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選ばれた者
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寒さが厳しい窓の外とは正反対の邸の中は歓喜に包まれていた。
アリストアは執務室で一番暖かい暖炉の前の席を与えらればあやが渡す温かいミルクを飲みながら肩掛けを羽織らせるディアスの優しさに嬉しそうに笑う。
「後悔はあるか?」
「愛人でしたら遠慮なく」
ディアスがアリストアの頭にポンと手を置く。
「バカ。お前のことを聞いている」
「いいえ。ディアス様が後悔されてなければ」
ディアスは笑顔のアリストアの頭に置いた手を動かし、くしゃりと髪を撫でて笑う。
「するか。よくやった。乗馬と禊は禁止。一人での外出も。しばらく大人しくしてろ」
アリストアはディアスの笑みを見て、さらに笑みを深める。
「泳ぎ方を教えていただけると」
「一緒にな」
「かしこまりました。イメージトレーニングに励みます。お魚釣りで我慢します」
「暖かくなったらだ」
アリストアは風邪を引きやすい体質である。
体調不良の自覚がないアリストアへの教育は苦労するがそれもまたディアスにとっては一興だった。
天からの祝福のおかげでアリストアへの家臣の過保護はさらに酷いものになっていた。
アリストアは嫌がることはなく優しさと思っているので問題はなかった。
ディアスはミルクを飲み終えて書類の処理を始めたアリストアを眺めながら王家からの手紙を読んでいた。
先見の巫女が恋人と姿を消して、エドウィンの妃の椅子が空座になった。
アリストアとディアスへの召喚状だった。
ディアスの予想より時間がかかったおかげですでに策は完成していた。
戦場と違い平穏な日々に刺激を求める巫女が満足できないこと、頼りない恋人の周りは優秀な男に囲まれ自分の存在意義を見出だせないこと、エドウィンに満足できないだろう理由は色恋に興味のないディアスにさえも予想は簡単だった。
エドウィンは平穏を好むため刺激を求めるタイプではない。戦場ゆえに結ばれた二人の相性が合わないのは明らかで戦場での恋をよく知るディアスは結末も読めていた。
燃えるような兵の恋の結末を。
子供ができて婚姻するか別れるかの二択。
欲に忠実な獣のような二人に子供ができない時点で答えは決まっていた。
書類を見て嘲笑っているディアスにアリストアが気付いて楽しそうな様子に笑みを溢した。
「楽しいお手紙ですか?」
「父上からの呼び出し」
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
周囲の家臣達の咎める視線とディアスが呼ばれるのは戦の時と認識している一瞬しょんぼりした妻の頭にもう一度手を伸ばしくしゃっと撫でる。
「戦はしばらくない。お前を残していけばうるさい」
「戦場ではお役に立てませんわ」
「留守番だ。うちにいろ。いいな?雪が解けたら好きな所に連れてってやる」
ディアスが渡さない物をアリストアは絶対に目にしない。
アリストアの暗躍を知らないディアスにとっては求められたことしかやらないアリストアに充分満足していた。頭を撫でると嬉しそうに笑うアリストアに家臣達から物足りない視線を受けて頬に口づけを落とす。
はにかんだ笑みを浮かべるアリストアの可愛らしさに骨抜きになっている家臣に任せて出立する。
雪が降ってもディアスには関係ない。
嫌なことは早めに片付ける方針のディアスは愛馬に乗り王宮を目指す。
「すでに手遅れ。訪問されても迷惑だ。いざとなれば引っ越すか」
王宮に着いたディアスは召喚状を見張りの兵に渡す。
「兄上、お帰り!!」
「すぐ帰るから休ませろ」
ディアスは無邪気な笑顔で近づいてきた異母弟に金貨を一枚渡して愛馬を任せた。
王子はニコっと笑って手綱を持つ。
「すぐに謁見の間に」
「いってらっしゃい」
「じゃあな」
ディアスは兵の言葉に異母弟と別れ謁見の間に足を進める。
中には国王夫妻と宰相、エドウィンが待っていた。
礼儀のないディアスに慣れていても国王はアリストアが召還を無視するとは予想していなかった。
「アリストアはどうした?」
「申し訳ありません。アリストアは体調が優れず休ませております。しばらくは安静に」
