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【10】暗躍していた者
しおりを挟むコルセットは苦しい。ドレスは重い。
今まで身軽な服装でダンスレッスンをしていたユイアだが、残り半年という段階で正装によるダンスレッスンが始まった。コルセットが必要となるような生活などして来なかったユイアには苦行でしかない。というか、ユイアがコルセットをつけたところで、どうせ髪色にばかり注目されるのだ。必要ないのでは!と心底思う。
「良いですか、ユイア。リデュールだからこそ、その仕草も、動きも、全てが注目されます。周囲は貴女を値踏みして、ここぞとばかりにこき下ろす。決して隙を見せてはいけません。ハイエナ共に付け入る隙を与えてはいけないのです」
「そうですよ、ユイア。我々が黒髪だというだけで嘲笑うような小者たちに、わざわざ話題を提供する必要などありません」
母が怖い。公爵家で家庭教師をしている母にユイアが何かを教わるのはこれが初めてである。なにせ、母は公爵家に住み込みで働いており、ユイアがソフィアのところに遊びに行っても公私混同をしない母はユイアに話しかけてなど来ない。ユイアが滅多に会えない人、それが母だ。
叔母も怖い。公爵家でメイド長を務めるだけあり、気迫が凄い。視線だけで他人を殺せそうな圧がある。叔母も公爵家に住み込みで働いており、家族として接した覚えがあまりない。2人が揃うところなんて初めて目にしたが、宿る闘志からくる威圧が凄い。思わず呼吸が浅くなる。
毎日正装で庭を全力疾走させられるし、その間も笑顔を崩すと周回が追加させられるし、ようやくダンスに至ってもパートナーを務める兄や従兄弟が失敗しても連帯責任という名目の元ひたすらやり直しだ。
「踊れるようになったら、護身術もやらなくては」
「時間が足りませんね」
恐ろしい会話が聞こえてきて、休憩中という名の姿勢維持訓練中だったユイアは思わずそちらに視線を向けた。目が合うと、母と叔母はニッコリと微笑んでくれる。ユイアも微笑まざるを得ない。
リデュール一族の者として、護衛術ならユイアも幼少期から習ってきた。護衛と護身では、守る対象が異なる。合わせて動きも異なる。
元々侍女になる予定だったので、お仕着せ姿で護衛術を訓練したことは多々ある。しかし、今度は淑女の正装というドレス一式、明らかにお仕着せとは重量が異なる。
改めてユイアは領地に思いを馳せた。あちらは自由だった。乙女の武装なんて無縁だった。デビュタントとは家の威信をかけた戦いなのだと聞いてはいたが、ここまで激しいものだとは想像もつかなかった。
「ロベルト様とダンスの手合わせを出来ないのも不安ね」
娘の引き攣る笑顔に興味を失ったらしく、母は別の問題を口にした。
「せめて背格好がわかれば似た人で代役を立てて練習させるのだけど、最後にお会いしたのは数年前だから背も伸びているかもしれないわ」
「ロベルト様のダンスの腕前もわからないものね。まぁ、公爵家として不安のある方を推薦したりはなさらないでしょうけれど…」
耳に馴染まない名前に、ふと違和感を覚えたのも一瞬で、すぐに先程とは別の不安が伸し掛る。ソレイユ公爵家の養子に入ったロベルトという人物と初対面なのに、体を密着させて社交ダンスを行わなくてはいけないのだ。考えたくなくて、記憶から追い出していた。
ちなみに、そのロベルトは隣国に留学中で、舞踏会にギリギリ間に合う日程でしか帰国できないとのこと。当日、リデュール伯爵家にユイアを迎えに来れるかも不確かだという。舞踏会に間に合わなければ間に合わないで、リデュールが恥をかくので、その時は代役でも何でも用意するとソレイユ公爵が断言しているそうだ。
「当日は一曲踊ったらすぐに退場するのですよ、ユイア」
「そうよ、おかしな相手にダンスを申し込まれたら大変ですからね」
下手な断り方をすれば相手に恥をかかせかねない。むしろ、それを狙って来るタチの悪い者もいると思われた。何せ嫌われ者のリデュール一族である。理由もない、理不尽な嫌がらせをしてくる者は多いと考えるべきだろう。
「予備のドレスも同等の物を用意してあるから安心しなさい」
他の人からワインをかけられる嫌がらせを想定するのが当たり前だと、母達は言う。
ユイアも、家族も、そんなに嫌われるほどのことはしていないはずだ。しかしそんなことは関係ない。異端を悪に仕立てなければ心の平穏を保てない人というのは、どこにでも一定数いるようだ。
『だったら、なんでわが国の貴族をなのっているんだ?』
思い出すのは、幼い“カエル王子”が口にした疑問だ。本当に何故ここまで邪険にされてこの国で貴族を名乗っているのだろうか。あの時、父は何と答えたのか。どうして、リデュール一族は、大元になった黒髪の女性の故郷に移住しなかったのだろう。そもそも、その故郷はどこなのだろうか。異国なのは間違いないだろうけれど。
あと、半年。
その時は着飾ったソフィアに会えるはず。カイエルにも、会えるだろう。
