黒の慟哭

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【7】女の戦い

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 婚約者に内定しているご令嬢とお茶会。それはシューゼルにとって義務だ。それは相手にとっても同じらしく、適度に間を置いて行われる。しかし、今回は前回からたった数日しか経っていない。珍しく早いお誘いだ。公務の日程を頭の中でズラしつつ、シューゼルは即了承した。

 シューゼルの婚約者、ソフィア・ソレイユ公爵令嬢は来年で12歳。この国では社交界にデビューする年齢だ。そのデビュタントと、婚約発表を兼ねた舞踏会にて、正式にシューゼルの立太子が宣言される予定になっている。もちろん、グレナーテ妃もそれらを知っているが、彼女は今こちらに横槍を入れるだけの精神的な余裕がない。



 理由はグレナーテ妃の息子であるカイエルだ。年に一度開催される主要幹部が揃う晩餐会の席で昨年、父に誕生日プレゼントは何が良いか問われたカイエルは席を立ち、堂々と己の願いを口にしたのだ。



 将来的に臣籍降下させて欲しい。

 それを社交界デビューの際に大々的に発表して欲しい。



 出席者たちは驚き、食事の手も止め、お喋りも忘れ、当時10歳だったカイエルに釘付けとなった。

『僕は、シューゼル殿下に臣下として忠誠を誓います』

 カイエルは実に堂々と不敵な笑みを浮べ、父に向かって頭を下げたのである。これには父も、口を開けたまま固まった。

 後継者争いが始まる前に、当事者が大々的に『争いません』と宣言することで、大胆に先手を打ったということだ。どちらにつくか、腹の探り合いをしていた貴族たちをも抑え込むことになる。

 慌てたのはグレナーテ妃だ。自分がお腹を痛めて産んだ子供を王位につけて、側室という劣等感から這い上がり高笑いするのが彼女の望みだったために、カイエルの嘆願は裏切りでしかない。

 ───母を捨てるのですか!

 ───母の愛を裏切るのですか!

『グレナーテ妃殿下の愛は、妃殿下自身にしか向いておりません。僕は愛された覚えはありません』

 カイエルは天使のような、無垢で無邪気な笑顔を作って、実母に毒を吐き、発狂したグレナーテ妃がカイエルに掴みかかったりと、晩餐会は大騒ぎになった。

 さすがにこれには事前に相談が欲しかったと父が苦言を呈したが、カイエルは『重責を担う方々が一同に会する場で、尚且つ僕が参加できるのはココだけでした。これでもう僕の意志を揉み消すことはできませんね』といい笑顔で開き直ってみせたのである。



 グレナーテ妃は錯乱したと理由をつけられ、強制的に離宮に軟禁されている。もちろん監視付きだ。侍女も総入れ替えをされ、以前仕えていた者たちからは事情聴取が行われている。グレナーテ妃が日頃から侍女たちに狼藉を働いていたのは噂になっていたため、その実情を調査し始めたのだ。

 これらは全て、亡き叔父の部下たちを引き継いだカイエルが主導で行っている。



 そんなカイエルの動きもあり、シューゼルの立太子が予定より数年早まった。シューゼルを立太子させるためにはグレナーテ妃を沈黙させる必要があったのだ。沈黙している今がチャンスだと、慌ただしく準備が進む。

 ソフィアの王妃教育が駆け足になったのも、その影響である。とはいえ、未だ婚約者に内定しているだけの令嬢に、そこまでの政治的内情は明かせない。ただ、苦労をかけて申し訳ないという想いから、シューゼルは極力ソフィアの要望は受け入れることにしていた。

 今までセイシェル王妃とグレナーテ妃で分担していた公務のうち、グレナーテ妃が請け負っていた分がいくつかシューゼルの元に来たのも負担になっている。

 徹夜すればいけるかな…。

 シューゼルは遠い目をして頭を働かせつつ、それでも手元だけはガリガリと動かし書類を片付けて行った。





「私が直接カイエル殿下とやり取りをすれば、要らぬ勘繰りをする者も現れるでしょう。ですから、シューゼル殿下には是非橋渡しをお願いしたいのです」

 普段はお互いに無口で、お茶会と行っても無言のまま黙々とお茶を飲んで終わる。それがシューゼルとソフィアのお茶会だった。

 今日のソフィアは相変わらず無表情だが、人払いをするなり、饒舌だ。しかも前のめりで。これはお願いというより強要に近いのではないだろうか。

「待って下さい、ソフィア嬢。カイエルは私の大切な弟です。いくら貴女でも意図がわからなければ近づけるわけにいきません」

 そうでなくても、まだカイエルを蝕む呪いの件をソフィアには話していない。軽々しく話す訳にはいかない、カイエル本人にも話していない、王家の秘密なのだ。その秘密そのものであるカイエルに接触させるわけにはいかない。もっとも、どうやらカイエルは既に自身を蝕む呪いのことを知っているようだが。