エドウィンは一度も風邪にかかったことのないアリストアを心配して顔を曇らせる。
「それこそ王宮に」
ディアスは心配そうなエドウィンを心の中で嘲笑いながら無表情で首を横に振った。
「長い移動に酔ってしまいますので。母子ともに健やかとはいえ無理をさせたくありません」
「母子!?婚姻前に」
「エドには言われたくない。お前も手を出しただろう。もうよろしいですか?」
エドウィンは成人していない華奢なアリストアに手を出したディアスに眉をつりあげて睨んだ。
心配そうな顔を一変させ怒りを露にするエドウィンにディアスは笑う。
王家は一つの策を手放した。
アリストアを婚約者にと望む王家にディアスはアリストアを妻にしたことを報告した。
社交を免除されているため婚姻前のマナー違反への責める声は聞こえない。いずれ婚姻するため厳しく咎められないと計算した。
王妃とエドウィンだけが顔色が悪かったが国王が許した婚約であり、すでに身籠っているため異議の声は上がらないとディアスは読んでいた。
「おめでとうございます。お二人のお子でしたらさぞ優秀な―――」
宰相は笑顔で祝福した。
目の前の茶番の結末は始まる前から見えていた。
エドウィンの成人の儀にアリストアが欠席した時点でエドウィンの隣に戻ることがないとわかっていた。
アリストアがエドウィンへの不信の種を放置したのは、エドウィンへの情が消えたからと。
貞操観念の厳しい王国では未婚の男女の同居は婚前交渉を結んだと囁かれる。
公爵家も王家も黙認していたため両家が認め、授かった命は祝福される。
常に命の危険に曝される戦場に立つディアスが早めに後継を残すなら英断とも捉えられる。
ディアスの想像以上に小さな命は周囲から歓迎されるものだった。
エドウィンと王妃が強く希望しても、二人の婚約破棄は難しく、妊婦であれば強引な方法で妃に指名することもできない。
王は顔色の悪い王妃と茫然としているエドウィン、祝福する宰相を静かに眺めていた。
王は道理に厳しいアリストアが体を許したならディアスを選び、王家ではなくディアスのために生きるだろうと結論を出した。
もともと王家から手離し配置した駒を再び配置するため策を練るつもりもなかった。
むしろ女嫌いのディアスが成人前に手を出したことに感心していた。
「祝いを贈ろう。祝いの席は」
「必要ありません。謁見が終わればすぐに領地に戻ります」
「もういい。大事にするように。アリストアはまだ子供だ」
「かしこまりました」
国王の許しが出たのでディアスは馬を引き取りに行く。
王妃とエドウィンの顔を心の中で嘲笑いながら。
ディアスが邸に帰る頃には夜空に満天の星が輝いていた。
寝室に入るとアリストアの姿がなく、バルコニーで星空を眺めていた。
アリストアはバタンという扉の音に振り向く。
「おかえりなさいませ」
「ただいま。中に入れ。薄着で外に出るな」
ディアスは薄着のアリストアを不機嫌な顔で抱き上げベッドに運ぶ。妊娠しているので放り投げない。
ディアスは冷たい体を抱きしめて布団を被るとアリストアが嬉しそうに笑う。
「戦はない」
「かしこまりました」
「俺は嘘はつかない」
「ディアス様?」
「もう寝ろ」
「はい。おやすみなさいませ」
アリストアは遠い王宮まで往復して疲れているだろうディアスに詳しく聞くのはやめた。
ディアスの胸に顔を埋めて心地よい温もりを堪能しながら目を閉じる。
ディアスは初めて守ると決めた少女の寝息を聞きながら艷やかな髪を指に絡めてもてあそぶ。
「不幸になるなら自業自得だ。アリストアには関係ない。一人の女に不幸にされるほど脆い国なら勝手に滅びる。アリストアを殺したらエドの首はどうなっただろうな。殺すなら俺が落としてもいいか」
巫女のアリストアが国に不幸をもたらすという予言は当たっていた。
エドウィンが幼い頃から寄り添った婚約者を信憑性のない予言を信じて命を捧げるように命じたことが噂になっていた。
王家の命令が絶対でも忠誠を捧げる臣下を顧みない王族に臣下は忠義を尽くさない。
王族が臣下の前では常に誠実であることの大事さを王はエドウィンとアリストアに教えていた。
「誠実?人によって捉え方は違いますが」
「法がある意味を考えてみなさい」
