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小さな棘と歯車後編
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国王はアリストアが呼んでいないエドウィンにエスコートされ、さらにディアスも後にいるという見たことのない組み合わせで現れたことに驚く。顔に出すことはなく、正反対な息子達を咎めずに受け入れた。
呼び出せばすぐに応じる素直で従順なエドウィンと逃れようとする不器用で反抗的なディアスを。
「ディアスが呼ばずとも顔を出すとは花でも降るだろうか」
「父上からの命を受けます」
ディアスは父の冗談に付き合う心の余裕はなく、微笑むアリストアやエドウィンとは正反対に無表情で静かに答えた。
「ようやくか。遠慮はいらない。誰を指名する」
「アリストアを指名させてください。エドウィンの承諾を得ています」
王はディアスがようやく婚約者を選んだことに笑うも指名した相手が予想外だった。
いつもと変わらない笑みを浮かべたまま、アリストアをエスコートしているエドウィンに静かに問いかける。
「どういうことだ。エドウィン」
「彼女の予言は外れません。アリストアが国の繁栄の象徴を消すなら…。国に不幸をもたらす少女。世界から私を消すのは対の少女」
「国に命を捧げろと命じるなら俺が監視しますよ」
ディアスはアリストアの存在をいらないと手を重ねながら話すエドウィンの言葉を遮る。
アリストアを同行させたのは間違いと気付いても、すでに後戻りはできなかった。
「父上、俺にください」
「仕方がありませんね。国のためにならない妃は不要―――――」
王の隣で笑みを浮かべて眺めていた王妃は反抗的になったアリストアの排除に頷く。
王妃の招待を断るアリストアよりも、自分の誘いを断らず、有益な情報を持つ巫女にエドウィン同様夢中になっていた。
私情に狂った王妃達の代わりに公務をしているアリストア。王妃に付き合えば公務に支障が出ていた。アリストアはエドウィンのためなら無理矢理調整するが王妃のために無理をすることはなかった。
そしてアリストアは王妃の地雷を幾つも踏み抜いた。
手塩にかけて育てたのに恩を仇で返す自分よりも評価の高いアリストアに王妃の怒りや嫉妬が向いていた。
「国にとって必要なのは巫女姫です。国の反映のために」
王はありえない事態に初めて夢かと疑った。
罪のない民を処刑することは許されない。
貴族であっても民には変わりない。
王は法と道理を守り統治することをエドウィンに伝えてきたつもりだった。
王子の中で一番甘いエドウィンが口にするとは思えない言葉が繰り返され現実と認識した。
エドウィンの甘さはアリストアと宰相で補えばいいと楽観的に見物していた。
エドウィンには王太子の条件はアリストアを妃であるままと匂わせて伝えていた。
理想を抱える王に優秀な臣下がいれば名君になり、必要な駒はきちんと育っていた。
「アリストアは役に立ちませんでした。肝心な時に動けない妃、王子に望まれもしない妃に存在意義はありません。貴族達どころか生家さえも動かせずに、役に立たず」
王はアリストアがエドウィンの行方不明中にいかに役に立たなかったか語り始めた王妃に反論しようとしたが相手をするのがバカらしくなり唇を固く結んだ。
ディアスは王妃の命令通りにアリストアが動けば迷惑だったと心の中で反論した。
制御できない貴族の私兵に戦場を荒らされればさらに勝利は遠のいた。
役目を放棄し疫病神より酷かったのはエドウィン。
ディアスを悩ませ不幸にしたのはアリストアではなく、王妃と巫女とエドウィンだったと口に出したくても機嫌を損ねれば面倒なので父親に抗議の視線を送った。
王は私情に狂っている醜い王妃の母国、世界一の暗殺集団を抱える国を滅ぼしアリストアを妃に迎えようかと現実逃避を始めた。
国力も上がり、優秀な駒も増え、間者もうまく溶け込んでいるため今なら勝機はあった。
