の笑みを返した。
「シャドウ、いい加減になさい。ご挨拶させてあげて。ようこそ。ゆっくりしていって」
モール公爵夫人が二人の到着を聞き、足を運び二人の世界を広げるシャドウを窘め、レイモンドに微笑みかけた。
シャーロットを腕から放したシャドウに、レイモンドが緊張した表情と固い仕草で礼をした。
「ありがとうございます。お初にお目にかかります。レイモンド・コメリと申します」
「シャドウ・モール。シャーリーを泣かせたら覚悟して」
冷笑を浮かべるシャドウにシャーロットは首を傾げた。
「お兄様、男爵様は優しいですよ。まだお勉強中ですのでお手柔らかに」
「それならお兄様も手伝うよ。義弟は丁重にもてなさないと」
レイモンドは寒気がした。シャーロットは兄の言葉に目を輝かせた。ブラコンのシャーロットにとって第一王子よりもシャドウの所作は美しく完璧だった。シャドウは世界で一番素敵で優しく完璧で素晴らしい貴公子だと思っていた。シャーロットはシャドウの称賛を始めたら止まらなかった。
「シャーリー、領民に顔を見せておいで。明日に備えて鍛えておくよ」
「今日は男爵様に譲ります。後でお茶してくださいね。あと、お手柔らかにお願いします。では、私は挨拶に行ってきます。ヒノト、行こう。ミズノは男爵様をお願い。男爵様、行ってきます」
ニコリと笑ったシャーロットはレイモンドの怯えに気付かず出て行った。モール公爵夫人は相変わらずシャドウに弱く夢中なシャーロットに苦笑した。そして息子が暴走しないように見張るため傍にいることにした。シスコンのシャドウがレイモンドをどう扱うか心配だった。
レイモンドへのシャドウからの教育が始まった。シャーロットとヒノトと第一王子に徹底的に指導されていたため、下位貴族の中では上出来な所作を身に付けていたが、及第点はもらえていなかった。
シャドウは両親から高評価のレイモンドを見極めたかった。
レイモンドは緊張しながらも必死にシャドウの指示に従っていた。モール公爵と似た顔立ちなのに、冷たい空気を出すシャドウと朗らかに見守るモール公爵夫人に囲まれ必死に努力する姿を使用人達は気の毒そうに見ていた。一番の常識のあるモール公爵は留守だった。そしてシャドウが関われば頼りになるお嬢様も時々ポンコツになってしまった。
シャーロットがモール公爵邸に帰ると侍女に案内された客室に憔悴したレイモンドがソファに座っていた。
「男爵様?」
「おかえり。晩餐まで自由にと。俺、シャーロットの隣に立つのが・・」
シャーロットは初めて見るレイモンドの様子に苦笑した。コメリ男爵夫妻への招待でも、今回呼ばれているのは自分だと気付いていた。ただ夫人だけは招待できないので形式的にレイモンド宛だっただけである。エスコート役は兄がいるのでシャーロットは一人でも平気だった。
「ただいま。嫌なら休んでてもいいよ。私は一人で大丈夫だよ」
シャーロットに労わるように微笑まれ、レイモンドは苦笑した。ここで逃げたらまずいのはわかっていた。そして王子に言われた化け物の巣窟にシャーロットを一人で行かせたくなかった。
「いや、参加はするよ。俺なんかがシャーロットの隣に」
「相応しくないのは私。でも上位貴族と王族とのお付き合いは得意だから大丈夫だよ。頼りないかもしれないけど、私は元あの人でなし王子の婚約者です。」
表情が固く緊張しているレイモンドを見てシャーロットは優しく笑った。シャーロットは緊張とは無縁の人間だったが嫌なことから逃げたい気持ちはよくわかった。
「気分転換に散歩?それとも読書?」
上目遣いで笑みを浮かべて首を傾げる姿は愛らしくレイモンドは見惚れていた。しばらくして不思議そうな顔に気付いて頭を撫でて笑った。
「シャーロットの愛読している本を読ませてよ」
頷いたシャーロットの視線を受けて、ミズノが5冊ほど本を持ってきた。レイモンドは読書は得意ではないがシャーロットの目指したものを知りたかった。明日のことを考えると緊張に気が狂いそうなため別のことに集中したかった。
小説の中にはツリ目できつい顔立ちの美人で巻き髪が特徴の派手なドレスを着る令嬢が登場した。
