女王陛下は飢えている

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7) ジェノール国第三王子リアンダ

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 ジェノール国では王位継承権争いが激化しており、第一王子と第二王子が互いに暗殺者を差し向け合い、常に互いの隙を狙っている。そこに第三王子以下の出番はない。第三王子リアンダは漁夫の利を狙っている。

 同じく漁夫の利を狙っていた異母弟の第四王子は数年前に暗殺された。別に第四王子が弱かったから殺されたのではない。後継者争いで驚異となり得る素質があったからこそ真っ先に殺されたのだ。

 リアンダに至っては『排除するまでもない小者』だと判断されたのか、たまに異母兄たちから毒を盛られても命を脅かすほどでもない、ただの牽制や忠告程度の毒だ。致死量入れたら毒が勿体ないとばかりに、嫌がらせ程度のもの。わかりやすく軽視されている。

 殺す価値もない。その判断に生かされていることが腹立たしい。



 ならば、せめて。



 生かす価値がある、味方につけたいと思わせることはできないだろうか。

 方法ならある。隣国、ブレリーニュの王配となり、ジェノール国にとって都合の良いようにブレリーニュ国を動かせる存在になること。他国の王配になれば、異母兄のどちらが王となっても重宝されるはず。

 ブレリーニュ国の女王は、リアンダと同い歳だ。同い年の女を口説くなんて簡単だろうとリアンダは楽観していたが、数年間何度女王に面会を申し込んでも断られ続けた。もう我慢の限界だとリアンダは女王へ、一方的に行く日付を書いた手紙を送り付け、単身ブレリーニュ国へ乗り込んだのだ。護衛を連れないのは敵意がないことと、ブレリーニュ国への信頼を示すためである。我ながら無謀かもしれないと内心気が気でない。

 ブレリーニュ国を取り囲むのは“死の森”だが、正規のルートから検問を通る分には牙を向かない、ただの森だ。真っ正面から挑む者に、ブレリーニュ国は寛容であるらしい。乗り込むこと自体は予想より容易かった。検問からはスムーズにブレリーニュ王家の馬車に乗せられ、難なく城に入れたのである。

 城にて、応接間の一室に通されたリアンダは、ひたすら心の中で女性の口説き方を復習する。どう誉めたら印象に残るだろう。また会いたいと思われるには、どうしたらいいだろう。

「お待たせして申し訳ございません、リアンダ殿下」

 待ちわびたリアンダの前に姿を現したのは、赤髪の女王



 ───などではなく、



 サイズの合わない、大きめの服を身に纏った、瓶底眼鏡で、蜂蜜色の髪を好きにさせているボサボサ頭の男性だった。眼鏡のフレームも大きいのか、若干ずっこけている。小汚いわけではなく、清潔感は一応感じられるだけまだ良い方かもしれない。

 文官、だろうか。少なくとも外交官なら身なりは整えてくるはず。武官には見えない。服が大きいせいか、中身は華奢に思える。背丈はリアンダと変わらないようだ。高くもなく低くもない平均身長。

「あの、失礼ですが、貴方は…?」

「あ、あ、あ!そう、そうですよね!申し訳ありません!」

 わたわたと身ぶり手振りで慌てる様子に、リアンダは溜め息をつきたくなる。しかし、一方的に押し掛けてきたのはこちらだ。まともに相手をされなくても今回は仕方ないだろう。何回かしつこく通えば、そのうち女王に会えるかもしれない。

「私は、女王陛下の兄です!」

 怪しいものではありません!と、男は言う。兄、という単語に、リアンダは思わず素直に首をかしげた。兄がいるなら、何故女王が即位したのか。…いや、目の前の冴えない男が即位したら国は潰れそうな気もするが。

「女王陛下に兄上がいたとは、初耳です」

 疑うつもりはなく、純粋に驚いてますよ!という表情を精一杯作りつつ、リアンダは自身の冷えきった心を叱咤した。この国の、女王の懐に入り込まなくてはならない。こんなところで躓くわけにはいかない。

「表舞台には立っていませんので、知らないのは当然でしょう。女王陛下とは血が繋がっておりません。親友の忘れ形見である私を、先代国王が養子にしてくださったのです。恐れ多くも実子同様に王位継承権も頂きましたが、さすがにそれは辞退したのです。ならばせめて王配になって欲しいと最期に頼まれましたが、如何せん、私にとって女王陛下は可愛い妹。普段は距離を置いて学者として各地を見聞しております」

