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「あの、混乱しているんですが、殿下は、その、リーナ…様をご存知なのですか?」

 隣に座るキャシーが堪らず問いかける。その指は、震えながらも縋るようにユーリエの裾を掴んでいる。その手元を一瞥したレイモンドの眉間がより険しさを増した。

「それより現状の説明が先だ。君たちは何をどこまで聞いている?」

 ユーリエとキャシーは顔を見合わせた。

「奥様が亡くなったと侍女から。至急公爵家に戻れと」

 公爵家に戻ったら、取り急ぎ変装を完全に解かなくてはいけないだろう。ユーリエは重たい思考から溜め息を絞り出した。

「正確には亡くなっていない。フォルミナ領から王都までは馬を飛ばしても丸1日はかかることを考えれば、今この瞬間にも息を引き取っている可能性はあるがな」

 その不明瞭な訂正に、キャシーは何かを言おうとして口を開き、結局声には出さずに閉口した。そんな姿を視界に収めつつ、ユーリエは目を細める。

「つまり、危篤、ということですか?」

「俺も自分の目で見たわけではないので何とも言えないが、夫人は短時間で急激に老化したそうだ」

 何を言われたのか、理解できずに訝しむ。死ぬほどの急激な老化など、あまりに非現実的だ。

「夫人は、まるで木の枝を継ぎ接ぎしたかのような痩せ細った姿で発見された。軟禁していた環境や、身につけている衣類から判断して、それが夫人本人だとしか考えられない、と」

「かろうじて生きているのが不思議なほど、老衰している、ということでしょうか?」

「あぁ、急激に、な。───まるで何かの代償を支払ったかのように」

 溢れた言葉に苦味を覚えたかのように唇を引き結び、レイモンドは窓の外を見遣る。彼が意図的に目を逸らしたことに気づいたユーリエは、震えるキャシーの手を握り締めた。

 レイモンドとユーリエは恐らく同じことを考えている。あの赤い宝石による魔女の力。魅了、洗脳、他者の心を行動を操る力。明らかに人智を超えた力であり、代償がない方がおかしいほどに強力なもの。

 キャシーの母親は、その代償を支払ったのかもしれない。

 そしていつか、キャシーも、代償を支払う日が来るかもしれない。





 馬車の中は重い空気が漂っていた。キャシーは目の前にいる、絵に描いたような美しい王子様を見遣る。

 彼はいつも仏頂面、今も仏頂面。それなのにユーリエに対してだけ、その仏頂面に感情を反映させていることに驚きを隠せない。ユーリエもまた必要以上に敬うような態度をとることなく、気安い雰囲気で言葉を交わし、二人だけで何かを示し合っている。キャシーの入る隙などない。

 この王子様に、恋焦がれてきた、はず。それなのに今は微塵もそう言った情もトキメキも湧いてこない。容貌は整っているのに仏頂面で、何だか怖い人、そのくらいの感想しか出て来ないことに、キャシーは戸惑っていた。苦しいほどに湧き上がっていた激情が、焦燥感が、今は欠片も思い出せないのだ。

 あの狂うほどの恋心は一体何だったのか。彼に近づくために、まず彼の側近候補と親しくなろうと尽力した。母の教えの通り、蠱惑的な笑みを浮かべて擦り寄ったり、憂い顔をチラつかせたりと、色々と苦心したことは覚えている。───覚えているのに、思い出せない。

 あの気持ちはどこからきて、どこへ行ったのか。

 正直そこまで必死になるほどの魅力を目の前の彼に感じない。むしろ姉を奪われる予感がするので、自分たちに近づいて欲しくない。

 隣に座る姉の横顔を窺った。黒髪にソバカスのリーナ。眼鏡を外して露わになった容貌は確かにユーリエだった。変装し、名前を偽ってまで、どうして姉は世話をやいてくれたのだろう。そもそも生粋の公爵令嬢であるはずの姉が、何故家事や令嬢の身の回りの世話ができる上に家庭教師までこなせるのか。

 ユーリエを罵倒する母を思い出す。一緒になって罵倒すれば母が喜んでくれるし、ユーリエは不幸になるべき人間なのだと母から長年言い聞かされてきたこともあって、当時は暴言を吐くことに躊躇いも罪悪感もなかった。

 学院に入学してから、厚顔無恥な後妻の連れ子だと揶揄する声や叩かれる陰口に苛立った。同時に痛みを知った。母にそのことを話すとすぐに、それらはユーリエが影から扇動している嫌がらせだと言われた。母はいつだって正しくて、世界の全てで、嫌われたくなくて、素直にユーリエが元凶なのだと思い込んでいた。

 あの、沸騰するマグマのようにドロドロとした熱い憎しみが、嘘のように冷えきっている。リーナが、認識の歪みを正してくれた。いかに非常識なことをしてきたのか、リーナは、ユーリエは、しっかり教えてくれた。

「私は、お姉様に嫌われて当然の人間です」

 一方的に憎んで、罵倒して、ユーリエのドレスや私室を奪って、王子様まで奪おうとした。搾取しかしようとしなかったのに、そんな嫌な異母妹にもユーリエは手を差し伸べてくれた。そして、それに甘えて、何も気づかず、能天気に生きてきたのだ。なんて罪深い人間なのだろう。


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