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最終話前編

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アリストアは夫によく似た愛娘を抱きながらぼんやり空を眺めていた。
エドウィンの婚約者が空座になりしばらく経つ。
いまだに新しい婚約者は発表されていない。
アリストアは義兄からの手紙を読みながら徐々に吹き荒れる風が大きくなり、王都から遠く離れた辺境領も巻き込まれる前に手を打つことにした。



「人と絆を繋ぐのは難しい。絆を繋げなくても守ることはできますよ。先手必勝は基本です」

アリストアはディアス達の教育により丸投げはよくないことと知った。おかしいことや嫌なことをきちんと伝えることも。
父はアリストアが声を掛ければ振り向き、ディアスは指を掴めば手を繋いで止まってくれる。
差し出される手を握ることしかしなかった、与えられるものを甘受するだけだったアリストアはエドウィンに選ばれず、絆を繋げなかった理由を理解していた。

「若気の至りです。あの頃はきっと滑稽でしたわ」

恋に夢中で、勝手に勘違いした多くの者が体験する若気の至りという体験を農家のおばさんから教わり心の中にストンと落ちた。
エドウィンにとってアリストアは愛すべき民の一人であり、特別ではなかった。
誰にでも優しいエドウィンの行動博愛主義を特別と勘違いして絆があると信じていた痛い女という酒場で聞いた女の子達の言葉もストンと落ちてきた。
待つだけでなく追いかけて、木っ端微塵に振られて、お酒に酔って泣いて嘆いて朝を迎えて日常に戻るという方法を教わったので次の機会にいかそうとおしどり夫婦の片割れが思っているとは誰も知らなかった。
酒場に興味を持ったアリストアを連れて一晩帰らなかったディアスが過保護な家臣に怒られたのは気付いていない。危険がなければアリストアの願いをなんでも叶えるディアスは無自覚である。

「大きくなったら教えてあげます。私が痛い女だったことを。さて、頑張ってきますわ」

アリストアは優しく微笑みぐっすりと眠る我が子をベッドに寝かせた。
父から贈られたドレスを着て、薄く化粧をして髪をまとめる。
成長したアリストアは一人で身支度を整えられるようになった。
鏡の前に立ち、久しぶりに淑女の礼を披露して、笑みを浮かべる。
ばあやは部屋に入ると公爵から贈られたドレスを着ているアリストアに笑う。

「よくお似合いですが、お呼びくだされば」
「ありがとうございます。ぐっすりお昼寝してますので、お出かけしてきますわ」
「どちらに?」
「陛下にご挨拶に」
「陛下?え?お待ちを!!坊ちゃんをお連れください!!」
「すぐ帰りますわ。行ってきます」

ばあやは散歩に行くように部屋を出ていくアリストアに驚き、アリストアを足止めして、ディアスを呼び戻すように命じた。

「馬車がないなら、馬でも構いませんわ」
「お嬢様、お待ちください。すぐにご用意しますよ。御者が外しているのですぐに戻らせます」
「わざわざ呼び戻さなくても…。行ってきますわ」

アリストアが馬で出掛けようとするので、諦めて馬車の用意をした。
慌てて帰ったディアスは一人で馬車に乗ろうとするアリストアの腕を捕まえ睨んだ。

「勝手に行くな」
「ご挨拶だけですわ」
「行きたいなら言え」
「お嫌いでしょう?」
「うるさい」
「坊ちゃん!!きちんとエスコートしてダンスを踊ってから帰ってくるんですよ!!お嬢様に恥をかかせるのは―――」

ディアスは公爵に贈られたアリストアとお揃いの正装を着せられながらアリストアを叱る。
エドウィンの婚約者時代に何度も暗殺者に襲われた過去を持つのに、危機感皆無のアリストアを王都に一人で行かせることはできなかった。
祖母の小言を聞き流し、微笑むアリストアをエスコートして馬車に乗せて王宮に向かった。