 照れたように、困ったように笑う男。それはそんなに簡単に話していい内容ではないだろうに、迂闊な男だ。あるいは罠か。

 下手に国外から火種となり得る王配を宛がうより、女王と共に育ち野心もなさそうな男を王配にした方が混乱は少なくて済むに違いない。恐らく家臣の何割かは先代国王の遺言を尊重するという名目でこの男を支持しているだろう。問題はこの男の無防備さが意図的なものかどうか。

 ───目的の障害になる、殺すべき相手なのは間違いない。

 リアンダの家族がそうであるように、リアンダにとっても、他者の命は損得で選別されるものでしかない。利用価値があるうちは利用して、用が済めば殺す。

 更なる情報を得るために、リアンダは、綺麗に微笑みを返した。

「そうでしたか。女王陛下は良き兄上に恵まれているのですね。ところで、そのようなことを僕が聞いてしまって宜しかったのです?」

「殿下には聞く権利があると思います」

 苦笑するように、女王の兄を名乗る男は目を伏せて答える。滲んだ寂しさは、何に対するものなのか。

「改めてお名前を伺っても?」

「あ!失礼しました」

 まだ名を告げていなかったことを指摘され、男は羞恥に顔を赤くする。同情したくなるくらい、男はあわあわと身ぶり手振りで焦りからくる動揺を何とか飲み込む。

「か、カーシス・ダングレー・ブレリーニュ、です。ダングレーとお呼び下さい」

 それを受けたリアンダは素早く頭の中で算盤を弾く。どう対応するのが最善だろうかと。

 恐らく、ダングレーが実の両親の家名なのだろう。あくまで自分は王配になるつもりはないと主張しているつもりなのかもしれない。女王と血が繋がっておらず王配になれるのだと遠回しに牽制しているとも取れるが、このオドオドした様子では考えすぎのような気もしてきた。

「カーシス殿下とお呼びしても?」

「で、殿下はやめて頂けると…」

 消え入りそうな声で、遠慮がちに主張が返ってくる。リアンダは小さな笑みを溢した。

「では、カーシス。僕のこともリアンダと呼び捨てにして下さい。仲良くして頂けると嬉しいです」

 この男には付け入る隙がある。そして、女王の身内という立ち位置でないと手に入らない情報をもたらしてくれる可能性がある。名前呼びをさせることで、距離を詰め、最終的には役立って貰おう。

「え、あの、リアンダ殿下」

「リアンダ、です、カーシス」

「り、リアンダ」

「はい!」

「うぅ…」

 情けない声を出して項垂れるカーシスを前に、リアンダは満足げに微笑む。





 カーシスのような年上を、リアンダは初めて見た。いや、年下でもいないような気がする。

 街を案内するのはブレリーニュ王家所有の馬車なので問題ない。問題は建物の中と、建物を出た直後だ。部屋などから出ると、毎回カーシスはキョトンとして、「どちらから来たんでしたっけ…?」と悩むのである。街を案内する立場のカーシスを、気づけばリアンダがエスコートする形になっている。カーシスは何もないところで頻繁に躓くので、思わずリアンダはカーシスの腰を支えるように抱き寄せて歩き出していた。

「…リアンダは頼りになりますね」

 照れ笑いを浮かべるカーシスは、近くで見ると非常に綺麗な顔立ちをしていた。髪型を整え、眼鏡を外し、サイズの合った服に着替えれば、さぞかし美しく輝くだろう。もしかしたら女王を立てるために、わざと野暮ったい格好をしているのかもしれない。

 カーシスの真っ直ぐな眼差しが、やけにリアンダの心をくすぐる。

 異母兄弟には見下され、近づいてくる女性たちはリアンダのことを他の兄弟へ近づくための足掛かりくらいにしか思っていない。行く末のない、一歩間違えれば殺されるだけの王子に、人々は冷たい。巻き添えを喰らわないよう保身に走っている。実母でさえ、息子が殺されても自分だけは助かろうと父王やその側近たちに媚を売っている。夫からその部下へ下げ渡されてでも生き残ろうとする様には感動すら覚える。