王妃とは正反対の無垢な微笑みを浮かべる大人への成長途中のアリストアはいずれさらに美しさに磨きがかかり、器量も良く王好みの清楚な美女になるのは明らかだった。
いつも空気を支配する王とアリストアが放棄しているので宰相はパチパチと拍手をした。
場違いな拍手にアリストア以外の視線が集まり王妃の言葉が止まったので宰相は笑顔で口を開いた。
「おめでとうございます。ディアス様をお支えするのに申し分ない身分に器量、国益となる良縁でしょう。婚礼の際は是非参列させていただきたく存じます」
王と宰相は今回の戦でディアスに後見の必要性を痛感していた。
王妃のお気に入りの貴族達に王子として認められていないディアスはエドウィン達を制御できなかった。エドウィンの護衛騎士達は王妃に処理されていても、後釜はいくらでもいる。
後見さえつけば王妃の送る監視役も横暴な態度は取れない。今回のように無駄に戦が長引くこともない。
ディアスには数年前から後見をつけるため貴族から婚約者を選ぶように命じても選ばない。
軍略の天才の血を残すためなら婚約者を持つ令嬢でも縁談を整えるつもりだった。
王命で強引に縁談を整えても、女嫌いのディアスは形ばかりの白い結婚になるのが目に見えていた。
社交に顔を出さない平凡な顔の乱暴王子の婚約者になりたい令嬢もいないため、頭を悩ませていた。
ディアスを認める宰相には年頃の娘がいないため、あてがうこともできず、ディアスを王宮に留めていたのは夜会に参加させ婚約者を探させるためだった。
アリストアを呼び出したのは協力させるためだった。
王は宰相の言葉にようやく現実逃避をやめて思考を始めた。
多くの戦を勝利に導いたディアスの功績を王家が評価しないことに兵達から不満が出ていた。
今回の戦では一人で将軍や王族の首を落としたため報奨を与える正当な理由があった。
ディアスの報奨は戦争で手に入れた広大で多くの可能性を持つ辺境領。
新たな国境の防衛も含めてディアスに任せるのが最適であり臣籍降下し、辺境伯への任命が決まった。
ディアスは武術、軍略に優れていても他は平凡。
マナーも教養も王族としてはないに等しい。
ディアスの足りない所はアリストアの得意分野。
アリストアに教えていないことはディアスの得意分野だった。
王家の最高傑作のアリストアがディアスのフォロー、正反対の二人だからこそさらなる高みを見出す可能性に王は笑う。
王妃に迎えるよりも、エドウィンの側妃として暗躍させるよりも国益になる未来が見えた。
アリストアの抜けた穴は王妃とエドウィンに責任をとらせることにして、一つの未来の形を変えた。
アリストアとエドウィンの婚約の意味を忘れた親子にわざわざ教えるほど王は甘くなかった。
馬鹿な子ほど可愛いと高みの見物をするのが好きな王も公私混同はしなかった。
アリストアがエドウィンと婚約破棄するなら、ディアスとの婚約はアリストアにとっても都合が良かった。
エドウィンの庇護を失い、執念深い王妃の不況を買ったアリストアが儚くなる可能性も高い。
毒耐性を持つアリストアの料理から致死量の毒が検出され、給仕した侍女は裁いたが王妃までは辿りつかない。
転落死、溺死、病死と救えなかった息子達のようにアリストアを殺させるわけにはいかなかった。
「アリストアを引き取らせてください。兄の代わりに私が育てます」
「王妃教育にはこのままのほうが丁度良い」
「アリストアはまだ10歳です。そこまで急がずとも」
「アリストアが望んでいない。アリストアが希望するなら帰るのは止めないが、アリストア、正直に話しなさい」
「かしこまりました。叔父様、私はまだまだ未熟です。学ぶべきことが多く移動時間も勉学に励みたく存じます。どうか王宮で生活することをお許しください」
「わかったよ。いつでも帰っておいで」
「ありがとうございます」
「陛下、大人だけで話し合いましょう」
5年かけて公爵夫人暗殺事件が解決した後、引き取りを希望する公爵補佐の叔父と王は取引をした。