身分違いの恋物語だった。描写は違っても主人公の可愛らしい少女が王子を好きになり、絆を深めていく。惹かれ合う王子と主人公の邪魔をするのが悪役令嬢だった。悪役令嬢は情に流されず、正論を説いて二人を説得するも耳を傾けない。少女に魅了された他の登場人物も悪役令嬢の傍を離れていく。最後に国外追放を命じられた悪役令嬢は未練のカケラもなく、小説から姿を消す。
王妃は惹かれ合う者が結ばれる物語が好きだった。シャーロットが第一王子を好きではないのは気付いていた。物語の悪役令嬢は周囲に失望して未練なく国を捨てた。王妃はシャーロットが恋をしたら王子との婚約破棄をさせ応援しようと思っていた。だからバカな王子を切り捨てる悪役令嬢と想い合う二人が幸せになる小説を人生のお勉強よ。この悪役令嬢のようになれたら素敵ねと言いながら贈っていた。
悪役令嬢のシーン以外はさらりと飛ばすレイモンドのページの進みは早かった。
「男爵様、他にも恋愛小説あるよ。たくさんあるから読みたいものを教えてくれれば」
レイモンドは隣に座る悪役令嬢のかけらもないシャーロットを見た。第一王子が男爵邸に住むようになってからシャーロットを深夜に迎え入れた執事に心配されていた。
「婚約破棄された時、辛かった?」
シャーロットは首を傾げて、しばらくして自分のことだと気付いた。
「うん。卒業パーティを壊した生徒達への罪悪感とモールへ怨恨が向かないように必死に謝罪しながら祈ってた。状況がわからず、休憩もせず、往復させられる護送する者達への配慮もできなかった。公爵令嬢として失格。この事態を知れば両親は激怒し、王家からのお咎めも想像すると怖かった。深夜の訪問と強引な婚姻。不敬に男爵様に斬られる覚悟も決めていたけど、初めて会った時に帯剣してないのに安心したなぁ」
執事は騎士達に最後の願いに第一王子のためを願ったシャーロットは第一王子を慕っていると思っていた。第一王子の滞在を許したレイモンドを心配して進言していた。
レイモンドは笑った。初対面の時に恐怖に怯えていたように全く見えなかった。相変わらず見当違いな恐怖だった。
「あの日はわからなかったけど最高の誕生日の贈り物だった。殿下にいただいた最初で最後の贈り物。でもパーティを壊したから生徒の皆様に明日は謝罪しないといけないかな・・・。男爵様は挨拶さえ終われば先に帰っていいよ」
シャーロットの震え出した手をレイモンドは握った。
「隣にいるよ。俺は絶対に謝罪はいらないと思うよ。」
「確かにロレンスのおめでたい席に水を差すのも良くない・・。」
レイモンドは見当違いでも突っ込むのはやめた。何度聞いてもシャーロットが責められ、謝罪するのは納得できなかった。誕生日という言葉に頬を掻いた。シャーロットにとって恐怖の誕生日の思い出を塗り替えたかった。
「今度の誕生日はきちんと祝おうな。苺狩りでも行こうか」
「本当!?」
レイモンドの冗談にシャーロットは目を輝やかせた。シャーロットには収穫の経験はなかった。
「虫がいるけど、平気なら、うん。虫は俺が払ってあげるよ。大丈夫だよ。」
虫と言われ、震えたシャーロットはレイモンドの優しい笑みに嬉しそうに笑った。シャーロットはレイモンドの優しい笑顔が一番好きだった。
「男爵様は優しい」
「君の願いはできるだけ叶えたいから。」
シャドウは気配を消して二人の様子を眺めていた。
幸せそうに笑うシャーロットに複雑でも、王子よりはマシなレイモンドの味方をすることにした。怯えるシャーロットを宥めて笑わせる手腕は見事だった。シャーロットが素を見せるだけでも凄かった。シャーロットの素をアルナは知らない。知っているのは家族以外ではコノバ公爵家と王妃と王弟だけだった。
翌日の盛大なパーティでシャーロットを見つけた貴族達は雰囲気の違いに驚いていた。上品なドレスに控えめに化粧をした清楚な装いで真っ直ぐな黒髪を垂らしたシャーロットに目を奪われていた。
シャーロットが纏うのは王子の隣にいる時にだけ見せていた控えめで柔らかな笑顔だった。自身に寄り添いながら、柔らかく微笑むシャーロットにレイモンドは見惚れていた。
レイモンドは社交で婚約者仕様のシャーロットを見るのは初めてだった。
「シャーロット様、このたびは、なんと…。私、心配で」
「ごきげんよう。お気遣いありがとうございます。芽吹きはまだ先ですが、良きご縁に感謝しております」
