追憶令嬢の徒然日記  小話

夕鈴

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パラレル  レティシアの初恋の結末その1-3

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レティシアがリオを選んだという噂が広がり、レティシアの様子を見るためにレティシアのいる教室に足を運ぶ生徒も現れた。
野次馬達の目に映るのはいつもと変わらず美しく微笑みながらクラスメイトと話すレティシア。

「いつもと同じ?」
「間違いじゃないか」

普段と変わらないレティシアの様子に噂は間違いかと喜んだり、悲しんだり反応は様々である。
リオが引き受けたエイベルの仕事を片付けているレティシアは集まっている生徒の顔は認識し、話声も聞こえているが相手にしない。
公爵令嬢の動向を探りたい気持ちは理解はするが、手段が浅はかすぎるとフラン王国貴族の教育の見直しが必要だと進言すべきか、自業自得と切り捨て自滅を待つか、生徒会の次年度の方針への意見書への解答に迷っていた。
レティシアなら切り捨てるが、この仕事を任されたのはエイベルである。
生徒会長の王子が聞きたいのはレティシアではなくエイベルの意見であると判断し結論を後回しにしてこれから訪ねなければいけないクラブの活動場所の効率的な周り方を思考しはじめた。

「くだらない」

アリッサは平等の学園でも、倫理観まで捨てている生徒見物客に蔑んだ視線を送る。
レティシアがアリッサの様子に気付けば、侯爵令嬢らしくないと指摘しただろう。
レティシアは学園でも王家やルーン公爵家にとって価値のある令嬢には指導することがある。ある程度の交友があれば私的な質問も受け入れるが、レティシアに私的な質問を許される生徒は見物など不躾なことはしない。もちろん好奇心を満たすためだけに不躾な質問をすることもない。

「平等だから全てが許されるってどうして思えるのかしら。自由が許されるのは圧倒的な強者の許しや庇護があるときだけ。まぁ民にとっては王族、王族にとっては民、しがらみなく自由に動けるのが許されるのは生まれたばかりの赤子だけかしらねぇ」

誰よりも自由に動いているセリアの言葉に突っ込みは不在だった。
見物客が増えても成績優秀者が集まっているレティシアのクラスメイトはレティシアに問いかけることはしない。当事者に頼まれないかぎり、見物客に対処することもない。見世物に巻き込まれる責任をレティシアに求めることも。
平等の学園では学びを深め、波風立てずに穏便に日々を送ることが生徒会長の王子の望む健全な学園生活。学園で問題を起こさず、優秀な成績を修めることが、自分に求められていることをきちんと理解していた。


学園でも注目を集める公爵家の二人の恋の結末。
生徒会役員のリオは公爵家らしく無礼を働かれれば躊躇うことなく処罰する。
生徒会役員ではないため生徒を取り締まることはなく、温厚な性格と思われているレティシアの周囲だけが騒がしい時間が続いていた。
注目を集めることも見せ物にされることも慣れているレティシアは放置を選んで行動していた。
良識ある生徒の集まる安全地帯とは正反対の場所に行っても方針は変えない。
クラブ活動用の個室に入り、生徒達に囲まれても怯えることも驚くこともなく美しく微笑みながら口を開いた。

「生徒会より動向調査を命じられました。なにか意見はありますか?」
「ルーン様のお相手が決まったというのは」
「クラブとは関係ない不適切な話題ですわ。殿下は健全なクラブ活動を望まれています。無駄なことに貴重な時間を浪費されるような殿下のお気持ちを無下にするような方がいないと信じております」

レティシアは不躾な質問に正直に答える義理はないが答えようにも答えがわからなかった。
リオに失恋して落ち込んで、前を向こうと足掻いていたら、初恋が叶う扉の鍵の欠片を見つけた。
恋が叶った女生徒のように舞い上がって、浮かれていたかったが現実は甘くない。
悩んでいることなど周囲には微塵も気取らせず、任された仕事を遂行していく。