 人払いをしているとはいえ、未だ未婚の男女だ。少し離れた位置に給仕役が控えている。それを意識したのか、ソフィアはシューゼルに触れそうなほど近づき、囁く。

「カイエル殿下は未だにあの子を好きなのでしょう?」

 カイエルが想い続けている少女。何より、ソフィアが「あの子」と呼ぶ、それなりに親しい人物。

 カイエルの呪いの元凶であるリデュール一族の娘、ユイア・リデュール。

「………何を企んでいるのですか?」

「ソレイユ公爵家の役割も、リデュール伯爵家が厭われる理由も、私にはあまり興味が無いのです。ただ大好きなお友達に、素敵なデビュタントを迎えて欲しいのですわ」

 ソレイユ公爵家の役割、初めて聞くキーワードに、シューゼルは目を細め、ソフィアの肩を抱き寄せる。

「何を知っている?」

 仲睦まじい婚約者同士にしか見えないだろう。

「あら、敬語はおやめになったの?」

 あくまでソフィアは無表情だ。しかし、その瞳は揶揄うように笑っている。



 また、徹夜が増えるかもしれない。

 シューゼルは嫌な予感をひしひしと感じつつも、後戻りしたいとは思わなかった。








「ユイア、余程疲れたようだな」

 珍しく言い淀む父に、ユイアは言葉もなく視線を向ける。家族の前でもリデュール伯爵としての表情を繕う父にしては珍しく困惑に苦笑いを混ぜた複雑な表情だ。

 王都に着くなり、ドレスの採寸という苦行を強いられ、3時間は立ちっぱなしだったユイアは、ソファに身を沈めていた。全身で、ぐったり、である。実家なのだから、もう今日は脱力してもいいはずだと、ユイアはいつになく自身を甘やかすことにした。思えば、王都のリデュール家では伯爵令嬢として相応しい振る舞いを常に心掛けていたし、何より主になる予定だったソフィアに恥をかかせないようにと気を張っていた。実家とはいえ、自室でもないのに、こんなにだらしない姿を晒すのは初めてかもしれない。

 領では誰もが自然体でいるのが当たり前だった。そう考えると王都の窮屈さが実感出来る。

「お見苦しい姿をお見せして申し訳ありません、お父様。ものすごく、つかれました」

 採寸とは言っても、単にサイズを図るだけではない。ありとあらゆる色、材質の生地を身体に当てながら、デザインを考えつつ、メイクも実際に試行錯誤して、話し合うのだ。母、兄嫁、姉、従姉妹、伯母、叔母…、一族の女性陣総出で激論を交わす。女による女のための戦争だ。その間、ユイアは微動だに出来ず、ただされるがままだった。

 デビュタントのドレスといえば白が定番なのだから、白でいいだろうと思うのだが…。恐らくそれを口にしたら視線だけで殺されるに違いない。女の戦いとやらは既に始まっているのだ!怖い!

「デビュタントは伯爵家の威厳と財力、底力を見せつける場だからな、致し方ないだろう。エスコートはロベルト様がして下さるそうだ」

「………すみません、どなたですか?」

「ユイアは会ったことがないはずだ。隣国に留学しているソレイユ公爵家の次男だ。ソフィア様の従兄弟だが、ご両親が事故で亡くなり、公爵家の養子となっている」

 言われて、あぁ、そんな人いたな、くらいの認識だ。さすがにソフィア様の実兄である次期公爵にエスコートされたら、未来の公爵夫人になる気かと要らぬ憶測を産む。リデュールが先頭に立つ公爵家なんて、周囲は許容できず反発するだろう。かといって、身内のエスコートを受ければ、リデュール伯爵家の孤立を嘲笑されるだろう。そういったことを考えていくと、ソレイユ公爵家の養子というのは順当だ。

 ただでさえ緊張する初めての舞踏会に、初対面の男性にエスコートされる。考えただけで気が重い。

「ダンスレッスンは明日からだ。今日集まって下さったご婦人たちが日替わりで来て下さるそうだ。相手役は兄達が連行されてくる」

 連行されてくる、その最後の声は若干震えていた。す、と目線を逸らしたまま、父は頭を抱えていた。戦闘モードの女性陣には、さすがの当主も勝てないらしい。

 舞踏会までの1年間が、果てしなく長く思えた。


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