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侯爵令嬢の婚約者
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第二王子のベルトルドにはどんなに努力しても何をやっても敵わない優秀な兄がいる。
まだ純粋だった幼いベルトルドは兄との差に悩み、努力も勉強も全てが嫌になり、王宮を抜け出した。美味しそうな匂いにつられてて辿り着いた人の賑わう広場では人々が歌に合わせて踊っていた。一人だけリズムがずれ、下手な踊りを堂々と披露する帽子で顔を隠した少女がベルトルドの目に映る。帽子で顔は見えないのに楽しそうに踊っている姿をベルトルドが食い入るように見つめていた。
当時のアリアーヌのお気に入りの遊びは物語の登場人物ごっこ。
赤毛のお姫様がお城から抜け出して、市井の祭りに参加し楽しそうな音楽につられて踊り出す。そこで、偶然お忍び中の他国の王子様と出会い二人惹かれ、たくさんの障害を乗り越えて二人は結ばれめでたしめでたし。
アリアーヌは踊りながら気付いた。配役が足りないと。
お姫様は犬を連れて一緒に踊っていた。忠実に再現してこそ遊びである。
少年の近くに犬がいるのを見つけ、アリアーヌは走って近づくと見覚えのある少年に目を丸くする。
有名な落ちこぼれの第二王子を見て、虐げられた王子様を救う少女のお話を思い出しニコリと笑う。
「人は誰でも宝物を持っている。貴方の宝物はわかりづらいだけ。いつか伝わって皆が認めるわ。だって貴方は尊い血を引く方だもの。それに誰よりも優しいのが私にはわかるわ」
アリアーヌは少女の言葉のフレーズを呟き、ベルトルドの横の犬に手を伸ばすと犬は凄まじい勢いで逃げ出した。逃げる犬を追いかけるアリアーヌは躓き、痛みに備えて目を瞑ると痛みはない。
アリアーヌの体を長い髭と切れ長の目を持つ老人に支えられていた。
「野犬は危ないよ。両親とは逸れたのかい?」
アリアーヌの人生の中で一番魅力にあふれる存在だった。老人はアリアーヌの落ちた帽子を拾いそっと被せた。アリアーヌは自分の薄汚れ汗をかいた姿を思い出し、慌てて礼をして逃げた。そして兄との待ち合わせをすっぽかし家に帰った。その後の兄からのお説教は恋したアリアーヌには一切聞こえなかった。
老人は行儀の良い礼をして走り去った元気な少女を微笑ましく見送り、探し人を見つけて近づく。
「殿下、お忍びですか?」
老人もとい宰相は抜け出した第二王子ベルトルドを探していた。
ベルトルドはぼんやりと呟く。
「俺にも宝物はあるのだろうか」
「殿下は私達の宝物ですよ。きっとご自身の宝物もいつか見つけられますよ」
ベルトルドは宰相と共に王宮に帰った。
アリアーヌは王家のお茶会に行く途中で宰相と話しているベルトルドを見つけた。ベルトルドが共にいるのは、運命の出会いをしたアリアーヌの王子様。アリアーヌは侯爵令嬢なのでいつかは父の命で嫁がないといけないとわかっていた。
運命の相手が宰相というのは理解したが、結ばれないなら傍に入れる方法を考え閃く。
アリアーヌが初めて王家のお茶会で第二王子に挨拶以外で近づいた日だった。当時は第一王子が人気で冴えない第二王子の傍に令嬢はいなかった。アリアーヌは王子に興味がなかったので大好きな物語を妄想しながら、いつも令嬢達の争いを愉快に眺めながら行儀よくお茶を楽しんでいた。
「人は誰でも宝物を」
「ごきげんよう、殿下。物語がお好きなんですか?」
「この言葉を知ってるのか?」
「はい。立場の低い王子様が理解者と出会い、努力を重ねてたくさんの宝物を見つけるお話です。そして王子様が、無粋ですわね。興味がおありでしたら、献上いたしましょうか?」
「感謝する」
「いえ、お役にたてれば光栄ですわ」
ベルトルドはアリアーヌに贈られた物語を読み、落ちこぼれの少年と自分の境遇と重ね、兄と自分は違う人間で立ち位置が違うことに気付き兄と比べるのをやめた日だった。そして自分に救いの言葉をくれた赤毛の少女への想いを募らせる。顔は見えなくても脱げた帽子から赤毛が見え、少女と話した宰相に話しを聞くと逆光で顔はよく見えなかったが、身に付けているものと所作で良い所の令嬢だろうと教えてもらった。
ベルトルドの婚約者候補のお茶会に呼ばれている令嬢には赤毛の令嬢はいない。
アリアーヌの髪は栗色である。登場人物ごっこに夢中なアリアーヌは色んな髪色のカツラを集めていた。
ベルトルドは婚約者を選ぶように言われていたが自分に話しかけてくるのはアリアーヌだけだった。第一王子と第二王子の婚約者探しは同時に行われていたため、第二王子を選ばれたい者はいないと思われていた。毎回挨拶してからは何も言わずに隣にいるだけのアリアーヌをベルトルドが見ていると、アリアーヌが振り返った。アリアーヌは他の令嬢達の攻防戦を楽しく観察していたが自分の目的を思い出した。
「殿下、取引しませんか?」
「取引?」
「私は殿下のお飾りの正妃になりたいです。もちろん公務はしっかり行います。側室、妾も大歓迎です。もちろん恋する方がいるなら協力しますよ。私の条件は三つ。殿下でしたら簡単ですわ」
ベルトルドはニコリと笑い指を折りながら話すアリアーヌの条件に頷く。ベルトルドは初恋の少女が欲しくてもこの場にいないなら正妃になれない身分であるとわかっていた。アリアーヌに正妃の地位を約束し、必要以上に触れずに物語を贈り行動を制限しないだけなら好都合だった。
そして二人の婚約が決まった。
アリアーヌは王妃教育のために王宮に通い、宰相がよく訪問する王妃に気に入られて上機嫌で過ごしていた。毎日、宰相が見れるのはアリアーヌにとって至福の時間で厳しい王妃教育も苦ではなかった。そして宰相はベルトルドを気に掛けていたため、婚約者を気に掛けるフリをして宰相を見つめていた。