 かつて、リアンダのことをこんなに尊敬と慈愛に満ちた瞳で真っ直ぐ見つめてきた人などいなかった。カーシスが最初で最後かもしれない。



 目が合うだけで心臓がうるさい。

 カーシスが微笑む度に、歯が浮き立つようなむず痒さを覚える。

 カーシスに触れている手に、身体中の神経が集中して現実味を感じなくなっていく。



 どんどん麻痺して、鈍化して。

 王配の立場を得るために、他の王配候補者を殺すのも厭わなかったはず。それがもうできそうにない。自分にカーシスは殺せないと、リアンダは自覚してしまった。



 リアンダが恋に落ちた。その音に気づいたかのようにカーシスが振り向く。

「リアンダ…、その、馬車に、戻りませんか?」

 美術館を見て、博物館を見て、次は図書館に向かおうとしていたところだった。その足を止めたカーシスの微笑みに、リアンダは幼い子供のように頷く。

 王配の地位など最早どうでもいい。

 誰かに肯定して欲しいだけの、愛情に飢えた幼い子供が、リアンダの中でカーシスに目を輝かせている。

 自分を必要としない家族も国も、もう要らない。

 目の前の彼が欲しい。

「キス、して、ください」

 馬車に乗るなり、リアンダの膝上に対面する形でカーシスがのし掛かってきた。驚きはしたが、カーシスの薄い唇から紡がれた言葉に、リアンダの理性が麻痺していく。誘われるままカーシスの唇を啄み、離れる。改めて見たカーシスは、まるで幼い子供でも相手するかのような慈愛に満ちた目をしていた。

「もっと、大人のキスをしましょう?」

 そう囁いて舌を出しながら、カーシスはリアンダの股間を覚束ない手つきで服越しに優しく撫でてきた。





 ───…

 ─────…

「報告は以上だ」

 凛とした声音は喜色に満ちている。そこに、リアンダの知るカーシスはいない。あの、瓶底眼鏡、オーバーサイズの衣服、ボサボサ頭のカーシスは、いない。赤茶色のセットスーツを着こなす、細身ながら華奢さなど感じさせないスマートな男性が、ニヒルな笑みを浮かべている。

「お兄様、肝心な報告が欠けているのではなくて?」

「そりゃもちろん、リアンダの童貞は美味しく頂いたぜ。閨の授業も受けてなかったのは予想外だったが、その分ウブで新鮮だったわー」

 義妹である女王陛下の問いかけに、カーシスは昨晩の情事を思い出して嘗めずりをしつつ、軽く答えた。

「もう!やっぱりお兄様がネコなの!?絶対タチの方が似合うのに!華奢なお兄様がタチっていうアンバランスさが最高に美味しいのに!」

「今回は年上受けっていう年齢下克上で満足しろよ。大体、処女を犯すのは慣らすのが面倒だし突っ込んでもキツイだけで気持ち良くねぇんだよ!!」

「その辺もっと詳しく教えて!!」

「妹相手にそこまで話せるか、阿呆!」

「そこまでって、ここまで話して、そこまでも何もないでしょ!?」



 なんという下品な兄妹喧嘩だろう。護衛として場に控えているルークは思わず遠い目をして現実逃避しそうになる。

 恐らくこういう会話をしたいがために、謁見の間ではなく、女王の執務室に招き入れたのだろう。招き入れられた客人───カーシスと一晩性的に過ごしちゃったジェノール第三王子リアンダは、カーシスの本性を知り廃人と化している。床に座り込み、呆然と。目は虚ろ。もしかしたら気を失っているのかもしれない。

 義理とはいえ、女王の兄と肉体関係を持ったリアンダに、王配となる資格はない。これがこの場の結論だ。

 カーシスは女王陛下を妹として溺愛している。数々の王配候補者を、ありとあらゆる手を使って排除してきた。排除の対象が自分好みの人間なら美味しく頂く。もちろん性的に。それが彼の趣味らしい。性癖も満たせて目的も達成できるから一石二鳥なのだと豪快に笑って話してくれたことがある。

 不意にリアンダが動きを見せたため、ルークは反射的に剣の柄に触れた。

「うわああああああああああああああッ」

 ルークの警戒を他所に、リアンダは号泣しながら大声で叫びつつ走り去る。物凄い勢いで。

 これにはさすがに女王とその義兄も、唖然と立ち尽くす。

「…あんなリアクションをする人は初めてだわ」

 今まで同じように騙されてきた男たちの中には激昂して殴りかかろうとしたり、みっともなくカーシスにすがり付いたり、茫然自失のまま国外へ連行されたりしてきた。それがまさか、号泣しながら走り去るとは。

「あいつ、面白いな。純粋過ぎて痛々しいほど可愛いじゃん。もしあいつが亡命してきたら俺にくれよ。いいだろ?」

 美しい容貌に、これ以上ないくらいの天真爛漫な笑みを浮かべて、カーシスは女王陛下に許可をねだる。幼い子供が蜻蛉の羽根をむしって喜ぶ様を連想したルークは深い溜め息を飲み込んだ。


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