黒の慟哭

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【6】忌避

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 ユイアは、それが夢だと知っていた。繰り返し見る夢だ、内容はわかっている。



 それはいつも家族から引き離されるところから始まる。別れの挨拶も何もできず、知らぬ場所で1人きり。そんな『私』を気遣ってくれる人なんていない。

 疫病が流行り、治癒術を使えと言われ、寝る間もなく連れ回され酷使され。

 ようやく落ち着いたかと思えば今度は疫病が伝染るから近づくなと、連れてきた権力者からは汚物扱いされ、殴られ、蹴られ、牢に入れられ。

 気づけば断頭台の上。



 ───この女が疫病を国中にばら蒔いた!



 煌びやかな服を纏った男が民衆に訴える。数日間飲まず食わずで引き立てられる『私』の頭は上手く働かない。働かないのに、男の言葉だけは理解出来た。



 ───他の者が治せなかった病を治癒できたのは、ばら蒔いた本人だからに他ならない。全てが自作自演だった!己の地位を手に入れるために国中を恐怖に陥れるとは万死に値する!



 歓声が起こり、次々と石礫が飛んでくる。その1つが額に当たり、視界に赤が割り込んできた。



 嗚呼、『私』は、こんな人達のために、自分を犠牲にしてきたのか。



 そう思った瞬間、体の奥底から力が沸き起こってきた。黒い、力だ。怒りに近い、絶望に似た、憎悪のような。煮え滾る熱が胃を内側から焼き、煤汚れた煙が淀みとなり、肺を埋めつくして重くなる。喉に絡みつく焦げた呼気が、出口を求めて浅く浅く這い出す。



 そして、そのまま激情に任せて叫び、『私』はこの国を呪った。───死ね、と。



 願いは叶う。

 老若男女問わず、視界にいた全ての人間が、無数の黒い花弁となって一気に散り失せる。血の匂いの代わりに、薔薇の香りが肺を満たしていく。





「───ッ!!」

 大量の汗を纏い、ユイアは飛び起きた。心臓の早鐘が喧しい。浅く早い呼吸を落ち着けようと両手で口を軽く塞ぐ。以前、同じ夢を見て飛び起きた時に過呼吸になり、意識が遠のいたことがあるのだ。油断ならない。

 領地に来て、もうすぐ3年が経つ。ユイアは11歳になった。



 リデュール伯爵領はソレイユ公爵領の、一応隣にある。一応。その境目は地図上には一応描かれているが、あまり意味は無い。

 実際はソレイユ公爵領の領館に、公爵領の代理領主と伯爵領の代理領主が2人揃って勤務し、2人で2つの領をまとめて運営している。そのため、2つの領の景色に差は見られない。下手したら王都よりもインフラが整っているかもしれないと、ユイアは密かに思っている。王都内よりも領内の方が馬車の揺れが少ないのだ。もちろん道だけではなく上下水道も最先端をいっており、王都の隅では未だに下水が未発達で病が発生しているそうだが、領内にはそれが全くないのだという。

 それもこれも、2つの領が一丸となって取り組んでいる結果だ。もちろん事務員も共通である。人件費の節約だと、ユイアの次兄は笑って話してくれた。



 ちなみに、公爵領の代理領主はユイアの父方の叔父であり、伯爵領の代理領主はその叔父の妻だ。夫婦で一緒に仕事をして、終わればユイアが滞在している伯爵領内の屋敷に帰宅する。もういっそ公爵領館の隣に別宅でも構えた方がいいのではと思うが、メリハリとケジメは必要なのだと夫婦は口を揃えて言う。そんなものかと、ユイアはよくわからないまま、次兄と一緒に領館で事務作業を手伝っていた。

 ユイアの次兄は、ユイアが物心着いた頃には既に領地で暮らしていたので、あまり馴染みがない。彼はこのまま叔父夫婦に子供ができなければ養子になる予定だ。養子になろうと、なるまいと、彼が次代の領主代理であることに変わりはないのだが。それが公爵領なのか伯爵領なのかくらいの違いだ。

 ユイアが日々手伝う作業は、計算の再確認、誤字脱字の有無の判別、書類の整理整頓、来客の対応など。メイドの仕事を勉強していた時とはまた異なる刺激に、これはこれで楽しいと思い始めた。

 思い始めていたのに。



 サイドテーブルに広げたままの便箋に目をやる。

 第一王子の婚約者をお披露目する舞踏会で社交界デビューさせるから王都に戻ってこい、という内容の手紙だ。舞踏会自体は約1年後だが、ドレスを仕立てたり、マナーやダンスレッスンを受けたりと準備で追われれば1年なんてあっという間に違いない。

 ───ソフィアにも、カイエルにも、何も伝えられずに領地へ連れてこられてしまった。それ以来一度も王都に戻っていないし、手紙も出していない。どんな顔をして会えばいいのか、気まずさが先に来てしまう。

 リデュール一族の者であるが故に、ユイアはソフィアの傍にいられくなった。主従関係ですら許されないのだから、第二王子であるカイエルとの未来なんて最初から微塵もなかった。自分は何故それに気づかなかったのだろう。