公務で優秀さを発揮していたアリストアを王宮で預かる代わりに公爵家の要望である毒の知識と耐性をつけさせることと精鋭の護衛をつけることを約束した。
公爵が娘に関心はなくても、叔父夫婦は違っていた。
また王にはもう一つ約束があった。
王妃とは比べものにならないほど美しい公爵夫人は美しい笑みを向けて歌うように王に囁いた。
「婚約者に指名するならきちんと守ってください。国のために命を捨てさせるなら呪います。血族の血を絶やすなら―――ふふふ、覚悟はよろしくて?」
人魚を祖先に持つ亡国の美姫一族の血を繋ぐことを条件に婚約を認めた。
アリストアが王家のために命を落とせば国は海の藻屑となるかもしれない。
公爵夫人は儚げな容赦を持つが性格は正反対のため呪いさえ使いこなしそうな雰囲気を持っていた。
家族の無事のためなら手段を選ばない。
氷の公爵の妻に相応しい存在だった。
責任感が強いディアスに任せればアリストアが殺されることもないかとこれからについて話し合う声に頷く。
「エドウィンとアリストアの婚約を解消し、ディアスとアリストアの婚約を認める。異存は?」
アリストアには目の前で白熱している話し合いの内容を聞いても思考する余裕はなかった。
自分を不要とする王妃の言葉も巫女との未来に胸を躍らるエドウィンの言葉も、祝福する宰相の言葉もただただ耳を通りすぎ、認識できずに音として流れていく。
唯一言葉として認識し、思考できたのは王の言葉。
王命が下りアリストアの生家は王家に忠実なので何も言わないことだけ。父は娘の命よりも名誉、家の繁栄が優先だったので王命を受け入れる。頭は回らなくても体は勝手に動いた。アリストアは礼をして変わらぬ笑みを浮かべたまま命令を受ける。
「謹んでお受け致します」
「感謝します。監視のために領地に引きこもります。当初の約束通り社交の免除を。王宮には顔を出さないので全て書面でやりとりします」
「好きにせよ。婚約者に選んだなら義務は守るように」
「かしこまりました。俺達はすぐに発ちます。アリストアの侍女は心当たりがあるので必要ありません」
「荷物は運ばせる」
王妃はアリストアの失墜を心の中で喜ぶ。
エドウィンは英断を王妃に褒められ、巫女とのこれからについて笑顔で話し合う。
ディアスは予定よりも早く王宮を去ることを決めた。
酷い言葉でアリストアの心を容赦なく斬りつけるエドウィンと王妃からアリストアを遠ざけたかった。笑顔で死ね、邪魔、役立たずと匂わす言葉をこぼす存在に反論できないディアスに唯一できることだった。
ディアスはアリストアをエドウィンの手から引き剥がし、乱暴に手を掴んでエスコートする。
優雅さの欠片もないディアスにエスコートされてアリストアは足早に謁見の間を出ていく。
宰相はディアス達のための馬車の用意を命じて、視線を集めていることを気にせず足を進める背中を眺める。
「閣下、アリストア様が」
「王命だ。礼を尽くして見送りなさい。二人の歩みを止めないように」
「かしこまりました」
宰相はアリストアがディアスに乱暴されていると飛び込んできた兵に命じて謁見の間を出る。
アリストアとディアスというありえない組み合わせに心の中で動揺している貴族達の反応を楽しみながらアリストアが残した公務の確認に行く。
エドウィンの執務室には書類の山はなく、急ぎの内務は全て片付けられていた。
花瓶に飾られた真っ赤な9本の薔薇に宰相は手を伸ばし花びらに触れた。
「いつも一緒にいてください。いつもあなたを想っていますか。アリストアらしい。殿下はアリストアが飾っていた花の意味に気付いただろうか」
「閣下、侍女長より文が」
アリストアがエドウィンのために飾る花は幸福や愛の意味を持つ花ばかりだった。
「きちんと前を向きなさい。私は教えたよ。殿下にもお伝えしましたが、」
宰相は教師の一人としてエドウィンとアリストアを教育に携わり大事なことはきちんと教えた。
弟子達のために描いた地図は破かれた。
宰相は手紙を読んで優秀な弟子の最後の公務の確認に行く。
主役が不在の祝賀会で新たな役者達がどう振る舞うか高みの見物をする舞台を整えるために。