学園の中を歩き回り、最終目的のエイベルの部屋に訪ねると、エイベルの驚いた顔に迎えられたレティシアは力なく笑う。

「全部終わりました。膝を貸してください」

レティシアに振り回され慣れているエイベルは昨日までと変わらない光景に驚く。
独占欲の塊の男の隣で微笑んでいると思った妹分は幸せオーラの欠片もなく疲労困憊である。
エイベルを枕にするために、慣れた様子で従者を追い出し場を整えはじめたレティシア。

「エイベルにとっては簡単なものですから教えてください」

エイベルの膝を枕に寝転んだレティシアはエイベルからの答えを書類に書いていく。
エイベルの率直な答えをまとめ終え、最後の仕事を終えたレティシアは机に書類を置いて目を閉じる。

「外見に似合わずお優しい…」

エイベルの考えはレティシアより甘い。
愚かな者を見捨てず、成長の機会を与え、更正の機会を作るという答えの先にあるのは信頼。
生徒達の可能性を信じて、手を尽くすという面倒見のよさは貴族としては珍しい。
薄汚い貴族ばかりの世界で真っ直ぐに育ったエイベルは国宝になるかもしれないと可笑しなことを思いながらレティシアは襲ってくる眠気に抗わず意識を手放した。



エイベルがレティシアの呟きに返答する前に寝息が聞こえた。突っ込むのはやめてレティシアが提案した枕にされている時のトレーニングを始めることにした。
一通りのメニューを終えても寝息を立てているレティシア。

「バカ。返せばいいものを」

レティシアにアピールする男達が所属するクラブに立ち寄ったのなら心身共に疲れるのは目に見えている。

「よろしいですか?」

エイベルはリオから面会依頼の問い合わせがきたので了承した。
レティシアを探している最中に嫌な予感に襲われたリオは目の前に絶句した。
エイベルの膝で眠る姿は二度目であろうと慣れるものではない。不快な気持ちは昨日よりも増している。
エイベルは無言で嫉妬に狂う男に呆れながらも話しかけた。百歩譲って妹弟子の世話は仕方ないがリオはごめんである。

「レティシアが仕事終ったってさ。本当に仕事が早いよな」
「なんで、またここにいる?」

レティシアにとってエイベルの部屋は避難所である。
必要なら提供するが、他に避難所を作れるならエイベルにとってありがたい話である。

「ここ以外だと絡まれるのが面倒なんだと。今はクラブを巡って心身共に疲れたんだろう。こいつ体力ないし。武術できても魔法も力もないから気をつけてやれよ。絡んでくる奴が礼儀を守るとは限らない」
「悪いな。これは引き受ける」


リオは素直に謝罪し、ぐっすり眠るレティシアを抱き上げた。
レティシアとリオの婚約はまだ結ばれていない。
それでもマール公爵家の子息が婚約者に望んでいると知らしめれば周囲の反応は変わる。
今のリオはエイベルの部屋でレティシアと二人になるのはやめてほしいとエイベルに言える立場ではない。
レティシアの行動を阻むためにエイベルに手を回すのは簡単でも、レティシアがどう解釈するかはわからない。
レティシアがリオに向けるものはリオがレティシアに向けるようになったものと同じようには思えない。でも腕の中にいる少女を愛しく感じ、手放したくないと思うリオは腹を括った。
勘違いでも逃さないと。

リオはレティシアをソファに下ろして、毛布をかけた。
肌触りのいい素材の毛布は幼いレティシアが気に入り愛用していたものである。
今まで使うことがなかった常備してあるレティシア好みの物にリオは小さく笑う。
リオは特別になった少女を手に入れるために目の前に仕事を片付けることにした。

リオが机の上に処理した書類を重ねていると物音が聞こえて視線を音の持ち主に向けた。
毛布にうずくまっているレティシアを見て、椅子から立ち上がる。
レティシアはゆっくりと目を開き、毛布から顔を出した。
ソファで寝転ぶレティシアに視線を合わせて、リオが優しく微笑むとレティシアは首を傾げる。