王妃に気に入られたことが後の自分の首を絞めるとは気づかずに、宰相への秘めた恋を隠しながら、登場人物ごっこで磨きぬいた演技力で第二王子の婚約者として表面的には清く正しく生きていた。それも誤解を招くことを本人はわかっていなかった。
成長した第二王子のベルトルドにとってアリアーヌは友人だった。
母の評判も良く、物語と正妃の椅子にしか興味のない少女。
自分にも兄にも関心のない少女の傍は居心地が良く、どんなことも話せる存在。初恋の少女探しの相談もできアリアーヌは妾でも側室でも迎え入れたいなら手配をすると微笑み激励する。
成長するにつれて、美しく育ち、王家のためにと健気に尽くすアリアーヌは、遊びものの王子には勿体ないとささやかれる令嬢になる。
ベルトルドは突然幸せそうに笑う意味はわからない。嫌われていないが、慕われている気はしなかった。
それでもどんなに時を重ねても居心地が良い相手というのは確かだった。王妃命令の定例の二人の逢瀬では話しかけなければアリアーヌはベルトルドの隣に座りいつも贈った物語を読んでうっとりしていた。
「そんなに楽しいか?」
「はい。物語の世界は無限の可能性が広がっておりますのよ。早く殿下の物語が始まるのを楽しみにしてますわ」
「どこにいるんだ。ここで見たのは一度だけ。あの下手な踊りを見ると運動神経もなさそうだが、全然掴めない」
「え?」
「どうした?」
「いえ、そうですわね。ふふふ。早く見つかるといいですわね。本当に・・・」
アリアーヌは小説に視線を戻す。傍から見れば仲睦まじい婚約者であるが二人に甘い雰囲気は一切ない。アリアーヌは絶対に見つかりたくなかったので、下手な踊りという侮辱への反論は我慢する。ベルトルドにとってはアリアーヌは居心地の良い存在でも、アリアーヌにとっては狂気を持つ執着心の強い怖い相手に変わっていた。アリアーヌは早く代りの令嬢を見つけるようにと祈りながら物語の世界に徐々に引き込まれていく。ベルトルドは周りを眺めながら時々楽しそうなアリアーヌに視線を戻し眺めていた。
****
初恋の少女に出会ったベルトルドは両親にアリアーヌと婚約破棄し隣国の公爵令嬢を選びたいと伝えた。アリアーヌとの婚姻よりも国の利益が大きく、国王は了承し王妃は複雑な顔をした。王妃は聡明なアリアーヌをどうしても王家に迎え入れたかった。
「ベル、本気か?」
「はい。アリアーヌも祝福してくれますよ。アリアーヌが興味があるのは正妃の椅子だけです」
「私はアリアーヌはベルを好いていると」
「兄上ありえませんよ」
第一王子はアリアーヌが献身的に王家に尽くす理由が弟のためとしか思えなかった。お茶会で第一王子に興味を一切示さない令嬢はアリアーヌだけ。そして周りに何を言われてもベルトルドを擁護し、婚約者に不服はなく、王家のためになるなら光栄と微笑む少女だった。アリアーヌは王家からの頼みは一度も断ることなくどんなことも笑顔で引き受ける。そしてベルトルドの隣で幸せそうに愛らしく笑う姿を第一王子は知っていた。
王妃はベルトルドが妃に迎えたいと願う令嬢をお茶に招いた。
ベルトルドが初恋でずっと憧れていたという話を聞きながら頭に花が咲いているのがわかり聡明な令嬢達に慣れた王妃には未来の王族、義娘として迎えいれがたかった。何より、正妃として迎えいれられるなら婚姻を受け入れると息子に要求を突きつけた令嬢が気に入らず、器がないと判断していた。
愛妾なら許したが、妃にするには問題があるようにしか思えず、国益を考慮してもアリアーヌに軍配が上がっていた。
第一王子は弟の選んだ新しい婚約者候補に突然話しかけられ一瞬だけ常に纏う笑みが崩れた。
「義兄様、アリアーヌに縁談を用意しましたの」
公爵令嬢と第二王子の婚約はまだ決まっていない。そして許しもなく、礼もなく義兄と呼ぶのは不敬である。婚約破棄させ代わりの縁談を用意するのも非常識である。
婚約を打診するならアリアーヌの父親に話すべきであり縁談を整える前に他者に広めるのも非常識である。
女好きなのは知っていても弟の女の趣味がわからなかった。そしてアリアーヌに勧められた縁談相手にも。
公爵令嬢がアリアーヌに勧める縁談相手は隣国で悪名高い、父よりも高齢の王子。第一王子は国益があっても、目の前の令嬢を義妹として迎えるのは嫌だった。
アリアーヌはベルトルドと婚約破棄しても嫁ぎ先には困らない。有能な義妹は欲しいので、側室でもいいなら自分が迎え入れてもいいし、年の差はあるが末弟の婚約者にしてもいいと思えるほど気に入っていた。まず母親が一番のお気に入りのアリアーヌを手放すとも思えなかった。そして自身の婚約者も。
「ベル様!!」
公爵令嬢は第一王子が一言も話さないのに、ベルトルドを見つけて離れていく。不敬の塊の公爵令嬢を持つ国と友好を深めて国益になるのかと悩む第一王子だった。
ベルトルドはアリアーヌとの婚約破棄し、赤毛の公爵令嬢ジョセフィーヌとの婚約準備を進めていた。
「ベル様、私ずっと貴方をお慕いしてました」
「俺も探していた。まさか隣国の令嬢なんて思いもしなかった」
うっとりと自分を見つめる視線を受けながらベルトルドはなぜか違和感があった。時間が経つほど違和感が強くなる。ずっと探していた広場で踊り、自分に希望をくれた初恋の少女。
頭に浮かんだのは泣いていたアリアーヌだった。祝福の言葉をもらったのに全然嬉しくなかった。
「ベル様?」
ベルトルドは謝罪して令嬢から離れ、第一王子は不機嫌な弟に声を掛けた。
「ベル、本当にいいのか?私は自分の所為で婚約破棄に追い込んだ令嬢に笑顔で縁談を勧める義妹は嫌だが」
「隣国の王子だろう?評判も悪くない」