「付き合ってやるから次は言え」
「ありがとうございます。すぐに終わりますのでご安心ください」

アリストアはディアスの心配には気づかずに嬉しそうに笑いながら横に座り直して手を繋いだ。
ディアスは怒る気は失せて、指を絡めるとさらに嬉しそうに笑うアリストアに口を閉じた。
子供が産まれても手を繋ぐだけで幸せそうに笑うアリストアは側に置いておけば手がかからない。
異母兄や部下の妻のように凶悪になる一面もなく、王妃のような欲深さもない。
世間知らずで変わっていてもディアスの許容範囲内である。



建国祭にアリストアはディアスと共に参加すると、王宮に足を踏み入れた途端に視線を集めた。
アリストアは視線を気にせず、ディアスのエスコートで笑みを浮かべて足を進める。
芸術品のような少女の影はなく、艶やかな髪だけは変わらずに透明感のある真っ白な肌は健康的な肌色に、平坦だった体はささやかに膨らみを持ち、無垢な天使はほんのりと色気を醸し出す美女に変貌を遂げた。
美しい無垢な笑みはやわらかな笑みに変わり、清らかな空気はなくても王国一の王妃の美しさが霞み多くの貴族が見惚れていた。
ディアスとアリストアは国王夫妻の前に立ち、口上を述べ礼をする。

「頭をあげなさい。美しさはディアスのおかげか。美しい花がふたたび咲き誇るめでたい夜になろう。美しく成長して義娘に」
「光栄ですわ」

王は玉座から立ち上がりアリストアにダンスを申し込む。
アリストアは淑女の笑みを浮かべてエスコートを受けて踊る。

「不便はないか?」
「はい。ディアス様によくしていただき、良縁に感謝しております」

アリストアは王の思惑は理解していた。
アリストアと王が踊ることで公爵家と王家の関係をアピールしていることを。
エドウィンとアリストアの婚約破棄は公爵家も快く受け入れ、ディアスとの良縁に感謝しているとアピールするために貴族達の耳に入るように会話をする。
アリストアはディアスには氷の公爵個人が後見につき、辺境領は公爵家が後見についていることを匂わせる言葉を口にするを。

ディアスはアリストアに視線が釘付けのエドウィンを見つけても声を掛けない。
顔に疲労の色があるエドウィンを気遣う優しさはなかった。
王妃が会場の視線を集めるアリストアに嫉妬の視線を向けていることには失笑した。
出産後も美貌は衰えることなく花の盛りのアリストアと散るのを待つだけの王妃ならアリストアに視線が集まるのは仕方がないと眺めていると視線を感じる。近づいてくる視線の主の思惑は理解してもできれば避けたかった。

ダンスが終わると王はアリストアをディアスのもとにエスコートする。
ディアスは王の視線に諦めて、初めてアリストアにダンスを申し込む。
アリストアはディアスの行動に驚くも、差し出される手にそっと手を重ねる。重ねた手に口づけを落としたディアスに、ほのかに頬を染めてはにかんだ笑み浮かべた。アリストアの愛らしい笑みを初めて見た貴族達は驚くも、口元の緩みを堪えられず手で隠した。
アリストアは踊り慣れないディアスをさりげなくリードして踊り出す。
ディアスは周囲に見つからないようにリードする妻を物言いたげに見つめる。

「お前」
「ダンスは得意です。ご安心を」

アリストアは運動神経抜群のディアスのリードを楽しみながら軽やかにステップを踏む。
記憶に残るエドウィンと緩やかに踊るアリストアとは正反対の激しい動きでも息を乱さず華麗に踊る姿は会場中の視線を集めていた。

「ディアス様、お疲れでしたら」
「誰に言ってる」

負けず嫌いのディアスはアリストアからリードを奪った。
アリストアは初めての経験に楽しそうに笑う。
4曲ほど踊り、ディアス以外からダンスに誘われる前に礼をしてダンスはもう踊らないとアピールをした。