「起きた?」

レティシアはありえない光景に夢と思い、ニコッと愛らしく無邪気に笑った。
リオは久しぶりに見たレティシアの可愛らしい笑みに口元を緩ませ、頭を撫でた。
頭を撫でる心地いい手にレティシアは目を閉じ、幸せをかみしめる。
夢なのに感覚がしっかりしていることに不思議に思ったレティシアはゆっくりと手を伸ばしリオの頬に触れた。

「りおにいさま」

リオは頭を撫でるのをやめて、頬をなぞるレティシアの手を掴む。

「兄様は卒業してくれ。俺はシアの兄にはなりたくない」

リオの言葉に拒絶されたレティシアの瞳が潤む。誤解させたことに気付いたリオは掴んだレティシアの手に口づけた。

「シアの特別になりたい。俺達はもう社交デビューしてるから全ての行動は自己責任だろう?俺をその気にさせた責任をとってくれないか?」


リオの甘さを含んだ言葉にレティシアは首を傾げる。
夢は願望を映すこともあるが、なぜか違和感を覚えている。

「おはよう?」
「おはよう」

レティシアは体を起こすと覚えのない毛布に首を傾げる。
目の前にいるリオを見ても答えはできない。
リオは寝ぼけているレティシアを見て子供の頃と変わらない姿に笑う。
レティシアの虚ろな瞳がリオの瞳を見つめた。

「なんで?りお?夢?」
「夢じゃないから」

何度か瞬きをしたレティシアは制服姿のリオを見て思い出した。
夢であってもレティシアがリオの部屋で眠っているなどありえないことである。
ルーン公爵令嬢が制服姿で居眠りできる場所は学園内ではエイベルの部屋くらいである。

「私、エイベルの部屋に」
「それはもうやめような」
「なんで?」

リオは愛らしく首を傾げるレティシアへの答えに悩む。
貴族令嬢として慎みを持つようにと言えば簡単だが、その結果はリオの首も絞めることになる。
自分以外の男と過ごしてほしくないというのは情けない。

「シア、俺と婚約するんだろ?」
「こんやく?」

寝ぼけているとはいえ意味がわからないというレティシアにリオは不安を覚える。

「そう。婚約。いずれ俺と結婚するんだろ。婚約者以外の男と二人っきりってどうなの?」
「エイベルだよ」

レティシアの声に戸惑いや気まずさはない。
リオとエイベルは相性が悪いとレティシアは思っている。エイベルに無関心のリオがエイベルを気にする訳のわからない現状にレティシアは首を傾げる。

「エイベルは男だ」
「おとこ?エイベルが?」
「女に見えるの?」

レティシアにとって様子のおかしい、意味のわからない質問をするリオを見てレティシアは夢と判断した。

「ううん。お兄様だよ」
「本当の兄妹じゃないだろ」

夢の中でも淑女らしさを求めるリオにレティシアは悲しくなる。
悲しそうな顔のレティシアにリオは罪悪感に襲われる。
でもエイベルとレティシアが噂になる現状はリオ達のこれからのためにも避けたほうがいい。

「だから二人っきりになるのは駄目」
「困る」
「なんで?」

リオはエイベルの部屋で過ごしたいというレティシアとエイベルの関係は危険だと思っている。恋に手段は選んではいけないという父の教えに従い、罪悪感から全力で目を反らすことにした。

「あの部屋が一番安全」

他の生徒会役員と比べ留守が多いエイベルの部屋に訪ねる者少ない。エイベルの部屋を訪ねるのは従者とレティシア、王子くらいである。
レティシアにとって煩わしい者が訪ねることはない。もし訪ねてきも相手をするのはエイベルなのでレティシアにとって他人事ですむ。

「安全?俺のところにくればいい」
「迷惑」
「迷惑じゃないよ」
「立場をわきまえなさいって」

エイベルのことを話している時とは違い悲しそうな顔でポツリと話すレティシアの答えはリオの心を抉る。
いつも笑顔のレティシアの顔が曇るのは苦手なのに、最近のリオは曇らせてばかりである。
それでも手に入れたいと思う気持ちは捨てられない。