「まぁ!?なんと…。」
シャーロットは代わる代わる貴族達に声を掛けられたので食事を楽しむ時間はなく談笑をしながら時が過ぎるのを待つしかなかった。緊張しているレイモンドをさり気なく庇い寄り添いながら、ずっと笑みを浮かべていた。貴族達は平凡な男爵に王子の時と変わらぬ態度で寄り添い慕う姿を様々な心情を抱きながら見ていた。
王族が退場したのでシャーロット達も帰るために会場を出た。
「シャーロット様」
シャーロットは聞き覚えのある声に足を止めた。
「お辛くありませんか?」
シャーロットは第一王子の元友人に微笑みを浮かべた。
「辛いことはありません。私は良くしていただいています」
「あの時、声を」
「いいえ。近衛騎士として任務に忠実になるのは当然です。貴方は王家の剣で盾です。私情を制して務めてくださったことに敬意を示しますわ。侯爵子息に男爵夫人が」
「構いません。どんな身分でも私はシャーロット様をお慕いしています。何かあればいつでも頼ってください。」
「ありがとうございます。これからもロレンス様をお願いします。私は側でお支えできません。いつも殿下を守ってくださった貴方が私の従弟に仕えてくださることに感謝申し上げます。私達はこれで失礼します」
シャーロットは礼をしてレイモンドの腕を抱いて後にした。
人目のない場所で声を掛けられてほっとしていた。シャーロットは愛人になるつもりはない。
「男爵様、よくある戯れですわ。愛人や不倫はよくあるのです。王妃候補でなくなると楽でもしがらみからは逃げられませんね。」
「愛人!?」
「はい。人目のない場所での告白。迎え入れる準備はできているということです。殿方はそういうものですから」
レイモンドは微笑むシャーロットに頬を掻きながら口を開いた。
「俺は生涯シャーロット一人だけでいい」
「男爵様は優しい。」
貴族の顔ではなく、嬉しそうに笑うシャーロットにレイモンドは笑った。見惚れてしまう貴族の顔をした笑みより自然の笑みのほうが好きだった。張り付けた貴族の顔が自分の前では素に戻るのが嬉しかった。シャーロットはレイモンドの緊張が解けた様子にさらに笑った。
シャーロットはこれ以上他の貴族に捕まらないように人通りの少ない通路を選び馬車に乗りモール公爵邸を目指した。王都のお祭りに誘おうか迷ったが、レイモンドの疲れた顔を見てやめた。
二人はモール公爵邸に一泊して翌日に男爵領に帰った。
レイモンドは全てシャーロットに頼りっきりだった。貴族の婉曲な言い回しは理解に苦しんだためまた第一王子に教えを乞おうと決めた。
第一王子は慈悲の心は持っていたので素直に頼むレイモンドを暇だったので指導していた。自分に懐いて教えを乞う貴族は初めてだった。
コメリ男爵家の使用人は妻の元婚約者の王子を頼りにしているレイモンドを複雑な目で見ていた。たくましく成長したのか頭がおかしくなったのか、何も考えていないのかわからなかった。
使用人達は見目麗しい第一王子を受け入れたレイモンドに戸惑っている。
「坊ちゃんは何を考えてるんだろう」
「何も考えてないんでは…」
「殿下、格好良かった。坊ちゃんには悪いけど、外見では勝てないわ。奥様が嫁がれてから目の保養ばかり。うちの顔面偏差値が凄いことになってるわ」
「奥様のお客様は美形ばかりだもの。奥様もお綺麗だけど」
戸惑いながらも若い侍女達は美形王子の滞在を喜んでいた。
「でも冤罪で婚約破棄された婚約者と一緒に過ごすって」
ポツリとつぶやく侍女の言葉に少年が堂々と答えた。
「母さん、殿下は人でなしだよ」
「だめ!!シャーリーに内緒って言われたでしょ!?」
近くにいた少女が慌てて少年の口を押さえた。
「シャーリーはうるさくて面倒な女だって」
「え?誰に聞いたの?」
「殿下」
「殿下!?」
「うん。遊んでくれるよ」
子供達の話に大人達は戸惑い微妙な顔をした。
そのなかには美形王子の滞在を喜んだ侍女さえも含まれている。
「奥様と殿下ってもしかして…」
「シャーリーは殿下のこと嫌いって言ってたよ。乱暴だから殿下みたいにならないでって。馬から落とされたって」
「でも殿下はシャーリーが悪いって言ってたよ」
コメリ男爵邸で一番の情報通は遠慮を知らない無邪気な子供達である。
