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ニ話後編
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コメリ男爵夫妻の婚姻は発表していなかった。
レイモンドを慕う領民にとって男爵の婚約者のアリシアの評判は悪かった。
レイモンドが黙っていても人の噂は広がるものである。
レイモンドと強引に婚約を結び、コメリ男爵領に足を運ばない令嬢は嫌われていた。
男爵領が多忙で大変な時期に足を運ばなかったことは余計に反感を買っていた。
シャーロットは未来の男爵夫人への苦言を静かに聞いていた。確かに強引な婚姻は事実であり、社交もしていない。男爵夫人として役立たずだった。
レイモンドが大変な時期に助けなかったと言われ、大変な状況に追い込んだのはシャーロットである。シャーロットが婚約者の暴挙を止められれば強引な婚姻をレイモンドは受けなくてすんだ。
困り果てたレイモンドの顔を思い出すと罪悪感に押しつぶされそうだった。
シャーロットは罪を犯した自覚はなかったが、王子の逆鱗に触れたなら自分への断罪だけで済ませてほしかった。シャーロットが気付いた時には全てが遅かった。どこまで手回ししているかわからない状況で安易に動けなかった。それに失敗してこれ以上レイモンドに迷惑をかけたくなかった。王子にとってコメリ男爵家を潰すのは指を鳴らすよりも簡単だった。
シャーロットは夫人達がアリシアのことではなく自身のことを話していると思っていた。矛盾があっても上手く辻褄を合わせるのがシャーロットだった。未来の男爵夫人は認められてない自身の呼び名と思っていた。
シャーロットは男爵への不敬を働くなら追い出すという村人達の話に怯えていた。すでに深夜の訪問と強引な婚姻という不敬を働いていた。追い出されてもいいが王都に捨てられたら堪らなかった。シャーロットが殺されるだけならいい。すでに何度も死ぬ覚悟は決めていた。でもコメリ男爵家やモール公爵家、ミズノとヒノトに被害が及ぶのは避けたかった。
「シャーリー、貴方にじゃないわよ!!」
夫人達の話で脳裏にギロチンが浮かび顔色の悪いシャーロットに夫人が肩を叩きビクッと震えた。
カミラのおかげで近隣の夫人達と顔馴染みになってもシャーロットは人見知りをしていた。勢いよく話す夫人達は怖かった。夫人達は弱気なシャーロットとしっかり者のヒノトの訳あり兄妹を可愛がっていた。ヒノトの陽気な笑顔とシャーロットが時々見せる愛らしい笑みに魅入られ、よく世話をやいていた。
シャーロットは首を横に振りポツリと零した。
「男爵夫人は役立たず」
「シャーリーは越してきたから知ってるのね。若様に嫁げる栄誉をわからないような…」
シャーロットは夫人の話に震えていた。
レイモンドは視察をしていると夫人達に囲まれる黒髪を見つけて近づくと真っ青な顔のシャーロットを見て、慌てて駆け寄った。
「シャーロット!?」
「若様!?」
夫人達の驚く声とレイモンドの声にシャーロットはさらに震え、真っ青な顔でレイモンドを一瞬見て視線を下に逸らした。シャーロットは王都に捨てられるならここで殺されるほうが穏便と考えた。ただシャーロットの手元には自害できるものはなかった。護身用の短剣はヒノトに取り上げられていた。
「男爵様、私は役立たずです。お魚も捌けません。もういっそう」
「シャーロット?」
様子のおかしいシャーロットの顔をレイモンドが覗きこもうと肩に手を伸ばすと空を切った。
野菜を抱えたヒノトが震えるシャーロットの腕を引き寄せた。
「シャーリー、今日は帰ろうか。俺達失礼します。」
「あら、そう?残念ね。またね」
ヒノトが夫人達に愛想よく笑いかけ、シャーロットの手を繋いで立ち去った。
「坊ちゃん、追いかけなくていいんですか?」
補佐官に強く肩を叩かれてレイモンドが追いかけた。
訳ありの見目麗しい兄妹が突然帰るのはよくあるので夫人達は気にしない。出会えたら運が良いと思いながら構っていた。
「体調が悪いなら馬車を」
「お気遣い不要です。心の問題ですから。では俺達は」
「お魚・・。もういっそ」
「急ぎじゃないから送るよ。シャーロット、魚って・・、」
「私は男爵夫人として、何も学んできませんでした。役立たずはいらないです。せめて」
震えて下を向いているシャーロットにレイモンドが困惑した。共にお茶を飲んでいる姿とは違いすぎ、見間違いかと思った姿だった。
「いや、従者、こっちが素なのか?」
「答える義務はありません」
ヒノトの無礼な態度も礼儀が徹底されていない男爵家で育ったレイモンドは気にしなかった。
ミズノは常に礼儀を弁えるが、ヒノトは必要な時だけだった。
レイモンドはシャーロットの傷だらけの手を見て、顔を顰めた。シャーロットはレイモンドの前で手袋をずっとしていた。向き合わずに放置したのが原因だとようやく気付いた。
「シャーロット、体調が悪くないなら歩こうか。」
「え?」
「行こうか」
「き、着替え、身支度が、」
