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しおりを挟む聞いてもいないのに、ヌゲイル男爵は事情を語った。興味のなかった少女───リアーチェは聞き流したし、特に何も思わなかった。
要約すると、こういうことらしい。
最愛の妻を亡くした男爵は、妻に瓜二つの娘に会うのが怖くなり、仕事に逃げた。長年仕えている信頼している者達に娘を任せ、何一つ疑うことなく、娘の養育費は惜しまなかったらしい。───しかし実際は、養育費を使用人達に横領され、肝心の娘は必要最低限の食料しか与えられずに閉じ込められていたのだという。ようやく屋敷外の人間───婚約者に会うことが出来た娘だったが、婚約者の少年にも容姿を罵倒され、絶望した。
ヌゲイル男爵が娘の絶望を知ったのは、冷たくなった娘と再会した時だった。
「つまり、男爵が父親としての義務も責務も放棄した最低野郎だったってことですよね?」
「そういうことだ!」
開き直ったオッサンにイラッとしたが、今はこれが自分の父親である。
「亡くなりました、はい、この婚約は消滅です!じゃダメなんですか?」
「残念ながら相手の理解が得られない。恐らく己の言葉がトドメを刺したなど信じたくないのだろう。当時子供だった彼としては、好きな子に素直になれなかっただけ、傷つける意図など微塵もなかった。故に彼もまた深く傷つき、現実を受け入れられぬ」
「それで、身代わり───私ですか」
「先程も言った通り、私の娘が伯爵家に行き、婚約に向けて前向きな努力をした。その事実が欲しい」
そのまま結婚しても、婚約破棄になったとしても、その後の生活は保証すると男爵は言う。実の娘にしたかったこと、出来なかったことを君にさせて欲しい。───なんというエゴだろうか。断罪する立場にはないし、提示された報酬を蹴るほど無欲ではないので有り難く恩恵は受け取る。受け取るが、若干胸糞悪い。
新しくリアーチェとなった少女は、そんな男爵を鼻で笑い飛ばした。
「誠実さを吐き違えてません?」
「後は君と彼の問題だ。私は知らん。君に任せる」
娘を通して、連鎖的に1人の青年の人生をも狂わせたという自覚はあるようだ。トドメの言葉を吐いたという青年を恨んでいるのなら、復讐して来いと言ってもおかしくはないだろう。それとも、本物ではない偽物を与えることこそが男爵なりの復讐なのだろうか。
「躾もなってないと男爵家の評判を下げるかもしれませんよ?」
「一向に構わん。その程度の報いなら甘んじて受け入れよう」
男爵家でドレスに着替えさせられ、言われるがまま応接間で待っていると、黒髪の青年が案内されてきた。
「お待ちしておりました、ハードレイ伯爵」
あからさまな作り笑顔で男爵が青年に声をかける。しかし、青年の目はリアーチェに釘付けだ。リアーチェは目を伏せたまま、応えることなく、微動だにしない。
「…リアーチェ、本当に、君なのか」
「……………」
疑われたところで慌てることもない。なにせ、破談にしても構わない縁談だ。前向きに婚約へと向き合い、男爵は娘を伯爵に会わせた。じゅうぶん及第点だろう。
「髪の色が、昔と違わないか…?」
本物のリアーチェお嬢様の髪色なんて知らない。今のリアーチェはプラチナブロンドだ。伯爵の声が震えていることに気づかないふりをして、自身の巻かれた髪に触れる。自身の髪とは思えないほど艶やかな質感に内心歓喜の声を上げる。表情を押し殺すのが辛い。
「生憎子供の頃の記憶がありませんので、わかりかねます」
嘘は言っていない。
「瞳の色も…、変わったか?」
「さぁ…?記憶に御座いませんわ」
今のリアーチェは銀色の瞳をしている。
「肌の色も…、その、随分健康そうだな」
「田舎で療養しておりましたの。土弄りに興味を持ちまして、積極的に参加していたからでしょう」
実際、教会で生活していた間は掃除、洗濯、炊事、畑仕事、何でもしていた。特に晴れた日は外にいるのが好きだった。
色白である方が好ましいとされる貴族令嬢が、健康的な肌色というのは異質なのかもしれない。
男爵は好きにしていいとリアーチェに言った通り、特に口を挟むことも無く涼しい顔をしていた。そんな父親を一瞥して、リアーチェは伯爵へと視線を戻し、微笑む。
「伯爵は私の容姿にご不満がある様子。やはり破談ということで───」
「待って下さい。不満ではありません。久しぶりにお会いしたので緊張しているだけです!ま、まさか、こ、こんなにお美しくなっているなんて…!」
かァァァァ…という音がしそうな勢いで顔を真っ赤にした伯爵は、両手で顔を覆って俯いてしまった。一方のリアーチェは、美しいなどと評価されたのが初めてで。戸惑い、男爵を仰ぐ。男爵は呆れたように顔を背けた。困ったリアーチェは伯爵へと向き直る。
「世辞でも嬉しいです」
「世辞などではない!!」
ガバッと顔を上げるなり両肩を掴んできた伯爵の、その必死な様に、今度はリアーチェの方が顔を紅潮させる。
「あ、あの、痛い、です」
「あ!も、申し訳ない」
最早恥ずかしさのあまりお互いの顔が見られなくなってしまった若い二人の隣で、男爵は深い溜め息を吐いていた。
「伯爵。婚前交渉は認めませんからな」
「ももももも勿論です!!」
「娘がこの婚姻を嫌だと言ったら、それが例え結婚式の前日だろうと意地で連れ帰りますので、そのつもりで」
「はい。そうならないよう、努力致します」
ガチガチに緊張しつつ、堂々と宣言した伯爵を前に、リアーチェは顔を顰めた。偽物の婚約者と真面目に向き合おうとする彼が哀れに思えたのだ。しかし今更引き返すわけにもいかない。
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