「うん。仲が悪いわ。きっと何も起こらないわ。でも坊ちゃん、お嬢様が好きなのになんで受け入れてるのよ。廃嫡にされても王族だもの絶対に優秀じゃないの…気にならないの?」
使用人達の悩みは尽きない。
レイモンドの初恋を応援している者にとって王子は邪魔な存在である。
周囲に心配ばかりかけてるレイモンドは使用人達の心情には気付かず自身のことで精一杯。
話題の中心にある使用人に愛される年若い男爵は第一王子を受け入れ、かつ離れを貸したことに不満を持つシャーロットを必死に宥めていた。
****
第一王子にとって何があっても文句を言いながら傍にいるのはシャーロットだった。立派な王になれば両親が喜ぶと思っていた。母親に認められ、褒められたくてどんなことにも励んでいた。
国王になる者は甘えは許されない。家族の情よりも民を優先しろと言われ育てられた第一王子。
モール公爵に王族でも大事なものを作ってもいいと教えられてもよくわからなかった。
第一王子はふと昔のことを思い出した。
「王妃様のお気に入りだからって何様か。モールで劣ってるくせに」
「本当に。生まれしかない令嬢が」
「バカみたい。嘘の言葉で喜ぶなんて」
シャーロットに友人になりたいと面会を希望した令嬢達とお茶をしていると第一王子が突然訪ねた。第一王子に呼ばれたシャーロットは訪問を聞き中座した。第一王子と公務の話が長引き、戻るのが遅れた時に令嬢達がこぼした本音。
シャーロットは令嬢達の目当ては自分ではないのがわかっていたので、生贄を差し出して解散するつもりだったが第一王子は気付いていない。
シャーロットに連れてこられた第一王子は中に入らず令嬢達の会話を静かに聞いてるシャーロットを見つめた。
「殿下、どうされました?ああ、いつものことですよ。殿下がうちに訪問するので会いたかったみたいですよ」
「初めての友達じゃないか」
「いりませんよ。外で信じるのは殿下だけです。私達に望まれる役割のために」
「出るか。王都に視察に行く。付き合え。命令だ。シャーロットを連れていく。解散だ」
友達という存在にシャーロットが憧れを持っているように第一王子には見えていた。
シャーロットよりも年上なのに取り繕えない令嬢達を裁くことはできたがシャーロットの冷めた視線に捨て置くことを決めた。
第一王子は冷めた視線のシャーロットの手を引いて令嬢達に一言告げて立ち去った。
シャーロットには王族の命令より優先すべきものはない。シャーロットは礼をする令嬢に笑顔を向けることはなく、言葉を掛けることさえなかった。
婚約者の二人はモール公爵に教わっていた。
「どんなときもお互いだけは信じられるようになりなさい。社交界で絶対の味方は家や身内ではありま
せん。一蓮托生の婚約者だと覚えてください」
シャーロットと第一王子が協力して国を治められるようにモール公爵は教育していた。
王妃の要望を全て聞き、私利私欲で権力を使う国王夫妻は悪い見本なので影響を受けないようにとも。
「嘘ばかり。取り繕えさえすれば構いませんのに。愚かなこと」
二人は敵しかいない化け物の巣窟で周囲に望まれる役割を演じるだけだった。
視察に行ってもお互い貴族の顔で微笑み合うだけ。王族でなくなった第一王子は自由である。誰も見向きもしないのが滑稽で仕方なかった。
第一王子の立場が変わってもシャーロットだけは変わらなかった。レイモンドは困惑した視線を向けるだけだった。第一王子はあからさまに困惑した視線を受けることはなかったので新鮮だった。
シャーロットと喧嘩をしてすっきりしてからは、王位にしがみついていた自分が滑稽で仕方なかった。
子供の面倒を見ながらこれからの生き方を考えていた。第一王子は正直でわかりやすい子供の相手をするのは嫌いではなかった。
第一王子が見たことないほどシャーロットは男爵領で毎日楽しそうに過ごしていた。
生意気なシャーロットが平凡なレイモンドに従うのが不思議だった。
自由にしていいと言われている第一王子が執務室を訪ねるとレイモンドが顔をあげた。
「どうしました?」
「すごい光景だな」
「この時間は昼寝です。まだ子供ですから」
「子供か?」
「はい。成人の資格はあっても体も心も子供です。良く食べて良く寝るならあとは好きに過ごさせてます」