「そのままでいいよ」
簡素なワンピースに髪を纏めているシャーロットは領民と変わらなかった。レイモンドは震える手を強引に繋いで歩き出した。
ヒノトはシャーロットが嫌がっていないので手を解いてレイモンドに譲った。
レイモンドと手を繋ぐシャーロットは視線を集めていた。レイモンドは視察にシャーロットを連れて歩いていた。
領内を歩いて、民の暮らしを見ながら話を聞くのはレイモンドの日課だった。
シャーロットはレイモンドに手を引かれながら観察していた。レイモンドは声をかけられれば挨拶を返し、村人が困っていればすぐに手を貸した。シャーロットは領民に慕われている理由がよくわかった。
こんな優しくて立派なレイモンドの妻に相応しくない自分に卑屈になっていた。
「男爵様は慕われてますね。」
「君がいるからかな。いつもより声を掛けられる。成人まで待つつもりだったけど君が望むならお披露目するよ。仕事も教える」
「私は料理も洗濯もできず、恥さらしになってしまいます。」
レイモンドは視線を合わせず、ボソボソと話すシャーロットを見ながら、頭を掻いた。
「そのために出かけてたの?」
「はい。親切な皆様から男爵領の嫁の心得を学んでいました。せめてお役に立てるようにと。」
レイモンドはシャーロットの言葉に驚き、一人にするのはいけない気がした。
方向性が違っている。男爵夫人は亡くなっているため、夫人の仕事もレイモンドが引き受けていた。
公爵令嬢が男爵夫人になるために学んでいるとは思っていなかった。年下の令嬢であるのをようやく思い出した。
視察を終え、邸に戻り執務室にシャーロットを招いた。
屋敷の管理は夫人の務めである。
レイモンドはシャーロットに書類を渡した。シャーロットは渡された書類の少なさに驚いていた。
「男爵様、これだけですか?」
「え?」
「失礼しました。」
頭を下げて、勧められた椅子に座りヒノトに相談しながら、ペンを進めた。レイモンドは教えるつもりだったが必要がなかった。シャーロットの難があるのは性格だけである。
シャーロットは意識を切り替え貴族の仮面をつけた。
「男爵様、確認のため、邸内を歩いて参ります。他に御用はありますか?」
レイモンドは突然声色が変わり、視線が合ったシャーロットに驚いた。
「晩餐を共に。外出するなら声を掛けて」
「かしこまりました。失礼します」
綺麗に礼をしたシャーロットは領で見かけた姿と別人だった。
それでも傷だらけの手を思い出しレイモンドは見間違いと思った子供のような姿は現実と認識した。
シャーロットはヒノトを連れて離れに戻り、ミズノを呼び出し仕度を整えた。屋敷を預かる夫人なら簡素な服で歩くのは許されなかった。
貴族の仮面を被り、ヒノトを連れてコメリ男爵邸内を歩いていた。
使用人の視線を集めたが気にせず食料庫や倉庫も確認した。いくつか改善点を頭のメモに書き込んだ。
モール公爵邸の管理を手伝っていたシャーロットには規模の小さい男爵邸の管理は簡単だった。
レイモンドは令嬢という生き物がよくわからず苦手だった。
友人の姉や妹は我儘か野生児でいつも兄弟を振り回していた。また平凡なレイモンドに令嬢が近づくことはなかった。
元婚約者には、贈り物をするだけで、ほとんど会っていなかった。私的に会ったのは最初の顔合わせを含めて3回だけだった。
公式では何度か夜会でエスコートしていたが婚約者のアリシアは退屈そうにファーストダンスを終えるとすぐに側を離れた。伯爵令嬢が平凡な男爵家に嫁ぐのが不服に思っているのは言葉と態度でよくわかっていた。互いに婚約者として知人に紹介することはなかった。常に別行動で他の子息と踊ったり談笑をかわしていた。愛らしい顔立ちに似合わず豊満な胸を持っていたが、レイモンドは友人達には同情されていた。
アリシアと交わす言葉は挨拶と欲しい贈り物についてだけだった。
伯爵家との縁談は断われないので、レイモンドは婚姻したら互いの妥協点を見つけて仮面夫婦のつもりだった。伯爵令嬢でさえ、手に余るのに公爵令嬢はさらに悩みの種だった。
シャーロットは呼び出さないと全く見かけないので、定期的にお茶をしていた。きちんと生きて生活している姿に安堵していた。互いの距離感が掴めずに、悩んでいても仕事に打ち込むとシャーロットのことは頭から消えていた。
まさかシャーロットが役立たずと思い込むなど予想もしていなかった。
これからは仕事に逃げずに共にいる時間を積極的に作ろうと決めた。シャーロットが男爵夫人になるつもりがあるなら向き合わなければいけなかった。公爵令嬢が魚を捌けないと落ち込む姿は思い返せば笑えた。使用人達は一人で笑っている年若い主を気の毒な顔で見ていた。
母親を亡くし、顔しか取り柄のない婚約者を押し付けられ、父が倒れ、突然美人だが近寄りがたい令嬢と婚姻させられた不憫な主が壊れても仕方ない状況だった。
その頃シャーロットは厨房にいた。
レイモンドに任された執務は終わったので、晩餐の時に報告するだけだった。
料理人達は手伝いを申し出たシャーロットに言葉を失った。
「お魚は捌けませんが皮むきはできます」
