黒の慟哭

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【3】薔薇の掟

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 貴族というものは政略結婚が当たり前だと、知識としてはユイアも把握している。

 しかし、忌避される黒髪のリデュール伯爵家と縁を結びたいと望む家などなく、結果としてリデュール家は伯爵家でありながら政略結婚など無縁だ。



「ユイア、僕と結婚してください」



 王族から求婚されるなんて未だに信じられない。

「お断りします」

 カエル王子と揶揄される第二王子は、ユイアに殴られて以降、週1回は欠かさずリデュール伯爵家に押し掛けてきてストレートなプロポーズを挨拶代わりのように口にする。しつこい。諦めが悪い。出会ってから気づけば一年が経過していた。一年間、よくも飽きずに繰り返したものだと溜め息が漏れる。

 幸い、カエル王子にも学習能力はあったらしい。

 来訪の前日にユイアの都合を伺う手紙をくれるようになったし、初対面の時に比べれば話し方もしっかりしてきた。いつの間にか一人称が“おれ”から“僕”に変わり、何より…

「…殿下、また痩せました?」

「そう?」

「えぇ、お顔が引き締まってきましたね」

 会うたびに、少しずつ、それなのに、たった一年で別人のように変化していく。男の子の成長とはこんなに急激なのだろうかと、ユイアは疑問に思った。比較対象が身近にいないため、よくわからない。

「ユイアと出会ってから、毎日が充実しているんだ。出会う前まで一日中食べる以外やることがなくて退屈していたなんて、今じゃ信じられないよ」

「……………」

 きらきらと微笑む王子様に、ユイアは冷や汗が止まらない。頭を殴った覚えはないが、当たり処が悪かったとしか思えない。これが自分が仕出かしたことの結果だという自覚があるため、ユイアは王子の来訪を拒否できない。父は良い顔をしないが、ユイアが拒否しないため取り敢えず見守る構えらしい。

「ユイアの艶やかな黒髪はどんな黒曜石より美しいね」

 気味が悪いと中傷される髪色すら褒め称えてくるのだが、どうにも本心から言っているらしく、彼の瞳は静かに輝いている。そこには横柄な態度など微塵もない。嘲笑も見下す響きもない。

 人々からカエル王子とあだ名された頃の彼はもうどこにもいないのだ。

 現在城内で彼は“浄化された王子様”と使用人達に称されているらしい。王子の来訪に同行する、王子専属の護衛や侍女から「殿下を浄化して下さって有難うございます!」と代わる代わる頭を下げられたこともある。ユイアとしては複雑な心境だ。なにせ浄化した覚えなどない。大衆の、しかもご令嬢達の目の前で顔面を殴っただけだ。

「殿下、まだ応接間に案内してもいないうちから口説くのはやめてください」

 そう。ここはまだリデュール伯爵家のエントランスホールなのである。

「ごめん、ユイアに会えたのが嬉しくて、つい…」

 そう言って恥ずかしそうに赤くなるカイエルは、健康的に痩せたこともあり、まるで天使のようだ。ふわふわとしたミルクティー色の髪が輝いて見える。

 つられてユイアも照れそうだったが、頭の中に小難しい外国の論文を思い描くことでポーカーフェイスを必死に維持した。一流の貴族令嬢とプロの使用人は、決して感情を表に出してはいけないのである。

 応接間へと歩き出そうと体の向きを変えた時、不意に薔薇の香りがした。思いがけない香りにユイアは驚き、出所へ顔を向ける。

「どうかした?」

 そこには殿下がいる。

「あ、いえ、なんでも、ありません」

 慌てて顔を背けるユイアに、カイエルは不思議そうな顔をしたがそれ以上何も聞かなかった。そのことにユイアは安堵する。

 カイエルから薔薇の香りがするわけない。きっと、何かの気のせいだ。

 何故なら、カイエルが暮らす王城内では、国王から下働きの者まで、一貫して薔薇の香りをするものを持ち込むのも身に付けるのもタブーとされている。薔薇の掟と密かに呼ばれるルール。薔薇の花そのものも駄目だし、薔薇の香水や芳香剤も駄目。薔薇のモチーフや絵画は禁止されていないが、皆一様に避ける。王家主催のお茶会や舞踏会の参加者も、徹底して薔薇は避けるのが常識だ。王子であるカイエルがそのタブーを知らないわけはない、と思いたい。

