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 基本的に入寮するのは、王都にタウンハウスを持たない下位貴族だ。そこに高位貴族である公爵令嬢が入るのだから、ユーリエは必然的に噂の的となった。

 しかも異母妹はタウンハウスから通うのに、正当な公爵家の跡継ぎであるはずの公爵令嬢が寮住まい。4年前に異母妹が来たのと入れ違いに領地へ引っ込んだ、という噂が更なる憶測を呼ぶ。───ユーリエ嬢は正当な公爵家の跡継ぎなのに虐げられて追い出されたに違いない、と。

 これでもう、いつかの白昼夢のように、ユーリエが異母妹を虐げているなどと訴えられることもないだろう。

 婚約もしていないのだから、破棄されることもない。

 全ての芽が潰せたはず。そう思うのに、何故か、どことなく不安だった。





 いくら寮に引きこもっていても、書類の提出などのために校舎へ向かう日もある。そういう時は人気のない時間に、コソコソと移動することが多い。そんなユーリエの耳に、不快な、甲高い声が聞こえてきた。

「ねぇ、いいでしょう?」

 物陰に隠れて伺えば、予想通り異母妹のキャシーがいた。制服の胸元のボタンを大胆に開け、相手に身を寄せている。継母と同じ赤い髪に、甘えた声音。念の為に持ち歩いていたオペラグラスを手に観察すれば、その胸の谷間に、大粒のルビーのような宝石が輝いていた。迫られている男子生徒の名前は知らないが、確か、レイモンドの側近候補だったはずである。

「───もちろんです、僕の女神」

「ふふ、嬉しい。じゃあ、教えて。レイモンド様の、ご予定を」

「本日は───」

 見つからぬよう、身を引く。静かに場所を変えて思案した。キャシーの色香に落ちたにしても、あんな容易に篭絡されるものだろうか。貴族令嬢が胸を肌蹴るなど下品極まりない行為であり、普通の貴族令息なら眉を顰めて常識を疑うだろう。そんな常識を冷静に考えられないくらい、谷間を見せただけで赤面して混乱するような、それだけ初心な男を狙ったとも考えられるが、どうにも違和感がある。

 あれではレイモンドの予定などキャシーには筒抜けだ。どこに行ってもキャシーに先回りされて逃げられないだろう。

 ───先回りする必要があるということは、レイモンドはまだ、キャシーに篭絡されていない?

 情報を集める必要がありそうだと判断し、ユーリエは行動を開始した。とは言っても、寮に戻り、専属で自分についている侍女に噂を集めるよう指示するだけだ。入寮している者は大概侍女や侍従を連れてきている。侍女ならではの情報網というものがあり、割と派閥関係なく交流しているので、幅広く聞き込むことが出来る。

「どうやら殿下は、婚約者候補のご令嬢たち一人一人と放課後に会談を設けているとのこと。しかし、場所を変えても時間を変えても、必ずキャシー様が現れて妨害されるそうです。更にキャシー様は、自分と殿下は既に恋仲なのだと吹聴しているとか」

「それは───、とんでもない恥知らずね」

 幾ら身分が高くても、学生でも、守るべき秩序というものがある。

 いや、そもそも、公爵家の入婿に過ぎない父の庶子なのだから、キャシーの身分はあくまで公爵家の養女であり、公爵令嬢ではない。王子であるレイモンドの婚約者候補は皆、公爵か侯爵家の者であり、キャシーより上の立場だ。口を挟むなど言語道断である。

 だからこそ、悪夢の中でみた“彼”は、大々的に婚約破棄をして注目を集め、その場で異母妹との婚約を発表していた。公言した以上、取り返しがつかない。国王も王妃も、誰にも止められなくなる。例え相手が、王家に相応しい生まれでなかったとしても。王家の威信を守るために。

「それで、殿下のご様子は」

「相変わらず憮然となさっています」

 その仏頂面でレイモンドは本心を隠している。ユーリエはレイモンドが心配で、落ち着かない。かと言って、今更“リーナ”には戻れない。

 そうこうしているうちに、ユーリエの元に、レイモンドから面会の申し込みが来た。神経質そうな、細く流れる筆跡を指でなぞる。

 自身の為を思うなら、あの悪夢を回避したいなら、会うべきではない。

 わかっているのに、不安がユーリエを急かす。

 ───明日の三限目、図書室にて。

 それだけを書いて侍女に返事を持っていかせた。それとは別に手紙を書く。こちらは、図書室の司書に渡して、レイモンドだけに見せるためのものだ。恐らくレイモンドへの手紙は側近候補者が中身を見てから本人へ渡している。そして側近候補者はキャシーに情報を漏洩する。だから、司書に頼んでその場でレイモンドにだけ続きを見せるようにすればいい。

 ───内密に、理事長室隣の来賓室へ。





「ユーリエ、なのか…?」

 上手く取り巻きを騙せたらしく、レイモンドは一人で訪れた。大方、理事長と公務の件で話す予定があるとでも言って側近候補者たちをどこかに待機させてきたのだろう。肩で息をしており、急いできたのが見て取れる。

「お久しぶりです、殿下」

 と、言い終わらないうちに突然抱き締められた。

「会いたかった…!!」

「はい!?」

 婚約者候補として顔を合わせていた時だって互いに塩対応だった。それが数年ぶりに顔を合わせた途端、何が起きたと言うのだろう。両親にすらこんなに抱き締められたことなどない。

「で、殿下!離して!!」

 突き飛ばすが、レイモンドは動揺した様子もなく、ポケットからハンカチらしき塊を出す。

「これを見てくれ」

 ハンカチに包まれていたのは、見覚えのあるガラス玉だ。ただし、色がおかしい。炭でも塗ったかのように黒い。

「これは…一体何が?」

「わからない。学院に入学してから、突然変色し始めた。せっかく君がくれたものなのに、申し訳ない」

 ───ん?

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