黒の慟哭

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【4】守る側

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 ソフィア・ソレイユは、公爵家の長女として生まれた。

 公爵家が王族に継ぐ地位を持つのは、定期的に王家と婚姻を結ぶことで王家のスペアとしての役割を担っているためだ。簡単に言うと、王家にとって最も近い親戚は常に公爵家だ。王族の次に王位継承権を持つのが公爵家である。

 ベルツェ王国の公爵家は全部で5つ。そのうちソレイユ公爵家が異質であると、ソフィアは日々の教育の中で気がついてしまった。ソレイユ公爵家の初代当主が王族の直系だったが、それ以降は婿や嫁といったやり取りが一切ないのだ。

 確かに王家と血縁関係はあるが、公爵家として、王家のスペアとして成り立つのか疑問に思えるほど血が薄れている。偶然王家と釣り合う年代の子供がいなかっただけにしては、あまりに不自然。

 それを、父であるソレイユ公爵に質問したところ、いつもニコニコと笑っている父が、初めて感情を消し去った。室内に控えていた黒髪のメイドたちを退室させ、書斎机を挟んで向かい合う。2人きりになると、ますます父が別人のようで戸惑ってしまった。

「詮索するな───と、本来は言うべきなのだが…」

 常に朗らかな父が笑わない。

 対するソフィアは、意識すれば表情筋を動かすことはできるという程度には表情が乏しい子供だった。鏡を見ても、頑張らないと微笑むことができない自分は父と似ていないと思っていた。しかし、初めて見る笑わない父は、自分と瓜二つだ。まるで血の通わない人形のような容貌をしている。

「何か、状況が変わったのですね?」

 しかも、悪い方に、だろう。

「ソフィアは今年で7歳だったか?」

「8歳です、お父様」

 第二王子の婚約者選びの茶会から一年程経っているが、ソフィアにはこれといった変化はなかった。変わったのは、ソフィア専属侍女になる予定のユイア・リデュールだろう。同い年の遊び相手であるユイアは、あの茶会以降ソフィアの元に訪れる機会が目に見えて減っている。原因は第二王子だ。ソフィアを前にしても、ユイアが話すのは第二王子のことばかり。

 ソフィアは話すのが苦手なので、今も昔も静かに誰かの話を聞くだけ。大概は公爵令嬢であるソフィアの顔色を窺い、一方的に気まずさを覚えた相手が離れていく。ユイアだけが、ソフィアの瞳から感情を読み取り、話し続けてくれる。

 変われない、変わらない。そんな自分自身にソフィアは諦めを抱いていた。

「シューゼル殿下とは3つ違いか」

 第一王子がそんな名前だったかと、頭の隅で考える。

「シューゼル殿下の婚約者については知っているか?」

「表向き空座ですが、ルーミネ公爵家の御令嬢が内定していたものと記憶しております」

 ルーミネ公爵夫妻は子に恵まれず、それでも愛妾を迎えることを公爵が拒み続け、もう諦めるしかないと思われた頃にようやく一人娘に恵まれた。ソフィアの記憶が正しければ御令嬢はソフィアより5つ上の13歳であり、昨年社交界デビューをしているはずだ。公爵と並ぶと祖父と孫にしか思えないくらい年の離れた親子だったと記憶している。

 シューゼル殿下の婚約者が伏せられているのは、第二王子の生母であるグレナーテ妃対策だ。プライドが高く嫉妬深い妃がシューゼルの婚約者を害さないとも限らない。自分の息子にその婚約者を譲れとヒステリーを起こすことも考えられた。グレナーテ妃に見破られないよう、ルーミネ公爵令嬢の婚約者は表向き他国の貴族としている。もちろん、事情を説明し、名前を借りる貴族には王から話を通して。他の公爵家も口裏を合わせている。ソフィアが知っているのも、そのためだ。