「同じ指針。法や聖典に綴られる正しいことをすればいいんですか?」
「歴史を学べば答えは見つかるだろう。答えは自分で見つけなさい」
二人の解釈は異なり、成長したエドウィンは聖典通りに誰にでも優しく、アリストアは法に忠実に道理を守るようになっていた。
優しいエドウィンの願いを叶えるために動く外面が完璧なアリストアに多くの者達は騙されていた。
常に無垢な笑みを浮かべ、ほとんど感情を顔に出さない浮き世離れした、時に冷たい印象を与えることもあるアリストアが優しい少女と思い込む者も多かった。
美しいものしか大事にしない巫女と道理のもとに貴族達の心に寄り添うアリストアとの差は歴然だった。
アリストアが王宮を去り多くの変化があった。
任期を終えた使用人達は、契約更新を望まず王宮を去り使用人達の質が一気に下がった。
式典ではエドウィンと並んで讃美歌を歌う少女が消え美しいハーモニーに慣れている民達にとって物足りないものになった。
アリストアの計算された丁寧なおもてなしに慣れた来賓からは質が落ちたと遠回しに非難を伝えられた。
時間が経つほどアリストアのいない弊害が目立ち、常に美しい笑みを浮かべ凛とした態度で完璧に公務をしていたアリストアへの羨望が強くなった。
優秀で非の打ち所がないアリストアを切り捨て、美女に腕を抱かれていたエドウィンへの評価が変わっていく。
無垢な天使、誠実で優しい王太子というイメージは壊れていく。
ばらまかれていた小さな棘による違和感がいつの間にか、不満の種を植え、栄養が与えられすくすくと育ってしまった。
社交界から姿を消したアリストアは問題のある乱暴王子に望まれ、あてがわれた。
王宮で強引に手を引かれていたアリストアを見た貴族達は王家の理不尽な命に不満を持っていた。
名門公爵令嬢が誰にも望まれない辺境伯の婚約者に指名された。
アリストアに憧れる子息は極秘で辺境領を訪問した。
アリストアが上手く取り入りディアスに大事にされており、不満はなさそうだったので抗議の声を上げなかった。
アリストアに助けを求められれば助ける気は満々だが……。
反してエドウィンは強引に迎えた新たな婚約者と半年で婚約破棄。
エドウィンは王族として能力も資質も疑われ支持者を失っていく。
エドウィンに恋い焦がれていた令嬢達は、欲に溺れた慎みを持たない姿に恋心が冷めた。アリストアがいなくなった途端にエドウィンの魅力がどんどん消え、ダンスさえ誘わなくなった。
いつも一緒だったエドウィンとアリストア。
婚約破棄騒動はアリストアとエドウィンの能力の違いを知らしめることになった。
そしてアリストアの存在はエドウィンが築いていくはずだった国に不穏の種をまいて育ててしまった。
エドウィンはアリストアを手放したことでゆっくりとのぼっていた輝かしい階段にヒビが入っていた。
***
巫女、巫女姫と言われた美女は新しい恋人を連れて国境を越えていた。
決まり事だらけの王宮での生活もさらに魅力的な体を知ったためエドウィンに夢を与えるのも飽きていた。
連日の王妃と共にする豪華だが自由に食べられず、腹持ちしない王宮料理やエドウィンとの味気ない料理ばかりの食事に特に嫌気がさしていた。
そして無味無臭の毒が仕込まれていそうな料理も。
エドウィン達から贈られた豪華な宝石や装飾品を報酬に持ち去り、体を蝕む毒の症状も無いため本能に忠実に動くことにした。脚本家の侍女はエドウィンに情事を知られても無言。
策の失敗が侍女の主に知られる前に迷いなく逃げ出した。
巫女の欲を刺激する美少女が好きなものはお金。
求める欲は違うも抱えるもののない自分を中心に生きる同族同士の旅が始まっていた。
「旅立たれました。回収は滞りなく」
「換金しなければ何もおこらない。ガラクタと秘宝を手に入れても。欲をかかなければ―――」
「こちらは私にください!!部屋に飾ります。私達の悪戯は秘密。ご苦労様、もう戻りなさい」
少女は美しい宝石をうっとりと眺めている。
青年は巫女に贈られた豪華な装飾品は模造品にすり替え、強欲な王が夢中な亡国の海の秘宝を匿名で贈っていた。
強欲王の国庫に保管されているはずの海の秘宝が売られていると知れば、泥棒を捕まえるために追っ手が放たれる。
亡国の秘宝は強欲王に売るのが商人の暗黙のルール。
痕跡は消してあるので、自分までは辿り着かない。