「アリアーヌが勧められたのはもう一人の王子だよ。王族とは名ばかりの。あんな男にやるなら私がもらい受けたい。なんで突然、髪を染めたんだろうな。輝かしい金髪が自慢の公爵令嬢が」
「は?金髪?」
「隣国は金髪ばかりだろう?うちと違って赤毛は稀だよ」
「ずっとあの髪色だったと・・・・。やっと見つけた赤毛の」
「ありえないだろう」
ベルトルドはショックを受け、思い悩んだ時に行く場所は決まっていた。
アリアーヌに面会依頼を出すと行方不明と文が届けられ、ベルトルドは慌てて侯爵邸に向かった。
「殿下、アリアーヌは・・・」
ベルトルドは侯爵から見せられた手紙に絶句する。最後に会った消えそうだったアリアーヌが脳裏によぎった。アリアーヌは自分に興味がないと思っていた。様子がおかしかったのは婚約破棄の所為で、あの時の言葉は・・・。
「殿下、捜索は我が家で行います。婚約破棄した今」
侯爵家で唯一冷静だった青年が入ってきたがベルトルドは死角にいたため見えなかった。
「父上、アリアの部屋の変装グッズは持ち出されていません。昔から家を抜け出して遊んでいたので、どこでも生きていけそうですが、まだあの遊びは卒業してなかったんですね。町娘のフリして広場で踊り、祭りで歌い、色々してましたが、修道女は初めてです」
「広場で踊り?」
「殿下いらしてたんですか。あれはアリアの性格とは正反対のお姫様のマネですね。赤毛でふわりとしたワンピースの」
ベルトルドの中でようやく繋がったものがあった。
いくら探しても見つからなかった理由がわかった。
初恋の少女は傍にいた。アリアーヌは弱さを見せない。アリアーヌの好きな話は初恋の少女は決して自分から正体を明かさず気付くのは王子。最後に会った時はきっと絶望したのか・・・。いつか見つけてくれると待っていたのに、偽物を選んだ自分に。ベルトルドは自分の鈍さに苦笑して、真剣な面差しで侯爵に向き直る。
「侯爵、アリアーヌを俺の妃にください。生涯アリアだけと約束します」
「アリアがそこまで心を痛めていたなんて」
侯爵夫人がベルトルドを見て微笑む。侯爵夫人の頭の中ではロマンスが書きあがっていた。アリアーヌの恋愛小説好きは母親の影響で登場人物ごっこの協力者も母親である。
侯爵はベルトルドに疑うような視線を向ける。
「女に見境のない殿下にですか」
「もう目移りしません。あれも始末します。ずっと探していた初恋の少女がアリアとは気づきませんでした。どうか。もちろん手回しは俺が全て。ようやく気付きました。俺はアリアを愛しています」
「旦那様、殿下もおっしゃいますし、ねぇ?ショックで出て行くほどですわ」
「父上、殿下の願いです。妃殿下からも王家に迎え入れたいと内密に話を伺っています。アリアを連れ戻さないといけません。そろそろ遊び飽きた頃でしょう。手が掛かる・・」
侯爵は妻と息子とベルトルドに押されて頷いた。
息子は家の利を選び、妻は娘の恋を応援していた。侯爵家の了承をもらったベルトルドは公爵令嬢を調べ直した。公爵令嬢との縁談よりも利益をあげないとアリアーヌとの婚姻は叶わなかった。
公爵令嬢は隣国での評判は悪かった。公爵家としては非常識な娘を引き取ってもらえるなら妾でも良かったが、娘が王子に正妃にしろと要求したことも、隣国の令嬢に縁談を進めることも隣国の王子を騙していることも知らなかった。全てが公爵令嬢の独断で裏には公爵家を陥れたい貴族も絡んでいた。
ベルトルドは両親に報告をして、アリアーヌとの婚約ではなく婚姻を願い出た。
侯爵家の了承もあり、もともとは王家にアリアーヌを迎え入れたかった王妃の後押しもあり、ベルトルドの強い希望で婚姻の準備が進められた。
ベルトルドの情熱と変化に、騙された王子が真の愛を見つけたと王都で囁かれているのは一心に祈りを捧げていたアリアーヌは知らなかった。アリアーヌが他人事なら満足する自分と王子のロマンスが囁かれていた。全ては計算高いベルトルドの所為である。世論さえも味方につけ、外堀を埋め、全ての用意を整えたベルトルドは迎えに行くだけだった。
修道院に姿のないアリアーヌをベルトルドは自ら探した。
侯爵夫妻もベルトルドの熱意に負けて任せた。ベルトルドは墓地に通う栗色の女性の噂を聞くと祈りを捧げるアリアーヌがいた。
そしてアリアーヌの傍にいるのは宰相の私生児の青年。
青年は父の墓に祈りを捧げる美しい女性に目を奪われた。青年はアリアーヌを父の愛人だと思い行くあてがないなら自分がもらってもいいかと保護し、父から心が離れたら自分のものにする予定だった。青年は宰相のお気に入りのベルトルドとは面識がある、面倒事が嫌いな青年はベルトルドに気に入られた可哀想なアリアーヌを保護するほどの執着と情熱はなかったため、最後はあっさり見送った。
***
無理矢理連れ戻されたアリアーヌの言葉は誰にも届かない。
家を捨てた理由はベルトルドとの婚約破棄が原因だと思われていた。そしてアリアーヌの隠れた深い愛に気付いた女好きの王子が変わったと。
真実の愛を見つけた王子は女遊びから手を引き、婚約者時代は決して届けなかった愛情も砂糖菓子のような甘い言葉も妃に捧げる。
妃は扇で顔を隠して王子の耳にだけ聞こえる声で囁く。
今日もアリアーヌはベルトルドに甘さのカケラもない声で囁く。
「そんな陳腐な言葉はいりません。早く側室を娶ってそちらにお願いします」
ベルトルドは視線で従者を遠ざけ人払いする。そしてアリアーヌに甘い声で囁きかける。
「陳腐な言葉も聞き慣れれば甘美なものに聞こえるだろう?アリア、こんなものがあるんだけど」
アリアーヌはベルトルドがそっと出した、手の上にあるものに目を輝かせた。
「殿下、くださいませ!!」