「閣下より馬車で送り届けるように仰せつかってます。こちらに」
ディアスは厩に行くのを止められた。
豪華な馬車を用意され、馬で帰りたくても自衛ができないアリストアを一人で馬車に乗せるのも気が引けた。仕方なくアリストアの手を引いて馬車に乗り込んだ。
アリストアはディアスに促されるまま馬車に乗り、静かに座る。
ディアスは正面に座る感情のない瞳で微笑むアリストアを無言で眺めた。
罪のない少女が一方的に責められ、死を命じられるなんてどう考えても許せない。
穢れを知らない無垢な美しい微笑みと囁かれる笑みをずっと浮かべるアリストア。
ディアスはかける言葉が見つからない。
馬車が動き、王都が出てもずっと微笑んでいるアリストア。
ディアスはだんだんアリストアの微笑みを不快に感じるようになる。
しばらく馬車に揺られながらアリストアの笑みが噂とは正反対なものだと気づく。
ディアスには無縁の異母兄が得意な油断を誘い緊張感を消すために浮かべる計算された笑みと同じものと。
「無垢な天使じゃないよ。アリストアは贄だ」
ディアスは聞き流した異母兄の言葉を思い出す。
母国を滅ぼした王国を恨み、賊のフリをしていた復讐者。怨恨を向けられたのは演説をしていた民に慕われる王太子の婚約者。
王族が顔を出さないため綺麗事ばかり語る無垢な天使の片割れが狙われた。
「おかえりなさいませ。殿下のおかげで多くの命が救われました。心から感謝申し上げます」
無垢な笑顔のアリストアから向けられた言葉は計算された嘘でも、騙されたとは思えない。
アリストアへの苛立ちはおこらなくても掛ける言葉が見つからない。反してエドウィンや王妃への苛立ちは増すばかり。
馬車の中は微笑むアリストアと不機嫌なディアスによる沈黙で支配されていた。
小さな歯車の乱れが大きな歯車まで届いた日。
エドウィンの一言で運命が変わった。
アリストアの絶望。
ディアスの苛立ち。
エドウィンの歓喜。
胸に抱えるものは雲泥の差がある三人。
王により賽は投げられた。
規則正しく動いていた大きな歯車の動きがどんどん緩やかになりその先は誰にもわからない。
それぞれにとって資質が試される日が始まった。
気付いているのは大きな歯車の奏者と整備士だけ。
呼び出せばすぐに応じる素直で従順なエドウィンと逃れようとする不器用で反抗的なディアスを。
「ディアスが呼ばずとも顔を出すとは花でも降るだろうか」
「父上からの命を受けます」
ディアスは父の冗談に付き合う心の余裕はなく、微笑むアリストアやエドウィンとは正反対に無表情で静かに答えた。
「ようやくか。遠慮はいらない。誰を指名する」
「アリストアを指名させてください。エドウィンの承諾を得ています」
王はディアスがようやく婚約者を選んだことに笑うも指名した相手が予想外だった。
いつもと変わらない笑みを浮かべたまま、アリストアをエスコートしているエドウィンに静かに問いかける。
「どういうことだ。エドウィン」
「彼女の予言は外れません。アリストアが国の繁栄の象徴を消すなら…。国に不幸をもたらす少女。世界から私を消すのは対の少女」
「国に命を捧げろと命じるなら俺が監視しますよ」
ディアスはアリストアの存在をいらないと手を重ねながら話すエドウィンの言葉を遮る。
アリストアを同行させたのは間違いと気付いても、すでに後戻りはできなかった。
「父上、俺にください」
「仕方がありませんね。国のためにならない妃は不要―――――」
王の隣で笑みを浮かべて眺めていた王妃は反抗的になったアリストアの排除に頷く。
王妃の招待を断るアリストアよりも、自分の誘いを断らず、有益な情報を持つ巫女にエドウィン同様夢中になっていた。
私情に狂った王妃達の代わりに公務をしているアリストア。王妃に付き合えば公務に支障が出ていた。アリストアはエドウィンのためなら無理矢理調整するが王妃のために無理をすることはなかった。
そしてアリストアは王妃の地雷を幾つも踏み抜いた。