執務室ではクッションに埋もれてシャーロットが昼寝をしていた。
第一王子はシャーロットを子供扱いするレイモンドに驚いて顔を見た。
媚びもせず、ありのままを受け入れる。
思惑は何もなさそうというか、何も考えてなさそうだと思いながらレイモンドを見ていた。
「母上に認められたかったんだ。おかしいか?」
レイモンドはこぼされた言葉に首を傾げた。シャーロットも当たり前のことを喜ぶ所があった。屋敷に一人でいることが多かったと言っていた。レイモンドが子供の頃はいつも両親が傍にいた。母が亡くなっても父が倒れるまでは常に食事は父と二人だった。子供の頃に寂しさを感じた記憶もなかった。
両親に褒められたくて励む姿は領民を通してよく知っていた。
「普通だと思いますよ」
「母上はシャーロットばかり世話をやき、私に見向きもしなかった。乳母はいたが、望んではいけないと窘められた」
第一王子はいつも王妃がシャーロットを可愛がっているのを知っていた。
シャーロットが目を擦ってゆっくりと起き上がった。
「殿下、バカですか?王妃様はちゃんと殿下を見てましたよ。王太子だから厳しくしないといけないって嘆いてましたよ。もう子供を授かれないからって悲しそうなお顔で。」
「起きてたのかよ」
話を聞かれたくなかった第一王子が顔を顰めた。シャーロットは王子の顔を見て呆れていた。レイモンドが初めて見る顔と声で話し出した。
「足音と扉を開ける音がうるさかったんです。殿下、王妃様はたった一人を見つけなさいってよく言っていました。心から愛するものを見つけなさいって。世界が変わるそうですよ。身分がないほうが掴める自由な世界があるって。今の殿下はやりたい放題。昔から変わりませんか。でも悩むのは成長ですかね。暇なら畑でも耕してくださいよ。男爵領民の殿方は畑を耕せないといけないんです」
「賓客。」
「男爵様が優しすぎます。もういいですわ。問題は起こさないでください」
シャーロットはため息をつき、クッションに倒れこみ目を閉じた。
追い出すのは諦めた。最近は横暴な態度もなく、子供達の面倒を見てくれるのでいいかと思った。
レイモンドが受け入れるのでシャーロットは従った。レイモンドに頼まれればシャーロットは断れなかった。それに今の王子は嫌いではなかった。
******
レイモンドは第一王子に慣れた。
最近では緊張せず剣の手合わせができるようになった。腕試しに付き合うように言われ指導を受けていた。
シャーロットはアルナに頼まれたお茶会のため出かけていた。危険視していた王子が男爵邸にいるのでミズノとヒノトと一緒に送り出していた。
「殿下、シャーロットはどうしてなんでも信じるんですか?」
「は?」
「領民の言葉を全て信じます」
「領民の言葉だからだ。民の声は真摯に受け止めるものだ。男爵が違うと教えればお前の言葉を信じるよ。社交界で私達はお互いしか信じない。貴族は笑顔で嘘をつく。そういう世界で生きてきた。ある意味人間不信に近い。心配いらん。あれでも社交は優秀だ。シャーロットの心配よりも自分の心配をしろ」
「どういうことでしょうか?」
「シャーロットは父上に気に入られてる。そのうち王宮から招待状が来るだろう。まぁシャーロットの隣で黙っていればいい。聞く価値のない言葉ばかりだが。上位貴族の夜会は欲深い化け物の巣窟だ」
「男爵家にですか?」
「たぶんな。そろそろやるか」
レイモンドは第一王子に剣を突きつけられて立ち上がった。
第一王子に指導されるとは人生何があるかわからないと思っていた。
****
第一王子の予言が当たっていた。
王家の紋章のついた招待状を見てレイモンドは固まっていた。中にはロレンスの王太子襲名披露と書いてあった。様子のおかしいレイモンドを心配したシャーロットが招待状を覗き込んで笑った。
「もうそんな時期・・。お父様達忙しかったんだろうな・。ここからだと遠いから前日にはモール公爵家に泊まったほうがいいかな。王都はお祭りで賑やかになるから、宿はもう埋まっているだろうし」
「シャーロット、俺、王族なんて」
「最初の挨拶だけ覚えてくだされば後は私が。きっと挨拶する方も少ないし、お食事する余裕もある。美味しい苺があるといいな。男爵家の紋章入りのものを仕立てないと・・。主催者ではないので楽だよ。簡単。」
