卑屈な令嬢の転落人生

夕鈴

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三話後編

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レイモンドは読書が趣味な侍女を探していた。ようやく見つけて声をかけた。

「あのさ、悪役令嬢の登場する小説って知ってる?」
「はい」

レイモンドは侍女に礼を求めない。レイモンドはいつも通り気安い態度で問いかけるが侍女の反応はいつもと違っていた。

「もし持っていれば貸してもらえないか?どれなのかわからなくて」
「構いませんが、お部屋にお持ちしますか?」
「うん。ありがとう。シャーロットって悪役令嬢に見える?」
「旦那様?」
「いや、なんでもない。忘れて…」

レイモンドは侍女の戸惑う視線に気まずさを覚えて立ち去る。気づくと庭に足を進めていた。レイモンドの足元に可憐に咲く桃色の花を見つけ足を止めた。レイモンドの足元に咲く花は初めて贈ったドレスを着たシャーロットの髪に飾られていた花である。

侍女達は頭を抱えることはなくなったのに、さらに様子のおかしいレイモンドに困惑していた。
本が嫌いなレイモンドが恋愛小説に興味を持つのも大きな違和感だった。

「旦那様、どうされたのかしら…」
「奥様が悪役令嬢に見えるかって聞かれたけど…」
「同じなのは立場よね。美人で身分が高く、王子の婚約者で断罪されるのは」
「嫁ぎ先が旦那様でも未来の王妃から男爵夫人は転落よね…。どう見てもアリシア様のほうが悪役。旦那様は何が知りたかったのかしら」
「初恋だから仕方ないわよ。応援してあげ…、は?何してるのかしら」

侍女達は窓の外で花を眺めているレイモンドを見つけた。

「あんた達は鈍いわね」

戸惑う侍女仲間の会話を聞きながら掃除をしていた侍女はニヤリと笑って挙動不審なレイモンドに近づいた。

「旦那様、奥様に贈るんですか?」
「いや、花なんて…」

突然声を掛けられ慌てるレイモンドに侍女は朗らかに笑った。

「きっと喜ばれますよ」

レイモンドは侍女の提案に悩みはじめた。

「喜ぶだろうか…何もいらないって」
「贈りたいなら贈ればいいんです。奥様は花束をもらって踏みつぶすような方ではありません。庭師を呼んできます」

侍女は強引に庭師を呼んで花束を作らせ、悩んでいるレイモンドに渡した。

「行ってらっしゃいませ。いらないって言われたら皆でやけ酒に付き合いますよ!!」

レイモンドは侍女に背中を押されて、離れを訪問した。苺がないので戻ろうかと迷いはじめた。いつまでも扉の前にいるレイモンドの気配に気づいたミズノが扉を開けた。

「お嬢様にご用ですか?」
「どうしたの?男爵様?」

シャーロットが本を抱えてミズノの後ろから顔を出したのでレイモンドは花束を渡した。

「あげるよ。ごめん。苺忘れた」

シャーロットは首を傾げて花束を受け取り甘い香りに笑みを浮かべた。

「ありがとうございます。苺がなくてもいいのに。お時間があればお茶でも。ミズノのお茶は美味しいよ」

レイモンドは嬉しそうに花束を抱きしめているシャーロットを見て頬を掻いた。
シャーロットが分厚い本を持ったまま花束を抱きしめたため花が潰れていた。

「ミズノ、お花が、本で・・、あ、え、」

慌てたシャーロットの手から花束が落ち、分厚い本がシャーロットの足の上に落ちた。
シャーロットは花を落としたショックと足の痛みで茫然として座り込んだ。

「お花が」

瞳を潤ませて花束を見つめるシャーロットの頭をミズノが撫でた。

「シャーリー、大丈夫よ。花びらは落ちてないわ。形がくずれたけど、これくらいなら直せるよ。お部屋に飾ればいい?」
「ミズノ。うん。ありがとう」
「いいえ。足は大丈夫?」
「うん。大丈夫。男爵様、ごめんなさい」