ベルトルドは自分の言葉に全く反応しない素っ気ない妃の正反対の反応に笑みを深める。アリアーヌはベルトルドの要求にため息をつくも、手に入る宝物を考えれば安かった。
「ベル様、愛してますわ」
アリアーヌは綺麗な笑みを浮かべて嘘の言葉を伝える。ベルトルドはわかっていても満足げな笑みを浮かべてアリアーヌを押し倒し、白い肌に自身の痕を刻み込む。
ベルトルドはアリアーヌが宰相に恋していると知ってからは亡き宰相の絵姿や遺品を集め取引に使っていた。
第二王子夫妻は亡き宰相を敬愛していると周囲に思われ、誰も第二王子妃が宰相に夢中だと思わなかった。
アリアーヌは宝物のためなら手段を選ばない。
アリアーヌが二度目の恋をしたのは、立派な髭を持つ年老いた公爵だった。
ベルトルドは慌てない。アリアーヌの恋と思い込むものはベルトルドにとっては恋ではない。単なるファンである。見ているだけで満足するような可愛らしいものはベルトルドの中では恋ではなかった。アリアーヌが恋したと思いこみ、憧れるのは年老いた孫のいる男ばかり。
ベルトルドは自分の腕の中で恋愛小説に読み耽るアリアーヌを眺めていた。目を輝かせる姿はいくつになっても愛らしく、栗色の髪に口づけを落とした。集中しているアリアーヌはベルトルドが触れても反応しない。
「これは気に入ったか?」
「ええ。やはり現実と違い物語は甘美です」
「報酬を」
満足のいく物語のお礼にアリアーヌはベルトルドに口づける。
ベルトルドからの陳腐な言葉は気に入らないが与えられる快楽は気に入っていた。
ベルトルドの執念深さを知っているアリアーヌは外堀を埋められ逃げることを諦めたが、夢のお飾りの妃は諦めていなかった。
「初恋にいつまで夢を見るのでしょうか」
「先に騙したのはお前だ。手に入らないものほど恋しくなる。手に入れるのに時間がかかればかかるほど」
「陳腐」
「俺の勝ちだよ」
甘く囁くベルトルドの長く美しい指がアリアーヌの頬に添えられる。アリアーヌはされるがままに身を任せる。与えられる快楽にうっとりしながら目を閉じた。
ベルトルドはアリアーヌが自分から逃げられないことを知っている。だから他の男に憧れ勘違いをするのも許していた。取引材料が増えるので大歓迎であり、アリアーヌの恋が終わる瞬間はベルトルドにとって役得だった。アリアーヌが弱さを見せるのは帰らぬ人を送る時だけ。悲しみと恋しさに人肌を求めて甘えるアリアーヌを愛でるのはベルトルドの楽しみの一つ。
アリアーヌの全てを知るのはベルトルドだけ。
物語のような甘さと苦さを含んだ世界は一時だけである。それにベルトルドは知っていた。いずれアリアーヌの心が手に入ることも。
長い年月が立ち、アリアーヌは孫と遊ぶベルトルドを眺めていた。
最近、初めて夫に胸のときめきを覚えていた。ベルトルドはアリアーヌの変化を気付かない振りをする。
ベルトルドはアリアーヌの好みに気付いていた。
髭を持ち、孫がいる愛妻家。そして…。
宰相は愛妻家と有名だったが、隠れて何人もの愛人を持っていた。
ある公爵も愛妻家だが、隠れて少年を侍らかしていた。
またある伯爵も愛妻家だが、違法な取引をしていた。
アリアーヌの恋する男は世間的には病死であるが事実は違っていた。
宰相は嫉妬に狂う愛人による服毒死、公爵は少年との睦言が妻子に知られて自害、伯爵は取り調べ中に自害。
ベルトルドはアリアーヌに事実を教えず、罪を犯しても国に忠義を尽くした死者を丁重に弔った。
アリアーヌは男運が悪く、影のある男ばかりに恋い焦がれた。そして陰湿さや、影ならベルトルドは備えていた。
アリアーヌは自分の気持ちの変化に戸惑いながら呟く。今まで愛する人が亡くなって悲しむアリアーヌを宥めていたのはベルトルド。
「ベル様が亡くなったらどうすれば・・・」
ベルトルドは孫を侍女に預け人払いしてアリアーヌに近づく。
「俺が死ぬときはアリアも一緒だ」
アリアーヌは昔なら怯えた言葉に微笑んだ。
「それは甘美な言葉ですわ。美しく死にたいものですわ」
ベルトルドはアリアーヌを他に渡すつもりはない。自分が亡くなった後に他の男に慰めされ、恋して、体も心も許すなら殺したい。もしもアリアーヌが先に亡くなるなら亡骸は綺麗に保存し側に飾っておきたい。ベルトルドは狂っている。それに気づいているのはアリアーヌと兄である国王だけ。
それでもアリアーヌはベルトルドのほうが一枚上手なことに気づいていない。アリアーヌはベルトルドの趣味の標本部屋に足を踏み入れることは一度もなく、自分もその仲間入りする可能性があるのは、気づいていなかった。
アリアーヌの生きる世界は騙し合いは日常茶飯事。策に溺れる者もたくさん見てきた。アリアーヌは恋愛小説が好きである。後宮での妃達の争いを眺めながら夫の腕の中で恋愛小説を読みふける。
最初は無視していた夫からの悪戯に小さく笑う。ベルトルドはアリアーヌの変化に気付いても口に出さずに、笑みを深めるだけである。
二人の孫の口癖は陳腐。
アリアーヌの首筋にはいつも夫の所有印が主張していた。嫌そうにしていたのに、いつの間にか愛し気に指でなぞる姿はいくつになっても色気を漂わせ多くの男を魅了する。
いつの間にか終わった不幸にアリアーヌは微笑みながら囁いた。
「物語でも書こうかしら」
「万人受けしないだろう」
「籠の鳥と狂った王子様。最後はそうね・・・・」
妖艶に微笑むアリアーヌにベルトルドは口づける。狂った自分の傍にいられる妻も狂っているとは口に出さない。公的には聡明なおしどり夫婦。策に溺れた少女は籠の鳥になった。ただ籠の中には快楽が詰まっていた。籠の中で快楽に飲まれた鳥は飛べなくなり捕まった男の下で生涯を終えることになる。