優雅な笑みを浮かべたシャーロットの口から零れた似合わない言葉に料理人達は困惑していた。
「やはりまだ認めていただけませんね。失礼しました。」
無言の料理人を見て綺麗な礼をして立ち去るシャーロットの背中を見送り料理人達は聞き間違いかと話し合っていた。
シャーロットは手伝いを申し出るも使用人達は困惑するだけだった。
強引に妻となり押しかけ、役立たずの無能な夫人が使用人達に受け入れてもらえないのは当然かとシャーロットは思っていた。
ヒノトは笑っているが、内心は落ち込んでいるシャーロットのために男爵家の侍女服を手に入れ、着替えさせた。
使用人の少ない男爵邸で侍女としてなら仕事は任せられるのは分かっていた。
ヒノトはシャーロットと一緒に侍女の仕事を手伝いはじめた。ヒノトはシャーロットの従者として有名だった。金髪の美少年が手伝いを申し出るなら有り難く手を借りた。見慣れない役立たずの侍女が一緒でも美少年のヒノトに笑みを向けられたら気にならなかった。ヒノトがフォローするので、問題もなかった。
シャーロットは何もできない自分に落ち込みながらも手を動かしていた。
使用人達はヒノトと共にいる侍女がシャーロットとは気づかなかった。使用人の前の貴族の仮面をつけた姿と違いすぎていた。ヒノトは常にシャーロットの側にいて、必要以上に話さないため謎の黒髪の侍女のことは誰も聞けなかった。
****
金髪の洗練された所作の有能な双子と違い、黒髪の何もできない侍女は目立っていた。
最初は怪しい目で見ていたが、年配者が多いコメリ男爵家の使用人達は段々庇護欲がそそられてきた。
「ヒノト、できた」
タオルをようやく綺麗に畳めるようになったシャーロットがにこりと笑うとヒノトが頭を撫でた。
「上手くできたな」
物凄く時間がかかっていても、突っ込みを入れる者はいなかった。危険のない時間がかかっても問題のない簡単な仕事を与えていた。
ゆっくりとできることが増えていく姿は孫の成長を見守る気分だった。集中しているシャーロットだけは自身を見つめる生温かい視線に気づいていなかった。
不憫なレイモンドに心を痛める使用人達にとって、美少年のヒノトとずっと下を向いているが時々笑う愛らしいシャーリーは目の保養になっていた。
****
執事から報告を受けたレイモンドは新しい侍女を雇っていなかった。男爵邸で黒髪はシャーロットだけだった。
晩餐を共にしたときは艶やかなドレスを身に纏い、髪を巻いた見慣れた風貌で優雅な仕草で食事をしていた。料理への不満も口に出さず綺麗な笑みを浮かべていた。話題はいつもと同じ男爵領のことだった。任せた仕事も完璧で、むしろ修正を加えられたが的確だった。
「坊ちゃん、離れに行かれては?お嬢様のテリトリーのほうがリラックスされると思いますよ。」
「掴めない。俺には彼女がわからない・・」
「私はアリシア様より好感が持てますが。」
「あれは、比べたら駄目だろう。シャーロットは殿下の心を繋ぎ止められず婚約破棄って言っていたけど・・。以前、アリシア嬢がシャーロットに嫌がらせをされたと騒いでいた噂は耳にしたけど、それで断罪?罪にならないだろう?伯爵令嬢が公爵令嬢の婚約者に近付いたなら、家を取り潰されても仕方ない。家に力の差がありすぎる。シャーロットが嫌がらせするような性格には思えないし、必要性もわからないんだけど。だって俺に謝ったんだよ。全部自分の所為だって。おかしいだろう?」
「そうですね。弱気な挙動不審な侍女がお嬢様とは」
混乱しているレイモンドを笑って見ている執事長を睨んだ。
「いつからお嬢様になったんだ?」
「まだ奥様とお呼びするのは早いかと。先触れせず、苺を持って行ってらっしゃいませ。今は離れにいらっしゃいますよ。」
レイモンドは執事長に籠に詰まった苺を渡され背中を押されて離れに向かった。
ノックをしても返答はなかった。中に入ると部屋の隅にクッションに蹲り犬を抱いて眠っているシャーロットがいた。
この時間はヒノトとシャーロットの昼寝の時間だった。執事長はシャーロットの予定を把握していた。
新しい男爵夫人に危険があるなら止めなければいけなかった。レイモンドを育てた執事長にとってはシャーロットも孫のような存在だった。
報告は求められていないのでしなかった。シャーロットが領民に紛れているのを知っているのは男爵家では一部の者だけだった。
レイモンドはあどけない顔で眠るシャーロットを眺めていた。
しばらくして目を醒ましたシャーロットはレイモンドを見て驚き慌てた。
「ヒノト、どうしよう、起きて」
レイモンドは学園で見たシャーロットは忘れることにした。さすがにレイモンドも慣れたので固まらなかった。シャーロットのボロボロの手が現実を認識させていた。
「男爵様、どうか、ヒノトとミズノだけは」
「殺さないから落ち着いて。あげるよ」
起き上がってヒノトを抱きしめて震えるシャーロットは差し出された籠に目を輝かせた。
「これは!!・・最後の晩餐」
目を輝かせたが一瞬でしょんぼりして物騒な言葉を呟き出したシャーロットの口の中にレイモンドは苺を入れた。シャーロットは苺の甘みにうっとりした。
