泥を啜って咲く花の如く

ひづき

文字の大きさ
上 下
4 / 6

しおりを挟む



 招かれざる客は、まるで自分が主であるかのように指示を飛ばす。使用人たちは、その、あまりにも堂々とした態度に唖然として狼狽える。

 客人の名はマーリア・シャーチル。

 それを聞いたライナスは面倒くさいという表情を隠さない。隣で眠るヨハンナを起こさぬように気をつけつつ、未練の残る寝台を抜け出した。

「あら、ライナス様。もうお昼だというのに今頃お目覚め?」

「名を呼ぶな」

 これが初対面で、最初の会話である。

「遠慮しないで。私と貴方の仲でしょ?」

 艶やかな唇が蠱惑的に歪む。その様には吐き気しか覚えない。

「己の仕出かしたことを理解していないバカと俺の間に、仲と言えるものは何も無い」

「異母姉を押し付けたことを怒ってるの?ごめんなさい、ライナス様。私も周りには逆らえなかったの。みんな口を揃えて行かないでくれと縋るんだもの、仕方ないじゃない」

 この女と同席したくない、という理由から、ライナスは着席しようとはせず、立ったまま腕を組み、考える。クズ野郎にバカ女で、昨日の乱入者と目の前のマーリアはお似合いだったな、と。

「それで、用件は?」

 睨みを利かせても、マーリアに臆する様子はない。ライナスの顔の怖さなど微塵も感じないらしい。そういう点はヨハンナと同じかもしれない。

 とはいえ、マーリアからは男全般を絡めとることができるという自信のようなものが感じられた。ライナスが男である限り、どんなに顔が厳つくても恐れる対象にはならないらしい。相手の中身も見ていないが、そもそも上辺すら目に入らないらしい。

「本来の立場を取り返しに来たの。貴女の妻はあの女ではなく、私。嬉しいでしょう?」

 実家の財産が底を尽きたか、第二王子に何かあったか。次の寄生先にブライドラー辺境伯領を選んだということなのだろう。

 元々は自身に来た縁談なのだから、異母姉と再び立場を入れ替えればいいとしか思っていない様子。

「私が辺境伯夫人となり、あの女が伯爵夫人となって、グレッド様が伯爵となる。本来あるべき姿に戻せば、グレッド様のご実家であるユーミル侯爵家と揉める憂いもなくなるもの。ライナス様のために、私は戻ってきたのよ」

 押し付けがましい言い分に、苛立ちが募る。許されるなら今すぐ熱湯を顔面に投げつけてやりたい気分だ。

「そもそもお前が王命に従っていれば揉め事など起こらなかったんだが?」

「そうね。両親に逆らえなかった私にも非はあるわね」

 あくまで自分の意志で結婚を異母姉に押し付けたわけではないと言い張る、その性根の悪さに、この女のどこが美しいのだろうと訝った。

「俺の妻はヨハンナだけ。お前など不要だ」

「真面目ね、そんなところも素敵。仕方ないから義妹として滞在してあげる」

 撫でるように、ざらりと、女の声音がライナスに絡みつく。

「特別な部屋を用意させよう」

 にやり、と。ライナスは笑う。





「確かに特別な部屋、ですわね」

 ヨハンナは湿った空気の中、重い息を吐く。地下室に、鋼鉄の扉。わざと明かりの少ない異様な空間。

『出しなさいよ!!』

 ガンガンと扉を鳴らすのはマーリアだ。二重扉の向こう側で騒いでいるため、声がくぐもって聞こえてくる。

「ここが対諜報員用の特別牢だ」

 傷が霞むほど、良い笑顔でライナスはヨハンナに紹介してみせる。

「もっとも、ここ10年は平和で使用されていない」

「その割には…、不思議と埃っぽくありませんわね?」

「ヨハンナを案内する範囲だけを取り急ぎ掃除させたからな。独房内はかなり埃っぽいはずだ。恐らく蜘蛛の巣も凄いぞ」

 廊下と合わせて清掃されたらしい監視室からは、透き通った壁越しにマーリアが見えた。マーリアは2人の動きに気づくことなく、ひたすら扉に張り付いて騒いでいるようだ。

「あちらからは見えないようになっている」

 埃避けらしい布が掛けられた謎の物体が複数あり、具体的には何があるのか、ヨハンナからはよく見えない。

「寝具などはないのですね?」

「不要だろう」

 長期的に閉じ込めるつもりはないとも、寝具など勿体ないとも聞こえるように、ライナスは応えた。ヨハンナは困ったように肩を竦める。

「懐かしいですわ。わたくし、屋敷に来客が訪れる度にこのような物置によく閉じ込められておりましたの」

「最大3日間閉じ込められたまま食事も与えられなかったと聞いている」

「まぁ!よくそこまで調査なさいましたね」

 ヨハンナがマーリアを少しでも憐れむならすぐに王都へ送り返そうと思っていた。しかし、ヨハンナは動じない。悪戯が成功した子供のように微笑むだけ。

 ヨハンナの慈悲の基準を壊したのは他でもないシャーチル伯爵家の連中なのだろうから、このように扱われるのも自業自得だろう。

「君は俺を残忍だとは思わないんだな」

「血を流すわけでもなければ、死ぬ心配もありませんもの。これで残忍なんて言ったら、シャーチル伯爵家は地獄でしょう」

 シャーチル伯爵家を背負ってきたヨハンナの体には、古い鞭打ちの痕が残っている。それに比べれば、なんと生温い所業だろう。

「せっかくだ。マーリア嬢には存分に楽しんで頂こう」

「そうですわね。貴重な体験ですもの」

 もう用はないとばかりに、ヨハンナの手を引いて地下を後にする。くぐもった声に後ろ髪を引かれることはない。





 執務室に戻ると、ライナスは控えていた補佐官から預かった手紙に目を通す。

 ヨハンナには部屋で休むように言ったが「なるべく傍にいたいのです」と請われれば悪い気はしない。執務室のソファーにヨハンナのためのクッションを手配し、好みそうな本を執事がサイドテーブルに並べていく。ヨハンナは表情を綻ばせて、執事に礼を述べていた。

