指先で描く恋模様

三神 凜緒

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こぼれ話 (研修旅行のバスの中の東谷)

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山の喧騒というのは、街よりも静かで厳かに、人を遠ざけるような試練をいくつも用意する。
俺がバスに戻った時に感じたのは安堵であった。人工物に包まれる感覚。柔らかい座席のスプリングに身を沈ませ、クラスメイトのお喋りの声と、工藤先生が戻って来た事による歓声に口元を綻ばせる。
身体の力を抜き、首と肩を軽く回しながら筋肉をほぐし、工藤先生が他の生徒たちから心配されていた様子を眺め、口の中で小さく『良かった』と呟く……
誰にも聞こえてないと思ったんだが、後ろにいた奴は地獄耳なのか、背もたれに手をかけると、こちらを覗き込んで来た。

「うまくやったみたいだな~? これでまた工藤先生へのポイントが上がったな!」
「お前は口を開けばそればかりだな……他に話す事はないのか…?」

そんな事を気にしてバスから降りた訳じゃないのだが、こいつはお節介なのか何なのか…
自分の恋路は全く実らないせいか、こっちばかり気にかけてくる…

「青春時代を、恋以外何を話せばよいんだ? しかも相手は…担任の女教師だろ…! それってさ――――」
「燃える~~! って事だろ…? 変なマンガとかの影響でも受けとるな…」

相手が学生でも教師でも、本当に好きなら誰が相手でも良いと思うが…こいつのロマン思考は正直分からん事ばかりだ。
身体的にも肉体的にも疲れて、思わずため息を吐く。それでも構わずにバシバシと肩を叩いて笑ってる姿にある意味、尊敬の念さえ抱いてしまう。

「お前のせいなのか、おかげなのか…色々と楽しい研修旅行だったよ…」
「おう!?…そうなのか? 感謝しろよ~東谷♪」

今回の騒動の件…やっぱり俺が原因というか、要因の一つなのは間違いないと思うが、こいつが不用意に色々と果樹園で騒ぐ物だから、拡大したのも事実。
恨んでる訳じゃないが~そうきっと感謝してる所もあるのだ。その気持ちを表してやろうと、立ち上がり彼と向き合い…両手で彼の肩を握りしめた。

「感謝のあまり、体中が濡れて、腰も少し痛いぐらいだよ…あ・り・が・と・なっ!」
「イタタタ…! ちょっ、ちょっと…東谷は力があるんだから、加減してくれよ!!」

こいつの不用意な発言のおかげで、樹は落ち込むし、工藤先生は怪我するしで、思い出深い研修旅行になったと感謝を込めて、次にヘッドロックをかけていく。

「ちょっ! ギブギブギブゥ…! 洒落にならないってっ!!」
「これも親愛の印だ。黙って受け止めろ!」

勿論ポーズだけで、本当に力を込めている訳じゃない。たまにあるじゃれ合いのような物。
これで根が悪い訳じゃないから付き合えるのだが、あれ……何か想像以上に痛がっている?

「東谷、その辺にしてやれ。中西は基本的にアホな事しか言わないが、これで心配していたみたいだぞ?」
「高山? …仕方ないな…これで勘弁してやるか…」

軽く撫でるように締めてるつもりだったのだが…解放された中西は離した途端、体を痙攣させながら大袈裟にイスにもたれ掛かり、白目をむいていた…おいおい…
その様子に高山と二人、同じタイミングで首を横に振りため息を吐く。

「そういえば、高山はお土産とか買ったのか?」
「ご当地のグッズといえば…やはりお塩だろう? お得な16種類セットを買ってみた」
「場所が場所だしお清めの塩でも買ったの?」

お寺とかにはそういうの普通に売っていそうだなと思ったのだが、どうやら違うようだ。
彼は黙って首を横に振ると、買い物袋から印籠のように目の前に突き出してきた。

「そうではない! 焼き肉用に、おにぎり用。天ぷら用に、サラダ用に焼き魚用。レモンに金柑に、イチゴに、バナナ。梅に酢昆布に、シソ。果ては抹茶にワサビ、岩塩まで完備してる優れモノだぞ! これだけあれば、一生塩で飽きる事もあるまい!」
「へえ…そうなのか…あれ…?」

あまりの剣幕にたじろいでいたのだが、彼が読み上げた種類と目の前にある物体を見比べてから、指折り数えてみると、強い違和感を覚えるのだがどこだろう?

「何か1種類足りないような…気が…?」
「あとはお寺関連の下敷きに、サインペンとか、エンピツと消しゴムだな」
「それを全部、次の授業とかで使うんだな。分かります…はい…」

こちらの疑問を完全にスルーされたのだが、特に深堀するほどの話でもないなと、話題を切り替えた。俺も実は少しだけ買ってみたのだが…どこに仕舞ったか…
確かリュックサックの中にあったと思うが…何か雨具やら、水筒やら、パンフやらごっちゃになっていて、全く整理されてない。確か小さな袋に入れて奥に仕舞ったような?