レイモンドはシャーロットが王子の婚約者だったのを思い出した。
震えず笑っているシャーロットにレイモンドは全てを任せた。シャーロットは紋章の入ったお揃いの礼服を急いで仕立てさせた。
レイモンドは最初の挨拶がわからなかったので、第一王子に相談した。第一王子に呆れられながら指導されていた。シャーロットが二人の様子を見ながら修正をしていた。レイモンドは緊張に飲まれながら二人の厳しい指導に耐えていた。執事長は逞しくなったレイモンドを満足そうに見ていた。
シャーロットとレイモンドはパーティーの前日にモール公爵邸に訪問した。
「ただいま帰りました。頭をあげて」
「お嬢様、お帰りなさいませ」
シャーロット達を家臣一同が扉の傍に控え礼をして出迎えた。レイモンドは公爵家の家臣の出迎えに驚き緊張していた。
「シャーリー、お帰り」
「お兄様!!」
シャーロットはレイモンドの手を解き大好きな兄の胸に飛び込んだ。
「お久しぶりです。お仕事は?」
「今日は休みだよ。せっかくシャーリーが帰ってくるからね」
シャーロットは兄に頭を撫でられ、久しぶりの優しい笑みに満面の笑みを返した。
「シャドウ、いい加減になさい。ご挨拶させてあげて。ようこそ。ゆっくりしていって」
モール公爵夫人が二人の到着を聞き、足を運び二人の世界を広げるシャドウを窘め、レイモンドに微笑みかけた。
シャーロットを腕から放したシャドウに、レイモンドが緊張した表情と固い仕草で礼をした。
「ありがとうございます。お初にお目にかかります。レイモンド・コメリと申します」
「シャドウ・モール。シャーリーを泣かせたら覚悟して」
冷笑を浮かべるシャドウにシャーロットは首を傾げた。
「お兄様、男爵様は優しいですよ。まだお勉強中ですのでお手柔らかに」
「それならお兄様も手伝うよ。義弟は丁重にもてなさないと」
レイモンドは寒気がした。シャーロットは兄の言葉に目を輝かせた。ブラコンのシャーロットにとって第一王子よりもシャドウの所作は美しく完璧だった。シャドウは世界で一番素敵で優しく完璧で素晴らしい貴公子だと思っていた。シャーロットはシャドウの称賛を始めたら止まらなかった。
「シャーリー、領民に顔を見せておいで。明日に備えて鍛えておくよ」
「今日は男爵様に譲ります。後でお茶してくださいね。あと、お手柔らかにお願いします。では、私は挨拶に行ってきます。ヒノト、行こう。ミズノは男爵様をお願い。男爵様、行ってきます」
ニコリと笑ったシャーロットはレイモンドの怯えに気付かず出て行った。モール公爵夫人は相変わらずシャドウに弱く夢中なシャーロットに苦笑した。そして息子が暴走しないように見張るため傍にいることにした。シスコンのシャドウがレイモンドをどう扱うか心配だった。
レイモンドへのシャドウからの教育が始まった。シャーロットとヒノトと第一王子に徹底的に指導されていたため、下位貴族の中では上出来な所作を身に付けていたが、及第点はもらえていなかった。
シャドウは両親から高評価のレイモンドを見極めたかった。
レイモンドは緊張しながらも必死にシャドウの指示に従っていた。モール公爵と似た顔立ちなのに、冷たい空気を出すシャドウと朗らかに見守るモール公爵夫人に囲まれ必死に努力する姿を使用人達は気の毒そうに見ていた。一番の常識のあるモール公爵は留守だった。そしてシャドウが関われば頼りになるお嬢様も時々ポンコツになってしまった。
シャーロットがモール公爵邸に帰ると侍女に案内された客室に憔悴したレイモンドがソファに座っていた。
「男爵様?」
「おかえり。晩餐まで自由にと。俺、シャーロットの隣に立つのが・・」
シャーロットは初めて見るレイモンドの様子に苦笑した。コメリ男爵夫妻への招待でも、今回呼ばれているのは自分だと気付いていた。ただ夫人だけは招待できないので形式的にレイモンド宛だっただけである。エスコート役は兄がいるのでシャーロットは一人でも平気だった。
「ただいま。嫌なら休んでてもいいよ。私は一人で大丈夫だよ」
シャーロットに労わるように微笑まれ、レイモンドは苦笑した。ここで逃げたらまずいのはわかっていた。そして王子に言われた化け物の巣窟にシャーロットを一人で行かせたくなかった。