「殺すつもりも危害を加えるつもりないよ。時間が出来たから顔を見に。」
シャーロットはヒノトを抱きしめながら、苺を飲み込みレイモンドを眺めた。用もないのに会いにくるなど兄以外にありえなかった。わざわざ苺を用意し、自分に食べさせる姿に兄を思い出して笑った。レイモンドは自然な笑みに見惚れていた。
シャーロットは兄のように優しい顔をするレイモンドから敵意がないのがわかった。レイモンドの意図が掴めず不思議そうな顔をするシャーロットにレイモンドは苺を食べさせながら口を開いた。
「シャーロット、男爵夫人に不満はないの?」
「私は不満はありませんが、男爵様には申し訳」
視線を下に向け、シャーロットの謝罪の嵐が始まったので、レイモンドはまた苺を強引に口にいれた。
「いや、俺は有り難いと思ってるよ。君との方がうまくやれそうだよ」
苺を飲み込んだシャーロットは笑っているレイモンドをそっと見た。
「え?私はウルマ様のように可愛いげも魅力的なお体も、心を癒す術もありません。何もできない役立たずです。私は妃教育ばかり受けてきたので何もできません。手作りのお菓子の差し入れもできません。力不足…」
レイモンドの知るアリシア・ウルマは我儘な伯爵令嬢である。料理する姿も想像できない。お菓子を渡されたら何が混ざっているか疑う自信がある。
少なくとも苺を渡すなら、宝石を寄越せと言いそうな人間である。花束よりも装飾品がいいと言われたのは2度目の逢瀬の時だった。
伯爵令嬢が公爵令嬢より優秀には見えなかった。アリシアの所作よりもシャーロットの所作のほうが綺麗なのはレイモンドにもわかった。社交界での評判も雲泥の差だった。
シャーロットの卑下する止まない言葉を苺を口に入れて黙らせた。
「俺はよくわからないけど、最も難度の高い妃教育を受けた君は自分を卑下する必要はないよ。君に任せる仕事は完璧だよ。それに俺の母親も家事はできなかったよ。それでも男爵夫人として務まっていた。やりたいなら止めないけど」
シャーロットは苺を食べながら正直に話すことにした。シャーロットの秘密を。
知ってもレイモンドはシャーロットを王都に捨てたり斬ったりしない気がした。
「私はもともと適性はありません。モール公爵家の令嬢は私だけなので殿下の婚約者に選ばれたのです。いつも理想の婚約者を演じていただけです。」
「演じ?」
「はい。悪役令嬢を」
「悪役令嬢?」
「はい。王妃様に教えていただきました。自分を偽れないなら演じなさいと。王妃様にコーディネートしていただき、演じておりました。どんなときも強く凛とたたずむ悪役令嬢を」
王妃の遊びをシャーロットが本気にしたとは王妃は知らなかった。
王妃のお気に入りの理想の悪役令嬢が登場する本を愛読書にしていたことも。ただ言動や所作は真似できても意地悪だけは真似できなかった。断罪されても凛と微笑み退場するシーンはそっくりだったので真似しただけである。そのため王子への突っ込みと生徒達への謝罪は口に出さず最低限の確認しかしなかった。
「髪を巻いているのも?」
「もちろん悪役令嬢らしくするためです。小柄で貧相な体の私には限界がありますが」
レイモンドは王家の闇を見た気がしたが突っ込まなかった。白いワンピースを着て、真っ直ぐな髪を垂れ流し、視線を合わせず、下をむいてぼそぼそと話す姿が素で学園生徒の憧れのシャーロットは悪役令嬢を演じていたとは・・。レイモンドは不謹慎とわかっていても笑いがこらえられなかった。
シャーロットが変わっていて信じ込みやすいのはよくわかった。初めて令嬢に好感を持った。
「そう。俺の前では演じなくていいよ。フォローするし、シャーロット好みの服を贈ろうか」
「いえ、服は十分にありますので。」
「婚姻したのに何も贈ってないだろう」
「苺をいただきました。離れも借りてます。充分です」
レイモンドはシャーロットとの時間を増やした。
お茶の時間に誘うのはやめた。突然訪問するほうが、素が見えると気づいてからは先触れはしなかった。
真っ直ぐな黒髪のシャーロットを知る者は少ない。レイモンドは弱気で卑屈なシャーロットに苺を食べさせながら過ごす時間は嫌いではなかった。
時々侍女として働いているのは、丁重に扱い何かあれば知らせるようにと命じるだけにした。
シャーロットは午前中はレイモンドの視察に同行し、任された仕事をこなしていた。空いた時間は侍女の仕事をヒノトとミズノに教わり、ヒノトと昼寝をして過ごしていた。突然苺を持って訪問するレイモンドから敵意がなく何度も危害を加えるつもりはないと言われたので、怯えず迎え入れるようになった。社交に出ないのは、王子が手を回しているためだと思っていた。毎日、レイモンドが用意する苺とヒノトとミズノのおかげで幸せに過ごしていた。
男爵邸に住み、一月経つ頃にはシャーロットはレイモンドの目を見て話せるようになった。
王都や学園での騒ぎなどシャーロット達は知らずにコメリ男爵領では平穏な時間が流れていた。
