指先で描く恋模様

三神 凜緒

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大人の女性の短歌

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吊り橋から、歩いて20分ぐらいかな…空は雲の流れが速く増えて来て、太陽が陰り始めていた。まだ雨が降るほどじゃないけど、少し怪しくなってきたかな?
大きな杉の木が並ぶ細く、整備された道を歩いていると、空が狭く青空よりも、雲が目立ち始めたからか、太陽の光が陰り、そっとため息が一つ。
肌寒い風に少し体が震えるけど、新しく買った防寒着が役に立っていて、まだ大丈夫だ。
雲も黒いという事もなく、真っ白で雨が降る様子もなく、落ち着いた雰囲気を出してる。

「秋でもスズメとか元気に飛び回ってるよね~どこでエサを採ってるんだろ?」
「さあな…だが、彼らは冬場も普通に活動しているぞ?」
「ええっ!? そうなの……凄いタフだ…」

山というのは、いつだって人を魅了する不思議な存在だ。平地の少ない日本において、日本人なら山を見ない日というモノがないぐらい、馴染みのある存在なのに、登る人と云うと、そんなにいない。
それは、山というのは元々人間のテリトリーではなく、クマとかシカとか、他の動物のモノだという事が分かってるから。
確か、母は山なんて下から眺めるもんだ!と力説していた…うん、それはボクもそう思う!
何故なら…そう、何故なら……

「足が鉛のように重いと思います!」
「それはギャグなのか?」
「えっ…? なあに…東谷君~何か言った~?」

震える足を前に伸ばし、山道をただひたすらに登る。東谷君は軽い足取りで、ゆっくりと歩いているのに対して、こちらは息を乱しそうになるのを必死に抑えている。
運動してないと、いざ足を動かすと自分でもびっくりするぐらい衰えてるのを自覚する。
昔はもっと健脚で、元気一杯に男の子に交じって、遊んでいたのにな~はあ~~

「もう~~一体誰だよ~、そこに山があるから登りたいだなんて、アホな事を言っていた人は~~~!!」
「山男が言ったんだろうな~(-_-;)」

そんでもって、山登りを提案したのはあの校長先生だ…ほんとに、どういう趣味なんだろう? 俳句や短歌を作って何が分かるんだろう?
その理由は確か、前に説明されていたと思うんだけど~まずい…忘れかけてる…!

「はっはっは…毎日歩いてる通学路も、面倒だけど運動不足解消にはなるな」
「いけない…この疲れ具合で、ボクの通学路がそんな距離がない事がバレてしまう…」
「バレたら何かマズイ事でもあるのか? 昔は俺よりも運動神経良かったのにな~」
「ちょっとね…色々あるんだよ~色々とね…」
「……そうだったな」

そんなしょうもない会話を続けていたら、やがて林を抜けて視界が広がると…そこには一面の…一面の…? 最初に視界に入ったのは、真っ赤な…細い糸のようなものが広がる綺麗な花であった。

「ほえ~~、千枚田って、日本ではそれなりに有名だけど~、何で日本ではこんなに山ばかりなのかな~?」
「あ~何かそれを解説してくれてる番組があったんだけど、内容太平洋にあったプレートが西へ、西へ圧迫される事によって、地面が隆起したのが原因とか?」
「そうなの?」
「俺が観たくて観た訳じゃないのだが~母さんが観てたのを脇で眺めていたんだ」

いきなり聞かせて貰った東谷君のトリビアに目を見開きながら、その赤い花をじっと眺める…とても綺麗で、怪しい雰囲気のある…独特の花だ…

「あれ? 東谷君って動画サイトよりもテレビ派?」
「いや、俺はどっちも観るかな? 片方だけだと飽きるから」
「そうなんだ~、へえ~~」

今の時代は色々な情報媒体があって、混乱するな~って両親がぼやいていたけど、ボクたちからすれば娯楽が多様で楽しいだけなんだけど、大人たちは違うのかな~?