何も持たない王子は宝物を見つけた。ずっと探していた宝物は傍にあり、手に入れた宝を丁重に扱い続けた。そして永年の時をかけて欲しい物を手に入れた。仮定は違っても妻の好むめでたしめでたしの結末だけは同じだった
まだ純粋だった幼いベルトルドは兄との差に悩み、努力も勉強も全てが嫌になり、王宮を抜け出した。美味しそうな匂いにつられてて辿り着いた人の賑わう広場では人々が歌に合わせて踊っていた。一人だけリズムがずれ、下手な踊りを堂々と披露する帽子で顔を隠した少女がベルトルドの目に映る。帽子で顔は見えないのに楽しそうに踊っている姿をベルトルドが食い入るように見つめていた。
当時のアリアーヌのお気に入りの遊びは物語の登場人物ごっこ。
赤毛のお姫様がお城から抜け出して、市井の祭りに参加し楽しそうな音楽につられて踊り出す。そこで、偶然お忍び中の他国の王子様と出会い二人惹かれ、たくさんの障害を乗り越えて二人は結ばれめでたしめでたし。
アリアーヌは踊りながら気付いた。配役が足りないと。
お姫様は犬を連れて一緒に踊っていた。忠実に再現してこそ遊びである。
少年の近くに犬がいるのを見つけ、アリアーヌは走って近づくと見覚えのある少年に目を丸くする。
有名な落ちこぼれの第二王子を見て、虐げられた王子様を救う少女のお話を思い出しニコリと笑う。
「人は誰でも宝物を持っている。貴方の宝物はわかりづらいだけ。いつか伝わって皆が認めるわ。だって貴方は尊い血を引く方だもの。それに誰よりも優しいのが私にはわかるわ」
アリアーヌは少女の言葉のフレーズを呟き、ベルトルドの横の犬に手を伸ばすと犬は凄まじい勢いで逃げ出した。逃げる犬を追いかけるアリアーヌは躓き、痛みに備えて目を瞑ると痛みはない。
アリアーヌの体を長い髭と切れ長の目を持つ老人に支えられていた。
「野犬は危ないよ。両親とは逸れたのかい?」
アリアーヌの人生の中で一番魅力にあふれる存在だった。老人はアリアーヌの落ちた帽子を拾いそっと被せた。アリアーヌは自分の薄汚れ汗をかいた姿を思い出し、慌てて礼をして逃げた。そして兄との待ち合わせをすっぽかし家に帰った。その後の兄からのお説教は恋したアリアーヌには一切聞こえなかった。
老人は行儀の良い礼をして走り去った元気な少女を微笑ましく見送り、探し人を見つけて近づく。
「殿下、お忍びですか?」
老人もとい宰相は抜け出した第二王子ベルトルドを探していた。
ベルトルドはぼんやりと呟く。
「俺にも宝物はあるのだろうか」
「殿下は私達の宝物ですよ。きっとご自身の宝物もいつか見つけられますよ」
ベルトルドは宰相と共に王宮に帰った。
アリアーヌは王家のお茶会に行く途中で宰相と話しているベルトルドを見つけた。ベルトルドが共にいるのは、運命の出会いをしたアリアーヌの王子様。アリアーヌは侯爵令嬢なのでいつかは父の命で嫁がないといけないとわかっていた。
運命の相手が宰相というのは理解したが、結ばれないなら傍に入れる方法を考え閃く。
アリアーヌが初めて王家のお茶会で第二王子に挨拶以外で近づいた日だった。当時は第一王子が人気で冴えない第二王子の傍に令嬢はいなかった。アリアーヌは王子に興味がなかったので大好きな物語を妄想しながら、いつも令嬢達の争いを愉快に眺めながら行儀よくお茶を楽しんでいた。
「人は誰でも宝物を」
「ごきげんよう、殿下。物語がお好きなんですか?」
「この言葉を知ってるのか?」
「はい。立場の低い王子様が理解者と出会い、努力を重ねてたくさんの宝物を見つけるお話です。そして王子様が、無粋ですわね。興味がおありでしたら、献上いたしましょうか?」
「感謝する」
「いえ、お役にたてれば光栄ですわ」
ベルトルドはアリアーヌに贈られた物語を読み、落ちこぼれの少年と自分の境遇と重ね、兄と自分は違う人間で立ち位置が違うことに気付き兄と比べるのをやめた日だった。そして自分に救いの言葉をくれた赤毛の少女への想いを募らせる。顔は見えなくても脱げた帽子から赤毛が見え、少女と話した宰相に話しを聞くと逆光で顔はよく見えなかったが、身に付けているものと所作で良い所の令嬢だろうと教えてもらった。
ベルトルドの婚約者候補のお茶会に呼ばれている令嬢には赤毛の令嬢はいない。
アリアーヌの髪は栗色である。登場人物ごっこに夢中なアリアーヌは色んな髪色のカツラを集めていた。
ベルトルドは婚約者を選ぶように言われていたが自分に話しかけてくるのはアリアーヌだけだった。第一王子と第二王子の婚約者探しは同時に行われていたため、第二王子を選ばれたい者はいないと思われていた。毎回挨拶してからは何も言わずに隣にいるだけのアリアーヌをベルトルドが見ていると、アリアーヌが振り返った。アリアーヌは他の令嬢達の攻防戦を楽しく観察していたが自分の目的を思い出した。
「殿下、取引しませんか?」
「取引?」
「私は殿下のお飾りの正妃になりたいです。もちろん公務はしっかり行います。側室、妾も大歓迎です。もちろん恋する方がいるなら協力しますよ。私の条件は三つ。殿下でしたら簡単ですわ」
ベルトルドはニコリと笑い指を折りながら話すアリアーヌの条件に頷く。ベルトルドは初恋の少女が欲しくてもこの場にいないなら正妃になれない身分であるとわかっていた。アリアーヌに正妃の地位を約束し、必要以上に触れずに物語を贈り行動を制限しないだけなら好都合だった。
そして二人の婚約が決まった。
アリアーヌは王妃教育のために王宮に通い、宰相がよく訪問する王妃に気に入られて上機嫌で過ごしていた。毎日、宰相が見れるのはアリアーヌにとって至福の時間で厳しい王妃教育も苦ではなかった。そして宰相はベルトルドを気に掛けていたため、婚約者を気に掛けるフリをして宰相を見つめていた。
王妃に気に入られたことが後の自分の首を絞めるとは気づかずに、宰相への秘めた恋を隠しながら、登場人物ごっこで磨きぬいた演技力で第二王子の婚約者として表面的には清く正しく生きていた。それも誤解を招くことを本人はわかっていなかった。