「もう言わないよ。俺の傍にいてほしい。困ったら俺に頼って」
「なんで?」

リオは入学してからレティシアに頼りにされたことはない。だから困っていることも安全な場所を探していることも気付かなかった。
時々体調を崩す以外は滞りなく学園生活を過ごしていると勘違いしていた。

「ビアードに頼るのも、甘えるのもやめてほしい。俺よりビアードを頼りにされると…悔しい傷つく」

情けないリオの本音。
レティシアにとっては意味がわからないことだらけ。それでも気まずそうなリオの顔を見て、浮かべている感情の色はわかる。

「リオ兄様、悲しい?」
「あぁ。凄く悲しい。そんなに俺は頼りないのか?シアが困っているのに無力な俺に嫌気がさしてる」

レティシアにとっていつも自信満々で余裕があるリオ。リオからの懇願に、レティシアは迷う。リオに相応しくなるために、自分の力で立てるように頑張ってきた。けれども常に完璧を目指すのは疲れる。そしてレティシアの力だけではどうにもならない事態もある。
現実の厳しさを知らなかった幼い頃のように心のままに手を伸ばして甘やかしてもらえる時間を恋しく思う気持ちはなかなか捨てられない。

「頼っていいのかな」

ポツリとこぼしたレティシア。

「もちろん」

優しく頷くリオをレティシアはじっと見つめた。
レティシアの記憶にあるマール公爵子息達はレティシアの苦手を自然に遠ざける特技を持っている存在だった。
沈黙が続いても、優しくレティシアを見つめて言葉を待つリオに小さな声で呟いた。

「諦めて、俺のとこに来いって人達怖い」
「え?」
「断っても断っても駄目。だからエイベルのとこがいい。エイベルがいつも助けてくれるから」


レティシアは自分の弱点をわかっている。
力も体力もないレティシアは力づくで迫られれば逃げられない。
言葉なら負けないが圧倒的な力の前では無力である。
貞操観念の緩い生徒も多く、力強く、欲に忠実そうな生徒は怖い。
学園の平等という校風を自由と勘違いする者も。
校則で裁かれるようなことがおきたときは、レティシアの立場は終わる。
弱いレティシアが悪い。
自分自身には厳しいのに、エイベルはレティシアの学園での弱さを責めない。
レティシアが怯えを相手に悟られる前に助けてくれることに救われていた。

リオは自分の鈍感さだけでなく、レティシアのエイベルへの信頼に胸が抉られたり、ようやく見せてくれた弱さに、守りたい気持ちに襲われたり、心が忙しい。
今のリオにとって自分の心を落ち着けるよりも目の前の愛しい人の不安を取り除くことが大事である。

「これからは俺が対処するよ。待って、セリアは?」
「内緒。心配するから。セリアに危害を加えられたら大変」


セリアに危害を加えられる命知らずはなかなかいない。
もしもレティシアが頼れば、天才研究者であり発明家のシオン伯爵令嬢は嬉々として報復という名目で被験者確保しただろう。
セリアへの認識を改め、レティシアが頼るようになり、甘えてずっと一緒にいるようになればリオとの時間はなくなる。
リオに見せつけるように微笑むセリアの幻覚を打ち消し、レティシアの頭を撫でる。

「俺がなんとかするよ」
「ありがとう」

レティシアは優しく微笑み頭を撫でるリオの手に目を閉じた。そして重くなる瞼にあらがわず、意識を手放した。
リオはレティシアが倒れないように抱きよせ、ぐっすり眠る姿に笑みを溢した。
しばらくしてレティシアをソファに寝かしたリオは仕事を再開した。
情報収集を命じた侍従がレティシアを探すシエルと共に帰ってきたため報告を受けて絶句した。
安全なはずの学園はレティシアにとっては不敬の塊が集う魔の巣窟である。


「事実だろうな?」
「信じたくない気持ちは理解できますが、よろしいのですか」

静かに諫める侍従の言葉にリオは首を横に振った。


「悪かった。魔力を持たないとはいえ公爵令嬢に、シエル?言いたいことがあるなら無礼講だ」
「リオ様の前のお嬢様が全てではありません。それにマール公爵家のお嬢様贔屓は社交界では有名です」