「その番組の中で言っていたのは、日本は山がないと、雨雲が通り過ぎて、雨が降らない不毛の島になっていただろう…って言っていたな」
「全てにおいて、都合の良い世界なんてありはしないんだな~はあぁ~」

広い視界に、広い世界…そこに見えたのはまだ刈り取りされていない水田が段々と連なる綺麗な小金色の絨毯に、そこにそっと寄り添う彼岸花の美しい姿であった。
千枚田を目的にここまで来たのに、何故かそっちの方へ視線がいってしまった。
それはボクだけじゃなくて、それは…どうやら工藤先生もおんなじみたいだ~

「あそこでしゃがみながら、筆ペンを片手に何かを書いてるのは…工藤先生かな?」

彼岸花の近くにしゃがんでいる。見慣れた人の姿。
強い風に、髪が流れ乱れても、彼女の柔らかな微笑みは揺るがずに、滑らかな手つきで筆を滑らせ、首を緩やかに傾げながら、頬をかすめる葉が一瞬だけ彼女の視界を動かす。
その視線の向こうに…ボクたちはいた…

「あら…いらっしゃい」
「先生、なにやってるんですか~?」
「ちょっとここで一首そらんじようと思ったんだけど、無地のままじゃつまらないでしょ? 隅に彼岸花のスケッチでもしようかと思ってね」
「ほええ~~すごいですね。見てイイですか?」
「うふふふ…どうぞ?」

「ありがと♪」と一言告げてから、(あれ?何か友達感覚で話しかけてるぞ?)工藤先生の色紙を見ると、左下の方に小さな…黒い彼岸花を見つけた。
水田の横にそっと咲き誇るように列を成すのではなく、風に揺れ、色っぽく揺れ動く様を表現しているような…不思議な描写であった。

「すごいな…こいつは…」
「はえ~~ほんと~~」

筆ペン一本で陰影を表現出来る。それをさらりとやってのける、その技術力や、性格というのが…何とも、何とも…うん…ここからは言うまい。

「面白いよね~。お花ってどれも同じようで、全く同じような物がない。この彼岸花に至っては、真っ赤な放射状の花びらが風に揺れて…まるで…まるで…」
「まるで?」
「飲んだくれのお姉さんみたい♪」
「どんな発想ですか!?」

この人は…茶目っ気たっぷりにウィンクしながら笑ってるけど…古典の先生って、皆こんな発想をしてるのかな? 

「もう~~そんなに褒めても何もでないぞ~?」
「誉めてません! もうちょっと雅な感じにはならないんですか?」
「そうかしら? 芸者さんのほろ酔い姿とか色っぽくてドキっとしちゃうわよ?」
「高校生にそれが分かる訳ないでしょ~!」

そんなお座敷なんて入った事も、調べた事も、知り合いもいないもん。
隣にいる、工藤先生が担当教師の生徒は、苦笑いしながらいつもこんなモノだと言ってる…
もしかして工藤先生は、育ちが良い分、一般常識が欠けてるのかな?

「彼岸花 豊酒(とよみき)に さきごこち 亡き君想えば 垂れるこうべ…」
「これは? 短歌ですか…一体どんな意味で?」

亡き君…なんて言っているのだから、きっと亡き恋人を想った歌なのは分かるんだけど~
それ以上の意味は分からず、ただ首を傾げていると…持っている色紙にその短歌を達筆な筆使いで書いていく工藤先生を見守る。

「これ? う~ん 一言で云えば…彼岸花が赤いのは、一緒に酔ってくれてるからって事」
「……んっ?」
「何でもない…何でもないの…ごめんなさいね」

何でもない…って二度も言われると~すごく気になっちゃうんだけど、その少し見える表情の影に、ボクも東谷君も何も言わず、その後は三人で他愛無い話をして、時間を潰しながら、その棚田の美しさにため息を漏らし続けた。
ただ~~、会話の最後に東谷君に耳元で何かを囁いてる姿が、ものすご~く気になっていたけど!


――――彼岸花 豊酒(とよみき)に さきごこち 亡き君想えば 垂れるこうべ
(死者の祭りであるお彼岸に、彼岸花を肴にとびきり美味い酒を楽しみ、良い酔い心地でいると、ふと隣に、亡くした君が傍に来てくれているようで、それはきっと酒のせいだと、彼岸花の赤い花のように、自分の頬も酒で赤く染まり、風に揺れる花のようにこうべを垂らしてしまう。まるで花に己の表情を見せぬように…)

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