「あったあった…俺が買ったのはお坊さんの目が描かれてるアイマスクと、タカの頭をしたお坊さん?の変なご当地キャラのキーホルダーに…使い勝手の悪いおみくじ付きの大きなシャーペンに…あとは…」

どれもこれも、絶対に後々使う事のない面白アイテムばかりだが…これは純粋に自分の趣味が入っている。
その中でちょっと変わり種…ではなく、普通のお土産も混ざってる事に隣で覗いていた高山が気づいた。

「小さな雀と鷹の人形と、アケビのシフォンケーキも買ったのか…珍しい…他のお土産はともかく…」
「ちょいと、一緒に食べたい子がいてね。その為に買ったんだ」

実はさっき、工藤先生を探しに行こうと、最初にお土産屋さんに足を運んだ時。果樹園での出来事が脳裏をよぎり…買い足す事にしたんだ。
それを結局、未だに言えずじまいなんだけど、賞味期限も二週間だけだし、その間に誘えれば良いが…

「なになになになにっ? その子カワイイの? 教えてよ~~」
「何だ、死んだふりはもうおしまいか? もうちょっと死んでても良いぞ」
「ぐはっ…! 高山酷いよ~これでも本当に痛かったんだからな~」

男子ばかりのバスの中。少数の女子がうんざりした顔をしているが、しばらくすると工藤先生から出発するから席に着いてと声をかけられる。
中西もまだ色々と言いたかったみたいだが、それでも渋々座席に座りながら大袈裟に頭をさすっていた。

「お前は普段から大袈裟過ぎるから、誰も信用してくれないんだぞ?」
「そりゃないよ~! 俺はいつだって皆が喜ぶと思ってリアクションとってるのに~!」
「アハハハハッ……うそつけ~!」

こういう下らない会話も、自分が日常に戻って来たんだと感じる要因なのだろうか。
人を一人背負って山を下りるのは、自分が思ってるよりも重労働だったのか…あまりのダルさに背もたれに体重を乗せて、目を閉じる。
バスのエンジンに火が灯り、小さく揺れる座席がゆりかごのように眠気を誘う。

「ああ~~~疲れた……今日はさすがに帰ったら寝よう…自主トレも今日は止めとくか」

暗闇の中で思い出すのは、背中に感じた工藤先生の温もりや感触。それに耳元にかかる吐息に。甘えたような声や仕草。年上とは思えない無邪気な笑み…

「…………」
「お前、熱でもあるのか? すげえ顔が赤いぞ」
「ああ……そうだな…確かに熱っぽいな…うんうん…そうだそうだ…!」
「何を焦って力説してるんだ? 本当に大丈夫か…」

何か訳の分からない事を二人が喋ってるか、俺は至って平常だ。ちょっとばかり、疲れて変な妄想をしているだなどある筈がない…そう…ある筈がないのだ…!
何かを落ち着かせる為に、ぜえはあぜえはあ~と深呼吸をしていると、周りの生徒たちが騒ぎだし始めた。

「…うん……? 何かあったのか…」
「おい! 見てみろよ…虹が出てるぞ!」

片目を開けて窓の外を見ると、そこには山と山を繋ぐ架け橋の様な大きな虹が出ていた。
街の中では見る事が出来ない、心に残る印象的な風景。
都会っ子の生徒たちが歓声を上げる中、俺の意識は少しずつ沈み込んでいった。
隣にいる高山の声が遠く聞こえる。まるで夢の中の声の様に…
そういえば…自分が果樹園で拾ったアケビは…結局渡せず仕舞いだったか…情けないな…我ながら…昔からそうだ…俺はいつだって…大事な事を言えずにいたっけな…


――――
混濁した意識の中で、俺は僕になっていた…
今よりもずっと背が小さくて、臆病で貧弱で、勇気が無くて…そんな自分が嫌いだった頃の記憶だ。

俺は今ではサッカーなんてやっていて、筋肉もあって、それなりに友達も多い…
だが…そんな人生がずっとそんな状態だった訳じゃない……
小さい頃の僕は、今よりももっと気弱で、相手を殴る事はおろか、好きな奴の手を握るのも…どれだけ大事に思ってるのかを、悟られるのも恥ずかしい…

学校生活において、弱者のレッテルを貼られた者は、少しでも隙を見せれば虐めの対象になる。そして僕には…どんなに殴られても、相手を殴ろうとする勇気がなかった。
いや…相手を殴る事によって、自分の心が痛むのがイヤだったんだ…

だけど、そんな僕を気にかけてくれたのがアイツだった…女のような、だが、心は男そのもの…そういう病気だと聞かされていたけど、よく分からなかった。
アイツはいつだって、その病気で苦しんでいたと思っていた。そんな変な存在、虐めの対象になっても可笑しくないと思ったのに…

なのに、誰よりも男らしく、豪快で、痛快で、相手を叩きのめしたり、敢えて女性らしくなって、皆を笑わせたり…人気者だった。俺とは全然違ったんだ…輝いていた。

僕がサッカーを初めたのは何が理由だったかな? ああ、そうだ…アイツとPK勝負で勝って、それをアイツはすごく誉めてくれたんだ…それが自信に繋がった。
思えばあの時も、アイツは僕を笑わせたくて、わざと負けてくれたのかも知れない。
本当の所は分からないが…どっちでも関係はない…あいつはいつだって僕の目標だった。

何においても、自信がなかった僕が、唯一認められそうなサッカー。これを続ける限りは、自信をもって生きていけると…そう信じられる。
今までひ弱で、何に置いても虐められてばかりの僕が、サッカーの上達と共に、皆に受け入れられていった。
全て、アイツのおかげだったんだ…だからこそ、『俺』は今でもアイツの傍にいる…

『なあ…これを一緒に食べないか?』
『なあに~? それ…』
『僕がその…さっき道で拾ったアケビなんだけど…良かったら一緒にどうかなって?』
『ええっ~それ食べかけだよね~? それじゃなきゃダメなの~?』
『ダメなんだ…これじゃなきゃ…ダメかな?』
『しょうがないな~もう…普段臆病で何も言わないトウヤクンがそこまで言うなら~良いよ? でも、美味しくなかったら承知しないぞ?』
『ありがとう……きっと気に入ると思うよ♪』

――――それは、実際にはなかった光景だ。ただの願望、ただの自分の慰めのような記憶の捏造だ。それでも、その時の俺はどうやら…寝ながら笑っていたと高山が後に言っていた。
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