 カイエルを思い出すと、ユイアは泣きそうになる。叶わぬ想いなのだと早くに気づけていれば、もっと強く彼を拒絶できていたかもしれない。期待をさせることもなかっただろう。己の愚かさが如何に残酷だったか。

 3年も経てば、彼のリデュールについての認識も周囲に染まり、子供の頃に口にした求婚なんて黒歴史となっているかもしれない。ゴミ屑を見るかのような視線を、他でもないカイエルから向けられたらと思うと呼吸さえ忘れそうだ。



 領で暮らすようになるまで、ユイアは街歩きなんてしたことがなかった。今は一人で市場を歩いたりする。領内では黒髪でも忌避されることは少ない。全くないわけではない。他領から来た人は擦れ違うだけで露骨に嫌な顔をしたり、距離を置かれたりするのだ。

「王都でウインドウショッピングしてる時にカツラが取れてリデュールだとバレた時があってね、大変だったわよー。ねぇ、あなた」

「ああ!殺人事件でもあったかのような悲鳴が上がって、店という店がシャッターしめて、衛兵が駆けつけて、凄かった。一晩夫婦で牢に入ったもんな」

 というのが、仲の良い叔父夫婦の笑い話である。笑えないだろうと固まるユイアの隣で次兄も「俺、そこまでの事件は起こしたことないわー。石投げられたくらいで終わってる」と、負けたとでも言いたげに苦笑していた。一体何の勝負なのだろう。

「王都ではリデュールというだけで女性は乱暴されても文句言えないわ。その分、領では思う存分羽を伸ばしなさい、ユイア。護衛も付けずに歩けるのはココだけよ」

 コロコロと笑う叔母に憂いはない。そういうものだと心底割り切っているらしい。

「舞踏会ではリデュールってだけで人が避けていくから楽だぞ。食べたい料理を占領できる!」

 次兄も割り切っているのか、楽観的なことを言って豪快に笑う。

 この3人を前にすると、悲観するのも馬鹿らしく思えてくるから不思議だ。





 そんなこんなでユイアは、王都に戻ることになった。





 その報告を聞き、ソフィアは静かに「そう…」とだけ答えた。

 ユイアをこの部屋に招きたいと思ったが、それを口にするべきではないとソフィアは理解し、代わりに小さく溜め息を吐く。その瞳はゆったりと周囲を見渡していた。黒髪は一人もいない。黒髪の使用人に囲まれて育ったソフィアは、この環境に慣れるまで時間がかかった。

 実家の公爵家からの遣いがたった一言「リデュール家の次女が王都に戻ってくるそうです」と言っただけで、室内に控えている使用人たちが一様に表情を強ばらせるほどだ。そのリデュールを招くなんて言った日には、数人倒れるかもしれない。

 第一の婚約者に内定してから、王妃教育のために、と言われ王城で生活するようになったけれど………

 リデュールから引き離すのが本当の目的だったのでは?と、ソフィアは考えている。ユイアが突然領地に飛ばされたのも、その一種だろう。

 リデュールを守る。

 その目的に向かって動いている人達がいる。それを実感しつつも、ソフィアには他人事でしかない。

 リデュールに伯爵家を名乗らせる以上、ユイアにも、貴族令嬢として正式な舞踏会デビューをさせないわけにはいかない。このタイミングでユイアが王都に戻ってくるのは3年前から予測していた。

「シューゼル殿下にお会いしたいわ。ご都合をお伺いして来てくれる?」

 意図しないと微笑めないソフィアは、内心面倒だとボヤきながら、穏やかに微笑む。恥じらう恋する乙女に見えるように。

 相手がリデュール一族の者なら、こんな演技は無意味だ。リデュールの使用人は皆、主人に指示されるまで動けないのは恥だと考える人達だった。お茶が欲しいと思えば、口を開くよりさきに「お茶をお持ちしました」と言われる。しかも、飲みたいと思っていた種類の茶葉を何も言っていないのに出されるのは序の口である。話し相手はいつもユイアだった。ユイアはソフィアが何も言わずとも気持ちを読み取り話をしてくれる。気持ちの居所なんて、リデュールの前では隠しようがない。

 王家では気持ちなんて顔に出さなければ伝わらないし、その時の気分に合わせて飲みたいお茶を要求するだけでもソフィアは疲れてしまう。笑顔を浮かべないと、今日も機嫌が悪いのね、なんて陰口を叩かれるのだ。だから、一日に最低一回、効果的なタイミングを狙ってソフィアは微笑むことにしている。実に億劫だ。

 ソフィアは、何故あんなに優秀なリデュール伯爵家が忌避されるのか、全く理解できず憂鬱な気分だった。ただ髪が黒いだけだ。疫病を広めたというのはデタラメだと当時のソレイユ公爵家が主張して世間に受け入れられたはずではなかったのか。悪意ある風評から全くリデュールを守れていないソレイユ公爵家は、何て無能なのだろう!と静かに憤った。

 実際は、悪意を調整することで、リデュール伯爵家を孤立させ、手元に置いておくのがソレイユ公爵家の狙いだろう。リデュール伯爵家の持つ革新的な知識や技術を、ソレイユ公爵家が独占している現状を見ればそうとしか思えない。

 果たしてそれは守っていると言えるのだろうか。

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