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2.救済
しおりを挟むガラス玉に吸い取られた淀んだ力。そこに込められた想いがユーリエを呼ぶ。
今まで関わることを徹底的に避けてきた女の子が、一人で泣いている。
「有り得ん、前代未聞だ!!」
フォルミナ公爵が、憤りに声を震わせるのを、隣接する部屋に待機しつつ聞いていた。中の執務室では、公爵家の養女であるキャシーが、“旦那様”からお叱りを受けている最中だ。
なんてことはない、貴族学院で過去最悪な成績を残したが故に、学院から「このままでは進級させられない」という通知が来たのだ。確かに学院は小さな社交場だが、本来は学業に励む場だ。本来やるべき事を疎かにし、男にばかり媚びを売った結果がこれなので当然と言える。
貴族学院を留年ということは、貴族として何らかの問題があると見なされる。そうなれば爵位に関係なく、婚姻は絶望的だろう。婚姻どころか、フォルミナ公爵家の汚点となる。一部の家は距離を置き始めるに違いない。誰だって我が身は可愛いのだ。
キャシーの留年が現実となれば、ユーリエの縁談も、問題児を出したフォルミナ公爵家の令嬢は嫌だという理由で遠のくだろう。
キャシーの実母は一足先にこの事態を知らされた上、娘の教育の報告を当主に偽っていた件を責められ、昨夜のうちに領地の隅にある別荘へ追いやられている。魔女の力の根源はキャシーに移行しているため、最早あの女には誰も操れないらしい。無力な彼女が泣き喚くが、誰も耳を貸さなかった。
とはいえ、フォルミナ公爵はユーリエが渡したガラス玉のお守りを持っているので、もう誰にも魅了されないし、操られることもないはず。
キャシーの金切り声がする。フォルミナ公爵に何か厳しいことを言われたらしい。金切り声は最早言語にならず、まるで知性のない動物のよう。
今まで思考を奪われることを恐れ、当たり障りのない、耳障りのいい言葉だけを口にして演技してきたフォルミナ公爵。その公爵が演技をやめ、まるで別人のように叱ってくるのだから、キャシーには訳が分からないだろう。───同情はしないが。
「入りなさい」
公爵の合図で、ユーリエはリーナの姿でメイドとして執務室に入室した。
「お初にお目にかかります、キャシー様。リーナと申します」
キャシーの目は動揺と困惑で、公爵と見知らぬメイドを交互に見遣る。
「リーナは今までアルバーヌ侯爵家でメイドとして雇われていた元貴族の平民だ。アルバーヌ侯爵夫人となられているアイリス元王女殿下に気に入られ、夫人から直々に王族と同等の教育を受けてきている」
公爵の紹介は冒頭の身分以外、ほぼ偽りない事実だ。レイモンドと恋仲になり、キャシーたちの登場で中断していた王子妃教育を再開しようとした際、それが不要なくらい知識がついていることが判明した。侯爵夫人が暇な時にご自身の知識から色々とお話して下さった結果である。リーナの正体など全く知らない侯爵夫人による、幸運な偶然だった。
「そんな優秀なリーナを侯爵家からお借りしてきた。今日から彼女がキャシーの専属メイド兼家庭教師となる」
「家庭教師がいるなら入寮なんてしなくていいじゃない!他人に気を使う生活なんて真っ平御免よ!」
入寮はして貰わないと困る。これは公爵とユーリエが考えた魔女の力に魅了や洗脳されている使用人たちを正気に戻すための作戦なのだ。最初は屋敷の改修工事か何かを理由にしてキャシーを寮に隔離しようとしていたのに、降って湧いた留年の危機である。タイミングは良かったが、内容が内容なだけに事情を知る一同は頭を抱えた。
万が一キャシーが留年したら、ユーリエは醜聞まみれのフォルミナ公爵家を捨て、アルバーヌ侯爵家の養女になり、侯爵家からレイモンドの元へ嫁ぐことになっている。父からも、侯爵夫妻からも約束させられた。
「屋敷はお前を甘やかす者ばかりだ。勉強が嫌だと怠けても、仕方ない、といって許す者ばかり。これでは他でもないお前のためにならない。何としても乗り越えて貰わなくてはならない!」
私とて可愛い可愛い娘と離れるのは断腸の思いなのだ!という決死の覚悟を滲ませるという公爵の演技で執務室は独壇場と化している。別人に成りきってメイドとして働く!と言い出したのが今回で2回目になるユーリエとしては、自分と公爵は間違いなく血が繋がっているのだな、と冷めた目で見ていた。
───自分もリーナになり切っている時、あんな風に没入しているんだろうか
自然と飲み込んだ溜め息も重くなる。
「勉強なんて、今までしたことないわ…」
学園の寮にて、キャシー付きのメイドとして荷物を片付け終え、早速勉学について聞き取りをしようと話し掛けたところ、戸惑うように返ってきた答えがそれだった。
「授業中は何をなさっているんでしょう?」
「話を聞いてるうちに、いつの間にか寝てるわねぇ」
顎に人差し指を当て、こてんと首を傾げる様は愛らしい。
愛らしいが、どうも彼女の中身は空っぽらしい。
「夜は眠れていますか」
「夜は、眠りたくないの」
眠れないではなく、眠りたくない。キャシーの顔色が若干青ざめて見える。固く握られた拳から、これ以上問うだけ無駄だと判断した。
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