成長した第二王子のベルトルドにとってアリアーヌは友人だった。
母の評判も良く、物語と正妃の椅子にしか興味のない少女。
自分にも兄にも関心のない少女の傍は居心地が良く、どんなことも話せる存在。初恋の少女探しの相談もできアリアーヌは妾でも側室でも迎え入れたいなら手配をすると微笑み激励する。
成長するにつれて、美しく育ち、王家のためにと健気に尽くすアリアーヌは、遊びものの王子には勿体ないとささやかれる令嬢になる。
ベルトルドは突然幸せそうに笑う意味はわからない。嫌われていないが、慕われている気はしなかった。
それでもどんなに時を重ねても居心地が良い相手というのは確かだった。王妃命令の定例の二人の逢瀬では話しかけなければアリアーヌはベルトルドの隣に座りいつも贈った物語を読んでうっとりしていた。
「そんなに楽しいか?」
「はい。物語の世界は無限の可能性が広がっておりますのよ。早く殿下の物語が始まるのを楽しみにしてますわ」
「どこにいるんだ。ここで見たのは一度だけ。あの下手な踊りを見ると運動神経もなさそうだが、全然掴めない」
「え?」
「どうした?」
「いえ、そうですわね。ふふふ。早く見つかるといいですわね。本当に・・・」
アリアーヌは小説に視線を戻す。傍から見れば仲睦まじい婚約者であるが二人に甘い雰囲気は一切ない。アリアーヌは絶対に見つかりたくなかったので、下手な踊りという侮辱への反論は我慢する。ベルトルドにとってはアリアーヌは居心地の良い存在でも、アリアーヌにとっては狂気を持つ執着心の強い怖い相手に変わっていた。アリアーヌは早く代りの令嬢を見つけるようにと祈りながら物語の世界に徐々に引き込まれていく。ベルトルドは周りを眺めながら時々楽しそうなアリアーヌに視線を戻し眺めていた。
****
初恋の少女に出会ったベルトルドは両親にアリアーヌと婚約破棄し隣国の公爵令嬢を選びたいと伝えた。アリアーヌとの婚姻よりも国の利益が大きく、国王は了承し王妃は複雑な顔をした。王妃は聡明なアリアーヌをどうしても王家に迎え入れたかった。
「ベル、本気か?」
「はい。アリアーヌも祝福してくれますよ。アリアーヌが興味があるのは正妃の椅子だけです」
「私はアリアーヌはベルを好いていると」
「兄上ありえませんよ」
第一王子はアリアーヌが献身的に王家に尽くす理由が弟のためとしか思えなかった。お茶会で第一王子に興味を一切示さない令嬢はアリアーヌだけ。そして周りに何を言われてもベルトルドを擁護し、婚約者に不服はなく、王家のためになるなら光栄と微笑む少女だった。アリアーヌは王家からの頼みは一度も断ることなくどんなことも笑顔で引き受ける。そしてベルトルドの隣で幸せそうに愛らしく笑う姿を第一王子は知っていた。
王妃はベルトルドが妃に迎えたいと願う令嬢をお茶に招いた。
ベルトルドが初恋でずっと憧れていたという話を聞きながら頭に花が咲いているのがわかり聡明な令嬢達に慣れた王妃には未来の王族、義娘として迎えいれがたかった。何より、正妃として迎えいれられるなら婚姻を受け入れると息子に要求を突きつけた令嬢が気に入らず、器がないと判断していた。
愛妾なら許したが、妃にするには問題があるようにしか思えず、国益を考慮してもアリアーヌに軍配が上がっていた。
第一王子は弟の選んだ新しい婚約者候補に突然話しかけられ一瞬だけ常に纏う笑みが崩れた。
「義兄様、アリアーヌに縁談を用意しましたの」
公爵令嬢と第二王子の婚約はまだ決まっていない。そして許しもなく、礼もなく義兄と呼ぶのは不敬である。婚約破棄させ代わりの縁談を用意するのも非常識である。
婚約を打診するならアリアーヌの父親に話すべきであり縁談を整える前に他者に広めるのも非常識である。
女好きなのは知っていても弟の女の趣味がわからなかった。そしてアリアーヌに勧められた縁談相手にも。
公爵令嬢がアリアーヌに勧める縁談相手は隣国で悪名高い、父よりも高齢の王子。第一王子は国益があっても、目の前の令嬢を義妹として迎えるのは嫌だった。
アリアーヌはベルトルドと婚約破棄しても嫁ぎ先には困らない。有能な義妹は欲しいので、側室でもいいなら自分が迎え入れてもいいし、年の差はあるが末弟の婚約者にしてもいいと思えるほど気に入っていた。まず母親が一番のお気に入りのアリアーヌを手放すとも思えなかった。そして自身の婚約者も。
「ベル様!!」
公爵令嬢は第一王子が一言も話さないのに、ベルトルドを見つけて離れていく。不敬の塊の公爵令嬢を持つ国と友好を深めて国益になるのかと悩む第一王子だった。
ベルトルドはアリアーヌとの婚約破棄し、赤毛の公爵令嬢ジョセフィーヌとの婚約準備を進めていた。
「ベル様、私ずっと貴方をお慕いしてました」
「俺も探していた。まさか隣国の令嬢なんて思いもしなかった」
うっとりと自分を見つめる視線を受けながらベルトルドはなぜか違和感があった。時間が経つほど違和感が強くなる。ずっと探していた広場で踊り、自分に希望をくれた初恋の少女。
頭に浮かんだのは泣いていたアリアーヌだった。祝福の言葉をもらったのに全然嬉しくなかった。
「ベル様?」
ベルトルドは謝罪して令嬢から離れ、第一王子は不機嫌な弟に声を掛けた。
「ベル、本当にいいのか?私は自分の所為で婚約破棄に追い込んだ令嬢に笑顔で縁談を勧める義妹は嫌だが」
「隣国の王子だろう?評判も悪くない」
「アリアーヌが勧められたのはもう一人の王子だよ。王族とは名ばかりの。あんな男にやるなら私がもらい受けたい。なんで突然、髪を染めたんだろうな。輝かしい金髪が自慢の公爵令嬢が」
「は?金髪?」