シエルはすれ違っている二人をずっと見守ってきた。
リオが思っているほど、レティシアを手に入れるのは簡単ではない。
それでも大事なお嬢様の夢のために最初で最後の助け船を出すことにした。
レティシアが頑張れたのはリオのおかげ。
それでもレティシアの恋心を踏みつけていた罪は軽くならない。
大事なお嬢様を手に入れるなら、レティシアにフォローされるのではなく、どんなものからも守り幸せにしてくれる男になるべきだと思っている。

シエルから漂う冷たい空気にレティシアが体を震わせた。ゆっくりと目を開け、見覚えのない天井に驚き素早く体を起こした。
視界に入ったシエルに安堵し、周囲を見渡しリオの部屋にいることに気付き警戒をときながらも姿勢を正す。

「リオ兄様?」

リオは先ほどのあどけなさは嘘のように俊敏に反応し、シエルを見て強張った顔を緩ませたレティシアに心が抉られた。
心の動揺を隠してリオは優しく問いかけた。

「起きたか。寝不足?」
「ええ。ご迷惑をおかけしました。私、どうしてここに?」

レティシアはルーン公爵令嬢らしく淑やかに答えた。そして記憶を整理してもわからない状況への戸惑いを覚えても態度に出すことはなかった。

「運んだ」
「え?」

リオからのありえない答えに驚き淑女の仮面を落としきょとんとするレティシア。素のレティシアにリオの口元が緩む。

「なんでビアードの部屋にいたの?」
「仕事が終わったのでエイベルに渡しに。エイベルったら邪魔なら起こしてくれればいいのに。わざわざリオを呼び出して回収させるなんて…。失礼しますね。お仕事がんばってください」

エイベルに文句を言いにいきそうなレティシアが礼をして立ち去ろうとするので、リオは腕を掴んで抱き寄せた。
突然抱き寄せられきょとんとしているレティシア。
好きな男に抱き寄せられても赤面することなく、戸惑うレティシアの心境はリオにはわからない。


「リオ?」

レティシアはリオの胸を押して放れようとするがリオは腕を解かない。

「なぁ、俺達の関係ってなに?」
「え?従兄妹ですわ」
「他にないの?」

即答したレティシアへの不満は隠してリオは優しく問いかけた。
優しい顔で至近距離で見つめられ、レティシアは下を向いてポツリとこぼした。

「将来は婚約できればいいなって」
「婚約するし結婚もする」

迷いなく即答したリオの言葉がレティシアは嬉しい。それでも昨夜から胸を襲う不安は消えない。

「人の気持ちなんてわかりません」

今のリオはレティシアの婚約者にはなれない。
肌を刺すつめたい空気に静かにリオを見ているシエルに気付く。
婚約者という椅子がなければレティシアを安心させられない男にルーン公爵家は委ねない。
ルーン公爵家に認められるためにレティシアの専属侍女のシエルにも認められないといけない。
ルーン公爵家に認められたいが、それ以上に好きな女を不安にさせている現状は情けない。マール公爵家の男が知れば鼻で笑われそうな現状が繰り広げられている。

「俺達は恋人じゃないの?」
「恋人?」
「恋愛して婚約して将来は夫婦になる」
「夢みたいですね」

レティシアにとってリオとの未来は夢物語に近い。
反してリオは常に現実だけを見ている。

「夢?」
「私はリオが好きですわ。重たすぎて負担になって振られるのはごめんですもの」

レティシアからの恋慕の言葉にリオは満足げに笑う。レティシアの気持ちがリオに向いているなら抉られた胸の痛みも不安も不満も些細なことと片付けられる。リオがエイベルより優位に立てることが少なくてもリオにとって一番大事なのはレティシアの恋慕を向ける先である。
レティシアが必要としているものを求められて与えているエイベル。
レティシアが手を伸ばす前に求めたいものをレティシアの周りに配置してしまえばいい。

