執着と恋の差

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2) とある男たちの執着

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 毎日繰り返される代わり映えのしない日々。誰もが怠そうにしている人混みの中、あの青年だけは違った。

 晴れの日は空を見上げ、眩しそうに目を細めて微笑む。雨が降れば、初めて長靴を履く子供のような笑みを浮かべる。常に何かしら日常の小さなことで楽しげな表情を浮かべる男子高校生。

 あの青年は知らないのだ。

 親に見放される痛みも、誰かに虐げられる理不尽さも、どんなに頑張っても否定され続ける虚しさも、代わり映えのない毎日に対する苦痛も、生きるか死ぬかの二択しかない絶望も。

 駅で見かける度に、幸せそうな青年の姿を見つけては苛立ちを募らせていった。自分は幸せになることを誰にも許して貰えないのに、何故あの青年は許されているのだろう。自分がこの世に存在していて良いのだと、信じて疑いもしない、幸せな青年が許せない。

 彼の絶望に満ちた表情が見たい。許しを乞う声が聞きたい。想像しただけで、それは酷く魅力的で、甘美なものだ。性欲を慰める際には青年の絶望を想像して果てるようになるまで、そう時間はかからなかった。



 日に日に募る渇望に耐えかね、学校帰りの彼を殴って昏倒させ、レンタカーで拉致した。

 縛り上げ、目を覚ましたところで灯油をかけてやった。ひきつった青年の顔が、喉が、やめろと叫ぶ。ばたばたと陸に上がった魚のように全身で跳ねる姿は愉快だ。油の匂いは良いものではないが、それに濡れる彼はまさしく人魚だった。

 それを見下ろしながら、ライターに火をつけ、響き渡る絶叫を聞きつつ射精した。笑いが止まらない。素晴らしい。素晴らしい。素晴らしい。

 火を落とした瞬間、あっという間に燃え広がる。青年の必死さが手を伸ばすかの如く、炎の揺らぎが此方へと膨らみ、僕に届かず戻る。縛られた体が炎の中でのたうち回る様は酷く滑稽で、楽しい。彼の絶望で欲求が満たされていく。

 明日はどんな見出しで一面を飾ってくれるだろう。そうわくわくしながら、帰宅した。いつもと同じ退屈な日を、彼の絶望が彩ってくれる。嗚呼、楽しみで楽しみで仕方ない!



 翌、朝刊の一面には、大物芸能人の麻薬所持による逮捕が載った。

 現場の不審火は、小さく端に火災の件のみ。死者に関する報道は一言もない。

 これは、どういうことなのか。一面に載っていないのはまだ理解できる。世間の関心は不審火より芸能人の失態だろう。しかし、火事で死傷者が出れば、さすがに一文でもそれに触れるはず。何故不審火としか書かれていないのか。あれがマネキンだとでも思われたのだろうか。いやいや、さすがに人型に燃え残っていたら真っ先に焼死体を連想して鑑定を行うだろう。

 青年を燃やした廃ビルを覗きに行きたい。しかし、それでは会社に間に合わない。死体の件を確認しに犯人が訪れるのを警察が待っている恐れはないだろうか。そう考えると行くのは危険だ。

 僕の希望は朝日を前に翳り、いつも以上に強い焦燥を伴って、深い絶望に染まった。会社へと向かう足取りも重い。



「ば、ばけもの───ッ」

 殺したはずの青年が、いつものように瞳に希望を湛えて駅のホームに現れた。

「え?」

 さすがに戸惑った様子の青年と目が合う。彼の纏う希望に喉が焼けつくような痛みを覚え、身を翻し、走り出す。

 殺した、殺したはずだ。確かに殺した。

 妄想なんかじゃない。泣き叫ぶ青年の絶望を噛み締めながら灯油をかけたのだ。制止を求める絶叫を聞き、笑いながら火をつけたのだ。

 ───だったら何故彼は生きているのか!

 それこそ、幻なのではと思いたい。しかし、嫌というほど焦がれてきた、あの希望に満ちた眼差しを、幻と間違えるはずもない。

 会社なんて、どうでも良い。何が起きているのかを知りたくて殺害現場に向かう。燃え落ちた廃ビルは、骨組みだけを残し、焼け焦げていた。煤汚れた空間を封印するように規制線が張られている。

 スーツが汚れるのも気にせず、その場に膝をつく。

 僕が何をしようと、何も世界は変わらないのか。

 僕が何をしようと、彼一人の人生も変わらないのか。

 僕は、誰かの人生に干渉する力もないほど無力な微々たる存在なのか。

 ───殺してやる!何度でも殺してやる!



 夕方、昨日と同様、学校帰りの青年を駅で待ち伏せした。駅の周辺は人気が多いが、青年が好んで通る道はあまり人気がない。建物と建物の影にある、細い道。そこから廃ビルまでは地下歩道を利用すればすぐだ。ただ、さすがに男子高校生を運ぶのは骨が折れる。レンタカーを使うのが一番手っ取り早い。もっとも今日はレンタカーの準備など不要だ。

 ただ、殺す。

 運ばずに殺す。

 この場で殺す。

 この手で首を絞めて殺す。

 この手で直接、彼の命が途絶える瞬間を感じられる。それを想像するとゾクゾクと背筋が震えた。またあの絶望を見ることができるのだと思うと期待に胸が膨らむ。

 彼は僕のために生き返ってくれたのかもしれない。今朝は驚いたが、よく考えれば彼が化け物でも何の不都合もない。むしろ、繰り返し殺せるのなら好都合だ。彼が彼であるのなら大歓迎である。