先見の力のない兄妹は能力を頼りに甘い蜜を仕掛けた。
アリストアは執務室で一番暖かい暖炉の前の席を与えらればあやが渡す温かいミルクを飲みながら肩掛けを羽織らせるディアスの優しさに嬉しそうに笑う。
「後悔はあるか?」
「愛人でしたら遠慮なく」
ディアスがアリストアの頭にポンと手を置く。
「バカ。お前のことを聞いている」
「いいえ。ディアス様が後悔されてなければ」
ディアスは笑顔のアリストアの頭に置いた手を動かし、くしゃりと髪を撫でて笑う。
「するか。よくやった。乗馬と禊は禁止。一人での外出も。しばらく大人しくしてろ」
アリストアはディアスの笑みを見て、さらに笑みを深める。
「泳ぎ方を教えていただけると」
「一緒にな」
「かしこまりました。イメージトレーニングに励みます。お魚釣りで我慢します」
「暖かくなったらだ」
アリストアは風邪を引きやすい体質である。
体調不良の自覚がないアリストアへの教育は苦労するがそれもまたディアスにとっては一興だった。
天からの祝福のおかげでアリストアへの家臣の過保護はさらに酷いものになっていた。
アリストアは嫌がることはなく優しさと思っているので問題はなかった。
ディアスはミルクを飲み終えて書類の処理を始めたアリストアを眺めながら王家からの手紙を読んでいた。
先見の巫女が恋人と姿を消して、エドウィンの妃の椅子が空座になった。
アリストアとディアスへの召喚状だった。
ディアスの予想より時間がかかったおかげですでに策は完成していた。
戦場と違い平穏な日々に刺激を求める巫女が満足できないこと、頼りない恋人の周りは優秀な男に囲まれ自分の存在意義を見出だせないこと、エドウィンに満足できないだろう理由は色恋に興味のないディアスにさえも予想は簡単だった。
エドウィンは平穏を好むため刺激を求めるタイプではない。戦場ゆえに結ばれた二人の相性が合わないのは明らかで戦場での恋をよく知るディアスは結末も読めていた。
燃えるような兵の恋の結末を。
子供ができて婚姻するか別れるかの二択。
欲に忠実な獣のような二人に子供ができない時点で答えは決まっていた。
書類を見て嘲笑っているディアスにアリストアが気付いて楽しそうな様子に笑みを溢した。
「楽しいお手紙ですか?」
「父上からの呼び出し」
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
周囲の家臣達の咎める視線とディアスが呼ばれるのは戦の時と認識している一瞬しょんぼりした妻の頭にもう一度手を伸ばしくしゃっと撫でる。
「戦はしばらくない。お前を残していけばうるさい」
「戦場ではお役に立てませんわ」
「留守番だ。うちにいろ。いいな?雪が解けたら好きな所に連れてってやる」
ディアスが渡さない物をアリストアは絶対に目にしない。
アリストアの暗躍を知らないディアスにとっては求められたことしかやらないアリストアに充分満足していた。頭を撫でると嬉しそうに笑うアリストアに家臣達から物足りない視線を受けて頬に口づけを落とす。
はにかんだ笑みを浮かべるアリストアの可愛らしさに骨抜きになっている家臣に任せて出立する。
雪が降ってもディアスには関係ない。
嫌なことは早めに片付ける方針のディアスは愛馬に乗り王宮を目指す。
「すでに手遅れ。訪問されても迷惑だ。いざとなれば引っ越すか」
王宮に着いたディアスは召喚状を見張りの兵に渡す。
「兄上、お帰り!!」
「すぐ帰るから休ませろ」
ディアスは無邪気な笑顔で近づいてきた異母弟に金貨を一枚渡して愛馬を任せた。
王子はニコっと笑って手綱を持つ。
「すぐに謁見の間に」
「いってらっしゃい」
「じゃあな」
ディアスは兵の言葉に異母弟と別れ謁見の間に足を進める。
中には国王夫妻と宰相、エドウィンが待っていた。
礼儀のないディアスに慣れていても国王はアリストアが召還を無視するとは予想していなかった。
「アリストアはどうした?」
「申し訳ありません。アリストアは体調が優れず休ませております。しばらくは安静に」
エドウィンは一度も風邪にかかったことのないアリストアを心配して顔を曇らせる。
「それこそ王宮に」
ディアスは心配そうなエドウィンを心の中で嘲笑いながら無表情で首を横に振った。
