黒の慟哭

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【9】隠蔽された物語

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「それより、殿下。僕に何か用があったのでは?」

 多忙なはずの兄が、わざわざ父の近況を報告しに来るだけのはずがない。爵位に関する希望や意見を聞き出しに来たなら、カイエルが特に口を挟めるものではない。言えることは、グレナーテ妃の実家は嫌だということくらいだが、恐らくそんなことはカイエルから聞かずとも真っ先に却下されているに違いない。

 カイエルが兄の向かい側に腰掛けると、控えていた侍女がすかさずお茶を淹れようとする。カイエルはそれを手を挙げて制し、視線で退室を促した。それを受けて侍女は音も立てず部屋を出ていく。これだけの仕草で通じるのだから優秀だ。実は黒髪を茶色く染めているリデュール一族の者だったりする。カイエルの専属として数人いる侍従・侍女は全てカイエルが独自に雇うリデュール一族の者だ。父の了解はとっているので何も問題はないだろう。兄も気づいているかもしれない。

 兄は少しも動揺を見せず紅茶を啜っている。

「ソフィア嬢が是非カイエルを含めた3人で茶会をしたいと言っていてな。可愛い婚約者の頼みだ。私としては聞き入れてやりたいと思っているんだが…」

「ソレイユ公爵令嬢が、ですか」

 同世代の令嬢の中では抜きん出て美しい女性だ。どこか儚げで、今にも消えそうなガラス細工のようなイメージがある。同時にカイエルの幼少期の黒歴史である婚約者選びの茶会を思い出させる人物だ。あの頃のカイエルは傲慢だった。結果、ユイアに殴られた。その一連を驚いた表情で、一番間近で見ていた人。正直気まずい。

「もちろん無理強いはしない」

「いえ、義姉上となられる方ですので、どんな無理をしてでもお会いする必要があるでしょう。ちなみに、ソレイユ公爵令嬢は何がお好きですか?あの時の非礼のお詫びは何を差し上げればいいでしょう?」

 気まずい相手が義姉になるという事実に今更考えが至ったため、動揺を隠す余裕もない。どうせ相手は兄なのだから、隠す必要もない。むしろ藁にもすがる思いのまま前のめりで助言を求める。昔のように兄上!と呼びたいくらい、自身の行いからくるツケが重く感じられた。

 そんなカイエルが意外だったのか、兄はくつくつと笑い出す。

「お前がソフィア嬢の頼みを聞いてやればそれで充分だろう」

 頼みとはお茶会への参加のことかと、一瞬思ったカイエルだったが、兄の瞳に憂いのようなものが垣間見え、茶会とは別に何かあるのだと勘づく。

「僕に可能な範囲内であれば、是非」

「良かった。ソフィア嬢も喜ぶだろう。茶会の日取りはまた改めて連絡する」

「はい。殿下のご都合に合わせますので遠慮なく仰ってください」

 カイエルにも公務はある。とはいえ、もうすぐ王太子になる兄ほどではない。現在実務から引き離されているグレナーテ妃の分の公務については、カイエルも幾つか請け負っているが、あまり手をつけていない。気分屋のグレナーテ妃のことだ、そのうち復帰するだろうとカイエルは楽観している。そもそもカイエルのせいで寝込んでいるのだが、罪悪感は全くない。グレナーテ妃がグレナーテ妃自身のことで余裕がなくカイエルを省みなかったように。カイエルはカイエル自身のことで余裕がない。



 ずくり、と。



 心臓の裏側が騒ぐ。

 近頃、よく感じる違和感。その不快感をカイエルは顔に出さない。心臓から背中へ。何かが食い破ろうとする気配。

「ああ、もうこんな時間か。悪いがもう行く」

「確か今日は殿下専属の近衛兵を選抜するための審査会でしたね。頑張って下さい」

 シューゼルに気づかれなかったことに、カイエルは内心安堵していた。








 公務の合間を縫って、カイエルは地下室で呪いの調査を纏めていることが多い。カイエルがリデュール一族を配下に入れるようになったのも、呪いのことを調べていく過程での事だ。

 亡き叔父に限らず、呪いを背負った者たちの中には、呪いについて調べた者はたくさんいた。叔父の遺品や、叔父が心を許していた忠臣たちと共に、呪いに関する調査結果が集められた地下室もカイエルは引き継いでいた。壁には呪いによって亡くなった大勢の名前が刻まれている特別な部屋。

 実際に名前を掘り続けたのは、代々髪色を偽り王家に仕えてきたリデュール一族の“はぐれ”と呼ばれる血筋だ。一族の当主や総意に逆らい、出生も自身の姿も偽って、それでも王家に仕えることを選んだ、リデュール一族の裏切り者たち。



 ───その昔、他国から珍しい黒髪の女性がリデュール家に嫁いだ際、偶然同時期に疫病が蔓延し『黒髪の魔女が国を滅ぼしに来た』と根も葉もない噂が流れた。民の暴動に堪えかねた当時の国王は、周囲に言われるままリデュール当主一家を処刑しようとする。その時、唯一庇ってくれたのがソレイユ公爵家なのだ。以来、リデュール家はソレイユ公爵家に絶対的な忠誠を誓っている。

 これは半分本当で、半分嘘だとカイエルは考えている。

 庇ったソレイユ公爵家を反逆者とせずに許した王家の寛大さや、処刑せざるを得なくなるほど王家は追い詰められ手の施しようがなかったという当時の情勢を言い訳しているに過ぎない。根も葉もない噂、としながらも疫病の原因には一切触れていないし、そもそも黒髪の女性の出身地はどこなのか。

