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番外編
セレスティナ
しおりを挟む私はセレスティナ。私が私について明確に思い出せるのは名前だけ。
世話をしてくれる人達は、私が問いかければ応えてくれる。でも特に思い出す必要はないと考えているようで、私から動かない限り何も教えては来ない。
「あら。セレナ様、お加減は大丈夫ですか?」
寝巻きにショールを羽織った病人の姿で階段を降りてきた私に、赤髪の女性が駆け寄ってくる。彼女はアリネリア。私は普段彼女をアーネと呼ぶ。
この屋敷の人達は私のことをセレナという愛称で呼んでくれる。ここに来るまで、かつてそのように呼ばれたことがあったのだろうか。覚えていないだけにしては、やけに新鮮な響きで、どこか擽ったく、でも不思議と嬉しくなる。
アーネは私の息子(次男)の嫁、なのだとか。最初にそれを聞いた時には、自分に息子がいるのだという情報にまず混乱した。産んだ覚えも、育てた覚えもない。それが妻子を設けるほど大きな息子だという。未だに信じられない。
「天気が良さそうだからお庭を散歩しようと思って」
「ふふ、いいですわね。いまメイドに日傘を持たせますのでお連れ下さい。途中で何かあっては大変ですもの」
アーネのテキパキとした指示で使用人たちは迅速に動く。その様は見ていて清々しい。
「ばぁば、おでかけ?」
今年2歳になるアーネの息子、アーセベルト───つまり私の孫である、愛称はアースだ───が両手を掲げつつ足元に駆け寄ってくる。抱っこして!のポーズだ。抱っこしてあげたいのは山々だが、病床で過ごす身に彼は重たくて、よろけてしまう。
「アース、ごめんね。抱っこしてあげられないのよ」
「いーよー。アースがばぁばだっこするー」
足元にぎゅーっと抱きつかれ、私はその愛らしさに気絶しそうだ。
夫も息子も思い出せないし、覚えられないけれど、孫は可愛い。嫁も可愛い。
「ん?母さん、お散歩?」
「母上、足元に気をつけて下さいね」
麦わら帽子を被り、花に水を上げる成人男性2人は、瓜二つだ。片方は金髪で。もう片方は染めた黒髪に伊達眼鏡。この2人が私の息子達…らしい。未だに私は彼らの名前を覚えられないし、思い出せない。寝たら忘れる。詳しい事情も聞いたような気がするけれど、とうに忘れた。
2人は花壇の植え替えをしていたらしく、ツナギが泥だらけだ。
「そんなに汚れて。またサラに叱られるわよ」
サラも息子(長男)の嫁であり、乳母として孫たちの面倒を見てくれている女性だ。サラの凛とした佇まいは、朗らかなアーネとは対照的である。口も悪いが、誰よりも心から皆を気にかけ、心配している、心の優しい女性である。
「サラは今、ラウラとお昼寝中だから。起きる前に片付ければ大丈夫、大丈夫」
愚息たちはカラカラと笑う。
ラウラというのは、サラが産んだ、息子の娘である。つまり、私の孫だ。サラに似た栗色の髪をした、ややぼーっとした女の子だ。今年1歳になる。これまた可愛い。
「全部、聞こえてますけど?」
私に降り注ぐ日差しが傘で遮られた。日傘を差し出しているのはサラだ。
「あら、サラ。どうしたの?」
「セレナ様が日傘を待たずに行ってしまわれたとお聞きしたので追いかけてきたのですよ。お身体を大切になさって下さらなくては困ります」
サラは優しく嘆息するから、私はいつも甘えてしまう。
「ありがとう、サラ」
「───仕方ありませんね。アース様とラウラがセレナ様とおやつをご一緒したいそうですよ。如何なさいますか?」
「それは是非───、その前に聞きたいのだけれど、今日は何か特別な催し物でもあるの?」
「何故、そうお思いに?」
「あの子達の見た目が普段と入れ替わっているから、何かを企んでいるのかと思って」
サラが私の世話を焼いている間にコソコソ逃げようとしていた愚息たちは、驚いた顔をして固まっていた。何がおかしいのだろう。サラまで目を大きく見開いている。
「どうしたの?」
「あ、いえ。見分けがつくの、ですか」
「つくわよ?口調を真似ても声質は若干異なるもの。それに、次男が長男のフリをすると、やや肩に力が入ってるの。逆に、長男が次男のフリをするとテンションが上がるせいか若干早口になるのよ」
わたしの自信たっぷりの見解が意外だったらしく、本来瓜二つの双子は、何とも言えない表情で互いを見遣る。
「───相変わらず、ご子息達のことは思い出せていないのですか?」
サラの控えめな問いに素直に頷く。何度聞いても名前を覚えられない、思い出せない。事実だ。今この場にアーネがいたら悲観したことだろう。しかし、いるのはサラである。彼女は確かに優しいが、安易に同情などしないので、こういう時は頼もしいし、本音を隠す必要もない。
「正直思い出す必要性を感じないのよねぇ…」
こんな本音、アーネには聞かせられない。きっとアーネは嘆くだろうから。
「あー、そうですね。要らないですよね。なんかもう、区別さえつけば名前も別にいらないんじゃないかって気がします」
「長男の妻がサラ、子がラウラ。次男の妻がアーネで、子がアース。これだけわかっていればいいわ」
「今日は三男のゼルトファン様がお忍びでいらっしゃるんですよ」
「……………うーん、どんな子だったかしら」
「ゼルトファン様の奥様には未だにお会いしてませんもの、思い出せませんよね」
「そうなのよ。正直可愛げのない成人男性になんて興味無いのよ」
「わかります、わかります。どうでもいいというか、邪魔でしかないというか」
「そうよねぇ」
遠ざかるセレスティナとサラを見送り、双子は改めて顔を見合わせた。
「…まぁ、元気になっただけ良かったんだろうな、たぶん」
「………うん、まぁ、そう、だな」
心を病み、療養という名目で離宮に幽閉されていた元王妃は、現国王ゼルトファンの計らいで表向き病死したことにして本人は早一年ほどジェノール伯爵領に滞在している。記憶力に問題はあるようだが、自力で歩けるようにまで回復したのは奇跡的だった。それもこれも孫達が遊ぼうと誘った成果だろう。
良かった、はずなのに、ウィルもエストも、釈然としないまま、互いに頷き合った。
[完]
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