手塩にかけて育てたのに恩を仇で返す自分よりも評価の高いアリストアに王妃の怒りや嫉妬が向いていた。
「国にとって必要なのは巫女姫です。国の反映のために」
王はありえない事態に初めて夢かと疑った。
罪のない民を処刑することは許されない。
貴族であっても民には変わりない。
王は法と道理を守り統治することをエドウィンに伝えてきたつもりだった。
王子の中で一番甘いエドウィンが口にするとは思えない言葉が繰り返され現実と認識した。
エドウィンの甘さはアリストアと宰相で補えばいいと楽観的に見物していた。
エドウィンには王太子の条件はアリストアを妃であるままと匂わせて伝えていた。
理想を抱える王に優秀な臣下がいれば名君になり、必要な駒はきちんと育っていた。
「アリストアは役に立ちませんでした。肝心な時に動けない妃、王子に望まれもしない妃に存在意義はありません。貴族達どころか生家さえも動かせずに、役に立たず」
王はアリストアがエドウィンの行方不明中にいかに役に立たなかったか語り始めた王妃に反論しようとしたが相手をするのがバカらしくなり唇を固く結んだ。
ディアスは王妃の命令通りにアリストアが動けば迷惑だったと心の中で反論した。
制御できない貴族の私兵に戦場を荒らされればさらに勝利は遠のいた。
役目を放棄し疫病神より酷かったのはエドウィン。
ディアスを悩ませ不幸にしたのはアリストアではなく、王妃と巫女とエドウィンだったと口に出したくても機嫌を損ねれば面倒なので父親に抗議の視線を送った。
王は私情に狂っている醜い王妃の母国、世界一の暗殺集団を抱える国を滅ぼしアリストアを妃に迎えようかと現実逃避を始めた。
国力も上がり、優秀な駒も増え、間者もうまく溶け込んでいるため今なら勝機はあった。
王妃とは正反対の無垢な微笑みを浮かべる大人への成長途中のアリストアはいずれさらに美しさに磨きがかかり、器量も良く王好みの清楚な美女になるのは明らかだった。
いつも空気を支配する王とアリストアが放棄しているので宰相はパチパチと拍手をした。
場違いな拍手にアリストア以外の視線が集まり王妃の言葉が止まったので宰相は笑顔で口を開いた。
「おめでとうございます。ディアス様をお支えするのに申し分ない身分に器量、国益となる良縁でしょう。婚礼の際は是非参列させていただきたく存じます」
王と宰相は今回の戦でディアスに後見の必要性を痛感していた。
王妃のお気に入りの貴族達に王子として認められていないディアスはエドウィン達を制御できなかった。エドウィンの護衛騎士達は王妃に処理されていても、後釜はいくらでもいる。
後見さえつけば王妃の送る監視役も横暴な態度は取れない。今回のように無駄に戦が長引くこともない。
ディアスには数年前から後見をつけるため貴族から婚約者を選ぶように命じても選ばない。
軍略の天才の血を残すためなら婚約者を持つ令嬢でも縁談を整えるつもりだった。
王命で強引に縁談を整えても、女嫌いのディアスは形ばかりの白い結婚になるのが目に見えていた。
社交に顔を出さない平凡な顔の乱暴王子の婚約者になりたい令嬢もいないため、頭を悩ませていた。
ディアスを認める宰相には年頃の娘がいないため、あてがうこともできず、ディアスを王宮に留めていたのは夜会に参加させ婚約者を探させるためだった。
アリストアを呼び出したのは協力させるためだった。
王は宰相の言葉にようやく現実逃避をやめて思考を始めた。
多くの戦を勝利に導いたディアスの功績を王家が評価しないことに兵達から不満が出ていた。
今回の戦では一人で将軍や王族の首を落としたため報奨を与える正当な理由があった。
ディアスの報奨は戦争で手に入れた広大で多くの可能性を持つ辺境領。
新たな国境の防衛も含めてディアスに任せるのが最適であり臣籍降下し、辺境伯への任命が決まった。
ディアスは武術、軍略に優れていても他は平凡。
マナーも教養も王族としてはないに等しい。
ディアスの足りない所はアリストアの得意分野。
アリストアに教えていないことはディアスの得意分野だった。
