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【1】カエル王子の初恋
しおりを挟む晴天のもと、優雅なお茶会。花々の咲き誇る庭園に、緻密なレースのテーブルクロス、白い滑らかな木材に繊細な絵柄の彫られた椅子たち、色彩毎に整列した一口大の焼き菓子の数々…。何をとっても乙女の夢を詰め込んだ、素敵なお茶会である。
設営された会場だけ見れば。
参加している令嬢は皆7歳前後。これが人生初のお茶会という子が大半だ。
リデュール伯爵家の次女、ユイア・リデュール、7歳。彼女もこれが人生初のお茶会であり、色々な意味で緊張している。人々の嫌悪するような視線が集まるのも緊張に拍車をかけていた。彼女のもつ黒い髪は非常に珍しく、リデュール家の者くらいしかこの国では見当たらない。
そもそもリデュール家は“異端”と周囲から認識されている。その最たる理由は、伯爵家という高位貴族でありながらリデュール一族全体がソレイユ公爵家に仕えている、という点だ。
行儀見習いとして自身より上位貴族に仕えることはよくある。ところが、リデュール伯爵家は見習いなどではなく、当主から末端まで全員が全力でソレイユ公爵家に仕えているのだ。上位貴族がそこまでするのは余程自領の財政が傾き、働かざるを得ない緊急事態くらいだろう。リデュール伯爵領は傾いてなどいないし、むしろ国内で五本の指に入る繁栄ぶりだ。それでも仕えることをやめない。
その昔、他国から珍しい黒髪の女性がリデュール家に嫁いだ際、偶然同時期に疫病が蔓延し『黒髪の魔女が国を滅ぼしに来た』と根も葉もない噂が流れた。民の暴動に堪えかねた当時の国王は、周囲に言われるままリデュール当主一家を処刑しようとする。その時、唯一庇ってくれたのがソレイユ公爵家なのだ。以来、リデュール家はソレイユ公爵家に絶対的な忠誠を誓っている。
ユイアの父・リデュール伯爵は政治面で公爵の右腕を勤め、母・伯爵婦人は公爵家の家庭教師で乳母、叔父は代理領主、別の叔父は執事長、叔母はメイド長。ユイアの長兄は公爵令息の従者、姉は侍女。次兄は将来伯爵領の運営に携わる予定のため今は公爵領で学びながら事務員として働いている。
そんなリデュール家を貴族たちは『魔女の末裔』とか『ソレイユの犬』『腰巾着』などと呼び、爵位など不相応だと揶揄している。
揶揄されても今更気にはしない。ユイアも侍女になる予定だし、それを誇らしく思っている。正直楽しみで仕方ない。
ユイアが仕える予定のご令嬢、ソフィア・ソレイユは、美少女だ。滑らかな白金の髪は細いのに絡まることなく緩やかなウェーブを描いて流れ、肌の白さと相まって、どんな美術品よりも、どんな宝石よりも美しい!とユイアは確信しているし、ユイアの家族も間違いなく首を激しく縦に振る。睫毛のもたらす影は儚く、覗く双眸は海に射す朝日を彷彿とさせる。これぞ、神の奇跡だと信じて疑わない。
周囲を見渡し、ユイアは満足げに頷いた。私の主(予定)がここにいる誰よりも一番美しいと確信して。問題は、そのソフィアが美しすぎる、ということ。何故ならこのお茶会が、今年7歳になる第二王子の婚約者選びのために開催されているからである。ソフィアが選ばれないように立ち回る、というのが公爵夫妻からの密命だ。
第二王子の渾名は『カエル王子』という。まるでガマガエルのような肥満体型で、見た目を裏切らない怠け者だとか。
ちなみに、『ガマガエル大公』と呼ばれているのが現国王の弟であり、カエル王子の叔父だ。叔父と甥なのだから似ていても不思議ではないのだが、国王や第一王子と比べると人種が違うのでは?というレベルで比較にならない。大公が第二王子を甘やかしている筆頭であることから、実は国王の子ではないのでは、という不敬極まりない噂まで広まっている。
そのカエル王子は現在、茶会の上座で、赤いビロードの一人がけソファに猫背で座り、両手でむしゃむしゃとひたすら焼き菓子を頬張っていた。参加者への挨拶も何もない。マナーなど欠片もない。口回りに食べかすをつけ、品がないにも程がある。
乙女の夢を具現化したような会場なのに、参加した令嬢たちは皆顔色悪く立ち尽くし、第二王子の醜態に言葉もない。お辞儀をするタイミングも、挨拶をするタイミングもわからない。声をかける時は身分が上の者から、というマナーを考えても考えなくても、誰も何も言えない。
こんなヤツにソフィア嬢を渡すのは絶対に嫌だ、例え依頼がなくても断固阻止!───ユイアの緊張は気合いと共にますます高まっていく。
一通り皿を空にした王子に、側にいたメイドが何かを囁く。カエル王子は露骨に面倒くさいという顔をした。
「こんやくしゃ?ふむ…、そうだな。うーん…」
挨拶をすっ飛ばして全体を見渡し始めた王子に、令嬢たちは息を呑んだ。まるで呼吸をしたら見つかってしまうかのように息を押し殺す。誰しもが選ばれたくない!と内心叫んでいるのがよくわかる空気だ。しかし、誰かが生け贄にならなくてはならないのもわかっている。
「どいつもこいつもブスばかりだな」
カエル王子は鼻で笑う。
令嬢たちの無言の怒りで、場の空気が更に険悪になった。
「もっとも美しい娘に、おれの嫁になるけんりをやろう」
案の定、カエル王子はソフィアの元へと、緩慢な動作で歩き始めた。す、とユイアは迷わず立ち塞がる。対峙したカエル王子の口からは異臭がした。
「どけ、魔女」
「お断りします」
「おれにえらばれなかったのが、そんなに悔しいのか!あわれな女だ。おれを怒らせるまえに、早くそれをさしだせ」
それ。
その2文字に、ユイアの頭は真っ白になった。
大事な大事なソフィアお嬢様を、それ、と?
