間違った方法で幸せになろうとする人の犠牲になるのはお断りします。

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「リーナ!見て!私、進級できるわ!」

 私室に戻ってくるなり抱きついてきたキャシーに、リーナは苦笑した。キャシーの手には数枚の答案用紙。

「はしたないですよ」

「だって、嬉しいんだもの!今日だけ見逃して!」

 試験の結果は、いづれも平均点以上。赤点の常連だったのが嘘のように、短期間で劇的な変化を遂げた。教えた側としては大変誇らしい結果である。

「よく頑張りましたね」

 抱き締め返して、キャシーの頭を撫でる。使用人としては不敬の極みのような行動だが、幼い子供のようなキャシーにはそうするのが正しいように思えたのだ。───いや、単に自分がそうしたいだけかもしれない。リーナは自分自身への言い訳を並べつつも手を止めない。

「リーナのお陰よ!」

「違いますよ。キャシー様が真摯に向き合った結果です。私は手助けしたに過ぎません」

 体を離したキャシーが表情を曇らせる。何かあっただろうかと、リーナが訝ると、大丈夫だと応えるようにキャシーは目元を和らげた。

「───出来て当然のことだもの。お父様やお母様、お姉様に褒めて欲しいなんて、贅沢よね」

「それは…」

 家族とはいえ、他人。他人に価値観を左右される生き方は危うい。自分が主体でない分、複数ある他人の価値観に翻弄されて混乱し、疲れやすい。

 父は、フォルミナ公爵は、恐らくキャシーを褒めないだろう。もう洗脳される心配はないのだから、機嫌を取る必要も無い。必要がなければ心を偽ることもない。今まで偽ってきた分、キャシーを憎んでいるかもしれない。父の心境は、苦しみは、計り知れない。

 継母は、キャシーの実母はどうだろうか。領地にいるため、いつ会えるかも不明だ。

 リーナは意を決して、キャシーを見つめ返した。

「誰が何と言おうと、いえ、誰も何も言わなくても関係ありません。他ならぬキャシー様がまずご自分を認めて、ご自分をたくさん褒めて下さい」

「私が、私を?」

「もちろん私はキャシー様の味方です。しかし、その前に、誰よりもキャシー様の身近にいる貴女自身がキャシー様の味方でなくてはいけません。私は所詮他人ですもの、心までお守りすることはできませんわ。今すぐは無理でもキャシー様ご自身にしか守れない領域があることを知って欲しいのです」

 上手く伝えられない。それでも言い募る。どうか、どうか、間違えず、幸せになって欲しい。

「リーナの言いたいことはよくわからないけれど、私のことを心配してくれているのはわかるわ。ありがとう」

 キャシーは、目元を充血させながらも、不器用に微笑んでくれた。

 そこにノックの音が響く。トントン、というよりは、ドンドンという荒々しいノックの音で、ほんわかしていた室内の空気を一転させた。ただならぬ気配、不穏な空気に、キャシーとリーナは顔を見合わせる。今、この部屋の主はキャシーだ。ノックに応えるかを決めるのはキャシーである。

 リーナが目で問いかけると、キャシーは小さく頷いた。

「ど、どちら様?」

「ユーリエ様付きの侍女で御座います!火急の用にて取り急ぎ参りました!」

 言葉の真偽が判断できないキャシーの視線に、今度はリーナが応える。その声はユーリエが入寮中に世話をしていた侍女の声だ。そして今は、家庭教師も兼務するリーナの補助をしている者である。

 リーナは意を決してドアを開けた。

 悲壮な顔の侍女が飛び込んできて、リーナに頭を下げる。

「お嬢様、大変です!夫人が、奥様がお亡くなりに!至急お屋敷に戻るようにと旦那様が!」

 亡くなった。信じ難いが、目の前の取り乱し様を見る限り、デタラメとも思えない。リーナは変装用の眼鏡を外し、キャシーを見遣る。

 キャシーは青白い顔をして床に座り込んでいた。告げられた母の死への動揺、明らかにリーナをお嬢様として扱う侍女の姿への戸惑い。リーナが手を差し伸べても、キャシーはその手を凝視するばかり。

「リーナは、貴女は誰。いえ、それより、お母様は」

「───私は、ユーリエよ、キャシー。リーナは偽名なの」

 騙していたことへの謝罪は言葉にならなかった。泣きたくなる。でも今はそれどころではない。



 寮の外には王家の紋章付きの馬車が待機していた。

「送っていこう」

 事情を既に知っているらしいレイモンドの手を借りてユーリエとキャシーは馬車に乗り込んだ。侍女は学院側に事情を説明し、寮の管理者に長期外泊届けなどを提出してから公爵家に戻る予定である。

 レイモンドは女装姿ではなかった。───良かった、と安堵するのもおかしな話だが。

「リーナ、眼鏡はどうした?」

「緊急事態です。最早隠しておく必要は無いでしょう」

「───まぁ、俺がどうこう言うべきではないな」

 レイモンドは、いつの間に一人称が“僕”から“俺”になったのだろう。今、このタイミングで気づくことでも、気にすることでもないはずなのに、仏頂面を装う彼が拗ねているように見えて、ユーリエは瞬いた。


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