王家の最高傑作のアリストアがディアスのフォロー、正反対の二人だからこそさらなる高みを見出す可能性に王は笑う。
王妃に迎えるよりも、エドウィンの側妃として暗躍させるよりも国益になる未来が見えた。
アリストアの抜けた穴は王妃とエドウィンに責任をとらせることにして、一つの未来の形を変えた。
アリストアとエドウィンの婚約の意味を忘れた親子にわざわざ教えるほど王は甘くなかった。
馬鹿な子ほど可愛いと高みの見物をするのが好きな王も公私混同はしなかった。
アリストアがエドウィンと婚約破棄するなら、ディアスとの婚約はアリストアにとっても都合が良かった。
エドウィンの庇護を失い、執念深い王妃の不況を買ったアリストアが儚くなる可能性も高い。
毒耐性を持つアリストアの料理から致死量の毒が検出され、給仕した侍女は裁いたが王妃までは辿りつかない。
転落死、溺死、病死と救えなかった息子達のようにアリストアを殺させるわけにはいかなかった。
「アリストアを引き取らせてください。兄の代わりに私が育てます」
「王妃教育にはこのままのほうが丁度良い」
「アリストアはまだ10歳です。そこまで急がずとも」
「アリストアが望んでいない。アリストアが希望するなら帰るのは止めないが、アリストア、正直に話しなさい」
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「ありがとうございます」
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王妃とは比べものにならないほど美しい公爵夫人は美しい笑みを向けて歌うように王に囁いた。
「婚約者に指名するならきちんと守ってください。国のために命を捨てさせるなら呪います。血族の血を絶やすなら―――ふふふ、覚悟はよろしくて?」
人魚を祖先に持つ亡国の美姫一族の血を繋ぐことを条件に婚約を認めた。
アリストアが王家のために命を落とせば国は海の藻屑となるかもしれない。
公爵夫人は儚げな容赦を持つが性格は正反対のため呪いさえ使いこなしそうな雰囲気を持っていた。
家族の無事のためなら手段を選ばない。
氷の公爵の妻に相応しい存在だった。
責任感が強いディアスに任せればアリストアが殺されることもないかとこれからについて話し合う声に頷く。
「エドウィンとアリストアの婚約を解消し、ディアスとアリストアの婚約を認める。異存は?」
アリストアには目の前で白熱している話し合いの内容を聞いても思考する余裕はなかった。
自分を不要とする王妃の言葉も巫女との未来に胸を躍らるエドウィンの言葉も、祝福する宰相の言葉もただただ耳を通りすぎ、認識できずに音として流れていく。
唯一言葉として認識し、思考できたのは王の言葉。
王命が下りアリストアの生家は王家に忠実なので何も言わないことだけ。父は娘の命よりも名誉、家の繁栄が優先だったので王命を受け入れる。頭は回らなくても体は勝手に動いた。アリストアは礼をして変わらぬ笑みを浮かべたまま命令を受ける。
「謹んでお受け致します」
「感謝します。監視のために領地に引きこもります。当初の約束通り社交の免除を。王宮には顔を出さないので全て書面でやりとりします」
「好きにせよ。婚約者に選んだなら義務は守るように」
「かしこまりました。俺達はすぐに発ちます。アリストアの侍女は心当たりがあるので必要ありません」
「荷物は運ばせる」
王妃はアリストアの失墜を心の中で喜ぶ。
エドウィンは英断を王妃に褒められ、巫女とのこれからについて笑顔で話し合う。
ディアスは予定よりも早く王宮を去ることを決めた。
酷い言葉でアリストアの心を容赦なく斬りつけるエドウィンと王妃からアリストアを遠ざけたかった。笑顔で死ね、邪魔、役立たずと匂わす言葉をこぼす存在に反論できないディアスに唯一できることだった。
ディアスはアリストアをエドウィンの手から引き剥がし、乱暴に手を掴んでエスコートする。
優雅さの欠片もないディアスにエスコートされてアリストアは足早に謁見の間を出ていく。
