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「リーナ嬢、侯爵が戻るまで話し相手になって頂けませんか」

「───こうして貴族の方と言葉を交すだけでも身が竦む思いです。どうか、どうか、ご容赦ください」

 婚約者候補としてのお茶会では、挨拶以外の会話はなかった。一時間ほど、互いに別の方向を見ながら黙って茶を飲むだけの会。婚約者候補ですらその有様なのに、主人の客と使用人の間で一体どのような会話をしろというのか。

「じゃあ、俺の独り言を聞いてくれませんか」

「仕事がございますので困ります」

 その辺の木にでも話しかけてろよ。───内心唾を吐く。

「………君の仕事をしている傍で、これから独り言を呟くので聞き流して下さい」

 どんだけ聞かせたいんだよ、と悪態が止まらない。もちろん、表情に出すようなヘマはしない。

「承知致しました」

 箒を手に、掃き掃除の続きを始める。正直全く集中できない。レイモンドは、近くのベンチに腰掛けた。

「一目惚れだったんだ。凛として美しくて」

 独り言を聞きつつ、内心首を傾げる。この侯爵家に令嬢などいただろうか。全く関係ない場所でそんなことを呟き始めるとも思えない。

 正体がバレているとしても、お互い第一印象は最悪、のはず。一目惚れなど有り得ない。

「初恋が自分の叔母だなんて、君は引くかい?」

 その問いかけに納得した。そう言えば、侯爵夫人は国王と年の離れた妹、つまり、レイモンドの叔母だ。令嬢ではなく、夫人だったとは、盲点である。使用人から見て若奥様に当たる夫人は先日懐妊が判明したばかりだ。

「───その独り言にお返事は必要ですか?誰がどう思おうと、貴方様の御心は制限できません」

 箒を動かす手は止めない。振り向かない。レイモンドは静かに鼻を啜った。懐妊した叔母のお祝いをしに来て、ようやく幼い頃の初恋に区切りをつけられたのだろう。

「リーナは優しいね」

 ───私はユーリエよ。そう名乗りたくなるのを、ぐっと堪えた。

「慰めではありません、事実です」

「うん、そう、そうか」

 そう言葉を零して、レイモンドは黙り込んでしまった。むず痒い沈黙の中、ユーリエは途方に暮れた。



「これからも、宜しくね。リーナ」

「え?」

 不穏な言葉を残していくのはやめて欲しい。振り向いても見えるのは既に駆けていく後ろ姿だけだ。キラキラと陽の光を受けて輝く髪が眩しい。



 仕事の邪魔をされては困ると言ったら、ユーリエのお昼休憩の時間に合わせてレイモンドは現れるようになった。最初こそ躊躇いが大きかったが、数年も続けば流石に慣れる。

 そう、数年だ。数日で飽きるだろうと思ったのに、数年である。

 いつの間にか目の前でレイモンドまで侯爵家の賄いを一緒に食べるようにまでなっていた。王子が賄いを食べていいのかと問えば、ずっと食べてみたかったと、楽しそうにレイモンドは笑っていた。

 そんな特別な客人が訪れるせいで他の使用人から遠巻きにされているが、仕事がやりづらくなるとか、嫌がらせをされるということは特にない。王妹を降嫁させるに相応しい品位が使用人を含め隅々まで行き届いているのだろう。

「リーナ!叔母上!」

 侯爵夫人を支えながら共に階段を降りると、主を見つけた飼い犬のように、満面の笑顔のレイモンドが駆け寄ってきた。何故一介の使用人の名前を第一声で呼ぶのか、理解に苦しむ。

「はしたないですわ、レイモンド殿下。廊下は走らないで下さいませ」

 同じくらいの身長だったはずなのに、レイモンドはすっかり大きくなってしまった。15歳なのだから、男女で差が出るのも当然といえば当然だが、何だか寂しくも思える。公務に、剣技に、学問に、あらゆることに取り組むうちに、身長が伸びただけではなく逞しさまで追加されている。

「う、すまない」

 それなのに、侯爵家では何も変わらず、無知な子供の様に振る舞うのだから困る。すかさず苦言を呈せば、彼は叱られた犬のように凹んでみせた。

「あらあら、まるで姉と弟のようね」

 クスクスと笑うのは大きなお腹を抱えた侯爵夫人である。現在2人目を妊娠中だ。もうすぐ3歳になる1人目の子は乳母とお昼寝中である。

「奥様、騒がしくて申し訳ございません」

 すかさずユーリエが頭を下げると、侯爵夫人は一層楽しげに微笑んだ。

「いいのよ、リーナ。悪いのはレイモンドだもの、貴女が頭を下げる必要はない。そうでしょう?」

「面目御座いません」

 罰が悪そうにレイモンドは頭を下げた。

「いい加減、叔母離れしなくてはダメよ、レイモンド」

 そういって跳ね返った少年の髪を優しく手で梳く。少年と叔母といいつつ2人は6歳差。そのくらいの年齢差など貴族間の結婚では珍しくもない。だから余計に少年は夢を見たのだろう。年の差以前に血が近いため婚姻は認められない。子供の頃、もし叔母と血の繋がりがなかったら…と夢想しては凹んでいたと、レイモンドは“リーナ”に打ち明けてくれた。

 どんなにレイモンドが心を開き、本音を語ろうと、その相手は“使用人のリーナ”であり、“婚約者候補のユーリエ”ではない。

 王位を継ぐ者として、レイモンドは好きも嫌いも、喜びも悲しみも周囲に悟らせてはいけないと言われて育ったらしい。だから、両親にも、周囲にも、常に仏頂面で接してきた。幼いレイモンドが感情を見せることができるのは、姉のような叔母だけだったという。最初から完璧に出来なくても良いのだと、諭してくれた唯一の女性。

「叔母離れは既にしていますよ」

 そういうレイモンドの視線が侯爵夫人から“リーナ”に移る。しかし、“リーナ”はあくまで身代わりで、実在しない人物だ。

「私がここを辞めたら、殿下はどうなさるおつもりです?」

「え?」

 幼い従兄弟たちに会うという建前で侯爵家に足を運び続けるつもりだったのだろう。そんな淡い希望に容赦なく泥を投げつけた気分だったが、それでも言わなくてはならない。

「あら、リーナちゃんにはずっとここにいて欲しいわ」

 何故か奥様にまで縋られてしまうが、言うしかない。

「お気持ちは嬉しいのですが、元々4年契約で侯爵家にお仕えしております」

「契約を更新すればいいじゃない!」

「大変申し訳ございません。家の都合で実家に戻らなくてはいけないのです。そのまま親の決めた相手に嫁ぐことになりますので、お暇を頂きましたら二度とここに戻ることは無いでしょう」


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