泥を啜って咲く花の如く

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「誰だ?」

 シャーチル伯爵家の連中だったら、この良き日に絶縁を突きつけてやろうと思っていただけに。ハズレくじを引いたかのような落胆を隠さず、取り敢えずの疑問を口にする。乱入者は丸腰だ。本当に気合いだけで乗り込んできたらしい。

「あれは、ユーミル侯爵家の次男、グレッド・ユーミル様ですわ」

 背中にくっついて、囁いてくるヨハンナの温もりに、ライナスは表情を緩めた。俺の嫁が可愛い。それに尽きる。

「聞き覚えのある名前だな」

 報告書で見た覚えはある。しかし、思い出したくない名前だ。

「もう、分かってて仰ってるでしょう!」

 その呆れたような声音すら、ヨハンナは可愛い。

「───冗談だ、怒るな。あれだろう、伯爵家目当てでヨハンナと婚約していたクズ野郎だな」

「えぇ、その通りですわ。伯爵家の後継目当てでわたくしと婚約し、異母妹のマーリアと浮気して乗り換えを宣言したクズ野郎ですわ」

 継ぐ家のない貴族令息というものは、自分で身を立てるか、どこかの入り婿になる必要がある。前者は騎士が大半であり、それに見合った根性や努力を必要とする。後者も勉強や努力は必要なはずだが、親のコネで整った婚姻の場合は色々と勘違いをして傲慢に振る舞う愚か者も一定数出てくるのが現状だ。その残念な一定数に当てはまるのが目の前のクズ野郎である。

 自分が優秀だから、見目麗しいから、伯爵家に必要とされているのだと思い込んでいた幸せな男。家族から必要とされず血を繋ぐだけの道具でしかないヨハンナなど、自分より価値が低い人間であると判断し、散々見下してきた。ヨハンナを罵倒すると、シャーチル伯爵を初めとする者たちが満足気に同調してくることも、その思い込みに拍車をかけた。

「だが、マーリアの本命は第二王子だろう?」

 ライナスが首を傾げると、ヨハンナは力強く頷く。当てずっぽうだったのだが。もっとも、そうでなければ、国王が焦ることもなかっただろう。あの方は頭の足りない第二王子が可愛くて仕方ないのだ。

「彼はわたくしを貶めるために散々マーリアに利用された挙げ句、用済みだと捨てられた哀れなクズ野郎なんですの」

「なるほど、クズにも見捨てられるクズっぷりなのだな、クズ野郎は」

 ヨハンナを裏切ったのだから、マーリアに裏切られたところで憐れむ気にはならない。単純すぎる自業自得である。

「さっきから、クズ野郎クズ野郎連呼しやがって!全部聞こえてるぞ!!」

「状況説明も兼ねて周りに聞こえるように話してるんだ。そんなことも察せないのか、使い捨てクズ野郎」

 神聖なる礼拝堂に、立ち入るべきか迷っていた善良な護衛と警備隊員は、この阿呆なやり取りの間にグレッドという名の乱入者の周りから消えている。身振り手振りと視線で誘導した通りに動いてくれたようだ。今頃、シャーチル伯爵家の誰かが来ることを期待して仕掛けていた画像記録用の魔導具の確認に動いていることだろう。

 その映像を元にグレッドとやらの実家に正式に抗議を行うつもりだ。本人をどうこうするよりも、その方が多額の慰謝料を払って貰えそうである。取り返しのつかないところまで失態を犯せばいい。彼の愚行を止めないのも、煽るようにクズを連呼したのも、それらを期待してのこと。

「ヨハンナ!お前は僕と結婚してシャーチル伯爵家を俺に譲れ!!」

「お断りします」

 毅然とした声音が礼拝堂を制する。対するグレッドは目の前に見えない壁でもあるかのように、入口付近で地団駄を踏むものの、そこから近づいてこようとはしない。どうやらライナスが睨みを利かせているのが怖くて近寄れないらしい。

「何故だ!お前は僕の婚約者だっただろう!」

「わたくしは、ライナス様の妻です」

「まだ愛の誓約を行っていないのだから無効だ!!」

 確かに神の御前ではまだ誓っていない。まさか、誓って初めて夫婦となるなどと思っているのだろうか。そこまで頭が足りないのか。

「挙式が今日というだけで、書類上は既に妻ですわ。国王陛下の承認も得ていますし、お祝いのお言葉も頂きましたもの。そうですよね、ライナス様」

「その通りだ。最早ヨハンナはシャーチル伯爵家とも貴殿とも無関係。お引き取り願おう」

「そんな!僕はどうすればいいんだ!」

「知りませんよ、そんなこと。一方的にわたくしとの婚約を破棄すると言い放ったのは貴方様でしょう!どうしてわたくしが貴方様を救済しなくてはいけないのですか!」

「短期間とはいえ婚約してやったんだ!少しくらい僕の役に立てよ、ブサイクが!」

 吐かれた暴言に、ヨハンナが息を呑む。さすがに傷ついたらしい。

 ライナスは嘆息して、ヨハンナのベールを捲り上げた。

「ら、ライナス様!?」

「君は、美しい」

 曝された素顔に、ライナスが微笑みかけると、ヨハンナは目を潤ませた。

「だ、誰だ、その女性は!そんな美人があのヨハンナなわけがない!に、偽物だ!」

「ほう、人違いか。ならば、ますます貴殿の言い分を呑む理由はないな」

「───くそ、かくなる上は僕が侯爵家を継いでやる!!」

 そんな捨て台詞で立ち去った乱入者は、まさしく嵐だった。置き去りにされた一同は何だったのかと、唖然とするばかり。

 そんなライナスの元に老齢の家令が囁く。抗議文とその写しをユーミル侯爵家と王家それぞれに差し向けたとの報告だ。

「あいつ、侯爵家から追い出されるだろうな…」

「追い出されたのはお前たちのせいだから養えとか言い出しそうじゃありません?」

「その時はクズ野郎に育てた責任を取れ───ということで生産元に返すさ」

 早々とベールを捲り上げてしまったが、後悔はしていない。

「お手をどうぞ、奥さん」

「ありがとうございます、旦那様」

 改めて手を取り合い、行くべき道を見据えて歩き出す。

 何事も無かったかのように、2人の挙式は恙無く終了した。



 しかし、無粋な連中というものは、空気を読まずに現れるもので。

 新妻が未だ夢の中におり、城中が喜び一色の最中に招かざる客はやってきた。


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