黒の慟哭

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【12】開場

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 案内された前室はやけに暗い。両開きの大きな扉の隙間から会場の喧騒と光が漏れている。その前に、うっすらと人影が見えた。他に人の姿はないのだから、ロベルトなのだろう。瞬きをしつつ、差し出されている手に自分の手を重ねる。引き寄せる仕草は優しい。肩が触れ合うほど近づいて、伝わる熱にユイアの緊張が増した。

 ───香りがする

「ッ!!」

 ユイアに届いたのはロベルトが纏っていた柑橘系の香りではなく、別の、特別な花の香りだ。驚き、相手を凝視しようと顔を上げた瞬間、目の前のドアが開き、光が射し込んでくる。

 そんなユイアの動きに気づいたのか、相手もユイアを振り向き、光の中現れた姿に目を見開いて驚いている。



『カイエル・ベルツェ殿下のご入場です』



 会場アナウンスが耳を滑っていく。歩き出さなくてはいけないのに、互いに互いを凝視して開いた口が塞がらない。

 慌てて離れようとするユイアの手を、カイエルは握り直した。小声で「諦めろ、行くぞ」と囁き、ユイアを連れて歩き出してしまう。会場の騒めきの質が今までとは違う。何故黒髪が殿下の隣に!という声が次から次にあがる。中には悲鳴まで。もう、歩き方とか姿勢とか、人の目とか世間体とか、あらゆるものが頭を駆け抜けてパンク寸前だ。

 力強い手は、大人の男性のものだ。風船のように破裂しそうなカエル王子の手でもなく、天使のような綺麗な手でもない。剣だこなのか、ペンだこなのか、わからないが使い込まれた手だ。

 ふわふわとしていた髪は、やや癖を残してサラサラとしたまとまりのある艶やかさを見せている。ミルクティー色にも深みが出たようだ。

 さすが、王子様。先程まで驚いていたのが嘘のように堂々としている。



 ユイアが内心、カイエルに尊敬の念を深めている一方。



 ───どうしてこうなった!!

 カイエルは酷く狼狽していた。

『婚約披露の舞踏会で、私の従姉妹をエスコートして頂ければ幸いです。元々エスコートする予定だった兄の都合が悪くなってしまいましたの』

 そう言われ、ソフィアの従姉妹である令嬢を紹介された。令嬢を迎えに行き、控え室までは一緒だったはずだ。そういえば、その“元々エスコートする予定だった兄”というのが、ロベルト・ベルツェだったはず。城の者がいつもエスコートされている令嬢を誤って案内したのかもしれない。

 原因はさて置き、ユイアに恥をかかせるわけにはいかない。兄の晴れ舞台に汚点を残すわけにもいかない。二度と離したくないと握ったユイアの手は温かく柔らかく、これはこれで別の方向に思考が暴走しそうでカイエルは自身を律するのに必死だった。理性に鞭を打ち、何とかユイアを連れて歩き出す。



 身分の低い者ほど会場の出入り口付近に立つのが暗黙の了解だ。人々が壁を成す、中央の通路を歩いていく。

 王族がリデュールの者をエスコートする。この異常事態に騒めきの質までもが異様だ。内容までは聞き取れないが、ユイアへの、リデュールへの呪詛のように禍々しい空気を放っているかのよう。

 入場口から一番遠い、ホールの奥、一段と豪華な装飾の下に、王族が立つべき壇がある。煌びやかな装飾の椅子が並び、王族はその椅子に座って舞踏会を観覧するのだ。

 ───まさか、私もあの壇上に連れていかれるの!?

 ユイアは焦る。さすがにそこまですれば、リデュール一族への風当たりが恐ろしいものになりそうだ。かといって王子の手を振りほどく訳にもいかない。こういう時はどうすればいいかなんて、勉強しているはずもない。

 目を回して混乱するユイアは気づかないまま、両親が並ぶ伯爵位の列を抜け、ロベルトたちが並ぶ公爵位の隣を通り過ぎる。壇上の手前で中央から少し横にそれた位置でカイエルは足を止め、ユイアの腰を抱き寄せた。

 どうやら、ここでいいらしい。そう気づいたユイアは肩の力を抜くと、今度は別の疑問がわいた。何故カイエルは壇上に上がらないのだろう、自分に遠慮しているのだろうか。隣を見上げればカイエルの凛々しい横顔がある。彼は正面を見据えたまま動かない。ただ、力強い手がユイアを支えている。

 大丈夫。そう信じ、ユイアも正面を見据えた。





 トラブルなど何もなかったかのように、司会を勤める宰相が今夜の主旨を説明し、国王夫妻の入場を告げる。同時に会場の者達は皆目の前の壇上に向かって一様に頭を垂れる。

 国王ルグナス・ベルツェは、病弱で社交には滅多に姿を現さないセイシェル王妃をエスコートしていた。久方ぶりの王妃の姿に会場が再び騒然となる。いつもは側妃グレナーテを伴って現れるのに、と。