レイモンドを慕う領民にとって男爵の婚約者のアリシアの評判は悪かった。
レイモンドが黙っていても人の噂は広がるものである。
レイモンドと強引に婚約を結び、コメリ男爵領に足を運ばない令嬢は嫌われていた。
男爵領が多忙で大変な時期に足を運ばなかったことは余計に反感を買っていた。
シャーロットは未来の男爵夫人への苦言を静かに聞いていた。確かに強引な婚姻は事実であり、社交もしていない。男爵夫人として役立たずだった。
レイモンドが大変な時期に助けなかったと言われ、大変な状況に追い込んだのはシャーロットである。シャーロットが婚約者の暴挙を止められれば強引な婚姻をレイモンドは受けなくてすんだ。
困り果てたレイモンドの顔を思い出すと罪悪感に押しつぶされそうだった。
シャーロットは罪を犯した自覚はなかったが、王子の逆鱗に触れたなら自分への断罪だけで済ませてほしかった。シャーロットが気付いた時には全てが遅かった。どこまで手回ししているかわからない状況で安易に動けなかった。それに失敗してこれ以上レイモンドに迷惑をかけたくなかった。王子にとってコメリ男爵家を潰すのは指を鳴らすよりも簡単だった。
シャーロットは夫人達がアリシアのことではなく自身のことを話していると思っていた。矛盾があっても上手く辻褄を合わせるのがシャーロットだった。未来の男爵夫人は認められてない自身の呼び名と思っていた。
シャーロットは男爵への不敬を働くなら追い出すという村人達の話に怯えていた。すでに深夜の訪問と強引な婚姻という不敬を働いていた。追い出されてもいいが王都に捨てられたら堪らなかった。シャーロットが殺されるだけならいい。すでに何度も死ぬ覚悟は決めていた。でもコメリ男爵家やモール公爵家、ミズノとヒノトに被害が及ぶのは避けたかった。
「シャーリー、貴方にじゃないわよ!!」
夫人達の話で脳裏にギロチンが浮かび顔色の悪いシャーロットに夫人が肩を叩きビクッと震えた。
カミラのおかげで近隣の夫人達と顔馴染みになってもシャーロットは人見知りをしていた。勢いよく話す夫人達は怖かった。夫人達は弱気なシャーロットとしっかり者のヒノトの訳あり兄妹を可愛がっていた。ヒノトの陽気な笑顔とシャーロットが時々見せる愛らしい笑みに魅入られ、よく世話をやいていた。
シャーロットは首を横に振りポツリと零した。
「男爵夫人は役立たず」
「シャーリーは越してきたから知ってるのね。若様に嫁げる栄誉をわからないような…」
シャーロットは夫人の話に震えていた。
レイモンドは視察をしていると夫人達に囲まれる黒髪を見つけて近づくと真っ青な顔のシャーロットを見て、慌てて駆け寄った。
「シャーロット!?」
「若様!?」
夫人達の驚く声とレイモンドの声にシャーロットはさらに震え、真っ青な顔でレイモンドを一瞬見て視線を下に逸らした。シャーロットは王都に捨てられるならここで殺されるほうが穏便と考えた。ただシャーロットの手元には自害できるものはなかった。護身用の短剣はヒノトに取り上げられていた。
「男爵様、私は役立たずです。お魚も捌けません。もういっそう」
「シャーロット?」
様子のおかしいシャーロットの顔をレイモンドが覗きこもうと肩に手を伸ばすと空を切った。
野菜を抱えたヒノトが震えるシャーロットの腕を引き寄せた。
「シャーリー、今日は帰ろうか。俺達失礼します。」
「あら、そう?残念ね。またね」
ヒノトが夫人達に愛想よく笑いかけ、シャーロットの手を繋いで立ち去った。
「坊ちゃん、追いかけなくていいんですか?」
補佐官に強く肩を叩かれてレイモンドが追いかけた。
訳ありの見目麗しい兄妹が突然帰るのはよくあるので夫人達は気にしない。出会えたら運が良いと思いながら構っていた。
「体調が悪いなら馬車を」
「お気遣い不要です。心の問題ですから。では俺達は」
「お魚・・。もういっそ」
「急ぎじゃないから送るよ。シャーロット、魚って・・、」
「私は男爵夫人として、何も学んできませんでした。役立たずはいらないです。せめて」
震えて下を向いているシャーロットにレイモンドが困惑した。共にお茶を飲んでいる姿とは違いすぎ、見間違いかと思った姿だった。
「いや、従者、こっちが素なのか?」
「答える義務はありません」
ヒノトの無礼な態度も礼儀が徹底されていない男爵家で育ったレイモンドは気にしなかった。
ミズノは常に礼儀を弁えるが、ヒノトは必要な時だけだった。
レイモンドはシャーロットの傷だらけの手を見て、顔を顰めた。シャーロットはレイモンドの前で手袋をずっとしていた。向き合わずに放置したのが原因だとようやく気付いた。
「シャーロット、体調が悪くないなら歩こうか。」
「え?」
「行こうか」
「き、着替え、身支度が、」
「そのままでいいよ」
簡素なワンピースに髪を纏めているシャーロットは領民と変わらなかった。レイモンドは震える手を強引に繋いで歩き出した。
ヒノトはシャーロットが嫌がっていないので手を解いてレイモンドに譲った。
レイモンドと手を繋ぐシャーロットは視線を集めていた。レイモンドは視察にシャーロットを連れて歩いていた。
