黒の慟哭

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【16】夢夢

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 想いが繋がれ、たくさんの人達に生かされている。そう気づいた途端、足元からじわじわと温かくなってくるような、何とも言えない落ち着かなさをカイエルは覚えた。取り敢えず奥歯を噛み締めてみる。泣きたいような、笑いたいような、いづれにせよ母親には見せたくない表情を曝け出してしまいそうだと焦っているのが嫌でもわかってしまった。

「それにしても母上、舞踏会でのあれは傍若無人も甚だしいのでは?」

「その呼び方はやめなさい!後先考えずイチャつく姿を見せつけたのは貴方でしょう!嫉妬や偏見から彼女が嫌がらせされたらどうするつもりだったの?女の敵は女。いくら男が遮ろうとしても、入り込めないところで水面下の争いを繰り広げるのが女なのよ!私がああでもしないと貴方達の後ろ盾もアピールできないし、あの場から王の意向の元に隔離することもできないと思ったのよ!!」

 いかに必死だったかを、怒濤の勢いで告げられ、カイエルは目を丸くする。何も考えていないと思い気や、色々と考えていたらしい。

「そ、それは、申し訳ありません。僕が軽率でした」

 母に頭を叩かれたのは生まれて初めてかもしれない。そう考えると、何だか照れくさくて、カイエルは心の底から笑った。

 早く目覚めて欲しいと願い、改めてユイアを見つめる。彼女が目を覚ましたら、もう何度目になるかわからないプロポーズをしよう。その時を思い描いて微笑む。



 しかし、翌日リデュール伯爵夫妻が目を覚ましても、ユイアだけは目覚めなかった。



「リデュールの女性は、おおよそ10歳~16歳くらいまでの間、毎晩のように夢を見ます。根拠はありませんが、夢の内容は救世主様の過去なのだと思います」

 自身もそうだったと、リデュール伯爵夫人は目を伏せて語る。その両目は泣き腫らしたかのように赤く充血している。我が子がもう1週間以上目覚めないことを嘆く彼女は、日中のほとんどをユイアの傍らにて過ごしている。本当は今すぐにでも慣れ親しんだ我が家に連れて帰りたいと、様子を見に来た夫に対して心境を吐露していた。それでも王城に留まるのは、王族専任の医師たちが控えており、しかも国王がユイアの治療に尽力するよう指示を出しているからだ。万が一を想定すれば、現状維持が最善だろう。

「ユイアも恐らく、夢を見ているのでしょう。救世主と呼ばれた方の、嘆き、苦しみ、悲しみ。それこそが『王族を許すな』と先祖が訴えている証なのだと、私はソレイユ公爵家の先代当主から教えられ、鵜呑みにしました」

 まるで懺悔するかのようだと、カイエルは思った。カイエルの顔色は相変わらず思わしくない。日中は公務の合間にユイアの様子を見に足を運び、夜は帰宅する伯爵夫人に代わりユイアに付き添っている。

「ソレイユの者が、リデュールを手元に置くために、敢えてそういった夢を見させているという可能性はあるのでしょうか?」

「ないとは言いきれませんが、特定の年代の女性のみをターゲットにする必要はないと思うのです。そもそも、魔法も治癒も、どうも私には御伽噺にしか聞こえません。治癒能力が本当に私にあるなら、どうしてこの子は目覚めないのでしょう」








「!」

 ふと、切り離されるように、突き放されるように目を覚まし、その衝動に驚いた壮年の女性は目を見開く。

「どうかなさいましたか」

 気づいた男性が声を掛けてくるのに対し、女性は自分が呼ばれていることに気づかず、周囲を見渡した。窓ガラスに写る自身を見て、ようやく現実を呑み込む。

「長い、長い夢を見ていたような気がするわ」

 もう長い間、これまでの人生の半分以上を屋敷の狭い部屋の中だけで過ごして来た彼女には、椅子に座って本を読むことくらいしかやることがない。手製のクッションが敷かれたリクライニングチェアに座り、膝の上には読みかけの本。

 彼女の両親が、彼女の誕生を祝い祈りを込めて付けてくれた名前は、彼女自身、思い出せない。

 国王の命令で彼女と結婚した夫は、彼女を3回孕ませた。あらゆる感情を手放した彼女は、ただそれを受け入れ、子を産んだ。ただ産むだけが彼女の仕事であり、誰も彼女と子供を会わせようとはしない。だから、彼女は自身の子供の性別すら知らないし、生きているのか死んでいるのかもわからない。そもそも、夫の顔さえ彼女は思い出せない。

 彼女は疲れ果てていた。もう治癒能力を使うこともできない。それでも、彼女の黒髪は色褪せなかった。かつては救世主と呼ばれた証である忌々しい黒髪だ。

 少女の頃、処刑されそうになった断頭台の上で、彼女は死んだのだろう。主に心が。

「どのような夢だったのです?」

 男は彼女の黒髪を目の前にしても態度を変えず、彼女を一人の人間として扱ってくれる珍しい人だ。柔らかそうな蜂蜜色の髪をした、年齢不詳の、整った容貌が目を引く不思議な壮年の男性。

