黒の慟哭

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【最終話】薔薇は根付く

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 穏やかな風が吹く、青空の下。一組のカップルが夫婦の誓を立てた。

 新郎は臣籍降下した元王子であり、この婚姻を機に19歳という若き公爵として新たな人生を歩み出す。

 隣には美しい花嫁。王家から贈られた婚礼衣装は高価な生地を贅沢に使っているが、傍目にはシンプルかつ上品なものとなっている。それを自身のものとして呑み込むだけの存在感を放つ、洗練された、神々しいばかりの花嫁の姿に参加者は息を呑む。

 そんな花嫁と周囲の反応に、花嫁のドレスをデザインしたグレナーテ妃は得意げに笑みを深めた。そんなグレナーテ妃の反応を、セイシェル王妃は微笑ましく思いつつ、新郎新婦を見つめていた。国王は花婿の父として感慨深いらしく、号泣している。そこに威厳はないし、国王としてはどうかと思うが、身内のみで集まっている場なので問題ないだろうと、皆慣れた様子で放置している。



 花嫁側の参加者は少ない。

 花嫁の父親は既に亡くなっている。残された夫人は次代に当主の座を引き継ぐまでの中継ぎとして先頭に立ってきたが、それも今日までだ。今日からは娘婿となる元王子が新たな当主となる。やつれた様子を見せながらも、ようやく肩の荷が下りたのだろう。夫人は安堵の表情を滲ませ、その瞳は滲む涙を隠しきれない。



 リデュールを洗脳して利用する、不都合や不利益は王家に被せる、そういった思想が当たり前のものとして根付いてきたソレイユ公爵家の人々は、それらの何が罪として問われているのか、なかなか理解できなかった。容易く口にできる『当たり前』や『常識』というものは、人間社会で生きるための基盤であり、そう簡単に修正できるものではない。そういった事情を憂いても、大勢の貴族の前でリデュールを操ろうとしたことは、例え未遂であっても許されないことだ。

 故にソレイユ公爵家は断罪された。

 公爵───ソフィアの父は過ぎた力に呑まれ、娘であるソフィアの予測通り衰弱死をした。嫡男夫婦は、公爵家を継ぐに当たって徹底的にリデュールを洗脳し操る秘術を教育されており、新たな火種となることが予測されたため、生涯幽閉。夫人───ソフィアの母は公爵家を存続させるための中継ぎとしての責務を果たしたら、残りの余生を領地の屋敷で隔離されて過ごすことになる。

 リデュール伯爵は、亡き公爵に忠誠を誓っていた。本当は彼も領地で亡き公爵の墓守をしたいのだが、次代の公爵家が安定するまではリデュール一族を守る者として、当主の座を維持し続ける予定だ。リデュール伯爵夫人はそんな夫を容赦なく置き去りにし、自身が忠誠を誓っている元公爵夫人を追いかけるだろう。これらの想いや行動は、ソレイユ公爵家側が施した紐付けの威力なのか、仕える形で長年傍にいた故の行動なのか。───わからないが、本人が意思に基づいて決めたこと。それだけは確かなので、この先何があっても他人を恨んだりはしないだろう。

 思想の偏りを元に除籍する者を選別した結果、当然ソレイユ公爵家の力は衰えた。しかし領地が減ったわけでも税収が減ったわけでもない。飢えた獣のような野心家達が、そこに目をつけないわけがない。しかし、リデュール伯爵家という救世主の一族を守る盾を失うわけにはいかない。

 そこで整ったのがこの婚姻だ。

 臣籍降下という形で、王族がソレイユ公爵家に婿入りする。傾いた公爵家に王家の後ろ盾を与えるためには、これ以上分かりやすい方法もない。救世主や呪いの歴史を全く知らない他家の助力を得るのは難しいということもある。

 では、一体誰がソレイユ公爵家に婿入りするのか。王族は呪いの影響で全体数が少ない。王子はシューゼルとカイエルの2人だけ───




「おめでとうございます、兄上」

「ありがとう、カイエル。───いえ、カイエル殿下とお呼びしなくてはなりませんね」

 この結末はシューゼルが言い出したことだ。事情があるとはいえ、弟に兄の元婚約者を押し付けるつもりはないし、弟と想い合うユイア嬢に悲しい想いをさせるつもりもない。そう断言したシューゼルはソフィアと結婚して、今日からソレイユ公爵を名乗る。

 必然的に、臣籍降下を宣言していたカイエルに王太子の座が回ってきてしまった。宣言はしていたが、王位継承権までは放棄していなかったカイエルの見通しの甘さが敗因である。王となってユイア嬢と結婚するか、臣籍降下してソフィア嬢と結婚するか、「どっちがいい?」と兄から言外に『それ以外認めない』と言われてしまえば自ずと答えは一つだけ。

「それはいつぞやの仕返しですか」

 なるほど、これは確かに居心地が悪い。兄に対して同じように殿下呼びを徹底した時期があったため、苦い顔をするも咎めることなどできない。

 カイエルは国王となる未来を選んだ。

 呪いを受けた身で王位を継ぐなど、前代未聞だ。とはいえ、いつか死ぬという意味では他の人達と何ら変わりはない。





「本当に、本当に、お美しいです、ソフィア様」

 まるで神に祈るかのように、黒髪の女性達が花嫁姿のソフィアの前に膝を付き手を胸元で組んでいる。しかも感涙している。

 ───どうして今まで平然としていられたのかしら?