申し訳なさそうに謝るシャーロットにレイモンドが笑った。

「気にしないで。喜んでもらえただけで充分だよ」
「男爵様は優しい」

泣きそうなシャーロットの頭をレイモンドが撫でた。

「また贈るから泣かないで。悪気がないのわかってるから。立てる?」

レイモンドの差し出した手にシャーロットが手を重ねて立ち上がった。足の痛みよりせっかくの花を駄目にしたことを悲しんでいた。
レイモンドはシャーロットの足元の分厚い本を拾ったが知らない言語のため読めない。
シャーロットはミズノが花を整えて部屋に飾るのを見つけてにっこり笑った。

「男爵様、よければどうぞ」

レイモンドはシャーロットに椅子を勧められ座った。

「シャーロット、本を」
「ありがとう」
シャーロットは本を机の上に置いた。ヒノトが市で旅商人から買い取った異国の物語集だった。
ミズノがお茶の用意を整え戻ってきた。
レイモンドはミズノが用意したお茶を一口飲むと明らかにいつも飲んでいるお茶と味も香りも違っていて目を見張った。
シャーロットがにっこりと笑顔でお茶を飲んでいる様子を見て気付いた。シャーロットはレイモンドの前でお茶を飲むときはいつも綺麗な笑みを浮かべていた。

「シャーロット、茶葉、取り寄せようか?」

シャーロットは首を傾げた。

「え?」
「うちのお茶、気に入らないだろう」

シャーロットは困惑していた。

「これ、市で売られていたお茶だよ。」
「え?」

レイモンドは高級な茶葉だと思っていた。男爵領の市には高級品の取り扱いがなかった。

「シャーリー、正直に言いなよ。本邸でのお茶の用意は俺らに任せて欲しいって」
「ヒノト、おかえり。」
「ただいま。集めてきたよ」

シャーロットはヒノトから書類を受け取り欲しい情報を見つけて頷いた。

「シャーロット、邸では好きにしていいよ。遠慮しないで」
「いえ、それは、私が至らないからで、あって・・・」
「は?」
「役立たずの夫人に飲ませるお茶など・・」
「シャーロット、違うよ。うちの者は・・・」

言葉を濁すレイモンドにヒノトがため息をついた。

「シャーリー、お茶の淹れ方が下手なんだよ。茶葉の特性も理解できてないし」
「うん。わかったよ。これからはシャーロットのお茶はミズノ達に任せるよ」
「ご配慮感謝します」
「ありがとうございます」

シャーロットはわざとではないことに驚きながらも美味しくないお茶から解放されることに安堵の笑みを溢した。
嬉しそうに笑うシャーロットを見てレイモンドは複雑だった。

「食事は口に合っている?」
「はい。」
「それならいいけど」
「お気遣いありがとうございます」

シャーロットはレイモンドから視線を逸らしてお茶を飲んでいた。
シャーロットは食事についてはヒノトを通して時々お願いをしていた。そのお願いをレイモンドが知るのはしばらく先の話だった。
花を見ると嬉しそうに笑うシャーロットを見て、レイモンドは頬を掻いた。令嬢の扱いは難しいと思いながらも嫌な気はしなかった。お茶を飲み終え、礼をして見送るシャーロットの姿に笑みを浮かべて本邸に帰った。
侍女は帰ってきたレイモンドの手に花束はなく頬が染まっている様子を見て、夜の報告会の話題が決まった。男爵夫妻の情報共有は使用人達には大事な情報であり、応援するために必要なことだった。使用人達はレイモンドの初恋を心から応援していた。