宰相はディアス達のための馬車の用意を命じて、視線を集めていることを気にせず足を進める背中を眺める。
「閣下、アリストア様が」
「王命だ。礼を尽くして見送りなさい。二人の歩みを止めないように」
「かしこまりました」
宰相はアリストアがディアスに乱暴されていると飛び込んできた兵に命じて謁見の間を出る。
アリストアとディアスというありえない組み合わせに心の中で動揺している貴族達の反応を楽しみながらアリストアが残した公務の確認に行く。
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花瓶に飾られた真っ赤な9本の薔薇に宰相は手を伸ばし花びらに触れた。
「いつも一緒にいてください。いつもあなたを想っていますか。アリストアらしい。殿下はアリストアが飾っていた花の意味に気付いただろうか」
「閣下、侍女長より文が」
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「きちんと前を向きなさい。私は教えたよ。殿下にもお伝えしましたが、」
宰相は教師の一人としてエドウィンとアリストアを教育に携わり大事なことはきちんと教えた。
弟子達のために描いた地図は破かれた。
宰相は手紙を読んで優秀な弟子の最後の公務の確認に行く。
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「閣下より馬車で送り届けるように仰せつかってます。こちらに」
ディアスは厩に行くのを止められた。
豪華な馬車を用意され、馬で帰りたくても自衛ができないアリストアを一人で馬車に乗せるのも気が引けた。仕方なくアリストアの手を引いて馬車に乗り込んだ。
アリストアはディアスに促されるまま馬車に乗り、静かに座る。
ディアスは正面に座る感情のない瞳で微笑むアリストアを無言で眺めた。
罪のない少女が一方的に責められ、死を命じられるなんてどう考えても許せない。
穢れを知らない無垢な美しい微笑みと囁かれる笑みをずっと浮かべるアリストア。
ディアスはかける言葉が見つからない。
馬車が動き、王都が出てもずっと微笑んでいるアリストア。
ディアスはだんだんアリストアの微笑みを不快に感じるようになる。
しばらく馬車に揺られながらアリストアの笑みが噂とは正反対なものだと気づく。
ディアスには無縁の異母兄が得意な油断を誘い緊張感を消すために浮かべる計算された笑みと同じものと。
「無垢な天使じゃないよ。アリストアは贄だ」
ディアスは聞き流した異母兄の言葉を思い出す。
母国を滅ぼした王国を恨み、賊のフリをしていた復讐者。怨恨を向けられたのは演説をしていた民に慕われる王太子の婚約者。
王族が顔を出さないため綺麗事ばかり語る無垢な天使の片割れが狙われた。
「おかえりなさいませ。殿下のおかげで多くの命が救われました。心から感謝申し上げます」
無垢な笑顔のアリストアから向けられた言葉は計算された嘘でも、騙されたとは思えない。
アリストアへの苛立ちはおこらなくても掛ける言葉が見つからない。反してエドウィンや王妃への苛立ちは増すばかり。
馬車の中は微笑むアリストアと不機嫌なディアスによる沈黙で支配されていた。
小さな歯車の乱れが大きな歯車まで届いた日。
エドウィンの一言で運命が変わった。
アリストアの絶望。
ディアスの苛立ち。
エドウィンの歓喜。
胸に抱えるものは雲泥の差がある三人。
王により賽は投げられた。
規則正しく動いていた大きな歯車の動きがどんどん緩やかになりその先は誰にもわからない。
それぞれにとって資質が試される日が始まった。
気付いているのは大きな歯車の奏者と整備士だけ。
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表紙は写真ACより転載しました。
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