「いや、参加はするよ。俺なんかがシャーロットの隣に」
「相応しくないのは私。でも上位貴族と王族とのお付き合いは得意だから大丈夫だよ。頼りないかもしれないけど、私は元あの人でなし王子の婚約者です。」
表情が固く緊張しているレイモンドを見てシャーロットは優しく笑った。シャーロットは緊張とは無縁の人間だったが嫌なことから逃げたい気持ちはよくわかった。
「気分転換に散歩?それとも読書?」
上目遣いで笑みを浮かべて首を傾げる姿は愛らしくレイモンドは見惚れていた。しばらくして不思議そうな顔に気付いて頭を撫でて笑った。
「シャーロットの愛読している本を読ませてよ」
頷いたシャーロットの視線を受けて、ミズノが5冊ほど本を持ってきた。レイモンドは読書は得意ではないがシャーロットの目指したものを知りたかった。明日のことを考えると緊張に気が狂いそうなため別のことに集中したかった。
小説の中にはツリ目できつい顔立ちの美人で巻き髪が特徴の派手なドレスを着る令嬢が登場した。
身分違いの恋物語だった。描写は違っても主人公の可愛らしい少女が王子を好きになり、絆を深めていく。惹かれ合う王子と主人公の邪魔をするのが悪役令嬢だった。悪役令嬢は情に流されず、正論を説いて二人を説得するも耳を傾けない。少女に魅了された他の登場人物も悪役令嬢の傍を離れていく。最後に国外追放を命じられた悪役令嬢は未練のカケラもなく、小説から姿を消す。
王妃は惹かれ合う者が結ばれる物語が好きだった。シャーロットが第一王子を好きではないのは気付いていた。物語の悪役令嬢は周囲に失望して未練なく国を捨てた。王妃はシャーロットが恋をしたら王子との婚約破棄をさせ応援しようと思っていた。だからバカな王子を切り捨てる悪役令嬢と想い合う二人が幸せになる小説を人生のお勉強よ。この悪役令嬢のようになれたら素敵ねと言いながら贈っていた。
悪役令嬢のシーン以外はさらりと飛ばすレイモンドのページの進みは早かった。
「男爵様、他にも恋愛小説あるよ。たくさんあるから読みたいものを教えてくれれば」
レイモンドは隣に座る悪役令嬢のかけらもないシャーロットを見た。第一王子が男爵邸に住むようになってからシャーロットを深夜に迎え入れた執事に心配されていた。
「婚約破棄された時、辛かった?」
シャーロットは首を傾げて、しばらくして自分のことだと気付いた。
「うん。卒業パーティを壊した生徒達への罪悪感とモールへ怨恨が向かないように必死に謝罪しながら祈ってた。状況がわからず、休憩もせず、往復させられる護送する者達への配慮もできなかった。公爵令嬢として失格。この事態を知れば両親は激怒し、王家からのお咎めも想像すると怖かった。深夜の訪問と強引な婚姻。不敬に男爵様に斬られる覚悟も決めていたけど、初めて会った時に帯剣してないのに安心したなぁ」
執事は騎士達に最後の願いに第一王子のためを願ったシャーロットは第一王子を慕っていると思っていた。第一王子の滞在を許したレイモンドを心配して進言していた。
レイモンドは笑った。初対面の時に恐怖に怯えていたように全く見えなかった。相変わらず見当違いな恐怖だった。
「あの日はわからなかったけど最高の誕生日の贈り物だった。殿下にいただいた最初で最後の贈り物。でもパーティを壊したから生徒の皆様に明日は謝罪しないといけないかな・・・。男爵様は挨拶さえ終われば先に帰っていいよ」
シャーロットの震え出した手をレイモンドは握った。
「隣にいるよ。俺は絶対に謝罪はいらないと思うよ。」
「確かにロレンスのおめでたい席に水を差すのも良くない・・。」
レイモンドは見当違いでも突っ込むのはやめた。何度聞いてもシャーロットが責められ、謝罪するのは納得できなかった。誕生日という言葉に頬を掻いた。シャーロットにとって恐怖の誕生日の思い出を塗り替えたかった。
「今度の誕生日はきちんと祝おうな。苺狩りでも行こうか」
「本当!?」
レイモンドの冗談にシャーロットは目を輝やかせた。シャーロットには収穫の経験はなかった。
「虫がいるけど、平気なら、うん。虫は俺が払ってあげるよ。大丈夫だよ。」
虫と言われ、震えたシャーロットはレイモンドの優しい笑みに嬉しそうに笑った。シャーロットはレイモンドの優しい笑顔が一番好きだった。
