花、手折る人

ひづき

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「俺は、お前が好きだ」

 聞こえてきた言葉に、幻聴であってくれという願いを込めてノーレスは再び周囲を見渡す。皆、ササッと顔を背けてしまう。お前って誰だろう、などと現実逃避している隙に、椅子を退かしたブレイム殿下がノーレスの傍らに跪いていた。思い出したくなくて忘れていたが、これで二度目である。

 逃げ場を失い、仕方なくブレイム殿下に視線を向ける。

「ノーレス、お前を愛している!身体が目当てだと誤解されたくないから許可されるまでは触れない。しかし、どうか想うことだけは許してくれ!!」

 妻に捨てられそうになっている夫のように必死で縋ってくる眼差しが痛い。

「まさか、戦争の原因とは、僕、ですか?」

「殿下はノーレス様を愚王共の毒牙から救うついでに手に入れようと画策なさったのですよ」

 サイラスはあくまで目線を逸らしたまま教えてくれた。

「まったく…、ブレイム殿下が王位を奪おうと画策しているなどと吹聴している連中に現実を突きつけてやりたいものですな」

 憤っていたはずの重鎮たちまで頭を抱えて項垂れている。

 ───周知の事実なのか。

「王位など、ノーレスの前では何の価値もない!」

「殿下、過言がすぎる上に、あまりにも畏れ多いです」

 なるほど、これは危険だ。ノーレスの迂闊な一言で、目の前の男は国を簒奪しかねない。そんな盲目さがある。

「ブレイム殿下の初恋は13年前のことです」

 サイラスは遠い目をしつつ、静かに語り始めた。



 ───

 ─────

 当時8歳だったブレイムは、兄弟たちからイジメられていた。

 ブレイムに立場を脅かされる兄。ブレイムと比べられてコンプレックスを拗らせた弟。そんな兄弟たちは、ブレイムさえ排除出来れば何もかも上手くいくと純粋に信じ、嫌がらせを繰り返す。例えブレイムを排除しても、彼らの能力が一定のレベルまで上り詰めなくては誰も認めてくれないのだと、幼い彼らは気づいていない。

 逆に、ブレイムは幼いながらも当たり前のようにそういった事実に気づいており、兄弟が盲目的にブレイムを排除しようとしているなど思いもよらない。

 当時のブレイムは大人しい子供だったため、抑えきれない憤りといった激しい感情に振り回されるといったことには疎かった。兄弟たちの中にどうしようもなく耐え難い鬱憤があり、それが行動に出ているなんて夢にも思わなかったのである。

 故に、子供だったブレイムは、兄弟たちの心情も意図も理解出来ずに泣いていた。

 そこに通りがかったのが、ノーレスだ。隣国の王妃と共に城に滞在している客人が一人で現れたことに、ブレイムは驚く。

「どうして泣いているのですか?」

 自分より年下の、しかも他国からの来賓に問いかけられ戸惑った。王子たちの仲が悪いなど他国の人間に知られるのは拙いのではという、子供らしからぬ外交基準の思考がブレイムの反応を鈍らせた。対するノーレスはブレイムからの返事など待つ気はないようだった。

「貴方の心を傷つけられるのは、他でもない貴方だけです」

 やけにハッキリとした声音が耳を打つ。

「え…?」

「何をどう受け取るかは貴方の自由です。鼻で笑うも、雑音として聞き流すも、もちろん傷つくのも、貴方が選んだ結果です」

 ───どうして泣くことを選んだのですか?

 やけに難しいことを言われ、ポカンと口を開いたまま固まる。

 下手な慰めを言わないのも新鮮だった。

「どうして…。どうしてだろう?」

 考え始めると、涙はあっさり退いた。

 敵意も悪意も、真正面から受け取って、傷ついてきた。どうして───、それは恐らく、彼らが自分の兄弟で、仲良くなれるのではという捨てきれない希望があるからだ。

 しかし、落ち着いて考えると、自分の心を削ってまで仲良くする必要はあるのだろうか。そこまでの価値が彼らにあるのだろうか。彼らの敵意はあまりに一方的で、ブレイムの言動に関係なく発生する。自分を大切にしてくれない人を、自分が大切にする必要などあるのか。あまりに不平等だ。

 彼らと不仲であることにより、生じる不利益を考える。───特になさそうだ。

 城の敷地は広く、与えられた棟も違う。大人たちが良かれと思って意図的に会わせるから嫌でも会うのであり、その気になれば全く顔を合わせないこともできるはず。

 考えを巡らせている間に、いつの間にかノーレスは姿を消していた。



 傷つかないという選択肢をくれた人。

 それが、ブレイムにとってのノーレスだ。



「───それ以降、ブレイム殿下はノーレス様絡みにしか興味を示さなくなったのです」

「ノーレスが望むなら王位簒奪も喜んでやるが、お前はそんなこと望まない。故に俺にとっては気にかける価値もない」

「能力はあるのになんと勿体ない!」

 年老いた重鎮たちの嘆きが、すすり泣く声が響く。

「極端すぎません?僕は覚えてませんし、人違いでは?───もしかして、僕がそちらの密偵に渡していた情報って、ブレイム殿下直通でした?」

「当然、直通だ。きちんと俺の方で情報を精査して、ついでに色々都合よく脚色したり隠蔽して国には伝えているから安心しろ」

 直通、つまり、ノーレスの周囲にいた密偵は国に忠誠を誓う者たちではなく、ブレイム殿下個人の配下だったらしい。密偵の派遣自体が国には内密の、ブレイム殿下の独断だったのかもしれない。施された閨教育の内容は、ブレイム殿下まで伝わっているが、国の上層部は知らないということだろうか。

 ブレイム殿下が言外に伝えてくる安心材料を察し、少しだけ肩の力が抜けた。

「ノーレスの置かれている環境が聞こえてくるのに、知っているのに、すぐに手を差し伸べられないのはさすがに堪えた。もう俺はお前を手放さない。ジジイ共がいくら騒ごうと関係ない」

 それは、いっそ潔いほどに、どこまでも利己的で、一方的。

 熱烈な愛の告白にしか聞こえない自分は既に毒されている。


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