領内を歩いて、民の暮らしを見ながら話を聞くのはレイモンドの日課だった。
シャーロットはレイモンドに手を引かれながら観察していた。レイモンドは声をかけられれば挨拶を返し、村人が困っていればすぐに手を貸した。シャーロットは領民に慕われている理由がよくわかった。
こんな優しくて立派なレイモンドの妻に相応しくない自分に卑屈になっていた。
「男爵様は慕われてますね。」
「君がいるからかな。いつもより声を掛けられる。成人まで待つつもりだったけど君が望むならお披露目するよ。仕事も教える」
「私は料理も洗濯もできず、恥さらしになってしまいます。」
レイモンドは視線を合わせず、ボソボソと話すシャーロットを見ながら、頭を掻いた。
「そのために出かけてたの?」
「はい。親切な皆様から男爵領の嫁の心得を学んでいました。せめてお役に立てるようにと。」
レイモンドはシャーロットの言葉に驚き、一人にするのはいけない気がした。
方向性が違っている。男爵夫人は亡くなっているため、夫人の仕事もレイモンドが引き受けていた。
公爵令嬢が男爵夫人になるために学んでいるとは思っていなかった。年下の令嬢であるのをようやく思い出した。
視察を終え、邸に戻り執務室にシャーロットを招いた。
屋敷の管理は夫人の務めである。
レイモンドはシャーロットに書類を渡した。シャーロットは渡された書類の少なさに驚いていた。
「男爵様、これだけですか?」
「え?」
「失礼しました。」
頭を下げて、勧められた椅子に座りヒノトに相談しながら、ペンを進めた。レイモンドは教えるつもりだったが必要がなかった。シャーロットの難があるのは性格だけである。
シャーロットは意識を切り替え貴族の仮面をつけた。
「男爵様、確認のため、邸内を歩いて参ります。他に御用はありますか?」
レイモンドは突然声色が変わり、視線が合ったシャーロットに驚いた。
「晩餐を共に。外出するなら声を掛けて」
「かしこまりました。失礼します」
綺麗に礼をしたシャーロットは領で見かけた姿と別人だった。
それでも傷だらけの手を思い出しレイモンドは見間違いと思った子供のような姿は現実と認識した。
シャーロットはヒノトを連れて離れに戻り、ミズノを呼び出し仕度を整えた。屋敷を預かる夫人なら簡素な服で歩くのは許されなかった。
貴族の仮面を被り、ヒノトを連れてコメリ男爵邸内を歩いていた。
使用人の視線を集めたが気にせず食料庫や倉庫も確認した。いくつか改善点を頭のメモに書き込んだ。
モール公爵邸の管理を手伝っていたシャーロットには規模の小さい男爵邸の管理は簡単だった。
レイモンドは令嬢という生き物がよくわからず苦手だった。
友人の姉や妹は我儘か野生児でいつも兄弟を振り回していた。また平凡なレイモンドに令嬢が近づくことはなかった。
元婚約者には、贈り物をするだけで、ほとんど会っていなかった。私的に会ったのは最初の顔合わせを含めて3回だけだった。
公式では何度か夜会でエスコートしていたが婚約者のアリシアは退屈そうにファーストダンスを終えるとすぐに側を離れた。伯爵令嬢が平凡な男爵家に嫁ぐのが不服に思っているのは言葉と態度でよくわかっていた。互いに婚約者として知人に紹介することはなかった。常に別行動で他の子息と踊ったり談笑をかわしていた。愛らしい顔立ちに似合わず豊満な胸を持っていたが、レイモンドは友人達には同情されていた。
アリシアと交わす言葉は挨拶と欲しい贈り物についてだけだった。
伯爵家との縁談は断われないので、レイモンドは婚姻したら互いの妥協点を見つけて仮面夫婦のつもりだった。伯爵令嬢でさえ、手に余るのに公爵令嬢はさらに悩みの種だった。
シャーロットは呼び出さないと全く見かけないので、定期的にお茶をしていた。きちんと生きて生活している姿に安堵していた。互いの距離感が掴めずに、悩んでいても仕事に打ち込むとシャーロットのことは頭から消えていた。
まさかシャーロットが役立たずと思い込むなど予想もしていなかった。
これからは仕事に逃げずに共にいる時間を積極的に作ろうと決めた。シャーロットが男爵夫人になるつもりがあるなら向き合わなければいけなかった。公爵令嬢が魚を捌けないと落ち込む姿は思い返せば笑えた。使用人達は一人で笑っている年若い主を気の毒な顔で見ていた。
母親を亡くし、顔しか取り柄のない婚約者を押し付けられ、父が倒れ、突然美人だが近寄りがたい令嬢と婚姻させられた不憫な主が壊れても仕方ない状況だった。
その頃シャーロットは厨房にいた。
レイモンドに任された執務は終わったので、晩餐の時に報告するだけだった。
料理人達は手伝いを申し出たシャーロットに言葉を失った。
「お魚は捌けませんが皮むきはできます」
優雅な笑みを浮かべたシャーロットの口から零れた似合わない言葉に料理人達は困惑していた。
「やはりまだ認めていただけませんね。失礼しました。」
無言の料理人を見て綺麗な礼をして立ち去るシャーロットの背中を見送り料理人達は聞き間違いかと話し合っていた。