「残念だけど、アレは俺のなんだ」

 不意に真後ろから声がした。恐る恐る振り向くと、銀髪の男が立っている。その瞳は赤く、昨夜の炎のように揺らめいていた。

「─────、何の話だ?」

  喉が引くつく。それでも笑って見せたのは虚勢でしかない。

「アンタのお陰でアレが手に入った、それだけは感謝してる。だが、アレの魂が砕けるほどの恐怖と苦痛を与えたのは腹立たしい」

「魂?」

 馬鹿馬鹿しいと鼻で笑い飛ばす。魂?そんなものはどこかの宗教家が寄付金集めの為に広めた幻想だろう。

「お礼に、アンタには特別な悪夢をやろう」



 ───生きながら焼かれる業火の苦しみを、永遠に繰り返し味わうといい。



 瞬間、目の前が真っ赤に染まる。次第に増える観客の拍手のように、爆(は)ぜる音が周囲へと広がっていく。

「熱い熱い熱い」

 顔を守るように翳した腕に引火して、安物のスーツが皮膚ごと燃え上がる。

「ああああああああああああああああッ」

 何故、僕は幸せになれないのだろう。

 何故、僕は幸せになることを許されないのだろう。

 のたうち回っていたはずなのに、一瞬で景色が変わる。蛍光灯を失った電飾の設備から、蜘蛛の糸のように伸びた配線が、頼りなく震えている。鼻腔を容赦なく麻痺させようとする油の匂いに眉をひそめた。ひび割れのあるコンクリートに這いつくばる僕の目の前に、安物のライターが翳される。

 そこにいたのは、あの日の“僕”だった。

 驚愕し、声も出せないでいる僕に、“僕”は嘲笑いながら火を落とす。一瞬で燃え広がる火から逃れようと体を跳ねさせることしかできない。またあの苦痛が来る。言葉も忘れて暴れる僕の耳に、“僕”の愉悦に満ちた高笑いが届いた。

「いやだいやだいやだ─────ッ」

 あの苦痛が来る。死んだ方がマシだと思えるくらいの苦痛が。

 僕は幸せどころか、死ぬ権利すら失った。





 ディーデリヒは、地べたに転がったサラリーマンを見下ろす。放っておいても死にはしない。そのうち発見した人間が救急車を呼ぶに違いない。取り敢えず肉体の寿命が来るまでは植物状態のまま病院のベッドに繋がれることだろう。それでも魂の安寧が得られることはない。未来永劫、苦しむ予定だ。

 サラリーマンの見ている夢を覗き見て、憎い相手が絶望に悶絶していることを確認し、慈愛に満ちた笑みを浮かべる。

「アンタの幸せを許さないのは、他でもないアンタ自身だったのに、哀れな男だな」

 ある意味、望みは叶ったとも言えるだろう。二度と幸せにはなれないのだから。



 ディーデリヒは、自分が何者かを知らない。ディーデリヒという名前も、肉体も、仮初めに過ぎない。愛するカケルと束の間の人間ごっこをするのに必要だったというだけである。

 気が遠くなるほど長い時間、たった一つの魂に恋をしていた。その魂が繰り返す輪廻をただ見守ってきた。始まりも切っ掛けも思い出せないまま、綺麗な恋心は時代と共に汚れていく。触れたい、泣かせたい、犯したい。それらを実行に移さないのは、目の前の魂が常にきらきらと輝いて眩しかったからかもしれない。

 カケルが産まれた日、また無事に巡り会えたことに歓喜した。

 もし成長したカケルが伴侶を見つけたら、また自分は嫉妬と悔しさから落ち込むのだろう、前世のカケルに対してそうだったように。わかっていても、見守るのをやめられない。

 カケルが年老いて息を引き取ったら、また自分は切なさから泣くのだろう。それもいつものことなのに、やめられないのだ。

 叶わぬ恋をし続ける。これは自分に課せられた罰なのだ。自分の犯した罪は思い出せないのに、罰だけは認識できているのは何故なのか。



『なんでもするから助けてくれ』



 そう叫ぶ魂の声を聞いて思い出す。自分は人間に干渉してはいけない立場の存在でありながら、恋故に人界に一方的な干渉を繰り返し、神の怒りに触れたのだと。そして恐らく、試されている。目の前で愛しい人の魂にヒビが入るのを見ても干渉せずにいられるか。

 神による罠だとしても構わない。愛しい人が願うなら、他の誰でもない自分が助ける。誰にも渡さない。あんな男のために死なせたくない。次の罰が何になるかわからないが、もう構わない。我慢の限界だった。

 長年蓄えた力で、カケルを模した肉体を作り、ひび割れた魂を入念に保護して肉体に入れてやる。意識のないカケルの唇にキスをして、反応があることに満足する。

「やっと、やっと抱き締められる」





「ディー!転校初日から授業を抜け出して何してたんだよ」

 帰宅したカケルはご機嫌斜めのようだ。サラリーマンに復讐をして、カケルを助けた時のことを思い返していた。とは言えないので、曖昧に笑い返す。

「色々と物珍しくて散歩してた」

「呑気だなぁ。俺なんてお前のせいで質問責めにあって大変だったのに」

 カケルは変わっている。カケルの意思を無視して犯した男に、平然と笑顔で接してくるのだから、かなり神経が図太いと言えるだろう。カケルの私室に自分という他人がいても気にしないどころか、目の前で平然と着替え始めるあたり、危機感がないとも言える。

「腰、痛くない?」

 制服のシャツを脱ぎ、露になった腰に抱きつく。特に抵抗されることもない。

「んー、そのうち馴れるだろ」

「それは、この先もずっと俺とセックスしてくれるってこと?」

「神様が見逃してくれる間だけは」





【終】
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