「私のお嬢様に、近寄るなーっ!!」
「…それで、第二王子殿下の顔面を殴った、と?」
牢屋に入れられた娘を迎えに来たリデュール伯爵は、娘が頷くのをみて頭を抱えた。リデュール伯爵の隣ではソレイユ公爵がにこにこ笑っている。
三人がいるのは城の牢屋の近くにある小部屋だ。前室と呼ばれ、面会や取り調べなどに使われる部屋である。そんな部屋でも城は城。簡素な作りながらも室内の机や椅子は綺麗で荒々しさなどは見当たらない。
「さすが小さくてもリデュールだね!よくやった!!」
「誉めないでください!王族を殴るなんてその場で殺されても文句言えないんですよ!」
「だからじゃないか!むしろ子供じゃなきゃ王族を殴るなんてできないんだよ!人生の限られた期間にしかできないんだよ!チャンスを逃さず、本当によくやった!!」
形だけ投獄されたが、裁きや罰はなし。会場に控えていた使用人たちが大人としての意見を述べ、参加した令嬢たちも暗に王子の常識の無さを訴えたのだとか。それを受けた国王が子供同士のこととして大目に見てくれた。
感情のままに動いてしまった自分が悪いという自覚のあるユイアは俯く。
「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした、公爵様、お父様」
「ユイアは素直でいい子に育ったねー。大丈夫だよ、君のお父さんなんて僕に付きまとう王女様に対して落とし穴を掘ったり、死角から水鉄砲でドレスを汚したりしてたんだから!それに比べたら本当、よくここまで真っ直ぐに育ってくれたよ!!」
「その話をするのはやめてください!!」
父は陰湿な子供だったらしい。
「もし鼻を殴っていたら骨折したり面倒なことになってたかもだけど、顎だよ、顎。真っ直ぐストレートに顎。物怖じせず向き合ったのがよくわかるじゃないか、素晴らしい!」
話を聞いていると公爵も父と同類なのでは、と思えてきた。誉めるポイントがおかしい。
それはそうと、王族を殴った伯爵令嬢なんてさすがに嫁の貰い手もないだろうし、一生お嬢様に尽くせるのではないか。そういう意味では殴って良かったと言える。
そう、ユイアは楽観的に考えていたのだが。
「おれがおまえを嫁にもらってやろう」
翌日、前触れもなくリデュール伯爵家を訪れた第二王子は、巨体を強調するかのように腰に手を当てて胸を張り、堂々と宣言した。
もう一発殴っておけば良かったと後悔して拳を握りしめる。
「ブスで魔女である私に、そのような重責は担えません。お断りします」
伯爵家の客間が凍りつく。ユイアの隣に座っているリデュール伯爵からは怒気が漂う。そっと見れば、伯爵の顔がひきつっていた。
「ユイア、その、ブスで魔女、とは?」
「殿下が先日そのように私を評したのですわ、お父様」
淡々と告げて紅茶を啜る。…味はよくわからない。
「おれがもらってやらねば、おまえのような暴力女のひきとりてなどあるまい!」
王子はある意味、大物だ。全く場の空気が読めていない。自分が信じたいものしか信じないタイプの人種なのだろう。
リデュール伯爵は、ユイアの父として怒りたいのを堪え、伯爵として無表情を維持する。その姿勢は凄いが、その分足元の貧乏ゆすりが激しい。隣に着座しているユイアにはその振動が直球で伝わってくる。
「リデュール家の当主として認めません」
「王族からのしめいをことわるというのか!」
身分を考えれば、普通は下の者が拒否できる内容ではない。普通は。しかし、そこはリデュール家。
「殿下は歴史を学ばれた方が宜しいでしょう。我がリデュール家は先祖の恨みを忘れてはおりませんし、王家への忠誠心など欠片もございません」
え、それ断言しちゃっていいの!?国家反逆罪に問われる案件なのでは!?などと、王子を殴った過去を棚に上げて焦るのはユイアだけ。控える使用人たちも無言で頷いている。対するカエル王子は四面楚歌の状況にも関わらず堂々と首をかしげていた。
「だったら、なんでわが国の貴族をなのっているんだ?」
「王家からの依頼で、としかお答えできません」
爵位なんぞいつでも返してやる、そう言外に含めて伯爵は綺麗に笑う。しかし、相手は子供で、しかも無能と名高いカエル王子。よくわからないという表情をしており、伯爵の威圧も意味をなさない。
「ふーん?よくわからないが、べんきょう?したら、また来てやる!」
全くダメージを受けていないどころか、欠片も理解していない様子の王子に、リデュール家の人々は脱力せざるを得ない。
「いえ、来ていただかなくて結構です」
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