泥を啜って咲く花の如く

ひづき

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「妻帯せよ、これは王命だ」

 王の甥に当たるライナス・ブライドラー辺境伯は、今年で26歳になる。顔には斜めに走る大きな古傷が残り、そのせいで表情を動かすと未だに痛むのだ。そんな強面のせいで縁談が持ち上がっても令嬢本人に泣かれる、逃げられる、失神される。本人同士の意思に任せていては婚姻には至らないだろうと判断された。

 王が用意した縁談となれば拒否権はない。

 渡された釣書に目を通す。シャーチル伯爵家の次女、マーリア。現在16歳。書かれている情報はその程度のもの。あとは絵姿。美しい金色の髪の、慈愛に満ちた笑みを浮かべる少女。



 どうせ、彼女も、俺を見れば悲鳴を上げるに違いない。



 輿入れの当日、伯爵家のものとは思えないほどボロい馬車から降りて来たのは別人だった。黒髪、しかも引っ髪に瓶底メガネ。10年ほど前に流行ったであろう詰襟のワンピース。

「お初にお目にかかります、わたくしはヨハンナ・シャーチル。シャーチル伯爵家の長女です。大変御無礼を承知の上で、まずは伯爵家当主からの手紙を一読下さるようお願いいたします」

「俺はライナス・ブライドラーだ。───手紙を見る必要はない。マーリア嬢は妖精のように気ままに赴くまま遊び渡るご令嬢だというのは存じている。俺としては嫁いでくるのが姉でも妹でも構わないが、君は構わないのか?」

 王から正式に王命を認めた書類を渡されたが、そこには“シャーチル伯爵家の令嬢と婚姻せよ”としか書いてなかった。姉か、妹かなど言及されていなかった。故に、どちらと結婚しても王命は果たしたことになる。釣書など最初から見ていなかったと言い張ればいい。

「勿論でございます。わたくしなどで恐縮ですが身命を賭してお仕え致します」

「そうか………」

 婚姻を命じられた際、裏を探るべく、シャーチル伯爵家について調査をした。ヨハンナ嬢は現在18歳。伯爵家を継ぐべく厳しい教育を受けており、いずれ婿をとる立場。しかし、前妻に似たヨハンナ嬢を現伯爵夫妻は疎んでいるというのは周知の事実。そんな彼女がここにいるということは、今回の王命を盾に次期当主の座を奪われたのだろう。

 一方のマーリア嬢は、妖精の呼び名に相応しい振る舞いが目立つ令嬢だ。妖精は人ではないため、人の情というものを解さない。故に気まぐれで残酷。万人を魅了する美しさで幾人もの男を虜にし、貢がせ、必要がなくなれば被害者面をして周囲に泣きつき排除させる。まさに毒花なのだが、あからさまに中傷できないため、人々は皮肉を込めて妖精と呼ぶ。つまり、化け物め!と陰で罵っている。

 問題は、その化け物に絡め取られた人間の中に辺境伯の従兄弟───王子が混ざっていることくらいか。あれが王子妃など言語道断だと、王は辺境に妖精を隔離しようとして婚姻を命じたに違いない。

「荷物は、それだけか?」

 くだびれた大きめのバッグと、ドレスが一着くらいしか入っていなさそうな衣装箱。

「わたくしの全財産ですの」

 クスクスと花嫁は瓶底メガネの奥で笑う。

「そういえば、護衛はどうした?急用か何かか?」

 治安に気を配っていても、辺境、つまり国境付近という土地柄、他国から不法侵入してくる者や旅人など外からの人間がそれなりにいるため、どうしても強盗などが絶えない。それは最早辺境伯領の宿命のようなものだ。

「初めからおりません。父が護衛を雇うよりも初めから襲われる心配がないように廃棄寸前の馬車を使うよう手配して下さいましたの。御者も日雇いの者です」

 視線を向けるも、そこに馬車を操縦してきたはずの者の姿は既にない。辿り着いた場所と会話から身の危険を感じて早々に逃げたのだろう。

 護衛なしで、よく無事だったものだと、内心心底安堵した。それを表には出さない。必要以上にヨハンナを脅かす必要も無いだろうという配慮からだ。

「念の為に聞くが、侍女や付き人は?後から別の馬車で来るのか?」

「おりませんし、来ません」

「───だろうな」

 護衛もいない馬車に令嬢を一人乗せてくる時点で分かりきっていた。無謀という言葉で片付けていいのか戸惑う。

「その様子だと嫁入り道具もないのだろう。シャーチル伯爵家には花嫁の支度金を手渡したはずだが、一体何に使われたのか知っているか?」

「優しい優しいシャーチル伯爵夫人が有効活用して下さると仰ってました。───わたくしが不甲斐ないばかりに申し訳御座いません。ウェディングドレスだけは持参致しました。亡き祖母の品なので歴史だけはある品です、………本当に歴史だけですが」

 ウェディングドレスと言われ、改めて馬車に積まれている箱を見遣る。通常、ウェディングドレスの作成には一年以上の歳月を要する。貴族ともなれば、緻密なレースのひと針ひと針を一流の職人が手縫いで仕上げるのが一般的であり、どうしても時間のかかる品なのだ。

 他に何も持たされない娘が、唯一それだけ持たされたということは───

「ドレスの作成に時間をかけず、さっさと新郎を言いくるめて気が変わらないうちに婚姻を結べ、既成事実を作れ、と。そういうことだろうか」

 身も蓋もない言い方をすれば、花嫁を出迎えるべく待機していた使用人たちがドン引きした。家族から見放された哀れなうら若き乙女相手に何を言ってるんだ、この朴念仁がぁぁぁ!!という、周囲からの非難を肌で感じ、さすがに拙かったかと、目の前の少女を窺う。

 少女は平然と、それどころか、嬉しそうに声を弾ませた。

「えぇ、まさにその通りです!よくお分かりですわね!あの夫妻は可愛い異母妹を手元に置いておきたいのです。そのために、わたくしに犠牲になれと。金銭のことを含め何を抗議されても彼らは、全て性格の悪い長女が画策したことで自分たちは何も知らなかった、と言い張るつもりでしょう」

「それがまかり通ると思っている当たり、大物だな」

「わたくしの亡き母は心労で寿命を縮めたのではないかと思っておりますの。二の舞にならずにあの家を出られたのは僥倖でしたわ。………辺境伯様にご迷惑をお掛けするのは心苦しいですが」

 嬉しくて嬉しくて堪らないと笑う様は、まるで愛しい人との婚姻に心を躍らせる乙女のように錯覚させる。───そんなわけはない。自惚れそうになり、慌てて表情を引き締めた。

「ヨハンナ嬢は俺が怖くないのか?」

 大概初対面の女性は「ひッ」などと悲鳴を上げるものである。怪我で皮膚が引き攣るため表情を変えることが不得手な辺境伯は、その体格の良さも手伝って恐れられる。

 しかし、ヨハンナは首を傾げた。

「怖い?───どの辺がですか?」

「顔が、だ」

 自分で言っていて、少し虚しくなった。

「わたくし、よく伯爵領の傭兵団の方々の元へ陣中見舞いに行っておりましたの。顔に傷が増えても男前になっただろうと笑う方々ばかりでしたので、怪我を恐れず戦う方を心配はいたしますが、恐れは致しません」

 普通、令嬢が視察するのは教会や教育施設である。自警団や傭兵団に顔を出す令嬢など聞いたことがない。

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