「隣国は金髪ばかりだろう?うちと違って赤毛は稀だよ」
「ずっとあの髪色だったと・・・・。やっと見つけた赤毛の」
「ありえないだろう」
ベルトルドはショックを受け、思い悩んだ時に行く場所は決まっていた。
アリアーヌに面会依頼を出すと行方不明と文が届けられ、ベルトルドは慌てて侯爵邸に向かった。
「殿下、アリアーヌは・・・」
ベルトルドは侯爵から見せられた手紙に絶句する。最後に会った消えそうだったアリアーヌが脳裏によぎった。アリアーヌは自分に興味がないと思っていた。様子がおかしかったのは婚約破棄の所為で、あの時の言葉は・・・。
「殿下、捜索は我が家で行います。婚約破棄した今」
侯爵家で唯一冷静だった青年が入ってきたがベルトルドは死角にいたため見えなかった。
「父上、アリアの部屋の変装グッズは持ち出されていません。昔から家を抜け出して遊んでいたので、どこでも生きていけそうですが、まだあの遊びは卒業してなかったんですね。町娘のフリして広場で踊り、祭りで歌い、色々してましたが、修道女は初めてです」
「広場で踊り?」
「殿下いらしてたんですか。あれはアリアの性格とは正反対のお姫様のマネですね。赤毛でふわりとしたワンピースの」
ベルトルドの中でようやく繋がったものがあった。
いくら探しても見つからなかった理由がわかった。
初恋の少女は傍にいた。アリアーヌは弱さを見せない。アリアーヌの好きな話は初恋の少女は決して自分から正体を明かさず気付くのは王子。最後に会った時はきっと絶望したのか・・・。いつか見つけてくれると待っていたのに、偽物を選んだ自分に。ベルトルドは自分の鈍さに苦笑して、真剣な面差しで侯爵に向き直る。
「侯爵、アリアーヌを俺の妃にください。生涯アリアだけと約束します」
「アリアがそこまで心を痛めていたなんて」
侯爵夫人がベルトルドを見て微笑む。侯爵夫人の頭の中ではロマンスが書きあがっていた。アリアーヌの恋愛小説好きは母親の影響で登場人物ごっこの協力者も母親である。
侯爵はベルトルドに疑うような視線を向ける。
「女に見境のない殿下にですか」
「もう目移りしません。あれも始末します。ずっと探していた初恋の少女がアリアとは気づきませんでした。どうか。もちろん手回しは俺が全て。ようやく気付きました。俺はアリアを愛しています」
「旦那様、殿下もおっしゃいますし、ねぇ?ショックで出て行くほどですわ」
「父上、殿下の願いです。妃殿下からも王家に迎え入れたいと内密に話を伺っています。アリアを連れ戻さないといけません。そろそろ遊び飽きた頃でしょう。手が掛かる・・」
侯爵は妻と息子とベルトルドに押されて頷いた。
息子は家の利を選び、妻は娘の恋を応援していた。侯爵家の了承をもらったベルトルドは公爵令嬢を調べ直した。公爵令嬢との縁談よりも利益をあげないとアリアーヌとの婚姻は叶わなかった。
公爵令嬢は隣国での評判は悪かった。公爵家としては非常識な娘を引き取ってもらえるなら妾でも良かったが、娘が王子に正妃にしろと要求したことも、隣国の令嬢に縁談を進めることも隣国の王子を騙していることも知らなかった。全てが公爵令嬢の独断で裏には公爵家を陥れたい貴族も絡んでいた。
ベルトルドは両親に報告をして、アリアーヌとの婚約ではなく婚姻を願い出た。
侯爵家の了承もあり、もともとは王家にアリアーヌを迎え入れたかった王妃の後押しもあり、ベルトルドの強い希望で婚姻の準備が進められた。
ベルトルドの情熱と変化に、騙された王子が真の愛を見つけたと王都で囁かれているのは一心に祈りを捧げていたアリアーヌは知らなかった。アリアーヌが他人事なら満足する自分と王子のロマンスが囁かれていた。全ては計算高いベルトルドの所為である。世論さえも味方につけ、外堀を埋め、全ての用意を整えたベルトルドは迎えに行くだけだった。
修道院に姿のないアリアーヌをベルトルドは自ら探した。
侯爵夫妻もベルトルドの熱意に負けて任せた。ベルトルドは墓地に通う栗色の女性の噂を聞くと祈りを捧げるアリアーヌがいた。
そしてアリアーヌの傍にいるのは宰相の私生児の青年。
青年は父の墓に祈りを捧げる美しい女性に目を奪われた。青年はアリアーヌを父の愛人だと思い行くあてがないなら自分がもらってもいいかと保護し、父から心が離れたら自分のものにする予定だった。青年は宰相のお気に入りのベルトルドとは面識がある、面倒事が嫌いな青年はベルトルドに気に入られた可哀想なアリアーヌを保護するほどの執着と情熱はなかったため、最後はあっさり見送った。
***
無理矢理連れ戻されたアリアーヌの言葉は誰にも届かない。
家を捨てた理由はベルトルドとの婚約破棄が原因だと思われていた。そしてアリアーヌの隠れた深い愛に気付いた女好きの王子が変わったと。
真実の愛を見つけた王子は女遊びから手を引き、婚約者時代は決して届けなかった愛情も砂糖菓子のような甘い言葉も妃に捧げる。
妃は扇で顔を隠して王子の耳にだけ聞こえる声で囁く。
今日もアリアーヌはベルトルドに甘さのカケラもない声で囁く。
「そんな陳腐な言葉はいりません。早く側室を娶ってそちらにお願いします」
ベルトルドは視線で従者を遠ざけ人払いする。そしてアリアーヌに甘い声で囁きかける。
「陳腐な言葉も聞き慣れれば甘美なものに聞こえるだろう?アリア、こんなものがあるんだけど」
アリアーヌはベルトルドがそっと出した、手の上にあるものに目を輝かせた。
「殿下、くださいませ!!」
ベルトルドは自分の言葉に全く反応しない素っ気ない妃の正反対の反応に笑みを深める。アリアーヌはベルトルドの要求にため息をつくも、手に入る宝物を考えれば安かった。
「ベル様、愛してますわ」