会いたくないような、会いたいような。複雑な気持ちで、ユイアは小さく溜め息を吐いた。
病に倒れ、疲弊していく国を救うため、当時のソレイユ公爵家当主は召喚術を行使した。
求める能力を持つ者を、世界も、時空も、認識も超えた空間から引きずり出す禁術。
そして連れてこられたのが、見たことも無いタイトな黒い上下セットらしい服を身にまとった黒髪の女性だ。その女性の奇異な見た目に別の悪魔を招いてしまったのかもしれないと、居合わせた術者たちは小さく悲鳴を上げて腰を抜かした。
彼女を“救世主”に仕立て上げ、片っ端から病を治癒させた。彼女の治癒術は魔法と異なる原理で発生しているらしく、魔法使い達は誰一人解析出来なかった。故に畏れる。未知の、彼女しか扱えない、特殊な力。悪魔の仲間なのではと、疑いを抱き、虐げるようになった。
これが、ソレイユ公爵家の罪。
リデュール伯爵家を守るのが贖罪だ。
「守る?贖罪?───救世主の故郷の知識を独占して自領を発展させている公爵家が何を言っているのかしら。リデュール一族を守るという名目で誰よりも利用しているのがソレイユ公爵家だわ」
無表情で淡々としているソフィアだが、リデュール一族とソレイユ公爵家について話す時だけは饒舌になる。シューゼルもカイエルも、そんな彼女の変貌にすっかり慣れてしまった。
3人でお茶会をして以降は、公務の打ち合わせや偶然居合わせたと称し、3人でシューゼルの執務室に集まっている。
───とはいえシューゼルは多忙なので机に齧り付いてひたすら公務を行っており会話には参加していない。最早あくまで2人が不貞など働いていないという証人でしかない。
「では、やはり、黒髪の女性を処刑云々の下りは王家とソレイユ公爵家による茶番だったのですね」
「私もそのように考えております。王家は威信を取り戻すため、民の不満や不信感をリデュールに擦り付けたかった。ソレイユ公爵家は、リデュールの持つ異世界の知識が欲しかった。互いに利害が一致したのでしょう。本当にリデュールが悪なのか、囲いこんで公爵家で見張ると宣言し、偽善で言いくるめたとしか思えません」
ソフィアはソレイユ公爵家を憎んでいるのだろうかとカイエルは訝る。表情が変わらなくても、彼女の声音が忌々しいとでも言いたげな棘を含んでいることに気づいてしまった。
その瞬間、ふと、今までソフィアに明かして来なかった、兄にも直接話したことのなかった自身の秘密を打ち明けてもいいだろうと、カイエルは思った。単なる勘でしかないが、恐らくソフィアの目的とカイエルの目的は同じなのではないかと思ったのだ。もちろん確証はないのだが。
「ソフィア嬢、実は王家はリデュール一族によって呪われているのです」
「カイエル!!」
激しく机の天板を叩きつけてシューゼルが悲鳴じみた声を上げる。その、激しい音に驚いたのは、他でもないシューゼル自身だった。カイエルはシューゼルの反応を予想していたため特に驚かない。ソフィアは、眉一つ動かさず、淡々としている。
「「「……………………」」」
沈黙の中、シューゼルだけが気まずさを覚え、何事も無かったかのように着席した。
「───しかし、一体いつどのように呪われたのか、経緯は不明です」
「そのことですが、公爵家の執務室に隠されている記録が答えかもしれません。リデュール一族の女性はおおよそ10歳~16歳までの期間に、皆同じ内容の悪夢にうなされます」
10歳~16歳の、リデュールの女性。そのキーワードでカイエルの心に思い浮かぶのはたった一人だけだ。
「悪夢が答え、ですか?」
「決まって、同じ夢なのだそうです」
断頭台で、全てを憎み、恨み、呪う夢。
いつもの悪夢の中で、ユイアは嘆く。
疫病を自分たちの問題と捉え、自分たちで対処する努力をしていてくれたら、私は今も家族と共にいられたのに。
そもそも悪魔や魔法に頼らず、自分たちの力で生きていれば、疫病だって起こらなかったのに。
どうしてこの世界の、この国の人達はいつも他力本願なのか!
悪魔との約束を違えたのは私じゃないのに、どうして私がそのツケを払わなくてはいけないのだろう?
誰かを癒す度に、悪魔が国中に蒔いた呪いが私の中に蓄積していった。治癒能力と他人が呼ぶ浄化の力で何とか抑え込んできたが、もうその必要性も見い出せない。
この溜まりに溜まったツケを払うべきは私じゃない。私を処刑しようとした連中だ。私の怒りで制御が緩み、抑えきれなくなった呪いで見物人がたくさん死んだけれど、呪いが元々の持ち主たちに返っただけと考えれば、罪悪感も薄れる。
───そうだ、全て正当な持ち主に返そう。
『呪いを放つなら王族に全て背負わせてやって欲しい』
『王族は国民の代表だ。彼らも自分たちの犠牲と引き換えに国民が守れるなら本望だろう』
そう囁いたのは誰だったのか。
『我が家が貴女を守る。何も心配は要らない』
それは紫のローブを纏った男。誰かはわからないが「誘拐犯」と呼ぶのに相応しい男だと、漠然と知っていた。
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