 侍女たちは怯えがあり、一切顔を上げることなく黙々と作業をして無言で立ち去るので、彼女が日常会話をする相手は彼しかいない。侍女たちの態度が当たり前なのだ。怒りの感情を暴走させ、視界に入った大衆を皆殺しにし、挙げ句に王家に呪いをかけた悪女が相手なのだから。王家が絶えると国が潰れるかもしれないと考え、一子だけは逃れられるよう、後から呪いを緩和させたが、未だに解呪するつもりはない。家族を、故郷を、未来を奪った元凶を許すつもりなどないのだから。

「───素敵な夢よ」

 愛しそうに『私』の名前を呼んで、王子様のように手を差し伸べてくれる少年と、豪華な会場で綺麗なドレスを着て楽しく踊る夢。

 そう、声に出すと、異様に恥ずかしくなる。自分の年齢を考えろと罵倒されても不思議ではない。

「なんて少女趣味な夢でしょう。そんなこと有り得ないのに」

「───いいえ、是非とも叶えましょう」

 椅子に座る彼女の傍らで、彼は床に両膝をつき、懺悔でもするかのように見上げてくる。

「要らないわ。あとは死を待つだけだもの。叶えても虚しいだけよ」

 貴方もどうせ『私』の名前なんて知らない、口先だけなのでしょう?そう心の中で突き放しながら、拒絶するために微笑む。

 彼は息を呑み、俯いて、それでも再び顔を上げた。

「では、来世で叶えましょう。ボクは貴女が快諾してくれるまで毎日プロポーズするんです。快く思わない誰かが僕達を引き離しても、僕は貴女だけを想い、貴女と舞踏会で踊って、またプロポーズするんです。この約束を忘れないよう、貴女と結ばれないと死んでしまうような呪いを、僕が僕自身の魂に刻み込んででも、きっと叶えてみせます」

「大袈裟ね」

「───貴女が以前教えてくださいました。貴女の名前は貴女の国の文字で『結ぶ』『愛』と書くのだと。私は諦めません。いつかきっと、貴女と愛を結んでみせます」

 どうして彼はそこまでの熱量を自分に向けるのだろう。生かしておけば解呪してくれるかもしれないという打算と、殺そうとすれば次はどのくらい犠牲者が出るかわからないという怯えと、子を産ませれば救世主としての力が引き継がれるかもしれないという目論見。自分が生かされている理由などそれだけで、そんな自分に情を向けても頭がイカれているとしか解釈されないだろうに。───淡々と彼女は考えた結果、気味の悪い男だという感想に至る。でも、嫌いではない。

「そもそも、生まれ変われるのかしら?」

 再び眠気が訪れる。どうしてこんなに眠いのだろう。

「眠ったら、貴女はまた忘れてしまう。それでも僕は何度でも貴女と約束しましょう。───生まれ変わっても、僕は貴女とまた夫婦になりたい。貴女だけを愛しています」

 他でもない貴女が、僕を疫病から救ってくれたのは事実だから。








 ようやく目を覚ましたユイアは、寝台の傍らの椅子に座り転寝をするカイエルを見つけた。室内は暗く、窓から辛うじて月明かりが入ってくる程度。

 優しくて残酷な、どこか寂しい夢を見ていたような気がする。いつも繰り返し見る、悪意と絶望しかない夢とは質の違う、珍しい夢だった。良い夢とは言えないが、それでも救いだと言えるだろう。辛いこと、悲しいこと、苦しいこと。夢の世界がそれだけで終わらなくて良かった。優しい夢に辿り着けた安堵で、心が満ちるのがわかる。

 不意に、カイエルから漂う薔薇の香りが、舞踏会の時より濃くなっているような気がして、そっと手を伸ばす。腕を組み、前屈みになって眠るカイエルに直接は触れず、ただ掌をカイエルに向かって突き出し、目を閉じた。

 薔薇の香りを、手に集める。そんなイメージを思い浮かべると、掌がじんわりと熱くなる。掴んだ薔薇の花を握り潰すように力を込めて手を握れば、香りが一気に霧散した。目を開け、引いた自身の手を確認すると、まるで薔薇の棘でも刺さったかのような傷が掌に散らばり、血が出ている。───だが、それだけだ。死ぬ訳では無い。

 ユイアは満足げに頷き、ベッドに再び潜り込んだ。今はとにかく眠いのである。そして、改めて眠ったら都合の悪いことは全部忘れる、そう心に誓って、小さく笑った。

 ───私は善人ではない。だからもう、自分を犠牲にしてまで誰かを助けようとは思わない。

 どんなに罵倒されようと、どんなに脅迫されようと、自己犠牲の結果、自分にとって一番大切な人が傷ついたら何の意味もない。

 夢で見た男の悲しみに暮れる容貌は思い出せない。ただ、酷く胸が傷んだ。あれが、夢の中の自己犠牲の結果だ。

 大切な人を笑顔に出来ないなら、治癒能力なんてものに価値はない。



 ───私はもう、大丈夫。



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