犬も食わない

ひづき

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 18歳のメリエットは昨日結婚した。とはいえ、宣誓も挙式も披露宴もない、ただ書面だけの入籍だったが。

 相手は28歳のダグラスという侯爵家の嫡男。28歳と聞いていたが、それより更に10歳ほど上にしか見えない、なんというか、くたびれた男だった。むしろ舅となった侯爵の方が若々しくて驚いたほどである。

 くたびれた男はこの結婚が不服らしく、愛さないなどと宣言してきた。メリエットとて好きでこの場にいるわけではない。それは愛して貰えるならそれに越したことはないが、まるで男からの愛が何よりも尊いものであるかのように宣うので腹が立った。

 メリエットは伯爵家の生まれだ。見栄しか頭にない両親を早々に見限り家出をし、平民として暮らしてきた。メリエットの両親が侯爵家の影響下にある金貸しから借金をして返済が滞ったらしい。その時点で担保となっている屋敷を差し押さえられてもおかしくなかったが、侯爵は返済を待つから代わりに娘を嫁がせろ、と言い出した。つまり、侯爵家側がメリエットを望んだのであり、決してメリエットが目の前の男を望んだ訳では無いのである。

 家を出たことを理由に拒否出来れば良かったのに、所詮女の身。社会的には立場が弱く、籍も抜けていなかった為、家長の権限の下、実父に売られたようなもの。実家から正式に離れられるなら良いかとも思ったが、夫がこのような勘違い野郎では先が思いやられる。

 まぁ、今夜は帰ってこないかもしれない。初七日も過ぎぬうちに仕事へ向かったダグラスを止められなかったと泣きながら詫びる家令が言うには、ダグラスという男は仕事一筋の中毒人間で職場に泊まり込むことが多いのだとか。互いに頭を冷やす時間が得られたと思えばちょうどいいだろう───





「オカエリナサイマセ、ダンナサマ」

 ダグラスは帰宅した。しかも意外と早い帰宅だった。まだ日も暮れていない。窪んだ目は相変わらず病人のようだとメリエットは思う。

「君は───」

 何かを言いたげに口を開き、ダグラスはすぐに押し黙った。

 ───君は、に続くのは何?まだいたのか?誰だ?何をしている?それとも───

 勘ぐるメリエットをよそに、ダグラスは単に一日をどのように過ごしていたのかを問おうとして逡巡しただけである。自分にそんなことを問いかける資格があるのか迷ったのだ。

 じっと正面から相手を見つめてメリエットは続く言葉を待つ。それを見つめ返すダグラスの視線は少しずつ険しくなっていく。その目つきの悪さといったら!睨まれているとしか思えず、釣られてメリエットの眉間にシワが寄る。

「「……………」」

 ダグラスを出迎える為にメリエットと共に玄関に立ったことを、メリエットの専属となったばかりの新米侍女は内心激しく後悔していた。一触即発とはこういうことかと身をもって学んだ気分である。対して、老齢の家令は諦念を隠しもせず嘆息した。

「坊ちゃん、黙ったままでは何も伝わりませんよ」

 まだ爵位を継いでいないとはいえ、結婚した以上若旦那様と呼ぶのが正しいことは家令とてわかっている。わかっていながら、敢えて坊ちゃんと呼んだ。父親である侯爵すら子供扱いする家令の視線を受け、ダグラスは肩を竦める。

「───言い訳にしか聞こえないだろうが、私も婚姻自体昨日の朝初めて聞かされたものだった。故に休みをとるための準備が何一つ出来ていなくてな。最低限引き継ぎをして来たので、明日から10日間は休みだ」

「10日間って…、長くありません?」

 目を見開く新妻に、ダグラスは頭を搔いた。本当は1ヶ月間休みを取ろうとしたのだが国王に泣きつかれ断念した、などという話はしない方がいいだろうと判断する。10日間ですら長いと表現する彼女のことだ、ダグラスの想いなど迷惑でしかないだろう。

 婚姻休暇を長くとることで決して妻を蔑ろにはしていないとアピールしなくては、彼女が肩身の狭い思いをするはめになる。それは、もちろん部下や家人に言われなくてもダグラスとて承知していたが、如何せん婚姻が急すぎた。ダグラスの父親である侯爵は息子が回避行動をとる前にと即決即断、事後承諾で花嫁と神父を連れてきたのだ。父が如何に息子をおかしな方向に信頼しているかが窺えた。





 ダグラスから見たメリエットは、瑞々しくて美しい花のような娘だ。骨と皮しかないような自分が触れたら枯れてしまうのではと、本気で危惧している。

 だから「愛することは無い」と告げた。彼女はまだ若い。白い結婚で3年経てば、彼女は彼女の意志で自由になれる。もっと彼女に相応しい男を見つけて幸せになることだって可能だろう。そう言った運命を自力で引き寄せるだけの芯の強さが彼女の眼差しにはある。

 ───私が触れていい女なんかじゃない。

 子供など枷にしかならないだろう。後継なら養子を迎えればいい。彼女が身を捧げる必要などない。

「そういう独り善がり、やめて」

 黒のレースが際どいベビードール姿のメリエットを毛布でぐるぐる巻きにし、新婚夫婦の寝台の上で行われるのは話し合いである。色気もへったくれもない。初回の話し合いは口論になってしまったが、冷静になるぞとお互い気合いを入れて臨んだだけあり、今日はまだ怒鳴り合いにはなっていない。

「君は自分の価値を正しく理解すべきだ。私などよりも相応しい男はいくらでもいるだろう」

「それだけ私の価値が高いなら、得したな!イェイ☆で、いいじゃない!」

「君は美術品ではなく人間なんだぞ、不当に扱われていいはずがないだろう」


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