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しおりを挟む「まぁ!殿下は事前に双方の保護者から婚約破棄の同意書にサインを頂いているはずですが?」
セイレーンの問いかけに、第一王子は目を泳がせ、何故それを、と音もなく呟く。
「父であるクレノア公爵から、そのように聞き及んでおります。婚約破棄に伴う諸手続きのため、我が父はこの会を欠席しておりますの。そのような理由がなければ、第一王子支持派のトップとして、肝心の支持対象である殿下の誕生祝いに現れないはずがありません」
これは第一王子も知っていること。そして、娘であるセイレーンが無礼を働き婚約破棄に至った償いを、という形で公爵家を第三王子に譲る───
「黙れ黙れ、戯言ばかり───!」
「あぁ、セイレーン嬢は本当に事前に聞かされていたから冷静だったのか」
第二王子の場違いなほど明るい声が、雑音を遮った。
「待ってください!事前に両家で話が済んでいるのでしたら、このような公の場でセイレーン様を追及する必要はなかったのではありませんか?何故仮にも婚約者だった女性の名誉を傷つけるような真似をなさるのですか!」
「黙れ!聖女に選ばれたからって調子に乗るな、平民のくせに!」
「っ!」
鋭い眼差しと、強い怒鳴り声に、怯えた聖女ミリアは、後退る。そんな彼女を第二王子がすかさず背に庇った。
セイレーンは表向き冷静だ。内心は有利に働き始めた風向きに笑みが止まらない。
「嘘だと言い張るのでしたら、実際にサインをして下さった方にお話をお聞きしてはどうでしょう。───いい加減、舞台に上がってきてくださいませ、ブレノン公」
会場の面々が、セイレーンの視線の先を振り返る。そこには黒髪の男性が壁に寄りかかり、赤ワインを口にしているところだった。彼の年齢は30歳。それより幾分若く見える。
「もう出番か」
残りのワインを一気飲みして、すかさず給仕が空いたグラスを下げる。
「誰だ、貴様は!!」
第一王子はセイレーンの予想を裏切らず、ブレノン公と呼ばれた男性が誰かわからないらしい。会場の殆どの人は、ずっとその正体に気づいている。気づきながらも、本人がブレノン公と名乗るので、その姿の時はそのように対応するのだ。あらゆる舞踏会や、夜会にブレノン公は顔を出す。そして、“クレノア公爵夫人”とも何度か夜会で踊っている。ずっと陳腐な劇の片隅にいた人物だ。
「彼はブレノン公ですわ」
「は?そいつがサインと何の関係がある?筆跡鑑定士か何かか?」
「いやー、そんな技能はない」
あはははは。と軽快に笑いながらブレノン公を名乗る男性はセイレーンの隣に立つ。セイレーンはそんなブレノン公を見上げて、頬を膨らませた。
「いい加減になさいませんと、本気で怒りますわよ」
「はいはい」
前髪をかきあげるように自身の長い黒髪に指を通しつつ頭頂部を鷲掴みにすると、カチッという音がして、黒髪が外れた。現れたのは銀髪。
「───?」
第一王子はまだわからないようだ。ブレノン公は、そんな王子を数秒見つめて、困ったようにセイレーンを見た。セイレーンは頷く。
「だから申し上げたでしょう?あの方はそういう人なのです」
「わかってても、ちょっと凹むなー」
ブレノン公はポケットからいそいそと長く立派な銀色の口ひげを取り出し、ぺたっと自身の口元に貼り付けた。「もう少し右です」などとセイレーンに言われつつゴソゴソやる間も、第一王子は疑問符を飛ばしている。ブレノン公がカツラを外す前からその正体に気づいていた第二王子は、そんな第一王子の様子に呆れを通り越して笑うしかない。聖女ミリアは、ブレノン公がカツラを外した時点で正体に気づき、驚きつつ経過を見守っている。
そんなこんなで。
「ち、父上!?」
「気づくのが遅すぎやしないかのぅ」
唸るように話すと口ひげも相俟って50歳過ぎにしか見えない。だが、毎年国王の誕生日を祝う式典では、きちんと正式な年齢を公開しているのだ。だから、知っている人は知っている。国王は現在30歳。素の姿で王宮をフラフラしていると20代前半にしか見えず、警備兵から不審者扱いをされるのが悩みだ。
「国王陛下にお聞きします。わたくしと第一王子の婚約破棄に承諾なさいましたよね?」
「したぞ。王妃がセイレーン嬢を嬉々として罵りながら同意しろと迫ってきたからのぉ。予定通り、きっちりサインしてやった」
予定通り。
国王には、国王なりの台本がある。
「だ、黙れ、陛下に成りすます不審者め!誰かコイツをつまみ出せ!」
「ならば、儂の子を騙る貴様も不審者よな。なにせ、儂は今まで一度も王妃と同衾した事実はないのだから」
「は?」
第一王子は固まった。
会場の人々も面食らい、息を呑む。
「房事記録を確認すればわかることだ。儂は王妃の不貞に気づき、毎回、王妃には魔術にて淫夢を見せただけで同衾はしておらぬ。初夜さえも、な。毎回立会人もいたから証言も揃っておる。貴様は儂の子ではない。もちろん、第三王子もだ」
あまりにも衝撃的な告白に、会場中が混乱し、爆発でも起こったかのように騒ぎ出す。
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