 しかし、応接間に案内しても尚、微かに薔薇の香りがカイエルから漂ってきている。指摘するのも憚られて、でも気になって。

「殿下は、薔薇の掟をご存じですか?」

 ユイアは思わず問いかけていた。その意図に気づかなかったらしく、カイエルは気分を害する様子もない。

「もちろん。実は今までたった一度しか薔薇の実物を見たことがない。───あぁ、そういえば、これは内緒なんだけど、城内で一ヶ所だけ薔薇の香りが充満する場所があるんだ」

「え?禁忌なのに?充満?」

 ざわざわと、ユイアの心は落ち着かない。聞いていいのだろうかという戸惑いが強い。

「そう。叔父上の部屋なんだけど…。みんな叔父上が怖くて指摘しないのかな?最近、また一段と薔薇の香りが濃くなったような気がするんだ。父上も何もおっしゃらないし、禁忌だけど黙認されてるのかも」

 カイエルの叔父といえば、ガマガエル大公とあだ名される人物だ。一年前のカイエルとよく似た肥満体型で、女にも食にも貪欲であると聞いたことがある。

 改めてカイエルを見ると、本当に一年前とは別人のようで、これがあのカエル王子と同一人物だなんて信じられない。何度見ても、信じられない、と繰り返し思ってしまう。それほどにカイエルは見事な変貌を遂げた。

「大公殿下は厳しい方だとお聞きしたことがあります」

 実際には、人間嫌いだと聞いていた。不敬にならない程度にぼかす。カイエルは特に気にもとめずに考え込む。

「んー、僕には甘い方だからな。他の方にはそうなのかもしれない。極端に人前にお出にならないし、使用人も幼少期からの知り合いしか近寄らせないそうだから。凄く几帳面で責任感のある方だよ」

 そのうち、ユイアを叔父上に紹介したい。そう続けられ、当のユイアは顔をひきつらせつつ、必死に微笑む。できれば遠慮したい。そんな心の声が聞こえたのか、カイエルはくす、と笑みを零した。

「優しいから大丈夫。───忙しいからといって誰も僕の話を聞いてくれなくても、叔父上だけは僕の拙い話を最後まで聞いて下さった。仕事は遅れても取り返せるけど、僕の話を聞くのは今しかできないと仰って…」

 カエル王子と呼ばれていた頃を思い出す時のカイエルは、いつも痛々しい傷跡を見たかのように沈痛な面持ちで眉根を寄せる。その表情を見ると、ユイアはいつも言葉が出なくなってしまう。

「そんな顔をしないで。ユイアと出会えたのを切っ掛けに、今は父上も兄上も傍にいてくださるから大丈夫だよ」

 自分がどんな表情をしていたのか、わからない。まだまだ修行が足りないのだと自覚する。伸ばされたカイエルの片手がユイアの頬に触れると、その掌の温かさに包まれて安堵する。すり寄りたくなる、すがりたくなる。

「ユイアには感謝してる、ありがとう」








 ───薔薇の香りがシューゼルから、今日生まれた子に移った。



 カイエルの生まれた日に弟から告げられた言葉を思い出し、ルグナスは天井を仰いだ。ルグナス・ベルツェ。このベルツェ王国の王である。

 幼き日にまで思考を巡らせて、ようやく視線を目の前に戻す。薔薇の香りが嫌というほど充満する室内に、薔薇の姿はない。あるのは、弟の亡骸だけだ。

 弟が心を許した数少ない使用人たちも、噎せかえるような芳醇な薔薇の香りを厭うように口と鼻を手で押さえつつ、皆無言で頷き退出していく。



 果たして彼は幸せだったのだろうか───



 兄としてできる限りの愛情を注いだつもりだ。それすら単なる自己満足でしかなく、思春期の頃に「善人ぶって、兄さんはそんな自分に酔ってるだけだろ」と弟から吐き捨てられたこともある。大人になってから「死にたくない」と泣かれたこともある。

 弟に「陛下」と呼ばれると、王という立場が踏みしめる遺骨の、みしみしと軋む音が聞こえるような気がして辛かった。恐らくそれに気づいたのであろう弟は、敢えて陛下と呼ぶことをしなくなった。ただ「兄上」と呼んで、仕方なさそうに笑うのだ。困った兄だと。

 弟の優しさに甘えてばかりだったと、後悔は尽きない。
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