泥を啜って咲く花の如く

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「確か、第二王子は都の西にある貧困地区の再開発を任されていましたよね?」

「ああ。その経費を横領していたらしい。…まぁ、使い道はおおよそ想像がつくが」

 ライナス同様、ヨハンナも想像できたらしい。その表情は苦々しい。恐らく第二王子はマーリアに貢いでいたのだろう。

「………それに加えて窃盗とは穏やかでありませんね?」

「ん、あぁ…、国宝の指輪を無断で宝物庫から持ち出したらしい」

 盗品は未だ見つかっておらず、捜査への協力依頼が書かれている。

「指輪、ですか…。それは、恐らく、女物の指輪なのでしょうね」

「……………そうだな」

 座ったばかりだというのに、ライナスもヨハンナもそれぞれ立ち上がる。

「すぐにあの女の私物を確認しよう。ヨハンナも立ち会ってくれるか?」

「もちろんです」

 既に荷物は没収してあるため、騒がれずにゆっくり探すことができる。本人を独房に入れていることで、共犯者を匿っているなどと疑われる心配もない。

 さて歩き出そうとしたところ、訪問者を告げるベルが鳴り響いた。

「来客の予定はなかったはずだが…」

 執務室を出てすぐの窓から外を覗く。三階にあり、門に到着している馬車を確認するのにはちょうどいい場所なのだ。

「シャーチル伯爵家の家紋ですわね。伯爵夫妻でしょう。マーリアといい、夫妻といい、先触れもなく訪れるなんて…、申し訳ございません、ライナス様」

「君が謝る必要はない。彼らも第二王子の罪に関わっている恐れがあるんだ、ちょうど良かったじゃないか。───客人たちを、極上のワインが提供出来る応接間に案内しろ」

 指示を飛ばす部分は、ライナス自身驚くほど冷たい声音だった。ヨハンナが怯えなかっただろうかと、横目で盗み見ている間に、控えていた従者たちは迅速に動き始める。

 ヨハンナは不思議そうに首を傾げていた。

「ワイン、ですか?」

 怯えていない。良かった!という安堵を込めて頷き返す。

「この城には応接間が複数存在する。外部にそれを知られたくないため、それぞれに固有の名称はついていないんだ」

「サロンやガゼボに加えて、ですか?」

 普通の貴族の屋敷なら応接間は一つだけ。代わりにサロンやガゼボなどを応接間の代わりとして使用することはある。話の内容に応じて、あるいは天気に応じて、など決める理由は様々だが、基本的に貴族は先触れをするものなので、客人が被るという事態は余程の緊急事態でもない限りは起こらない。

「例えば、商人用の応接間。相手の目利きを試す為に、わざと一見価値がなさそうなものだけを飾ってあるんだ。価値を見抜けないような商人など不要だし、商人の振りをした間者という可能性もあるからね」

 山賊のような荒くれ者と交渉する際に用いるための応接間は、壊されて困るような品は一切置いていない。いざとなったら盾にもできるよう、木製のテーブルの中には分厚い金属板が仕込まれていたりする。───などという話はヨハンナを怯えさせてしまいそうなので、しばらく黙っていようとライナスは心に決めた。

「来客に応じて必要な情報を得るために最適な内装の応接間にお通しするのですね」

「女主人となるヨハンナにはいづれ全て紹介するが、先に招かざる客を片付けよう。いや、その前に指輪探しが先決か」

 応接間ではなく、マーリアから取り上げた荷物を保管している部屋へ向けて歩き出す。先触れも出さない無礼な客など待たせておけばいいのだ。

「伯爵夫妻を案内した応接間はどのような特徴があるのです?」

「ワインセラーが併設されているのさ」





「遅い!いつまで待たせるつもりだ!」

 豪華な2人がけのソファーが手狭に思えるほどの図体のデカさで、偉そうにふんぞり返っている男がいる。その斜め向かいにある丸いチェアに腰掛け、楚々として済ましている女性は、羽のパサついた扇子で口元を隠している。

 控える執事が申し訳なさそうに頭を下げていた。

「申し訳ございません。旦那様は現在急いで執務を片付けております。先触れを頂けましたら歓迎の晩餐会を盛大にご用意できたのにと嘆いておられましたよ」

「娘もまだこちらに来れませんの?」

 夫人の尖った声に反応し、執事は向き直って改めて頭を下げ直す。

「奥様は、長年育てて下さったお二人を最大限おもてなしすべく奔走しておられます。恐らく今頃は厨房でシェフと打ち合わせをしていることでしょう」

「まぁ、当然だろう。我々はあの子の親なのだからな!」

「お詫びにもなりませんが、ワイン通で知られるシャーチル伯爵に、取っておきの一品を提供するよう命じられて参りました」

 取っておき、と聞いて伯爵は目の色を変えた。執事は表情に出さず内心嘲笑いながら、一見単なるキャビネットに見える隠し扉を押しやる。

 おお、と。夫妻は目を見張った。

「実はこちらがワインセラーとなっております」

 説明しつつ、中に入った執事は特定の一本を取り出す。

「そ、それはまさか───!」

 シャーチル伯爵如きではとても口にできない、有名なヴィンテージワインのラベルに、目の色を変えて喜色を表す。対する執事は申し訳なさそうな表情で隠し扉を閉めた。

「シャーチル伯爵様ともなれば飲みなれていらっしゃるでしょうから、説明は不要でしょう」

「う、うむ!まあな!」





 ワインセラーとは反対側の壁。地下の独房同様の一方的に室内を観察できる特別な壁越しに、ライナスとヨハンナはシャーチル伯爵夫妻の様子を窺っていた。

「ライナス様、あのワインは偽物ですね」

「何故そう思う?」

「だってライナス様、楽しそうな表情を隠しきれてませんもの。目をキラキラさせて、悪戯を仕掛けて隠れている子供のようですわ」

 こんな強面の男を捕まえて子供のようだと言ってのけるヨハンナも大物だとライナスは笑う。

 ワインセラーを併設しているため、この応接室は地下にある。そう、例の独房と同じ階層だ。応接間内の本棚を動かすと、独房に直通の廊下が現れる。

「あのワインは我が領内でしか出回っていないデイリーワインだ。領民の潤いとなるよう、非常に安価で流通させている」

「まぁ、それをあのように得意げに口にしてうんちくを垂れ流している伯爵は本当に上辺だけのワイン通ですのね」

「屋敷の関係者が目の前にいれば悪し様に言えないのはわかるが、あの伯爵がそのような気遣いをするわけがない。飲んで安物だと気づいていたら、すぐさまボロクソに言って執事にグラスを投げつけそうだ」

「さすがライナス様。よくご存知で」


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