「そんなことしない。シアの気持ちが負担になることなんてない」
「リオは私に惚れてないでしょ?」
「惚れてる。可愛くて仕方ない。俺の恋人が他の男に甘えるなんて許せない。自覚したばっかりだけどずっとお前が好きだったんだよ。この部屋、俺の部屋なのにお前の好みの物ばかりだろ?好きでもないやつのためにここまでしないよな」
「リオは身内には優しいですからこれくらいしますわ」

レティシアは本気で言っているが勘違いである。リオにとって魔力のないレティシアだけは庇護しなければいけない存在だったが他の者は違う。
リオを優しいと勘違いしているのは曇ったフィルターを持っている一部の貴族令嬢達だけである。

「エドワードには、こんなに世話をやかないよ。まぁそれはいいや。ビアードに甘えるのやめて」
「甘える?」
「抱きついたり、膝の上で寝たり。それを一般的には甘えるって言うんだよ」
「え…?寂しい時はどうすればいいんですの?」
「俺のところにくればいい。甘やかしてやるよ」
「迷惑」
「迷惑じゃない。俺は可愛いシアを独り占めしたい。だからビアードといる時間を俺に譲ってよ。これからはちゃんと守るよ。どんな役目だろうとビアードに渡すなんてごめんだよ」

武術においてエイベルよりリオは弱いが、レティシアのための害虫駆除なら簡単である。
マール公爵家の情報網は国内ではルーン公爵家に劣るが王国屈指であり、ビアード公爵家には勝る。そして情報の使い方はレティシアよりリオのほうが上手い。
エイベルを頼りにするなとムキになっている初めて見るリオにレティシアは笑う。


「嫉妬してるみたい」
「そうだよ。ビアードに嫉妬してる。シアが頼るのが俺じゃないのが悔しい。好きな女が他の男を頼りにするのを受け入れられる男なんていない。俺はシアを手に入れるって決めた。俺をその気にさせた責任をシアは取るしかない。シアが拒んでも俺は諦めないから、シアに選択肢はないよ」

真剣な顔のリオが本気なのがわかり、レティシアの胸がときめく。
リオの自分本位な言葉にレティシアは引くことはなく、どんどん胸が高鳴っていく。

「本当にお母様達に勝てると思ってますの?」
「頑張るとしかいえない。最大限努力してもどうにもならなかったらシアを連れて逃げようかな」
「お母様に勝てないからって私を捨てませんか?」
「捨てないよ。シアを捨てるなら貴族位返上して国外逃亡してもいい。ついてきてくれる?」

冗談のように言うリオにレティシアは頷く。
絶対に勝つと言わないリオの言葉だからこそ信じられた。それに無理なら回避はリオらしい思考である。

「もちろんですわ。リオと一緒ならどこでも構いません」
「俺を信じて待ってて」
「はい。私、やはり今年卒業してもいいですか?」
「ごめん。まだ叔母上に勝てる気がしない」
「私も修行したいですし、ついていきたいです。仕事も手伝います。お金もちゃんと稼ぐのでリオに迷惑かけないと約束します。ただ傍にいるのだけ許してください」


レティシアの愛らしいおねだりに頷けばリオがレティシアを手に入れるのはさらに難しくなる。

「シアと婚姻するまでは王国中心の仕事を回してもらうよ。だから卒業しても定期的に会いにくるよ。シアのエスコートも俺が務めるし、シアが会いたいって言えば会いにくるよ。ただ婚姻後の赴任先は父上の命に従う。俺は危険がない赴任先ならシアを一緒に連れていくよ。だからさ婚姻したらセリアやエドワードと今までみたいに会えなくなるよ。成人するまでは俺以外との時間を優先して」
「私はリオが一番です」
「嬉しいよ。でも、シアには俺以外にも大事なものがあるだろう。婚姻したらマールの人間になるんだよ。それまではルーンの家族との時間を大事にして。正直、シアを成人前に連れ去ったらエドワード達が怖いしな。俺のためを思うなら俺が二人に勝てるまで大人しく待ってて。お願いだから勝手に追いかけてこないでな」
「お父様の許可なく追いかけるなどしませんわ。私に魔法が使えればよかったのに」
「魔法が使えれば今頃殿下の婚約者だったかもよ。家柄も年頃もばっちりだろう?」
「前言撤回します」
「俺を信じて待っててくればいいから。シアはうちに認められているから、俺の番だ」