「長い移動に酔ってしまいますので。母子ともに健やかとはいえ無理をさせたくありません」
「母子!?婚姻前に」
「エドには言われたくない。お前も手を出しただろう。もうよろしいですか?」
エドウィンは成人していない華奢なアリストアに手を出したディアスに眉をつりあげて睨んだ。
心配そうな顔を一変させ怒りを露にするエドウィンにディアスは笑う。
王家は一つの策を手放した。
アリストアを婚約者にと望む王家にディアスはアリストアを妻にしたことを報告した。
社交を免除されているため婚姻前のマナー違反への責める声は聞こえない。いずれ婚姻するため厳しく咎められないと計算した。
王妃とエドウィンだけが顔色が悪かったが国王が許した婚約であり、すでに身籠っているため異議の声は上がらないとディアスは読んでいた。
「おめでとうございます。お二人のお子でしたらさぞ優秀な―――」
宰相は笑顔で祝福した。
目の前の茶番の結末は始まる前から見えていた。
エドウィンの成人の儀にアリストアが欠席した時点でエドウィンの隣に戻ることがないとわかっていた。
アリストアがエドウィンへの不信の種を放置したのは、エドウィンへの情が消えたからと。
貞操観念の厳しい王国では未婚の男女の同居は婚前交渉を結んだと囁かれる。
公爵家も王家も黙認していたため両家が認め、授かった命は祝福される。
常に命の危険に曝される戦場に立つディアスが早めに後継を残すなら英断とも捉えられる。
ディアスの想像以上に小さな命は周囲から歓迎されるものだった。
エドウィンと王妃が強く希望しても、二人の婚約破棄は難しく、妊婦であれば強引な方法で妃に指名することもできない。
王は顔色の悪い王妃と茫然としているエドウィン、祝福する宰相を静かに眺めていた。
王は道理に厳しいアリストアが体を許したならディアスを選び、王家ではなくディアスのために生きるだろうと結論を出した。
もともと王家から手離し配置した駒を再び配置するため策を練るつもりもなかった。
むしろ女嫌いのディアスが成人前に手を出したことに感心していた。
「祝いを贈ろう。祝いの席は」
「必要ありません。謁見が終わればすぐに領地に戻ります」
「もういい。大事にするように。アリストアはまだ子供だ」
「かしこまりました」
国王の許しが出たのでディアスは馬を引き取りに行く。
王妃とエドウィンの顔を心の中で嘲笑いながら。
ディアスが邸に帰る頃には夜空に満天の星が輝いていた。
寝室に入るとアリストアの姿がなく、バルコニーで星空を眺めていた。
アリストアはバタンという扉の音に振り向く。
「おかえりなさいませ」
「ただいま。中に入れ。薄着で外に出るな」
ディアスは薄着のアリストアを不機嫌な顔で抱き上げベッドに運ぶ。妊娠しているので放り投げない。
ディアスは冷たい体を抱きしめて布団を被るとアリストアが嬉しそうに笑う。
「戦はない」
「かしこまりました」
「俺は嘘はつかない」
「ディアス様?」
「もう寝ろ」
「はい。おやすみなさいませ」
アリストアは遠い王宮まで往復して疲れているだろうディアスに詳しく聞くのはやめた。
ディアスの胸に顔を埋めて心地よい温もりを堪能しながら目を閉じる。
ディアスは初めて守ると決めた少女の寝息を聞きながら艷やかな髪を指に絡めてもてあそぶ。
「不幸になるなら自業自得だ。アリストアには関係ない。一人の女に不幸にされるほど脆い国なら勝手に滅びる。アリストアを殺したらエドの首はどうなっただろうな。殺すなら俺が落としてもいいか」
巫女のアリストアが国に不幸をもたらすという予言は当たっていた。
エドウィンが幼い頃から寄り添った婚約者を信憑性のない予言を信じて命を捧げるように命じたことが噂になっていた。
王家の命令が絶対でも忠誠を捧げる臣下を顧みない王族に臣下は忠義を尽くさない。
王族が臣下の前では常に誠実であることの大事さを王はエドウィンとアリストアに教えていた。
「誠実?人によって捉え方は違いますが」
「法がある意味を考えてみなさい」
「同じ指針。法や聖典に綴られる正しいことをすればいいんですか?」
「歴史を学べば答えは見つかるだろう。答えは自分で見つけなさい」
二人の解釈は異なり、成長したエドウィンは聖典通りに誰にでも優しく、アリストアは法に忠実に道理を守るようになっていた。