****

婚姻して二月経つ頃にはシャーロットは髪を巻くのをやめ、レイモンドから贈られた装飾のない上品なドレスを身に着けていた。
シャーロットが断るので、レイモンドはミズノに相談しシャーロット好みのドレスを強引に贈っていた。贈ると恐縮しながら受け取り、ドレスを身に着けヒノトとミズノの前で頬を染めて似合っているか聞く姿を偶然見かけたレイモンドは陰で笑っていた。
シャーロットの普段着は領民が仕立てて献上していた。毎日男爵と一緒に手を繋いで歩く黒髪の美少女を飾り立てるのを楽しんでいた。
アリシアと違い明らかに男爵を慕い、上等でない布で仕立てた服にもレイモンドの背中に隠れながら照れた顔でお礼を言い、その様子を優しく見つめ礼を言うレイモンドの姿に領民達は歓喜していた。
ヒノトがシャーロットに頼まれてお礼を用意し配っていたので献上品が余計に増えていた。
新婚の男爵夫妻を領民は歓迎していた。そして時々、ヒノトと共にコメリ男爵の妻の心得を教わりにくるシャーロットをカミラ夫妻を筆頭に快く面倒を見ていた。
亀の様な足並みでレイモンドとシャーロットが男爵夫妻として歩み始めている頃、男爵家にはさらに手紙が殺到していた。
シャーロットへの茶会と夜会の招待と教養の教師役の希望だった。
優秀な下位貴族夫人は良家の子女の教師役として雇われた。
王子の婚約者で公爵令嬢のシャーロットは近寄りがたかったがコメリ男爵夫人なら違っていた。
ヒノトを抱いているシャーロットを見ながらレイモンドは悩んでいた。社交には出していなかった。シャーロットは世間では罪人という扱いである。ようやく警戒心が抜けた妻に苦行になるかわからなかった。

「お魚の首が怖い」

レイモンドは隣に座るシャーロットの呟きに苦笑した。真っ青な顔で涙を流して包丁を握っていたシャーロットを保護した記憶は新しかった。さすがに男爵邸の使用人達も侍女のシャーリーとシャーロットが同一人物と気付いていた。気付いていないのはシャーロットだけだった。

「シャーロット、諦めないか?世の貴族は料理をしないよ」
「来年の収穫祭はもう少し役に立ちたい。」

震えながらつぶやくシャーロットの意気込みにレイモンドは首を横に振った。
レイモンドは殺気の飛び交う祭りの準備に加わらせるつもりはなかった。手をボロボロにさせたくなかった。シャーロットの手荒れに気付いた侍女達が総出で水仕事をさせないように取り計らったおかげでシャーロットの手はようやく傷が治った。

「来年は俺の隣で挨拶。調理班に加わる時間はないよ。男爵夫人なんだろう?」
「男爵領の嫁たるもの料理は」
「その常識は違っているよ。泣きながら魚を捌くの見ると俺の心臓が止まりそう」
「病気?療養に」
「違うよ。心の問題。シャーロットが震えるのと同じ」
「私は男爵様と違って役立たず」
「そんなことないよ。おかげで俺の仕事は楽になったよ。優秀な妻をもらって感謝してる」
「男爵様は優しい」
「俺を優しいと言うのは君だけだよ。」

レイモンドに頭を撫でられ気持ち良くなりシャーロットは目を閉じた。レイモンドはシャーロットを眺めながら、社交は成人してからでいいかと思い直した。緊急性の高いものはなかった。
もともと田舎の男爵家は社交が少ない。震えの止まったシャーロットの頭を撫で続けた。

****

男爵領では、シャーロットを男爵夫人として正式に披露をしていなかった。
レイモンドは聞かれなければ敢えて紹介していなかった。それが一部で勘違いを生んでいた。
シャーロットはレイモンドの恋人と思われていた。
愛らしい美少女をレイモンドが見初めて、傍に置いていると思われていた。
レイモンドが畑の手伝いをしているのでシャーロットは夫人達に預けられていた。