アリアーヌは綺麗な笑みを浮かべて嘘の言葉を伝える。ベルトルドはわかっていても満足げな笑みを浮かべてアリアーヌを押し倒し、白い肌に自身の痕を刻み込む。
ベルトルドはアリアーヌが宰相に恋していると知ってからは亡き宰相の絵姿や遺品を集め取引に使っていた。
第二王子夫妻は亡き宰相を敬愛していると周囲に思われ、誰も第二王子妃が宰相に夢中だと思わなかった。
アリアーヌは宝物のためなら手段を選ばない。
アリアーヌが二度目の恋をしたのは、立派な髭を持つ年老いた公爵だった。
ベルトルドは慌てない。アリアーヌの恋と思い込むものはベルトルドにとっては恋ではない。単なるファンである。見ているだけで満足するような可愛らしいものはベルトルドの中では恋ではなかった。アリアーヌが恋したと思いこみ、憧れるのは年老いた孫のいる男ばかり。
ベルトルドは自分の腕の中で恋愛小説に読み耽るアリアーヌを眺めていた。目を輝かせる姿はいくつになっても愛らしく、栗色の髪に口づけを落とした。集中しているアリアーヌはベルトルドが触れても反応しない。
「これは気に入ったか?」
「ええ。やはり現実と違い物語は甘美です」
「報酬を」
満足のいく物語のお礼にアリアーヌはベルトルドに口づける。
ベルトルドからの陳腐な言葉は気に入らないが与えられる快楽は気に入っていた。
ベルトルドの執念深さを知っているアリアーヌは外堀を埋められ逃げることを諦めたが、夢のお飾りの妃は諦めていなかった。
「初恋にいつまで夢を見るのでしょうか」
「先に騙したのはお前だ。手に入らないものほど恋しくなる。手に入れるのに時間がかかればかかるほど」
「陳腐」
「俺の勝ちだよ」
甘く囁くベルトルドの長く美しい指がアリアーヌの頬に添えられる。アリアーヌはされるがままに身を任せる。与えられる快楽にうっとりしながら目を閉じた。
ベルトルドはアリアーヌが自分から逃げられないことを知っている。だから他の男に憧れ勘違いをするのも許していた。取引材料が増えるので大歓迎であり、アリアーヌの恋が終わる瞬間はベルトルドにとって役得だった。アリアーヌが弱さを見せるのは帰らぬ人を送る時だけ。悲しみと恋しさに人肌を求めて甘えるアリアーヌを愛でるのはベルトルドの楽しみの一つ。
アリアーヌの全てを知るのはベルトルドだけ。
物語のような甘さと苦さを含んだ世界は一時だけである。それにベルトルドは知っていた。いずれアリアーヌの心が手に入ることも。
長い年月が立ち、アリアーヌは孫と遊ぶベルトルドを眺めていた。
最近、初めて夫に胸のときめきを覚えていた。ベルトルドはアリアーヌの変化を気付かない振りをする。
ベルトルドはアリアーヌの好みに気付いていた。
髭を持ち、孫がいる愛妻家。そして…。
宰相は愛妻家と有名だったが、隠れて何人もの愛人を持っていた。
ある公爵も愛妻家だが、隠れて少年を侍らかしていた。
またある伯爵も愛妻家だが、違法な取引をしていた。
アリアーヌの恋する男は世間的には病死であるが事実は違っていた。
宰相は嫉妬に狂う愛人による服毒死、公爵は少年との睦言が妻子に知られて自害、伯爵は取り調べ中に自害。
ベルトルドはアリアーヌに事実を教えず、罪を犯しても国に忠義を尽くした死者を丁重に弔った。
アリアーヌは男運が悪く、影のある男ばかりに恋い焦がれた。そして陰湿さや、影ならベルトルドは備えていた。
アリアーヌは自分の気持ちの変化に戸惑いながら呟く。今まで愛する人が亡くなって悲しむアリアーヌを宥めていたのはベルトルド。
「ベル様が亡くなったらどうすれば・・・」
ベルトルドは孫を侍女に預け人払いしてアリアーヌに近づく。
「俺が死ぬときはアリアも一緒だ」
アリアーヌは昔なら怯えた言葉に微笑んだ。
「それは甘美な言葉ですわ。美しく死にたいものですわ」
ベルトルドはアリアーヌを他に渡すつもりはない。自分が亡くなった後に他の男に慰めされ、恋して、体も心も許すなら殺したい。もしもアリアーヌが先に亡くなるなら亡骸は綺麗に保存し側に飾っておきたい。ベルトルドは狂っている。それに気づいているのはアリアーヌと兄である国王だけ。
それでもアリアーヌはベルトルドのほうが一枚上手なことに気づいていない。アリアーヌはベルトルドの趣味の標本部屋に足を踏み入れることは一度もなく、自分もその仲間入りする可能性があるのは、気づいていなかった。
アリアーヌの生きる世界は騙し合いは日常茶飯事。策に溺れる者もたくさん見てきた。アリアーヌは恋愛小説が好きである。後宮での妃達の争いを眺めながら夫の腕の中で恋愛小説を読みふける。
最初は無視していた夫からの悪戯に小さく笑う。ベルトルドはアリアーヌの変化に気付いても口に出さずに、笑みを深めるだけである。
二人の孫の口癖は陳腐。
アリアーヌの首筋にはいつも夫の所有印が主張していた。嫌そうにしていたのに、いつの間にか愛し気に指でなぞる姿はいくつになっても色気を漂わせ多くの男を魅了する。
いつの間にか終わった不幸にアリアーヌは微笑みながら囁いた。
「物語でも書こうかしら」
「万人受けしないだろう」
「籠の鳥と狂った王子様。最後はそうね・・・・」
妖艶に微笑むアリアーヌにベルトルドは口づける。狂った自分の傍にいられる妻も狂っているとは口に出さない。公的には聡明なおしどり夫婦。策に溺れた少女は籠の鳥になった。ただ籠の中には快楽が詰まっていた。籠の中で快楽に飲まれた鳥は飛べなくなり捕まった男の下で生涯を終えることになる。
何も持たない王子は宝物を見つけた。ずっと探していた宝物は傍にあり、手に入れた宝を丁重に扱い続けた。そして永年の時をかけて欲しい物を手に入れた。仮定は違っても妻の好むめでたしめでたしの結末だけは同じだった
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