優しいエドウィンの願いを叶えるために動く外面が完璧なアリストアに多くの者達は騙されていた。
常に無垢な笑みを浮かべ、ほとんど感情を顔に出さない浮き世離れした、時に冷たい印象を与えることもあるアリストアが優しい少女と思い込む者も多かった。
美しいものしか大事にしない巫女と道理のもとに貴族達の心に寄り添うアリストアとの差は歴然だった。
アリストアが王宮を去り多くの変化があった。
任期を終えた使用人達は、契約更新を望まず王宮を去り使用人達の質が一気に下がった。
式典ではエドウィンと並んで讃美歌を歌う少女が消え美しいハーモニーに慣れている民達にとって物足りないものになった。
アリストアの計算された丁寧なおもてなしに慣れた来賓からは質が落ちたと遠回しに非難を伝えられた。
時間が経つほどアリストアのいない弊害が目立ち、常に美しい笑みを浮かべ凛とした態度で完璧に公務をしていたアリストアへの羨望が強くなった。
優秀で非の打ち所がないアリストアを切り捨て、美女に腕を抱かれていたエドウィンへの評価が変わっていく。
無垢な天使、誠実で優しい王太子というイメージは壊れていく。
ばらまかれていた小さな棘による違和感がいつの間にか、不満の種を植え、栄養が与えられすくすくと育ってしまった。
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王宮で強引に手を引かれていたアリストアを見た貴族達は王家の理不尽な命に不満を持っていた。
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アリストアに憧れる子息は極秘で辺境領を訪問した。
アリストアが上手く取り入りディアスに大事にされており、不満はなさそうだったので抗議の声を上げなかった。
アリストアに助けを求められれば助ける気は満々だが……。
反してエドウィンは強引に迎えた新たな婚約者と半年で婚約破棄。
エドウィンは王族として能力も資質も疑われ支持者を失っていく。
エドウィンに恋い焦がれていた令嬢達は、欲に溺れた慎みを持たない姿に恋心が冷めた。アリストアがいなくなった途端にエドウィンの魅力がどんどん消え、ダンスさえ誘わなくなった。
いつも一緒だったエドウィンとアリストア。
婚約破棄騒動はアリストアとエドウィンの能力の違いを知らしめることになった。
そしてアリストアの存在はエドウィンが築いていくはずだった国に不穏の種をまいて育ててしまった。
エドウィンはアリストアを手放したことでゆっくりとのぼっていた輝かしい階段にヒビが入っていた。
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連日の王妃と共にする豪華だが自由に食べられず、腹持ちしない王宮料理やエドウィンとの味気ない料理ばかりの食事に特に嫌気がさしていた。
そして無味無臭の毒が仕込まれていそうな料理も。
エドウィン達から贈られた豪華な宝石や装飾品を報酬に持ち去り、体を蝕む毒の症状も無いため本能に忠実に動くことにした。脚本家の侍女はエドウィンに情事を知られても無言。
策の失敗が侍女の主に知られる前に迷いなく逃げ出した。
巫女の欲を刺激する美少女が好きなものはお金。
求める欲は違うも抱えるもののない自分を中心に生きる同族同士の旅が始まっていた。
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少女は美しい宝石をうっとりと眺めている。
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強欲王の国庫に保管されているはずの海の秘宝が売られていると知れば、泥棒を捕まえるために追っ手が放たれる。
亡国の秘宝は強欲王に売るのが商人の暗黙のルール。
痕跡は消してあるので、自分までは辿り着かない。
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※(他サイトでも投稿中)

拝啓 お顔もお名前も存じ上げない婚約者様
オケラ
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