「シャーリー、私は貴方を応援するわ。性悪には負けたら駄目よ」
「そうよ。いざとなったら匿ってあげるから」
「貴族の令嬢には負けないわ。嫁げば若様の方が強いもの」

シャーロットは息の荒い夫人の熱弁に怯えていた。レイモンドとの婚姻が見つかれば、自分は川に流されるのかと思うと体が震えた。
そして貴族の怖さを知らない領民も怖かった。嫁入りしても生家とのつながりは消えない。レイモンドを気に入らなければモール公爵家ならいくらでもやりようがあった。領民が貴族の怖さを知らないのはまずいのでレイモンドに相談しようと震えながらも頭のメモに書き込んだ。モール公爵領民には子供の頃から貴族の怖さを教え込んでいるので、貴族と何かあればすぐに、公爵家に報告するように教えていた。もちろん貴族の怒りを買わないように正しい対応も教えていた。

「簀巻きで川に流され・・・」
「シャーリー?」
「できれば王都に繋がってない川がいい・・。」

震えるシャーロットのところにレイモンドが戻り肩を抱いて夫人達に苦笑した。

「あまり怖いこと教えないでくれませんか」
「違いますよ。男爵様。私達はシャーリーの味方ですよ。どんな怖い夫人が来ても」
「披露はこれからだけど、彼女は俺の妻なんだけど」

シャーロットは自分の立場が知られてさらに震え瞳が潤んだ。

「簀巻き、山に捨てられる・・。できれば川より山に捨ててほしい。王都は嫌・・」
「捨てないし簀巻きにもさせないよ。帰るよ。俺達はこれで」

泣き出しそうなシャーロットの手を引いてレイモンドはその場を離れた。
夫人達は騒然とし、しばらくすると興奮した。夫人達の中ではレイモンドとシャーロットの恋物語の憶測が繰り広げられていた。訳ありの謎の黒髪の美少女が王子の元婚約者と知る者はいなかった。

レイモンドは男爵邸の離れに帰った。
部屋の隅に二人で座って用意させた苺をシャーロットの口にいれた。苺を与えればシャーロットの震えが止まるのを覚えていた。
レイモンドは笑顔で苺を食べるシャーロットに笑った。

「俺の前の婚約者はうちでは嫌われてるんだよ。領民にだけでもきちんと伝えようか。婚儀をすませてからでいいかと思っていたんだけど」

シャーロットは苺を飲み込み首を傾げた。

「婚儀?」
「公爵夫妻に挨拶してないし、成人したらきちんとあげるよ。書類上ではすませても、大事だろう?」
「お金が勿体ない。お父様達は・・・・。怒ってるかな。怖い」

また震えはじめたシャーロットの頭をレイモンドがゆっくりと撫でた。公爵家と比べ物にならない程質素でも婚儀をあげる程度の財力は持っていた。
モール公爵とは関わりがないから言えるのは一つだけだった。モール公爵家や王都への文はシャーロットが必要以上に出さないようにレイモンドに頼んでいたため挨拶する手段がなかった。

「成人したらだからまだ先だよ。怒られたら一緒に謝ってあげるよ」
「男爵様・・・・。負債を背負ったのに」

シャーロットの卑下が始まったら止まらないのでレイモンドは苺を食べさせた。

「その発想やめようか。俺は君で良かったよ。」

シャーロットはレイモンドの優しさが好きだった。初めて言われた言葉だった。弱くて可愛げもない素のシャーロットを知ったレイモンドにもらった言葉に瞳が潤んだ。

「頑張ります。私は幸せ者です」

瞳を潤ませ笑みを浮かべたシャーロットの頭をレイモンドが撫でた。
シャーロットにとって落ち込むといつも優しく慰めてくれる家族以外の存在は初めてだった。繋がれる手のぬくもりも、何気ない時間を共有することも、自分を必要としてくれることも嬉しかった。レイモンドの隣に立って恥じない自分になりたいと思った。顔をあげてにっこり笑ったシャーロットにレイモンドは笑い返した。シャーロットはレイモンドほど優しい笑顔を見せる人を知らなかった。笑った顔を見て心がぽかぽかと温かくなるのは初めての感情だった。
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