「そうだ。だが、先日御令嬢は病に倒れ、婚約を辞退なされた」

 忌々しそうに語る父からは『あくまで表向きは』という副音声が聞こえてくるようだ。つまり、そういうことなのだろう。醜聞となり得るような不都合が起こったのだ。

「そうでしたか」

 それが自分の質問とどう関わるのだろう、とソフィアは訝る。

「他人事のような口ぶりだが…、新たな婚約者候補にお前の名前が挙がっている。これは避けるべき事態だ」

 どうして公爵家なのに、避けるべき事態なのか。何故ソレイユ公爵家だけが王家との婚姻を長年してこなかったのか。

「どうして避けるのです?公爵家は王家のスペアではないのですか?」

「我が家だけは別の理由のために存在している」

 父は言った。



 ソレイユ公爵家は、リデュール伯爵家を守るためだけに存在するのだと。



 位が低いことで高位貴族に利用されても困る、位が高いことで過度な権力を持たれても不都合だという国の思惑からリデュールは伯爵の地位を与えられた。いざとなったら矢面に立ちリデュール伯爵家を守るのが我がソレイユ公爵家だ。そのための公爵家であり、下手に王家と密接になって過剰な権力を得れば要らぬ誤解を招きかねない。

 リデュール伯爵家を見張りやすくするために、ソレイユ公爵家は使用人という形でリデュール伯爵家の大半を取り込んでいる。いざとなれば、使用人の不始末は主が責任をとる、という名目で身代わりになれる。

「お父様、そこまでして守らなくてはならないリデュールとは何なのですか?」

 父が苦悩混じりに語る内容に、ソフィアは信じられないと小さく頭を振る。リデュール伯爵家は黒髪の一族というだけではなかったのか。

「いま言えるのは、我が家は王家に近づきすぎてはいけないということだ。国が、王家が、二度とリデュールを利用することがないように」









 王家の葬儀で棺に白薔薇を敷き詰める伝統は、遺体から漂う薔薇の香りを誤魔化すためである。

 呪いの存在を知らぬ者たちは、棺に敷き詰める伝統故に、薔薇が死を連想させるから王家は薔薇を避けるのだと思っている。シューゼルもそのように解釈している1人だ。

 シューゼルは、今まで向き合って来なかった亡き叔父を見つめる。



 叔父の、ガマガエルと揶揄されたガルグス大公の、食欲と性欲を貪ることに必死な、その浅ましさと執念深さはシューゼルにとって気味の悪いものだった。しかし、初めて立ち入る大公の私室には必要最低限の生活用品しかない。いつ亡くなってもいいよう、常に整理していたかのようだ。日記も雑記も書籍もない。その印象とのギャップに驚きを隠せなかった。

 執務室にも、やりかけの仕事などはなく、毎日欠かさず書かれた業務進捗覚書を覗けば、常にキリ良く仕上げていたことがわかる。何がどこまで進んでいるのかなど、事細かに書かれていた。その覚書だけでも業務の引き継ぎには困らなそうなのに、更に細かく業務内容の一覧が作られ、加えて目次付きの手引き書まであった。全て大公の直筆で、日々修正が書き加えられてきた痕跡がある。内容ごとに紐で括られ、業務が複数人に分配されることまで予測していたことが窺える。

 あの、放蕩ぶりを周囲に見せつけてきた叔父が、まさかここまで几帳面だったとは。恐らくこちらが叔父の本質だったのだろう。

 王子として、簡単な公務を一部引き継ぐことになったシューゼルは、この時初めてガルグス大公───叔父という人物を誤解していたのだと気付き、酷く後悔した。

 シューゼル同様、生前の大公と接してこなかった文官たちも驚きを隠せなかった。



「父上、叔父上はわざとあのように振舞っていたのですか?」

 本質を知ってしまったから故に問わずにはいられない。カイエルは大好きな叔父の死を知り、自室に篭ってしまった。恐らく泣いているのだろう。棺の前で立ち尽くしたまま動こうとしない父は、確かに故人の“兄”だった。そこに王としての威厳など欠片も見えない。ただ呆然の立ち尽くしている、ただの遺族でしかない父がいた。

「───タイムリミットが近づくと、背中に、ちょうど心臓の裏側に、黒い痣が現れる。年月と共に痣は増えていく。まるで薔薇の花弁のような痣が」



 薔薇の花が完成したら命を落とす。



「父上?」

 何を突然語り出したのだろう。驚くシューゼルに、父は眦に涙を浮かべて、無理に微笑んだ。



 同じ薔薇の種が、カイエルの中にもあるんだ。



 声にならない声で、父はそう告げた。



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