 疫病が蔓延したことによる国民の鬱憤を一人の女性に押し付けて処刑しようとしたのは本当だろう。そして、それをソレイユ公爵家が止めることも最初から折り込み済みの三文芝居だったに違いない。





 地下室にある、古い古い絵本は語る。



 かつて、この国は、悪魔と契約した。

 悪魔は、毎年欠かさず“薔薇”を捧げよと人間に対価を求めた。

 その代わり、人々に“魔法”という力を授けると悪魔は王と約束したのだ。

 その“魔法”という力は、人々の想像を超えて遥かに万能で、有用で、今まで苦労していたことが一瞬で片付くようになった。台所で火を起こすのに煤だらけになる必要もない、洗濯に必要な水を求めて川まで歩かずとも、川から水を呼べばいい。人々は歓喜した。

 ───対価のもたらす悲劇を見ずに。

 悪魔の要求した“薔薇”は、生贄のこと。悪魔が生贄に選んだ人間のいる家の周囲には、ある日突然薔薇が咲き乱れる。それが目印だった。大量の薔薇が枯れないうちに、選ばれた生贄は悪魔に身を捧げなくてはならない。

 この国から薔薇の花が消えた。

 薔薇が咲くのは、生贄の元にだけ。

 人々は薔薇を避けるようになった。

 ───だから、この国に薔薇の花はなく、代わりに“魔法”があるのです。



 この本はそこで終わり。カイエルはこの本を見るまで“悪魔”も“魔法”も知らなかった。記録を漁ると、それは疫病の登場と共に廃れている。

 恐らく、生贄が途絶えたのだろう。そして契約違反をした者達に『原因不明の病で苦しむ』『死の恐怖を味わう』という罰が下った。

 この悪魔の話が伝わっていないのも、王家が情報操作をした結果としか思えない。この絵本もよく見れば外装が煤汚れたり、一部焦げたりしている。恐らく燃やされそうなところを回収した貴重な一冊なのだ。これを信じるならば、王家は自分たちの過ちを隠蔽し、目を引く黒髪の女性を囮にした。

 これがリデュール一族の差別の発端。問題は呪いとどう結びつくか、だ。



 叔父が亡くなって最初に読んだ鍵付きの本を思い出す。あれは哀れな女性の自伝だった。その哀れな女性こそ、昔の王家に囮にされた黒髪の女性のようだ。

 彼女は“疫病”が切っ掛けとなり、無理やり連れてこられた。

 ───誰に?どこから?








 開催された茶会は奇妙なものだった。シューゼルとその婚約者であるソフィア、そこにカイエルが加わり、3人で円卓を囲んで、入念に人払いしてから、ソフィアはカイエルに椅子ごと向き直ったのだ。

「カイエル殿下、リデュールの者から殿下が行き詰まっていると聞き及びましたの。私の頼みを引き受けて下さるのなら、私の知る情報をお伝え致します」

「───僕の周囲にソレイユ公爵家のスパイがいると、既に教えて下さっているようですが?」

 カイエルが不快感を包み隠さず顔に出しても、ソフィアは引かない。

「誤解なさらないで。私個人の目的に賛同して下さっている方で、ソレイユ公爵家に反感を抱いている者です」

 人形のようなご令嬢だと、ソフィアのことを認識していた。消えそうなほど儚く美しい見た目で、この世に興味がなさそうな表情ばかりしていた印象しかない。それが今はガツガツと畳み掛けるようにカイエルに対峙している。カイエルは困惑してシューゼルに視線を向けたが、シューゼルは何も聞こえていないかのように無表情で紅茶に口をつけている。

 ソレイユ公爵家に反感を抱く者が、何故その公爵令嬢であるソフィアに協力するのか。ソフィア個人の目的とやらは、ソフィア公爵家の心情に反するものなのだろうとは予測がつく。

「頼み、とは」

「婚約披露の舞踏会で、私の従姉妹をエスコートして頂ければ幸いです。元々エスコートする予定だった兄の都合が悪くなってしまいましたの」

 こうして頼んでくる以上、王子のパートナーとして相手のご令嬢が周囲から騒がれるのも了承済なのだろう。いつもは母方の従姉妹を連れているが、その従姉妹にも婚約者が決まったため、カイエルとしても不都合はない。

「お受け致します」

「ありがとうございます。後ほど、私と繋がりのあるリデュール一族もお教え致しますので、私へ何か御用がある際はその者に」

「わかりました」

 とは言ったものの、果たして自分からソフィアに連絡する機会などあるだろうか。カイエルは思い当たらず、ただ訝る。

「私がお教えできることは、ソレイユ公爵家についてのみです」

 不自然なほど、あからさまにリデュール一族を取り込んでいるソレイユ公爵家。気にならないと言ったら嘘になる。

「お聞きしましょう」

「始まりの黒髪を無理やり連れてきた者こそ、当時魔法使いとしてトップに立っていたソレイユ公爵家の当主でした。突然魔法が使えなくなった世界で、彼は力を溜め込んでいた特殊な石を利用し、召喚の術を行使したとされています」

 シューゼルが、表情を繕いきれずに婚約者を凝視する。当然だろう。“魔法”なんて御伽噺でしかない、想像の産物だと一蹴されるのが当たり前の世の中だ。

 しかし、ソフィアは真剣だ。ふざけてなどいない。

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