「すばらしいダンスでした。殿下がダンスを踊れるとは知りませんでした」

アリストアはディアスの腕を抱き、称賛する宰相からグラスを受け取り喉を潤す。

「ありがとうございます。ディアス様に私が初めてお教えできることがあると張り切りましたのに、残念ながら。多才な夫に感服しております」
「アリストア様が感服ですか?」
「はい。ディアス様に教えていただいてばかりです」
「お二人が力を合わせれば、」
「ディアス様には及びませんが精一杯励みますわ。宰相閣下を独占している私は嫉妬の視線にやかれてしまいますわ。私達は失礼します」
「花は見れるでしょうか?」
「はい。おそれ多くも花は再び咲きました」

宰相と談笑をして会場から姿を消したアリストアの激変が話題を浚っていた。
宰相からの社交界への復帰について聞かれ、頷いたアリストアに、婦人や令嬢が歓喜する。
アリストアは会場から出ると、使用人達の視線を集めていることに気付いて微笑む。使用人達の声は貴族の声とは違う意味で影響力が強い。

「馬車まで抱き上げてくださいますか」

ディアスは体力のないアリストアに頷き抱き上げた。
アリストアは嬉しそうに笑いながら、我儘な妻の願いを叶える夫をアピールする。

「もう帰るか?」
「お酒を飲まれますか?」
「お前がどうしたいかだ」
「もうお役目は果たしました。ディアス様とご一緒ならどこにでも」

ディアスは用が済んだことを察して馬車を目指した。
アリストアに招待状を出すために夜が更ける前に会場を後にした貴族や使用人達が二人の様子を眺めていたのは気にしない。
アリストア達が会場の賑やかさを浚ったため、王家として有力貴族が帰り、静寂に包まれ寂れた建国祭になっていた。
アリストアは王家を気遣う優しさは持っていなかったが保険としてエドウィンに挨拶しないというわかりやすい意思表示だけはしておいた。



アリストアは自分の価値をよくわかっていた。
王太子の婚約者ではなくても、名門公爵家出身で幼い頃から社交界の花になるために築き上げたつながりと影響力は健在と。
アリストアの社交界への復帰と共にディアスのおかげで辺境領が豊かになっていく様子が注目されるように仕掛けた。
王家によって歪められたディアスの悪評を変え、公爵家の後見をアピールするのも目的だった。
乱暴王子にアリストアは相応しくないなど愚かなことを言う者が減るように。
自分達が去った後にさらに広まるだろう噂にアリストアは笑う。アリストアは宰相や王との会話できちんと種を植えているので待つだけだった。
ディアスは楽しそうに笑うアリストアから事情は聞かず、初めて同じ馬車に乗ったときと激変した妻を眺めていた。
しばらくすると眠そうな顔をしているアリストアを抱き上げて寝かしつけた。


「乱暴王子が変わった」
「アリストア様が幸せそうで」
「英雄です。アリストア様を悪い魔女から救い」

ぐっすり眠るアリストアが王宮を去ってからは一部の使用人達の中ではディアスは英雄になっていた。
我儘を一切言わなかったアリストアが甘える姿に数人の侍女は感動していた。
アリストアはディアスの評判が上がることへの弊害も気づいていたが、アリストアにとってはどうでもいいことなので捨て置いた。


数日後に文鳥が預かった義兄からの手紙を読んでアリストアは笑った。
宰相との話に聞き耳をたてていた貴族達はアリストアが全てディアスの手腕と微笑むので乱暴王子がアリストアに調教され改心したと囁かれていた。

「調教なんてできませんよ。教えていただいているのは私ですもの。さて花を咲かせないといけませんね。久しぶりに頑張りましょう」

アリストアは調教はしてないが、ディアスが領主として相応しく、互いに婚約に異存がないことを伝わればそれで良かった。
義兄からの手紙を燃やして種を育てるために久しぶりにお茶会を主催することにした。
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