シャーロットは手伝いを申し出るも使用人達は困惑するだけだった。
強引に妻となり押しかけ、役立たずの無能な夫人が使用人達に受け入れてもらえないのは当然かとシャーロットは思っていた。
ヒノトは笑っているが、内心は落ち込んでいるシャーロットのために男爵家の侍女服を手に入れ、着替えさせた。
使用人の少ない男爵邸で侍女としてなら仕事は任せられるのは分かっていた。
ヒノトはシャーロットと一緒に侍女の仕事を手伝いはじめた。ヒノトはシャーロットの従者として有名だった。金髪の美少年が手伝いを申し出るなら有り難く手を借りた。見慣れない役立たずの侍女が一緒でも美少年のヒノトに笑みを向けられたら気にならなかった。ヒノトがフォローするので、問題もなかった。
シャーロットは何もできない自分に落ち込みながらも手を動かしていた。
使用人達はヒノトと共にいる侍女がシャーロットとは気づかなかった。使用人の前の貴族の仮面をつけた姿と違いすぎていた。ヒノトは常にシャーロットの側にいて、必要以上に話さないため謎の黒髪の侍女のことは誰も聞けなかった。
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金髪の洗練された所作の有能な双子と違い、黒髪の何もできない侍女は目立っていた。
最初は怪しい目で見ていたが、年配者が多いコメリ男爵家の使用人達は段々庇護欲がそそられてきた。
「ヒノト、できた」
タオルをようやく綺麗に畳めるようになったシャーロットがにこりと笑うとヒノトが頭を撫でた。
「上手くできたな」
物凄く時間がかかっていても、突っ込みを入れる者はいなかった。危険のない時間がかかっても問題のない簡単な仕事を与えていた。
ゆっくりとできることが増えていく姿は孫の成長を見守る気分だった。集中しているシャーロットだけは自身を見つめる生温かい視線に気づいていなかった。
不憫なレイモンドに心を痛める使用人達にとって、美少年のヒノトとずっと下を向いているが時々笑う愛らしいシャーリーは目の保養になっていた。
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執事から報告を受けたレイモンドは新しい侍女を雇っていなかった。男爵邸で黒髪はシャーロットだけだった。
晩餐を共にしたときは艶やかなドレスを身に纏い、髪を巻いた見慣れた風貌で優雅な仕草で食事をしていた。料理への不満も口に出さず綺麗な笑みを浮かべていた。話題はいつもと同じ男爵領のことだった。任せた仕事も完璧で、むしろ修正を加えられたが的確だった。
「坊ちゃん、離れに行かれては?お嬢様のテリトリーのほうがリラックスされると思いますよ。」
「掴めない。俺には彼女がわからない・・」
「私はアリシア様より好感が持てますが。」
「あれは、比べたら駄目だろう。シャーロットは殿下の心を繋ぎ止められず婚約破棄って言っていたけど・・。以前、アリシア嬢がシャーロットに嫌がらせをされたと騒いでいた噂は耳にしたけど、それで断罪?罪にならないだろう?伯爵令嬢が公爵令嬢の婚約者に近付いたなら、家を取り潰されても仕方ない。家に力の差がありすぎる。シャーロットが嫌がらせするような性格には思えないし、必要性もわからないんだけど。だって俺に謝ったんだよ。全部自分の所為だって。おかしいだろう?」
「そうですね。弱気な挙動不審な侍女がお嬢様とは」
混乱しているレイモンドを笑って見ている執事長を睨んだ。
「いつからお嬢様になったんだ?」
「まだ奥様とお呼びするのは早いかと。先触れせず、苺を持って行ってらっしゃいませ。今は離れにいらっしゃいますよ。」
レイモンドは執事長に籠に詰まった苺を渡され背中を押されて離れに向かった。
ノックをしても返答はなかった。中に入ると部屋の隅にクッションに蹲り犬を抱いて眠っているシャーロットがいた。
この時間はヒノトとシャーロットの昼寝の時間だった。執事長はシャーロットの予定を把握していた。
新しい男爵夫人に危険があるなら止めなければいけなかった。レイモンドを育てた執事長にとってはシャーロットも孫のような存在だった。
報告は求められていないのでしなかった。シャーロットが領民に紛れているのを知っているのは男爵家では一部の者だけだった。
レイモンドはあどけない顔で眠るシャーロットを眺めていた。
しばらくして目を醒ましたシャーロットはレイモンドを見て驚き慌てた。
「ヒノト、どうしよう、起きて」
レイモンドは学園で見たシャーロットは忘れることにした。さすがにレイモンドも慣れたので固まらなかった。シャーロットのボロボロの手が現実を認識させていた。
「男爵様、どうか、ヒノトとミズノだけは」
「殺さないから落ち着いて。あげるよ」
起き上がってヒノトを抱きしめて震えるシャーロットは差し出された籠に目を輝かせた。
「これは!!・・最後の晩餐」
目を輝かせたが一瞬でしょんぼりして物騒な言葉を呟き出したシャーロットの口の中にレイモンドは苺を入れた。シャーロットは苺の甘みにうっとりした。