 こういう場合、以前は側妃グレナーテのエスコートを今は亡きガルグス大公が行っていたが、今はもういない。頼りになるはずの息子はユイアの隣だ。今夜は欠席なのだろうかと誰もが思ったが、両陛下に続いて入ってきた側妃グレナーテは、一人で堂々と入場してきた。頭を垂れたまま、ちらりとグレナーテを盗み見た者たちは、女性がエスコートを伴わないで国の公式舞踏会に参加するという異例中の異例に目を丸くした。そのすぐ傍からグレナーテ妃の鋭い視線で一瞥され、慌てて頭を下げ直す。

 壇上に上がった国王たちが定位置で立ち止まると顔を上げるように指示があり、皆一様に姿勢を正す。そして人々が目にした国王夫妻は3人とも表情を強ばらせた。その驚きに満ちた視線はもちろん、カイエルとユイアの2人に突き刺さる。

 動揺するユイアを更に抱き寄せ、カイエルは素知らぬ顔で微笑み返す。それを受け取った壇上の3人も何とか表情を取り繕った。

 王族3人の直前に入場していたソレイユ公爵夫妻と次期公爵夫妻は中央の花道を挟んでユイアたちとは反対側に立っていたため、今まで気づいていなかったらしい。王族たちの表情を見て、その視線の先を辿り、驚愕する。公爵は本来ユイアの隣にいるはずのロナルドを探して落ち着きなく周囲を見渡す。そんな反応を前に、何も悪いことはしていないはずなのに、ユイアは罪悪感でいっぱいだ。居た堪れない。

 そんなそれぞれの心境をよそに、開会が告げられ、「第一王子シューゼルとソレイユ公爵家令嬢ソフィアとの婚約が調ったことを発表する」と国王が宣言し、拍手の中、主役の2人が入場してきた。

 デビュタントを兼ねているソフィアのドレスは白だ。布地に施された加工が、星のようにキラキラと輝く。白金の髪と相まって実に煌びやかで神々しい。最後に会った時はまだ幼かったが、12歳となった今は要望に凛々しさが加わってきたようだ。相変わらず美少女である。

 隣に並ぶシューゼルは15歳。朗らかに優しい表情をしているのが見て取れた。国王やカイエルと同じミルクティー色の髪をしている。容貌は美しいが、どちらかといえば鼻筋が王妃とよく似ている。

 王妃はベールを被り、その髪色を窺い見ることは出来ない。ただ、日暮近い夕焼けのような赤紫の瞳は何の感情も映さず、持ち主のいない宝石のように佇んでいた。

 壇上で両陛下に挨拶をし、会場に集った人々へ向き直ったシューゼルはカイエルの隣に立つユイアを見て、軽く驚き、自身の隣に視線を向ける。その視線を受けたソフィアはこれ以上なく幸せそうに微笑みを返す。さすがソフィア様だわ!とユイアは感激した。

 対する王子2人は、ソフィアの表情で、このエスコート取り違え事件の黒幕を確信した。



 発表は続く。

 成人したらシューゼルが正式に立太子すること。我が国では16歳で成人とみなされるため、一年後ということになる。

 ソフィアの成人を待って、2人が結婚をすること。つまり、4年後ということだ。

「同じく4年後、第二王子カイエルが16歳になると同時に臣籍降下することが決定した。これはカイエル本人の意志である。その際の身分については検討中だが、これは揺るがない決定だ」

 名前が挙がったカイエル本人は素知らぬ顔で立っている。第一王子の婚約発表だけでなく、第二王子のことまで発表されるとは思ってなかった者達は動揺を見せた。しかし、耳ざとく、政治の中枢と関わりのある高位貴族にとっては想定の範囲内なので、平然としている。ユイアとしては、だから敢えて壇上に上がらなかったのかと一人で納得していた。



 話が終わると、自然に皆ホールの中央をあけるよう、壁際へ動く。その中、演奏が始まり、ファーストダンスは予定通り始まった。滑らかに踊る初々しい2人に周囲は釘付けだ。

 その間もカイエルの手はユイアから離れない。

「会いたかった」

 カイエルが囁く。昔は変わらなかった身長も、今はユイアより頭一つ分大きい。見上げなくてはいけないということに違和感がある。

 何も伝えないまま王都を去った後ろめたさがジリジリと這い上がってきて、泣きそうだ。

「………ご無沙汰、しております」

 こんなことが言いたいわけじゃない。でも、なんと言っていいかわからない。

「僕達のデビュタント、楽しもう」

 ファーストダンスが終わり、拍手が鳴り響く。次はデビュタントを飾る女性たちがパートナーと踊る番だ。

 今の隙に正しいパートナーに戻すこともできたはず。不思議なことに、ロベルトも、本来カイエルと踊るはずだった女性も動かない。ユイアも、叶うならば初恋の人と踊りたかった。こんな機会は二度と訪れないだろうから。観察するような重い気配、非難するような厳しい視線の中、ユイアの前でカイエルが片膝をつく。

「ユイア嬢。どうか僕に夕闇の女神のように美しい貴女と踊る権利をください」

 カイエルは、王子様とは思えないほど、悪戯っ子のような無邪気な笑顔でユイアに手を差し出す。

 頭を占める淑女教育を追い払い、ユイアはわざとらしい咳払いをする。

「他でもない貴殿にのみ許可しましょう」

 芝居がかった偉そうな態度で、カイエルの手をとった。今だけは、と2人は微笑み合う。


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