「男爵様は優しい」
「君の願いはできるだけ叶えたいから。」
シャドウは気配を消して二人の様子を眺めていた。
幸せそうに笑うシャーロットに複雑でも、王子よりはマシなレイモンドの味方をすることにした。怯えるシャーロットを宥めて笑わせる手腕は見事だった。シャーロットが素を見せるだけでも凄かった。シャーロットの素をアルナは知らない。知っているのは家族以外ではコノバ公爵家と王妃と王弟だけだった。
翌日の盛大なパーティでシャーロットを見つけた貴族達は雰囲気の違いに驚いていた。上品なドレスに控えめに化粧をした清楚な装いで真っ直ぐな黒髪を垂らしたシャーロットに目を奪われていた。
シャーロットが纏うのは王子の隣にいる時にだけ見せていた控えめで柔らかな笑顔だった。自身に寄り添いながら、柔らかく微笑むシャーロットにレイモンドは見惚れていた。
レイモンドは社交で婚約者仕様のシャーロットを見るのは初めてだった。
「シャーロット様、このたびは、なんと…。私、心配で」
「ごきげんよう。お気遣いありがとうございます。芽吹きはまだ先ですが、良きご縁に感謝しております」
「まぁ!?なんと…。」
シャーロットは代わる代わる貴族達に声を掛けられたので食事を楽しむ時間はなく談笑をしながら時が過ぎるのを待つしかなかった。緊張しているレイモンドをさり気なく庇い寄り添いながら、ずっと笑みを浮かべていた。貴族達は平凡な男爵に王子の時と変わらぬ態度で寄り添い慕う姿を様々な心情を抱きながら見ていた。
王族が退場したのでシャーロット達も帰るために会場を出た。
「シャーロット様」
シャーロットは聞き覚えのある声に足を止めた。
「お辛くありませんか?」
シャーロットは第一王子の元友人に微笑みを浮かべた。
「辛いことはありません。私は良くしていただいています」
「あの時、声を」
「いいえ。近衛騎士として任務に忠実になるのは当然です。貴方は王家の剣で盾です。私情を制して務めてくださったことに敬意を示しますわ。侯爵子息に男爵夫人が」
「構いません。どんな身分でも私はシャーロット様をお慕いしています。何かあればいつでも頼ってください。」
「ありがとうございます。これからもロレンス様をお願いします。私は側でお支えできません。いつも殿下を守ってくださった貴方が私の従弟に仕えてくださることに感謝申し上げます。私達はこれで失礼します」
シャーロットは礼をしてレイモンドの腕を抱いて後にした。
人目のない場所で声を掛けられてほっとしていた。シャーロットは愛人になるつもりはない。
「男爵様、よくある戯れですわ。愛人や不倫はよくあるのです。王妃候補でなくなると楽でもしがらみからは逃げられませんね。」
「愛人!?」
「はい。人目のない場所での告白。迎え入れる準備はできているということです。殿方はそういうものですから」
レイモンドは微笑むシャーロットに頬を掻きながら口を開いた。
「俺は生涯シャーロット一人だけでいい」
「男爵様は優しい。」
貴族の顔ではなく、嬉しそうに笑うシャーロットにレイモンドは笑った。見惚れてしまう貴族の顔をした笑みより自然の笑みのほうが好きだった。張り付けた貴族の顔が自分の前では素に戻るのが嬉しかった。シャーロットはレイモンドの緊張が解けた様子にさらに笑った。
シャーロットはこれ以上他の貴族に捕まらないように人通りの少ない通路を選び馬車に乗りモール公爵邸を目指した。王都のお祭りに誘おうか迷ったが、レイモンドの疲れた顔を見てやめた。
二人はモール公爵邸に一泊して翌日に男爵領に帰った。
レイモンドは全てシャーロットに頼りっきりだった。貴族の婉曲な言い回しは理解に苦しんだためまた第一王子に教えを乞おうと決めた。
第一王子は慈悲の心は持っていたので素直に頼むレイモンドを暇だったので指導していた。自分に懐いて教えを乞う貴族は初めてだった。
コメリ男爵家の使用人は妻の元婚約者の王子を頼りにしているレイモンドを複雑な目で見ていた。たくましく成長したのか頭がおかしくなったのか、何も考えていないのかわからなかった。
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