 数年前、王宮という場所で短期間とはいえリデュールから離れ王妃教育を受けてきた時間は、それまで当たり前だと思い込んでいたリデュールの異常性を時折こうやってソフィアに突きつけてくる。そう、幼少期から何かと着飾る度にソフィアはこうやって崇められてきた。

 一番頭が痛いのは、崇める集団の中にユイアが混ざっていることだ。数年後にはソフィアより立場が上になるのに、こんなことで大丈夫だろうか。



 美しい、美しい、お嬢様。

 ソフィア様。

 私の唯一の主になるはずだった御方。

 その御方の侍女になる夢は叶わなかった。道を違えてしまった。そう考えるとユイアは咽び泣きたい気持ちになる。

 ソフィアの号令で解散した黒髪の女性達だったが、ユイアだけはソフィアの傍に残っていた。身内だけの立食パーティという、王族としても公爵家としても異例なほど小規模な結婚披露宴。王族、ソレイユ公爵家、そしてリデュール伯爵家。今後親族になる者たちの懇親会という意味合いが強い。

「おじ様にもソフィア様のお姿をお見せしたかったですね」

 ソフィアの父のことを「おじ様」と呼ぶのは慣れない。言いながら、誰のことを指すのか、自分でも分からなくなりそうだ。しかし、亡くなっている上に、新たな公爵が誕生した以上、他に何と呼べばいいのか判断がつかない。

「いえ、別に」

 ソフィアの返答は、相変わらず無表情のまま、淡々と。強がっている───ようには全く見えない。長年の経験から見ても本気で心底どうでもいいと考えているのが窺える。同意を得られなかったことに微妙な表情になりつつ、ユイアは記憶を遡った。

 ソフィアの亡き父は、ユイアには甘かった。王子を殴った時も褒められたし、会う度に優しい言葉をかけてくれた。しかし、ソフィアを褒めているところというのは見たことがない。いや、家族間のことだから、ユイアが見ていないところできっと温かなやり取りの一つや二つあった、はず。そう思いたい。ただ操るため、利用するために、明るく優しい言動を意図的に見せていた───とは考えたくない。どのみち故人に問いかけることなど叶わないのだから。

「ねぇ、ユイア。私、企んでいることがあるの」

「企み、ですか」

 箱入りお嬢様の企みとは一体何だろう。あまり期待もせず、身構えもせず、ユイアは聞き返した。

「私、貴女が産む子供の乳母になるわ」

「わ、私が、産む!?乳母!?」

 カイエルとは婚約しつつも、ようやく結婚を意識してきたというスローな交際をしているユイアの頭に、出産という出来事はまだまだ遠いことのように思えていた。しかも、それをまさかソフィアに突きつけられるとは思っていなかった。

「元王子の妻なら王家の信頼も充分。身分もある。資格は文句なしでしょ?乳母になって、ユイアを『奥様』と呼びたいわ。『ユイア様』でもいいわね。『妃殿下』と呼ぶべきかしら」

 ソフィアの目が楽しげに輝いている。からかい半分、本気半分といったところだろう。自分がソフィアに仕えるという頭しかなかったユイアは、ソフィアに仕えられるという事態を想像し、血の気が引いていく。

「わ、私がお二人のお子の乳母になります!」

「王太子妃殿下に乳母をさせるわけないでしょう。諦めなさい」

「じゃあ、カイエル殿下と結婚しません!」

 半泣きになってユイアが叫ぶと、遠くからカイエルの悲鳴じみた声が聞こえてくる。

「ユイア!?」

「王妃教育も、公務も、腹の探り合いも、カイエル殿下の傍にいるためなら頑張ります!でも、ソフィア様にかしずかれるのだけは耐えられません!!」

 混乱しつつ子供のように泣くユイアに駆け寄りカイエルは慌てた。慌てつつも見てしまった。花嫁が勝ち誇った愉悦をはっきりと瞳に浮かべてカイエルを一瞥するのを。

「ゆ、ユイア!頼むから落ち着いて!俺を捨てないでくれ!」

「嫌ですぅぅぅ、むりー!!」

 義姉になったソフィアによる洗礼(嫉妬)を受けたカイエルは、この後度々こういった弄られ方をすることになる。

 その度にソフィアは、少しだけ亡き父を許せるのだ。洗脳はろくでもないが、ユイアの最上位にソフィアを置いてくれたことだけは感謝していた。








 王と共に、黒髪の王妃が統べる国。

 かつては不吉の象徴とされた薔薇を、黒髪の王妃は自身の紋章に組み込み、夫から贈られた専用の庭園で愛でているという。王妃の凛々しさと、活躍ぶりに惹かれた人々は、王妃の黒髪も、薔薇も次第に受け入れていった。

 黒髪が憧れに、薔薇が高貴さの象徴になるのは、そう遠くはない未来のお話。





 [完]
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