「殺すつもりも危害を加えるつもりないよ。時間が出来たから顔を見に。」
シャーロットはヒノトを抱きしめながら、苺を飲み込みレイモンドを眺めた。用もないのに会いにくるなど兄以外にありえなかった。わざわざ苺を用意し、自分に食べさせる姿に兄を思い出して笑った。レイモンドは自然な笑みに見惚れていた。
シャーロットは兄のように優しい顔をするレイモンドから敵意がないのがわかった。レイモンドの意図が掴めず不思議そうな顔をするシャーロットにレイモンドは苺を食べさせながら口を開いた。
「シャーロット、男爵夫人に不満はないの?」
「私は不満はありませんが、男爵様には申し訳」
視線を下に向け、シャーロットの謝罪の嵐が始まったので、レイモンドはまた苺を強引に口にいれた。
「いや、俺は有り難いと思ってるよ。君との方がうまくやれそうだよ」
苺を飲み込んだシャーロットは笑っているレイモンドをそっと見た。
「え?私はウルマ様のように可愛いげも魅力的なお体も、心を癒す術もありません。何もできない役立たずです。私は妃教育ばかり受けてきたので何もできません。手作りのお菓子の差し入れもできません。力不足…」
レイモンドの知るアリシア・ウルマは我儘な伯爵令嬢である。料理する姿も想像できない。お菓子を渡されたら何が混ざっているか疑う自信がある。
少なくとも苺を渡すなら、宝石を寄越せと言いそうな人間である。花束よりも装飾品がいいと言われたのは2度目の逢瀬の時だった。
伯爵令嬢が公爵令嬢より優秀には見えなかった。アリシアの所作よりもシャーロットの所作のほうが綺麗なのはレイモンドにもわかった。社交界での評判も雲泥の差だった。
シャーロットの卑下する止まない言葉を苺を口に入れて黙らせた。
「俺はよくわからないけど、最も難度の高い妃教育を受けた君は自分を卑下する必要はないよ。君に任せる仕事は完璧だよ。それに俺の母親も家事はできなかったよ。それでも男爵夫人として務まっていた。やりたいなら止めないけど」
シャーロットは苺を食べながら正直に話すことにした。シャーロットの秘密を。
知ってもレイモンドはシャーロットを王都に捨てたり斬ったりしない気がした。
「私はもともと適性はありません。モール公爵家の令嬢は私だけなので殿下の婚約者に選ばれたのです。いつも理想の婚約者を演じていただけです。」
「演じ?」
「はい。悪役令嬢を」
「悪役令嬢?」
「はい。王妃様に教えていただきました。自分を偽れないなら演じなさいと。王妃様にコーディネートしていただき、演じておりました。どんなときも強く凛とたたずむ悪役令嬢を」
王妃の遊びをシャーロットが本気にしたとは王妃は知らなかった。
王妃のお気に入りの理想の悪役令嬢が登場する本を愛読書にしていたことも。ただ言動や所作は真似できても意地悪だけは真似できなかった。断罪されても凛と微笑み退場するシーンはそっくりだったので真似しただけである。そのため王子への突っ込みと生徒達への謝罪は口に出さず最低限の確認しかしなかった。
「髪を巻いているのも?」
「もちろん悪役令嬢らしくするためです。小柄で貧相な体の私には限界がありますが」
レイモンドは王家の闇を見た気がしたが突っ込まなかった。白いワンピースを着て、真っ直ぐな髪を垂れ流し、視線を合わせず、下をむいてぼそぼそと話す姿が素で学園生徒の憧れのシャーロットは悪役令嬢を演じていたとは・・。レイモンドは不謹慎とわかっていても笑いがこらえられなかった。
シャーロットが変わっていて信じ込みやすいのはよくわかった。初めて令嬢に好感を持った。
「そう。俺の前では演じなくていいよ。フォローするし、シャーロット好みの服を贈ろうか」
「いえ、服は十分にありますので。」
「婚姻したのに何も贈ってないだろう」
「苺をいただきました。離れも借りてます。充分です」
レイモンドはシャーロットとの時間を増やした。
お茶の時間に誘うのはやめた。突然訪問するほうが、素が見えると気づいてからは先触れはしなかった。
真っ直ぐな黒髪のシャーロットを知る者は少ない。レイモンドは弱気で卑屈なシャーロットに苺を食べさせながら過ごす時間は嫌いではなかった。
時々侍女として働いているのは、丁重に扱い何かあれば知らせるようにと命じるだけにした。
シャーロットは午前中はレイモンドの視察に同行し、任された仕事をこなしていた。空いた時間は侍女の仕事をヒノトとミズノに教わり、ヒノトと昼寝をして過ごしていた。突然苺を持って訪問するレイモンドから敵意がなく何度も危害を加えるつもりはないと言われたので、怯えず迎え入れるようになった。社交に出ないのは、王子が手を回しているためだと思っていた。毎日、レイモンドが用意する苺とヒノトとミズノのおかげで幸せに過ごしていた。
男爵邸に住み、一月経つ頃にはシャーロットはレイモンドの目を見て話せるようになった。
王都や学園での騒ぎなどシャーロット達は知らずにコメリ男爵領では平穏な時間が流れていた。
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