「第二王子が横領と窃盗の容疑で取り調べを受けているらしい。恐らく近いうちに王家から除籍されるだろう」

「横領に、窃盗、ですか?」

 普段なら面倒だとしか思わない伯父からの連絡も、ヨハンナとの話題になるのなら悪いことばかりではない。

 都合の悪い部分は声に出さず読み飛ばせばいい。とはいえ、不思議なことに、ライナスがマーリアとではなくヨハンナと結婚したことに対する苦言などは来ていない。どちらでも良かった、ということだろうか。

 邪魔しない限り、王の考えなど横に置いておけば良い。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約者を取り替えて欲しいと妹に言われました

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
ポーレット伯爵家の一人娘レティシア。レティシアの母が亡くなってすぐに父は後妻と娘ヘザーを屋敷に迎え入れた。 将来伯爵家を継ぐことになっているレティシアに、縁談が持ち上がる。相手は伯爵家の次男ジョナス。美しい青年ジョナスは顔合わせの日にヘザーを見て顔を赤くする。 レティシアとジョナスの縁談は一旦まとまったが、男爵との縁談を嫌がったヘザーのため義母が婚約者の交換を提案する……。

その瞳は囚われて

豆狸
恋愛
やめて。 あの子を見ないで、私を見て! そう叫びたいけれど、言えなかった。気づかなかった振りをすれば、ローレン様はこのまま私と結婚してくださるのだもの。

婚約者様。現在社交界で広まっている噂について、大事なお話があります

柚木ゆず
恋愛
 婚約者様へ。  昨夜参加したリーベニア侯爵家主催の夜会で、私に関するとある噂が広まりつつあると知りました。  そちらについて、とても大事なお話がありますので――。これから伺いますね?

お姉様優先な我が家は、このままでは破産です

編端みどり
恋愛
我が家では、なんでも姉が優先。 経費を全て公開しないといけない国で良かったわ。なんとか体裁を保てる予算をわたくしにも回して貰える。 だけどお姉様、どうしてそんな地雷男を選ぶんですか?! 結婚前から愛人ですって?!  愛人の予算もうちが出すのよ?! わかってる?! このままでは更にわたくしの予算は減ってしまうわ。そもそも愛人5人いる男と同居なんて無理! 姉の結婚までにこの家から逃げたい! 相談した親友にセッティングされた辺境伯とのお見合いは、理想の殿方との出会いだった。

【完結】逃がすわけがないよね?

春風由実
恋愛
寝室の窓から逃げようとして捕まったシャーロット。 それは二人の結婚式の夜のことだった。 何故新妻であるシャーロットは窓から逃げようとしたのか。 理由を聞いたルーカスは決断する。 「もうあの家、いらないよね?」 ※完結まで作成済み。短いです。 ※ちょこっとホラー?いいえ恋愛話です。 ※カクヨムにも掲載。

【完結】虐げられて自己肯定感を失った令嬢は、周囲からの愛を受け取れない

春風由実
恋愛
事情があって伯爵家で長く虐げられてきたオリヴィアは、公爵家に嫁ぐも、同じく虐げられる日々が続くものだと信じていた。 願わくば、公爵家では邪魔にならず、ひっそりと生かして貰えたら。 そんなオリヴィアの小さな願いを、夫となった公爵レオンは容赦なく打ち砕く。 ※完結まで毎日1話更新します。最終話は2/15の投稿です。 ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています。

(完結)モブ令嬢の婚約破棄

あかる
恋愛
ヒロイン様によると、私はモブらしいです。…モブって何でしょう? 攻略対象は全てヒロイン様のものらしいです?そんな酷い設定、どんなロマンス小説にもありませんわ。 お兄様のように思っていた婚約者様はもう要りません。私は別の方と幸せを掴みます! 緩い設定なので、貴族の常識とか拘らず、さらっと読んで頂きたいです。 完結してます。適当に投稿していきます。

夫と息子は私が守ります!〜呪いを受けた夫とワケあり義息子を守る転生令嬢の奮闘記〜

梵天丸
恋愛
グリーン侯爵家のシャーレットは、妾の子ということで本妻の子たちとは差別化され、不遇な扱いを受けていた。 そんなシャーレットにある日、いわくつきの公爵との結婚の話が舞い込む。 実はシャーレットはバツイチで元保育士の転生令嬢だった。そしてこの物語の舞台は、彼女が愛読していた小説の世界のものだ。原作の小説には4行ほどしか登場しないシャーレットは、公爵との結婚後すぐに離婚し、出戻っていた。しかしその後、シャーレットは30歳年上のやもめ子爵に嫁がされた挙げ句、愛人に殺されるという不遇な脇役だった。 悲惨な末路を避けるためには、何としても公爵との結婚を長続きさせるしかない。 しかし、嫁いだ先の公爵家は、極寒の北国にある上、夫である公爵は魔女の呪いを受けて目が見えない。さらに公爵を始め、公爵家の人たちはシャーレットに対してよそよそしく、いかにも早く出て行って欲しいという雰囲気だった。原作のシャーレットが耐えきれずに離婚した理由が分かる。しかし、実家に戻れば、悲惨な末路が待っている。シャーレットは図々しく居座る計画を立てる。 そんなある日、シャーレットは城の中で公爵にそっくりな子どもと出会う。その子どもは、公爵のことを「お父さん」と呼んだ。

処理中です...