リオなりにレティシアと婚約するために動いてくれているながわかりレティシアは頷いた。
レティシアが安心して学生生活を送れるようにリオが環境を整え始めた。
おかげでレティシアは男子生徒に声を掛けられることはなくなった。
レティシアはリオの心変わりを危惧していたが過酷な修行をこなすリオを見て考えを改めた。
真剣に修行をしているリオを眺めているレティシアはリオとの未来を手に入れるためにできることを考えはじめた。


****


私的な場ではレティシアはリオに甘えるが公的には礼儀正しく振舞っている。
学園でもリオを追いかけまわしていたレティシアはもう存在しない。
セリアとアリッサとのお茶会でレティシアは優雅にお茶を飲む。

「恋が叶えばバカになると思ってたわ」

セリアの呟きにレティシアはうっとりと勝者の笑みを浮かべた。

「私よりも優れるご令嬢はたくさんいます。それでもリオは私を選んでくださいました。リオに恋する令嬢の気持ちはどうにもなりませんが、私には勝てないと心を折ることはできるでしょう?そのためには常に努力しなければいけませんの。リオが私のために汚れてくださるなんて」

修行でボロボロになっているリオを格好いいとうっとり眺められるのはレティシアくらいである。
セリアが作った魔導具でリオの修行の鑑賞会が行われていることをリオは知らない。
魔導具に映っているリオの良さはアリッサにはやはりわからない。
鑑賞されていることに気付いてもレティシアに骨抜きになっているリオなら怒ることはないだろう。
怒りを向けられるのは魔導具を仕掛けているセリアである。


「気楽に生きていくつもりだったのにな。でも悪くないかな。見世物にされるのは面白くないけど、シアが喜ぶなら構わないよ」
「リオは変わったよね。レティシア嬢がリオの世界の中心みたい」
「父上がたった一人の命が世界の全てより大事になることがある。そんな出会いに恵まれたなら何をおいても捕まえろって言ってたんだけど、今は意味がよくわかる。サイラスには感謝してるよ」
「リオは鈍いからね。最近のリオは怖いけどレティシア嬢が受け入れているのはさすがだよね。やっぱりリオにはレティシア嬢しかいなかったから逃さなくてよかったね」

リオはレティシアのためなら手段を選ばない。レティシアに向ける独占欲の強さに狂気を感じられるが、向けられるレティシアは幸せそうに微笑んでいる。
リオと結ばれてから美しさにさらに磨きがかかったレティシア。
常に優雅な振舞いで多くの者を魅了しているレティシアはリオと二人っきりのときは愛らしくなる。
リオに抱き着いて幸せそうに微笑む顔を見るだけでリオの疲れは吹き飛び、欲に襲われる。
欲に襲われても、手を出せばルーン公爵家の怒りに触れて排除されるのがわかっているためリオは一線を越えるような過ちはおかさない。


恋に溺れている二人は公的に認められ結ばれるために貴族らしい振舞いをしている。
二人の努力が報われ、ハッピーエンドを迎えるのはしばらく先の話である。
魔力がなくても、価値を高め、恋を叶えて幸せを掴んだ元公爵令嬢は多くの者に希望と夢を与えた。
「初恋は報われない」は傷ついた者や諦めた者が己を慰めるためによく使う言葉である。
そんな言葉で諦めたり、折り合いをつけたりして前を向ける者もいる。
でもみじめにあがいたからこそ適うこともある。
大人になりきれない未熟な心を持つ時間は限られている。
世間を知らないからおかす過ちもあるが、奇跡もある。
最後にハッピーエンドを迎えるために必要なものを集めていけるかは自分次第である。

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